幸腹フルーツサンド

「あれって……」
 それはある晴れた日のこと。森に囲まれ、鬱蒼としている島に建つ研究所の公園にて。たまたま通りかかったジータは黒い存在が体を丸めてジッと動かないのを目にしてその歩みを止めた。
 屈んだまま動かない黒い存在の名前はサリエル。その力こそ四大天司に匹敵するがリミッターによって知性に制限がかかっており、また、ルシファーが適当なので想像以上に影響を受けていた。そんな彼の体は大きく、大人レベルだがその中身は純粋無垢な子どもそのものであるため、ジータはまるで我が子を見守る母のような笑みを浮かべると彼の方へと歩み、隣に屈み込んだ。
「こんにちは、サリエル。蟻、見てるの?」
「こんにちは、ジータ。うん、ずっと見てる」
「そっか。私も一緒に見てていい?」
「うん」
 どこからか餌を持ってきて巣穴に持っていく蟻たちの列をサリエルと一緒に見ることにしたジータ。戦いにばかり繰り出され、自分の身を顧みずに敵を殲滅していく彼が本当は誰かを傷つけることに対して苦痛を感じているのはなんとなく察していた。
 せめて帰還したときには少しでも癒してあげたいという気持ちから、サリエルを見かけると率先して話かけに行ったりと他の星晶獣よりも気にかけていた。
 そろそろ配置転換をお父さま──ルシファーに一言相談したほうがいいかもしれない。彼が聞いてくれるかは分からないけれど。そんなことを考えながらも時間は刻々と過ぎていき、三十分ほど経った頃。
「ねえサリエル。お手伝いしてほしいことがあるんだけど、頼んでもいい?」
「いいよ。僕はなにをすればいい?」
 蟻を見つめていた目がジータを映す。
「お父さまにおやつを作りたいんだけど、サリエルも一緒に作ってくれる?」
 伺うように小首を傾げながら聞けば、彼はひとつ頷くと立ち上がった。痩身痩躯の体は背筋を伸ばせばかなりの高身長なのだが、猫背ながらもジータと比べるとだいぶ高い。自分を見下ろしてくる感情の乏しい彼の手を引いて向かうのはジータの部屋。その中にあるキッチンだ。
 部屋へと続く廊下で何人かの天司や星の民とすれ違い、その誰にでもジータは明るく声をかける。獣からすればある意味では彼女は母親的存在であり、人間からすれば獣との間に入ってくれる潤滑剤のような存在で愛らしい彼女に密かに欲望を抱く星の民もいたりする。
 そんな欲が向けられていることはジータはつゆ知らず。サリエルと手を繋ぎ、連れて歩く様子は母と子。星の民や獣たちは二人の様子を見て各々感想を抱くと、それぞれの目的のために去っていく。

