胸の奥の、手放せない光 - 7/7

エピローグ

 ──数年前のあの日。俺は少ない荷物をまとめてミアレの地を離れ、この地にやってきた。
 幸いなことに仕事は受かり、今では毎日ポケモンたちの世話をしながら穏やかな日々を送っている。
 ミアレにいた頃は時間の流れが速すぎて、いつも置いていかれているような気がしていた。
 でもここでは、そんな焦りもない。

(セイカさん……)

 あなたは今、なにをしていますか?
 変わらずミアレに──最愛の人の隣にいますか?
 仕事の合間。ふと手を止めた瞬間に、彼女が俺にかけてくれた言葉が胸に浮かぶことがある。
 この地で俺は人生をやり直した。
 あの自堕落な生活から抜け出して、毎日きちんと働いて、少しずつでも前を向けるようになった。
 誰かに怒鳴られることもなく、地道な頑張りを見てもらえる今の生活は……たぶん、あの頃の俺が一番欲しかったものだ。

(綺麗な、空だ……。あの人も、この空を見ているのだろうか)

 青空のキャンバスに綿雲が流れていく。顔を撫でる風が気持ちよくて、俺は思わず目を細めた。
 胸の奥が静かに疼く。
 日数にすれば、たった数日。
 恐怖から始まった出会いで、認められた嬉しさに浮かれて、ただ必死にあの人の背を追っていた。
 いま思えば、あの時間は眩しすぎるくらいだった。
 贅沢なことを言っているのかもしれない。
 穏やかな日々を手に入れたくせに。それでもなお、あの時間を輝いていたと思ってしまうのだから。
 でも、否定はできなかった。
 彼女と過ごした時間は、たしかに俺の中に残っている。
 生涯忘れることのない思い出として。
 まるで、初恋みたいに。

(結局、返しそびれたままだな……)

 胸ポケットに入れていたハンカチを取り出す。
 あのとき。ヌーヴォカフェでセイカさんが差し出してくれたものだ。
 返そうと思えば返せたはずなのに、結局できなかった。
 いや、しなかったのかもしれない。
 鼻先に寄せ目を閉じると、浮かぶのはミアレの英雄としての彼女ではない。
 黒いスーツに身を包み、愛する男の大切な組と街を守っていた、ボス代理としての彼女だ。

「らーい!」
「ギュイッ!」
「ライチュウにペンドラー。もうそんな時間か」

 想いを馳せていると聞き慣れた鳴き声。
 目を開ければ、向こうから駆けてくる二匹のポケモンの姿。
 腕時計を確認すればもう昼休憩の時間だった。飯の催促だな、これは……。

「らいっ! らいっ!」
「ギュ〜! ギュギュ!」
「はいはい。いま行くよ」

 俺の腕に尻尾を巻きつけ、引っ張ってくるライチュウに同じく俺の服を口で引っ張るペンドラー。
 その愛情表現がくすぐったくて、自然と笑みがこぼれた。
 ハンカチをそっと胸ポケットに戻して、俺は二匹と一緒に歩き出す。
 空は高く、風はやわらかい。
 胸の奥にひとつ。手放せない光を残したままでも──人は生きていけるのだと、今なら思える。

 セイカさん。
 きっと、もう二度と会うことはないだろう。
 それでも、あなたとの日々はずっと心に残り続け、忘れることはない。
 俺にくれた言葉。
 認めてもらえたこと。
 導いてもらえたこと。
 変われると言ってもらえたこと。
 その全部が、今の俺を支えてくれている──。