邂逅について

 夜の海を進むグランサイファー。ジータの部屋にて。時間は深夜に近く、艇内には静けさが広がる。明かりも消し、光源は窓から入る月明かりのみ。普段着と違い、楽な格好をしているジータは窓辺に立つと雲がゆっくりと流れていくのを見つめていた。
 今回向かっている先はポート・ブリーズだった。目的は降焔祭。以前は星晶獣フェニックスとの戦いがあったりと大変なこともあったが、今回は純粋に祭りを楽しめればいいなとジータは思う。なぜなら。
「まだ起きていたのか」
「なんとなく寝れなくて」
 背後からの男の声にジータは振り返ると微笑む。音も気配もなく訪れた男はルシファーだ。彼はこの世界に終末を齎そうとしてジータたちと戦いを繰り広げた星の民。しかし彼女と彼の関係はこれだけに留まらない。
 こことは違う世界。ジータからすれば遙かな忘却の彼方、全ての始まりの世界で。ルシファーからすれば前世の世界にてふたりは夫婦だった。ジータはルシファーと、彼が造り出した人工生命体であるベリアルと平和な日常を過ごしていた。
 しかし残酷な運命によって家族は引き裂かれ、全てを失った果てにジータは自らの手でその命を終わらせた──はずだった。まるで眠りから覚めるように意識を取り戻すとジータは自分の知らない世界で別人として生きていた。最初は酷く混乱した。自分は死んだはずだ。
 それでも新しい人生。かつての家族への想いを心に秘めながらもジータは必死に生き、死んだ。だが再び同じことが彼女の身に起きた。目を覚ますと老衰で死んだはずの自分は若返っていて、知らない世界で、知らない名前で、違う人生を生きていた。
 いよいよこれは異常なことだと理解したジータは己の中である仮説を立てた。もしかしたら最初の人生の決して癒えぬ悔恨が魂に影響し、記憶を保持しての輪廻転生をしているのではないか、と。ただ、その転生先が全くの別世界というのは驚く以外ないが。
 どんなに歴史書を読み解いてもないのだ。記憶に刻まれている地名や、歴史に名を残すほどの事件。様々な事象──。ジータは魂がルシファーたちを捜して様々な世界を旅しているのかもしれないと思うことにした。すでに自らが特殊な輪廻転生をしているのだ。自分がもともと生きていた世界と別の世界があってもおかしくないと。
 永遠とも思える旅の中。楽しいこともあったが、それ以上に苦しみや悲しみがあった。孤独の旅に最後まで寄り添ってくれる人は誰もいない。魂は疲弊を極め、ジータはこの空の世界で記憶を取り戻すともう終わりにしようと決めたが、ルリアやビィ、仲間たちの存在にもう一度だけ頑張ってみようと自らを奮い立たせた。
 その結果は、現在に収束する。
 ルシファーやベリアルと再び一緒に過ごせるまでに大きな戦いがあったが、それらを乗り越え、ジータの魂の旅はようやく終わったのだ。
「……行き先は、ポート・ブリーズだったか」
「うん。降焔祭でね。前回は星晶獣のフェニックスが暴れて大変だったんだから」
 現在は堕天司の王としての姿ではなく、かつての研究者のときの服装、しかもローブを脱いだ楽な格好をしたルシファーがジータの横に並び、窓の向こうの空を見ながら呟く。
 降焔祭。今回は純粋に楽しみたいとジータは思うのだ。ルシファーとベリアル、三人で回って。ベリアルはもしかしたら気を利かせてどこかに行ってしまうかもしれないが、輪廻転生の旅の過程で抜け落ちてしまった記憶を幸せな記憶で埋めたい。
「ほう。“星晶獣の”フェニックスか。随分と懐かしいな」
「フェニックスを知ってるの?」
「あれが造られた当時は俺もまだ生きていたのでな。……ところで、お前は妙な言い方をする。その口ぶり──まるで星晶獣ではないフェニックスを知っているかのようだ」
 まさかルシファーが生きている時代に星晶獣フェニックスが造られたなんて。だが真に驚くのはそこではない。
 ジータはどこか艶冶に微笑むとルシファーの手を取り、ベッドの中心に座らせると自分は彼の足の間に体を滑り込ませ、背中をルシファーに預けて布団をかけた。甘えるように彼の両腕を肩口から前へ回し、自らの腕で抱える。
「なんだ急に」
 ジータを背後から抱きしめるような体勢には不満はないようだ。声は平坦ながらも機嫌は悪くない。触れる肌の温度は低めだが、ほのかに感じる熱にジータは擦り寄るように動くと「甘えてるの」と素直に口にし、私が眠くなるまで話に付き合ってと続ける。
「私の知ってるフェニックスの話を聞いてほしいの。……たぶん数千年以上も前の話だから、記憶が欠落しててあなたの嫌いな纏まりのない話になるだろうけど」
「お前の要領の得ない話は前世から慣れている。話せ」
 彼の言いように小さく笑うと、ジータはルシファーに身を委ねながら目を閉じる。瞼の裏で想像するのはかつての記憶。そう──あれは、こことは違う世界で…………。

