第三章
──翌日。
今日も朝から俺の足は自然とサビ組事務所へ向かっていた。もはや日課みたいなものだ。
今日はどんな仕事を任されるのか。
毎日が陰鬱だったのが嘘みたいに、気分は妙に晴れやかだった。
仕事をもっと完璧にこなせば、セイカさんはもっと俺を褒めてくれて……必要としてくれるだろうか。
今ならオヤブン相手の仕事もビビらずやれる気がする。それほどの万能感があった。
「きゃあぁぁあぁぁっ!!」
「なんだ!?」
それはメディオプラザに差し掛かったときだった。
ベール地区方面に家がある俺は、事務所に向かう際にはここを通ることが多い。
ミアレを揺るがす事件があった場所でも中心地。普段は観光客たちで賑わいを見せるここ。その活気を破る悲鳴に視線は声の持ち主を探す。
するとワイルドゾーン近くに声の主はいた。服装からして観光客だろうか。の、女性の顔は緑色のホロに包まれた場所へと向けられている。
俺も自然とそちらに目が行く。すると。
(なっ!?)
小さな子どもがワイルドゾーン……しかも数あるゾーンの中でも最高レベルのポケモンが集う場所を歩いているじゃないか!
その先、タワーの残骸の下にいるオヤブン個体のポケモンへ、無邪気に近づいていく。
子どもの服装を見て、氷ポケモンに触れられたように背筋から熱が奪われていく。
向かう先にいるポケモンを模した服。
好きなポケモンの大きな個体を見つけた。それだけで危険だなんて考えは吹き飛んだんだろう。
「っ……! くそっ! 間に合え!!」
あのポケモンのオヤブン個体ははかいこうせんを使ってくるというのを、どこかで聞いたことがある。
しかもオヤブンはポケモンよりかもトレーナー、人間の方を優先的に狙ってくる。もし見つかったら……。
深く考えるよりかも先に体が動く。
きっとセイカさんならこうすると思った。
俺らしくもない。セイカさんと出会う前なら、こんな危険な行動はしなかったはずなのに。
ワイルドゾーンに突撃した俺の目の前に広がる光景は、子どもに気づきはかいこうせんの溜め動作を始めるポケモンの姿。
「ピカチュウ! まもるで子どもを助けてくれ!」
収束していく光。さすがの子どももポケモンに攻撃されそうになっている光景に恐怖で体が動かないのか、泣き声を上げながらその場に座り込んでしまった。
このままだと間に合わない! 俺は全力でボールを投げ、唯一の手持ちであり相棒でもあるピカチュウを出す。
勢いのある鳴き声とともにピカチュウは子どもの前に駆け、立つ。
小さい体ながらも勇敢な彼は庇うように仁王立ちになると、まもるの技を繰り出した。
迫る破壊の光線を防ぎ、その間に俺は子どもの元へ。動けない子どもを抱きかかえ、逃げようと走り出したところで。
「ぴかぁっ……!」
「ピカチュウ!?」
俺の後ろにいたはずのピカチュウが前方に吹き飛ばされ、そのまま戦闘不能状態になる。
いったい何が起こったんだ? いいや。そんなもの深く思考するまでもない。
「っ……、は……!」
背後から感じる別の圧。ガクガクと震える体。
「ひ、ひっ、ぃ……!!」
顔だけ振り返ればすぐそばにある巨体。
二体目の、オヤブン……!