   ***

 いつもルシファーの食事を作っている場所は整理整頓が行き届いており、広さもあるために料理をするには快適な空間となっている。窓からは柔らかい日差しが入り込み、見ているだけで不思議と気分が上がってくるようだ。
「所長にはなにを作るの?」
「新鮮なフルーツが手に入ったからクリームたっぷりのフルーツサンドにしようかなって。ぎっしりと中身を詰めて食べ応えがあるやつ!」
「食べたことはないけど美味しそうだね」
「なら……一緒に食べよう? 自分で作ったものってそれだけで美味しいと思えるし、みんなで食べるともっと美味しくなるの!」
 サリエルの両手を優しく包み込み、慈愛に満ちた笑みを彼だけに向ける。
 見た目は人型でもサリエルは星の獣。稼働するために食事などは必要ない。人間ならば栄養となって糧になるが、星晶獣はコアに吸収されておしまい。なので食事は趣味や息抜きの範囲になる。
 気にかけるようにしていると言ってもサリエルとずっと一緒にいるわけではないため、ジータが知らない場所で彼が食事をするとして、なにを食べているのかまでは分からない。
 この世界には美味しいものがたくさんあると彼に知ってほしいと胸を突き上げる衝動のまま気持ちを伝えれば、彼は頷いて返事をするがきっと深くは理解できていないだろう。けどそれでいいのだ。少しずつ一緒に知っていければ。
「サリエルにはフルーツを切るのをお願いしようかな」
 色とりどりのフルーツを冷蔵庫から取り出すと台の上へ。まな板や包丁、切ったフルーツを置く皿を用意すると一歩引き、側で立ったままだったサリエルを台の前に立たせた。
「イチゴはヘタを取ってから半分に……うん。そうそう。そんな感じで切ってね」
 基本的な包丁の使い方は大丈夫のようだ。切り方などを指示すればサリエルは淡々とこなしていく。それを横目にジータは生クリームを泡立てるためにアイスの魔法でボウルにひんやりした欠片を生み出すと水を加え、その上に別のボウルを載せると生クリームや砂糖を投入。
 固めのクリームを目指してひたすら泡立て器を回し、シャカシャカシャカ。
「イチゴ、切り終わったんだね。ありがとう。次はオレンジを切ってほしいんだけど、まず皮を綺麗に剥いて……」
 次々に指示を出し、頷きながらジータの言うとおりにサリエルは動く。
 そうこうしている内にフルーツは切り終わり、クリームもできあがった。泡立て器で持ち上がれば角が立つくらいのクリームは理想どおり。
「はい、サリエル。あーん」
「あ……。……甘い……けど、すごく美味しいと思う」
 小さいスプーンで白の山を軽く掬い、サリエルに差し出せば彼は恥ずかしがったりせずに受け入れた。口を小さく動かしながらの感想はありきたりではあるが、ジータにとっては彼が自分の意見を言うこと自体が嬉しいのだ。
 口角をふんわりと上げると使い終わった道具を素早く片付け、新しい皿を用意すると予め用意しておいたサンドイッチ用の食パンを出す。白くてふわふわの耳なしパンは生クリームやフルーツがよく映えるだろう。
「まずはクリームを塗って、それからフルーツを置く。その上をクリームで隠すように広げて……こっちのパンにも塗って重ねる。あとはバツ印に切って……と」
 サリエルに説明するように工程を口にしながら作業し、生クリームとフルーツがぎっしり詰まったフルーツサンドが完成すると大皿へ。予め計算して配置したフルーツたちの断面図は綺麗に揃っており、見た目だけでも楽しめる一品となっている。
「サリエルも手伝ってくれる? お父さまって見た目は細いけど結構食べるからたくさん作らないといけなくて」
「作るのは大変だけど……嬉しい?」
「そう見える?」
「嫌だとは思ってない。むしろ役に立ちたい……?」
 自分の本心を見抜いたサリエルにジータは一瞬瞠目すると静かに肯定した。自分は星晶獣ではあるが、天司ではない。ルシファーの気まぐれで廃棄処分を免れて今に至る。この先も彼が許可し続けてくれる限り側にいて、役に立ちたい。それが父への愛ゆえなのか、ルシファー自身への愛なのかは分からない。

