胸の奥の、手放せない光 - 2/7

第一章

 体が、まだ震えている。
 いっそ殺してくれと自暴自棄になった俺は、サビ組ボス代理を務めるミアレの英雄、セイカさんを侮辱した。
 そして思い知った。彼女の恐ろしさを。
 怒声を浴びることも、暴力を振るわれることもなかった。
 ただ圧倒的強者の威圧と、なんの感情も宿さない眼差しに射抜かれて、根源的な恐怖を揺さぶられた。
 気づけば、訳も分からずみっともなく喚いていた。
 死んでもいいと思っていたはずなのに。

 ワイルドゾーンにいるオヤブンサメハダー捕獲の仕事を斡旋され、結果的には手持ちのポケモンの協力もあって無事捕獲できた。
 サメハダーやキバニアが俺に向かって飛び掛かってきた光景が何度も脳裏によぎる。
 自分の命なんてどうでもよかったはずなのに。いざ危機に直面すると体は攻撃を必死に避けていた。
 狭い水路は足場も悪く、何度も痛い目を見た。
 それでも逃げることはしなかった。……いや、正確には逃げられなかった、というべきか。
 背後にいた監視役の視線。俺がギリギリ死なない程度のところで助け舟を出すつもりだったのか、その手にはモンスターボールが握られていたのを覚えてる。

 奇跡的に成功した捕獲。気づいたときには膝から崩れ落ちていた。
 生命の危機が去ると、無気力だった体にじわじわと“生きている”実感が戻ってきた。
 死んでいたのが、生き返ったような気がした。
 ──そして今に至る。
 サビ組事務所。ボスの部屋。
 報告のために組員に連れられて来た部屋は見慣れているはずなのに、妙な違和感がある。
 そう。普段はカラスバが座っている椅子に、セイカさんが座っているからだ。
 肩に掛けたサイズの合っていないジャケットは、たぶんカラスバのものだろう。
 デスクを挟んでいるとはいえ彼女の顔を真正面から見ることができて、ワイルドゾーンに行く前より距離が近いと感じる。

「無事に戻られましたね。オヤブンサメハダー、依頼者の方も喜んでいましたよ」
「はい……。よかった……、です」

 微笑み。纏う雰囲気も最後に見たときと違って柔らかなもので、怒ってはいないようだった。
 それなのに心臓が変な音を立てる。ここがサビ組っていうのもあるが、きっとセイカさんだからだ。
 ボスとしての風格。カラスバやジプソとも違う存在感。

「よくやり遂げましたね」

 セイカさんの瞳が俺を見つめる。
 柔和に細められる視線は、あのときの黒いまなざしが嘘のように優しいもの。
 たった一言。労をねぎらわれただけなのに、胸の中心がじんわりと温かくなった。
 大人になってから人に褒められたことなんてあっただろうか。
 もしあったとしても怒鳴られたり、呆れられたりすることの方が多くて思い出せない。

「危険な仕事でした。正直途中で投げ出すと思っていましたが逃げずに向き合い、こうして帰還した」

 逃げる……か。監視役もいたし、そもそもオヤブンサメハダーを前にしたら生き残るのに必死で戦うことしか頭になくて。そんな考え吹き飛んでいた。

「誇っていい行動です」
「……!」

 頭が真っ白になる。褒められた。評価された。
 記憶にこびりつき、ふとした時に蘇る負の言葉たちが彼女のたった一言でかき消されていく。
 本当にいつ振りだ。俺自身を見てくれたのは。
 有象無象じゃない。ひとりの人間として扱われたのが──嬉しい。
 俺ってこんなにも単純な奴だったのか? ただの一言で……。
 冷めた思考がある一方で、役に立てばまたセイカさんに褒められるかもしれないという淡い期待が生まれる。
 こんな気持ち、初めてだ。

「次の仕事も相談させてください。ですが今日はもういいですよ。医務室で傷の手当てと、ポケモンも回復させてから帰ってくださいね」
(傷?)

 言われて自分の体を確認する。上は半袖だから擦り傷がいくつかあった。今まで全然気づかなかった。
 軽いとはいえ怪我をしている。認識すると痛みだして、でもこの痛みが生きている証拠だと思えた。

「あ、あの……」
「どうしました?」
「いえ……。あ、明日も……来ます」
「ええ。お待ちしていますよ」

 小さな笑み。
 待っているという言葉が社交辞令に過ぎないことくらい、分かっている。
 それでも、胸は高鳴って仕方なかった。