輝く赤い瞳は獲物を見つけたと言わんばかりに細められる。
フラッシュバックするオヤブンサメハダーとの戦い。
途端に意識する“死”の気配に走馬灯のように様々なイメージが脳裏を過ぎ去っていく。
思えばいつから俺の人生は転落していったんだろうか。田舎から都会に出てきたのはいいものの、うまくいかず挙げ句の果てにはサビ組に借金して……。
返済するための仕事も結局は長続きしないで、なんとか日雇いで食いつないでいる。
どん底だった俺の人生。いつ死んでもいい。むしろ誰か殺してくれと薄っすら考えていたはずなのに。
(セイカさん……)
闇の中に差し込む一筋の光。ミアレを救った英雄。
数日前に出会ったばかりだというのに。彼女はもう俺の中で、暗がりの先を示す星のような存在になっていた。
(死にたく、ねぇなあ……)
希死念慮があったのが嘘のようだ。今は死にたくないと強く思う。
セイカさんだ。彼女が俺を変えた。
ああ。逃げないといけないのに。足も生まれたてのシキジカのようにもつれ、倒れてしまう。
オヤブンポケモンが俺に迫るのがスローモーションのように酷く、ゆっくりに見える。
俺の懐にいる子は極度の恐怖で意識を失っていた。……せめて、未来ある子どもくらいは守らないとな。
ポケモンに背を向け、子を庇うように丸まる。
死を覚悟した、そのときだった。
「バンギラス! その人からポケモンを離して!」
芯の通った声。こちらに駆けてくる音。
すぐそばに感じるバンギラスの気配は威勢のいい鳴き声とともに俺を狙っていたポケモンを押し込み、大きく離していく。
遠くなっていく危機。なにが起きたんだと起き上がり、振り向けば。
「バンギラス! メガシンカ!」
オヤブン同士の衝突の余波ではためく黒いジャケット。下ろされている長い髪。
彼女が腕につけているキーストーンを掲げると、オヤブンバンギラスの姿がメガシンカによってより凶悪なものへと変貌し、相手に激しく強い攻撃を繰り出していく。
「ぁ、なた……は……!」
いま、俺はどんな顔をしているだろうか。
脳がうまく理解できない。目の前に立つ女性が誰なのかさえも。
後ろ姿は、まさに救世主そのもの。
暗がりに差し込む、希望の光みたいに見えた。
「セイカ……さん……」
俺があれだけ恐怖したオヤブンもセイカさんとメガシンカしたバンギラスの前では無力に等しい。
次々と技を指示する彼女には無駄がない。オヤブンの攻撃も軽々と避け、最後はワザプラス状態のギガインパクトで戦闘を終わらせた。
瞬く間に二匹とも倒し、場は一気に静かになっていく。
「……怪我は、ありませんか?」
セイカさんはバンギラスをボールに戻すと俺のそばに来てくれた。正面から見る彼女はいつもと同じで静かな凛々しさに満ちている。
セイカさんのその顔を見て、ようやく命の危機が去ったのだとじわじわと湧き上がるものがあった。
体が勝手に震えてくる。鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなっていく。
「お、俺は……大丈夫です。ま、まさかセイカさんが来てくれるなんて……は、ははっ、これは夢で、やっぱり俺死んでたり──いてっ!」
「馬鹿なことを言わないでください。あなたは生きています。私が助けたのですから」
絶体絶命のピンチに現れたヒーローに救われる。
あまりにも都合がいい話にもしかして俺はすでに死んでいて、これは夢なのでは?
そう思ったけどしゃがみ込み、俺と視線を合わせたセイカさんのデコピンの痛みで、これが現実なのだと受け入れることができた。
「勇気と無謀は紙一重。ですがあなたがいなければ私は間に合わなかった。その子の命を助けたのは、紛れもなくあなたです。胸を張って誇れる行動をしましたね」
温和な眼差し。慈愛に満ちた微笑みは聖母にすら思えた。
俺の行動を称え、認めてくれる彼女にますます惹き付けられる。
「っ……! はいっ……!」
「さあここから出ましょう。この子を母親のもとに届けなければなりませんし、ピカチュウも回復させないと」
そうだ! ピカチュウ……! 一撃で倒されてしまったのを思い出す。
立ち上がったセイカさんが差し伸べてくれた手を借りて立つ。未だ意識を失っている子どもを落とさないようにしながら。
ピカチュウが倒れていた場所には彼を守るようにカイリューがいた。体の大きさ的にオヤブン個体。あれほど恐ろしい存在でも味方だと思うと頼もしい。