   ***

「紅茶の準備もよしっと。じゃあ執務室に行こっか」
 大皿に並べられたフルーツサンドは綺麗なものと少し形が崩れたものがあった。お客様に出すわけではなく、食べれば味は一緒なのとルシファーは料理の見た目はそこまで気にしないのでまとめて出すことにしたのだ。なによりサリエルのがんばりの結晶。それを無駄にしたくはない。
 皿に透明なガラス製のフードカバーを被せ、ティーセットをワゴンに載せれば執務室に向かう準備は完璧。サリエルと一緒に部屋へと向かえば、執務に使用する大きなデスクに座るルシファーとその横には補佐を務める白い軍服姿のベリアルがいた。
 ルシファーの手には書類があり、ベリアルが覗き込んでいる形だ。きっと難しい話でもしていたのだろう。
「二人とも。休憩にしよう? 今日のおやつはフルーツサンド! いっぱいあるから好きなだけ食べてね」
「おや。珍しいな、サリィが一緒だなんて。もしかしてママのお手伝いをしてたのかい?」
「ママ? ジータのこと?」
「そうそう。彼女はオレたちからすればママみたいな人だからさ。ジータだってそう思うだろ?」
「ママ……かぁ。ある意味ではそうだよね」
 近寄ってきたベリアルの言葉を聞きながら応接テーブルに配膳していくジータは自分が母という考えに思考を巡らせる。自分は天司の前身である星晶獣であり、天司たちはジータのデータを元に造られている。ならば母という考えもアリか。
 現に少し前まではベリアルのことを弟みたいだと思っていたが時の流れによる思考の変化か、最近では他の天司と同じく子どものように思うことも多い。
「ほらほら、お父さまも座って座って」
 食べるだけにセットし終えたというのにルシファーは席から動かずに書類を眺めてばかり。いつものことなのでジータは机越しにルシファーの前に立つと書類を上から取り上げて横に置く。そうすれば鬱陶しそうな顔を向けられるが無視して脇に回るとルシファーの手を引いて無理やり立たせ、ソファーに座らせた。
「ほら、一緒に食べよう。サリィ」
「私の隣においで。サリエル」
「……僕も所長や補佐官と一緒に食べていいの?」
「当たり前じゃないか。歓迎するよ」
「ベリアルの言うとおりだよ。ね、お父さま」
「……好きにしろ」
 ベリアルが誘い、ジータも同調する。サリエルからすればルシファーとベリアルは上司。特にルシファーはこの場で一番位が高い。一緒にいていいのか迷ったが、全員の同意を得たあとジータに手を引かれ、半ば強制的に席に座らされた。その隣には彼女が座り、テーブルを挟んでジータの正面に座るルシファーの横にベリアルが腰を下ろす。
 テーブルには部屋の照明によってフルーツが輝き、見ているだけで食欲が刺激され、香りの良い紅茶も相まって心地のいい雰囲気を醸し出す。
「ね、お父さま。食べてみて」
 キラキラと目を輝かせるジータにルシファーはおもむろに手を伸ばすとジータが作った形が綺麗なものを選び、ひとくち。三人の視線が集中するなか彼は黙々と食べ続け、完食すると次のフルーツサンドに手を伸ばす。
 その様子を見てジータとベリアルは安堵する。ルシファーは基本褒めたりはしない。だがその様子で大体なにを考えているのかは分かる。黙々と食べ続けるところを見る限り好みの範疇ではあるようだ。
 この中で一番上の立場のルシファーが食べたのを見届けたジータとベリアルはようやく自分たちの分を取り始める。それに倣ってサリエルも手を伸ばした。
「今日はサリエルが手伝ってくれてほんと助かっちゃった」
「ファーさん結構食べるからねぇ。分かるよ。……こっちがサリィが作ったやつか。初めてにしては上出来だ。味もいい。これなら何個でも食べれるな」
 ベリアルもジータも迷わずにサリエルの作った方を選び、食べていく。見た目は少し崩れていてもサリエルが頑張って作ったフルーツサンド。それだけで味もより美味に感じるというもの。
「……! 甘くて、少し酸っぱい……けど、美味しい。フルーツも大きめに切ってあるから食べた、って感じがする……」
 両手で持ち、少しずつ食べる彼の言葉にはあまり感情はないが、美味しいと感じてくれてジータのコアが温かくなる。初めてのフルーツサンドは彼の舌に合ったようだ。
(思い切ってたっぷりの生クリームにフルーツは大きくカットして正解だったかも。ちょっとしたことで贅沢な気分)
 舌触り柔らかなパンに甘いクリーム。程よい酸味の果物たち。人間の女の子ならカロリーを気にしてあまり数を食べないだろうがジータは星晶獣。無意識のうちに二個目、三個目と数が増えていく。
 噛めば噛むほどにそれぞれの味が引き立ち、ジータの頬からだらしなく力が抜ける。目尻も下がり、私、いま幸せですと顔で物語っている。
 口いっぱいに広がる甘さ。固めの濃厚クリームに包まれた存在感あるフルーツ。喉を通って胃へと送られても後を引くその味は意外としつこくなくてどんどん食べれてしまう。
「ふぅ……」
 香り高い紅茶で甘さを流せばホッとひと息。大好きな人たちとのゆったりとしたこの時間がずっと続ければいいのにと思わずにはいられない。それほどにこの一瞬が愛おしい。
「ふふっ、サリエル。クリームついてるよ。ちょっと待ってね」
 ちらりと隣を見ればサリエルの口元にはクリームが付いており、ジータはおやつと一緒に持ってきた紙ナプキンを手にするとサリエルの顎に片手を添えて優しく拭う。
「ありがとう……」
「見れば見るほどママだねぇ? ……ねぇママ。オレもクリーム付いちゃったんだけど」
「ベリアルは自分で拭けるでしょ」
「ハァ。ママが甘やかしてくれるのはベッドの中だけか。じゃあパパに頼んでみよう」
「どうやら思考回路に重大なバグがあるらしい。一度脳を切開して調べる必要があるか」
「もちろん麻酔なしでイジってくれるんだろう? 楽しみだねぇ」
 途中で物騒な会話が挟まれるがジータから見ればただのじゃれ合い。なんだかんだいってルシファーもベリアルに甘いのだ。
(この平穏がいつまでも続けばいいのに)
 手にしたティーカップの飴色の水面にささやかな願いを込めた目が映る。それは簡単なようで難しい願い。ならばせめてこの一瞬、一瞬を記憶に焼き付けようとジータは密かに思うのだ。

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