「ごめんな、ピカチュウ……。ありがとう、カイリュー。ピカチュウを守ってくれて」
そう言ってボールに相棒を戻す。セイカさんもカイリューを戻すとそのまま外へ。
ピカチュウの傷ついた姿が頭から離れない。脳内にあのとき……吹き飛ばされ、そのまま倒れてしまった相棒の痛ましい姿が再生される。
呼吸がしづらい。胸の間が苦しい。彼に随分と無茶をさせてしまった。結果的には彼のおかげでセイカさんが来る時間を稼げたと言っても、だ。
──ワイルドゾーンを出た俺は歓声とともに迎えられた。
警察が付き添っている母親に子どもを引き渡すと号泣をしながらお礼を言われ、彼女らはそのままポケモンセンターへと向かっていった。
きっと目を離した隙に……だろうけど、とにかく無事に終わってよかった。あとは警察に任せよう。
「あなたは……ポケモンが悪いと思いますか?」
母親たちの背中をどこか冷めた様子で見つめながら、セイカさんが小さく呟く。
「いえ……。でもお互いが気持ちよく過ごせるように線引きは必要だな、とは……思います」
人間とポケモン。互いに支え合って生きている面もあるけど根本的な種族が違う。考えも違う。
だからこそ適度な距離が必要。今はホロという壁で区切られてはいるが、それを越えて踏み込むならば相応の覚悟が必要だ。
「……クエーサー社にさらなる対策を要請しなければなりませんね。──少し、休みましょうか。グリさんの淹れるコーヒーは絶品ですよ。ピカチュウも回復させませんとね」
ポケモンセンターはあの子が運ばれたことで慌ただしいはず。
元気のかけら、持ってたっけな。
そんなことを考えながらセイカさんに連れられてヌーヴォカフェへ。俺も何回か世話になったことがある。余裕がないときにコーヒーとクロワッサンを無償で提供してくれて……。
席についているように言われ、大人しく待っていると注文を終えたセイカさんが戻ってきた。
少しすればグリーズさんがふたり分のコーヒーとクロワッサンを持ってきてくれた。
コーヒーの香ばしい香りは嗅いでいるだけで落ち着いてくるようだ。
何回か深呼吸をしてからカップに口をつける。温かな飲料はほろ苦く、これはひのこローストか。
ほっ、と気分が緩んでいく。
「出勤前にグリさんのコーヒーを飲んでから、と思って寄ったらあの騒ぎでした。本当に、惨事にならなくてよかった」
俺の正面に座るセイカさんもコーヒーを一口飲み、告げる。
「そうだったんですか……。あの子もある意味運がいい。セイカさんがいるときにだったから無事だった」
「いいえ。あなたがいたからですよ。私が不在でもグリさんが助けに行ったでしょうし。彼もトップランカーのひとり。オヤブンを退けることなど容易い」
容易いって……。セイカさんにそう言われるなんて、グリさんはそんなに強いのか。彼がバトルするところなんて見たことがないから驚きだ。
「さあ、ピカチュウにこれを」
「これ、元気のかたまりじゃないですか! 貴重な物なのに、いいんですか……?」
「使わないので増える一方なんですよ。なので気兼ねなく使ってください」
その言葉の意味はかたまりを使わず、かけらで済ませているのか。ポケセンで回復させているからか、そもそも戦闘不能にさせることが少ないのか。
理由はどうであれ、一発で体力を最大まで回復させる道具をくれたんだ。使わない手はない。
さっそくボールからピカチュウを出せば戦う力が残っていない相棒は、俺の膝でぐったりとしている。
「ピカチュウ。よく頑張ったな。お前のおかげであの子は助かった。これは元気のかたまりだよ。お食べ……」
「ぴぃ〜か……。…………ぴかぴかっ! ちゅ〜!」
よくやったと撫でつつ、かたまりを口に運べばピカチュウは嫌がらずに食べてくれた。
すると元気がなかったのが嘘のように目に輝きが戻り、鳴き声を上げると俺の手にほっぺを擦り付けてくる。正直可愛い。
「それにしてもあなたのピカチュウ……とても懐いていますね」
「こいつとは数ヶ月前に出会ったんです。ピチューから育てていて。思えば不思議な出会いでした。ずーっと俺のあとを着いてきて……」
ちょこんと座る相棒の頭を撫でれば嬉しそうな鳴き声が返ってくる。
さっきまで戦闘不能だったのが信じられないくらいに。
ある日コイツと出会って。自分のことで精一杯でポケモンなんて育てる余裕なんてなかったはずなのに。
結局は寂しかったのか。俺は成り行きとはいえピチューをゲットして育てることにした。
ああ、もうかなり昔のように思える。
「ピチューからピカチュウに進化する条件はトレーナーに懐いていること。あなたが大事に育て、育まれた絆の賜物ですね」
「セイカさんにそう言われると照れます……!」
「ところでライチュウには進化させないのですか? かみなりの石はミアレでも売っていますが」
「あー……まあ、なんとなくですかね。石もわざわざ買うほどじゃないというか……」
バトルもそこまで好きじゃないのと、そもそも進化させるという考え自体なかった。
石を貰ったり、拾ったりしたら考えるだろうけど、自分で買うという選択肢はない。
ピカチュウからも進化をせがまれることはなかったし。
「……ではどうぞ」
セイカさんは腰に着けているポーチを軽く探ると俺になにかを差し出してきた。自然と受け取る。手のひらに触れる感触は硬く、彼女の手が引いていくと見えたそれは。
「えっ!? これ、かみなりの石……?」
「余り物ですが、今回の対価ということで。使用する、しないはあなたとピカチュウに任せます」
透き通るエメラルド色の中にイナズマの紋章が見える石は、紛れもなくかみなりの石。これを使えばピカチュウがライチュウに……。
「どうして、俺にここまで……? だって俺はあなたからすればただの債務者で……」
勝手に口から出ていた言葉。発言に気がついたときにはもう遅い。後悔が波のように押し寄せる。
まるでこんなの、あなたに特別に思われているのだと自惚れているような。
「あなたは結果を出しました。ならば報酬を受け取る資格があります。債務者かどうかは……私にとって些細なことです」
カップを傾け、コーヒーを口にするセイカさんは当たり前のことだと静かに告げた。
子どもを守った報酬。きっと俺がサビ組のしたっぱであってもセイカさんは変わらず石をくれただろう。
立場を気にせず正当に評価してくれる。セイカさんに、少しは認められている……と思っていいのか。
そう思うと今度は罪悪感がゆっくりと胸の中央から染み出してくる。
黒く、重苦しい感情。俺は最初、もうどうにでもなれ! と彼女に酷いことを言ってしまい、未だに謝れていなかった。
こうして二人きりで話せる機会ももうないかもしれない。なら……!
「あの、セイカさん……。俺、あなたに酷いことを言って……。あのときは自暴自棄になっていたとはいえ、本当にすみませんでした……!」
頭を深く下げる。許してもらえなくてもいい。
ただ言いたかった。あふれる罪の意識を吐き出したかった。
「……顔を上げてください。たしかにあなたは私を下品な言葉で貶めましたが……オヤブンサメハダーの件で溜飲は下がりましたので。もう気にしていませんよ」
「はい……。ありがとうございます……」
顔を上げる前に視線でセイカさんを見れば、彼女は本当になにも思っていないのか静かに佇むばかり。
ただ座っているだけなのに。背筋が伸び、美しい姿勢なのも相まって優雅に見える。まるで良いところのお嬢様のような気品すら感じられた。
バトルも強く、品がある女性がなぜカラスバと恋仲になっているんだろうか。不思議でしょうがない。
「どうしました? そんなに見つめてもなにも出ませんよ」
軽く握った片手を口元に当てて、セイカさんが小さく笑う。
「いえ……。その、生まれながらの気品というか。そういうのをセイカさんから感じるんです。そんな人がなぜサビ組、カラスバ……さんに惚れたのかなって」
「そうですね……彼との出会いは私の仲間の借金の件で、事務所に呼び出されたとき。あのときは仲間に詐欺まがいの高利貸しをした下衆かと思っていましたが……」
どこか懐かしむようにセイカさんの双眸が柔和に細められる。
それにしても下品な言葉が嫌いだったり、一応恋人である男に対して“下衆”という強い言葉が出るあたり、高潔な一面もあるんだな。
「彼自身のミアレへの強い思いやポケモンを愛する心。悪い人ではあるけれど、善性も持っている。そしてなにより……あのとき、“がんばりや”って言ってくれたことが……」
「がんばりや?」
「ええ。私を応援してくれたのが意識するきっかけだったのかもしれません。彼が欲しい。彼なら同じ穴の狢。私を受け入れてくれるかも……。──私も、あなたが思っているような人間じゃないんですよ。結局は」
そう言うセイカさんはどこか寂しそうで。
同じ穴の狢。セイカさんとカラスバは似たような存在ってことなのか?
オレがミアレの救世主と言ったときの……嫌悪するような口調はそれが原因?
セイカさん、あなたはいったい……。
けど、その先を知ろうとしてはいけない気がした。
そこに踏み込めるのは、恋人であるカラスバだけだ。
「少々喋りすぎましたね。これは私とあなたの秘密ですよ?」
しぃ、と人差し指を立ててジェスチャーをしてくるのだから俺は変に意識してしまう。
セイカさんと俺だけの秘密。彼女に選ばれたような錯覚に全身が瞬時に発熱していく。熱くないのにじんわりと汗が滲んでもきた。
「次はあなたの話を聞かせてください」
「俺ですか? なにも面白い話なんてないですよ……。……田舎の生活が嫌で都会に来たけど、馴染めなくて。仕事もうまくいかなくて。気づいたらサビ組に借金して、日雇いでなんとか生きている──いや、息をしていただけです。あんなの……」
「仕事を転々としていたようですね。どれもあまり続かず、短期間で辞めている」
「なんだ、知ってたんですか。サビ組の情報網ってやつですか……」
「データとして頭に入っていても、それはただの文字の羅列。あなた本人の口から聞くのとはまた違う印象がありますから。私は、あなたとの会話を望みます」
っ……! またなんてことを平然と言うんだ、この人は……!
きっとセイカさんは深い意味では言ってないと思うけど、受け取る側の俺は……そんなふうに言われたら、どうしようもなく歓喜に身を震わせてしまう!
まるで毒のような人だ。甘くて、媚薬のような。知らない間に入り込んで侵されていく。
俺はすでに魅了されている。セイカさんという名前の媚毒に。
なんだろうか。この気持ちは。女性として愛しているとか、そういう邪なものではなくて。もっと単純なもの。祈りのような。
この人に、俺という存在を承認されたい。
胸の奥で膨らんでいくのは、たぶんそういう飢えだった。
「恥ずかしい限りですけど、その通りです。俺、トロくて怒鳴られてばかりで……嫌になって逃げ出す。その繰り返し。自堕落な生活からどうしても抜け出せなくて。でも両親に啖呵切って出てきたんで、家にも戻れなくて……」
田舎生活が嫌で、親父と喧嘩してそのまま飛び出すようにミアレに来た。だから戻りたくても戻れない。
あのときはごめん。そう一言いえれば何かが変わるかもしれないのに。変にプライドが邪魔をして素直になれない。
「俺……セイカさんに会う前はいつ死んでもいいって思ってました。でもサメハダーの捕獲を告げられたとき、どうしようもなく怖くて。捕獲が終わったら──“ああ、生きている”って、死んでいたのが生き返ったような気がしたんです」
「……今は、その気持ちに変化は?」
「さっきオヤブンに襲われたとき。思ったんです。死にたくないって。死んでもいいって、むしろ殺してくれって常々考えていた人間がですよ?」
「死に対する意識が変化したことはいいことです。ですがもしもこの先、また同じ気持ちになったら……相棒のピカチュウのことを考えるといいでしょう。あなたに懐いている彼を残していいのか。おのずと答えは出てくるはずです」
「っ……、そう、ですね……。ごめんな、ピカチュウ……」
「ぴか〜?」
いつもそばにいてくれる相棒の存在をすっかり忘れて、俺は自分のことばかり。セイカさんの言うとおりだ。俺がいなくなったらこいつはどうなる。
簡単なことなのに。俺はそんなことにも気づかないで……!
ピカチュウを抱きしめれば何も分かっていないような声が返ってきたけど、それでもすりすりと頬を擦り付けて甘えてくる様子に勝手に涙があふれて止まらない。
「どうぞ。お拭きになってください」
「ぁ……りがとう、ございますっ……」
セイカさんが真っ白なハンカチを差し出してくれた。ふんわりと香る柔軟剤の匂いは心地よくて。
ぽろぽろと零れる雫で布はしっとりと濡れていく。
ああ、嫌だなあ。いい年した男が外で、しかも女の子の前で泣くなんて。
「今まで俺、こんなこと誰にも話せなくてっ……! セイカさんに聞いてもらえて、よかった……!」
「誰かの声に耳を傾けることは得意ですから。お役に立ててよかったです」
「セイカさん。俺は……変わりたい。この生活から抜け出したい……! もうこんな歳だけど、今からでも変われるでしょうか……!?」
「変われますよ。ええ。その気持ちさえあれば。誰だって──変われます」