   ***

 その世界は島が空に浮いていることもなく、山を抜ければ海が広がり、先にも大陸が続いていた。人々は海を船で渡り、移動する世界でかつてのジータは生きていた。
 このときにはすでに記憶を保持しての輪廻転生を繰り返した影響でジータは若いながらもその実力を認められ、仕えていた主からのとある命令により各地を旅していた。
 正直、命令の内容にはいつの時代の時の権力者も最後に求めるのはこれかという感想しかない。それでも受けたのは資金援助を受けながら旅ができるという点だ。
 なにしろルシファーとベリアルがどこにいるのか分からない。すでに死んでいるかもしれないし、そもそも同じ世界にいるのかさえも……。それでも彼らの存在を捜したいのだ。
 記憶を保っての転生ではあるが、完全に保持しているわけではない。どんなに憶えていようと思っても限界はある。今はおそらく──感覚的なものになるが、全ての始まりから千年近くを生きている。しかし未だふたりの痕跡は見つけられていない。
「まさか、あなたの方から私に会いに来てくれるなんて」
 それはとある山の開けた場所での出会い。ジータにとっては再会とも言うか。
 今夜は野宿をしようと焚き火に当たっていたときだった。星々が輝く満天の空が急に明るくなり、その光と熱に引き寄せられるように顔を上げれば頭上には光る鳥がいたのだ。
 まさに太陽と表現できる神々しい火の鳥をこの世界で最後に見たのは四百年以上も前。当時のジータは帝国と呼ばれる巨大な国に身を置いており、やはりその豊富な経験から王の信頼を得て、命を受けてフェニックスを追っていた。
 その旅の途中でフェニックスに追いつき──正確にはジータが人間の身でありながら何年も追跡し続けることの努力に免じて、待っていてくれたことがあった。それが彼女、フェニックスとの邂逅。
 そして今回も同じような理由での旅。転生先が必ず別の世界とは限らず、こうして同じ世界を生きることもあるが、当時の記憶を憶えている存在と再会することはまずないこと。
「四百年。私にとっては昨日のことだけれど、久しぶり、と言った方がいいのかしらね。ジータ」
 ジータと同じ言葉を話す鳥は巨大な翼を畳むと地へと舞い降りる。ジータも立ち上がり、彼女と向き合う。幾度と経験した人の生はジータの確かな力となってはいるが、どうしても畏怖の念が体の底から湧き上がる。神に等しい太陽生物を前になんとか立っているだけで精一杯だ。
「……フェニックス」
「また私を探して旅をしているのね。あなたの場合は目的は夫と子どもだけれど」
「お金や権力がある人間も、なにもない人間にも等しく訪れる死。それが恐ろしいからと人はあなたの血を欲する。死ぬのが怖い。大切な人と別れたくない。その気持ちは痛いほど分かるけど……不老不死。その辛さを知らない」
 権力者とて人間。死は恐ろしいと、この世界の長い歴史上で一度だけ存在が確認されたフェニックスの生き血を追い求め、不老不死を願った。実際のところフェニックスはこうして実在しているし、その血を一滴でも飲めば不老不死になれると聞いたが、彼女は分け与えるつもりはないという。
 ジータも本気で血を得ようとは思っておらず、逆になぜ不老不死になりたいのか理解に苦しむ。それは実際に経験していないからだという他ないが、輪廻転生によって擬似的な不老──はともかく、不死の状態で現世を彷徨っている身としてはやめた方がいいとしか言えない。
 フェニックスのような存在ならばまだしも、ジータはどこまでいっても人間だ。記憶も欠落が目立ち、ルシファーとベリアルとの楽しい思い出もだいぶ抜け落ちてしまった。
 彼らとの別れは魂に刻まれ、忘れるなというように頻繁に夢に見るものの、ふとした瞬間に忘却し、旅の目的さえも分からなくなってしまうかもしれないという恐怖だってある。
 彼ら以外にも大切は人はそれぞれの人生でいたとは思うが、思い出せないことが多い。特に最初期の人生では“いた”という感覚がぼんやりと残っているだけで、相手が男なのか女なのかさえも不明だ。
 紙などに書いて憶えていようにも基本は違う世界に転生してしまうために無意味。脳に記憶するしかないのだが、優先事項はルシファーとベリアル。次いで自らの力に繋がる技術や知識。これだけでも記憶容量は普通の人間の枠を超えているが、それでも“人間”なのだ。ジータは。
「人の魂は死すれば輪廻するか、彷徨うか。輪廻した場合は前世での記憶は忘却されるけれど、あなたの場合は違う。この世界にたどり着くまで幾度輪廻を繰り返したのかしらね」
「……ねえ。こうしてまた会えたんだから、そのよしみで教えてよ。フェニックス」
 前回は彼女の未来予知とも表現できる予測がどんな答えを齎すのか恐ろしくて聞けなかった。もし最悪の答えだったら生きる意味を失ってしまうからだ。だけど今回は違う。
「私はいつになったら夫と子どもに再会できるのか、かしら?」
「正直……つらいんだ。会いたい一心でずっと生きてきたけど……疲れたよ。明かりのない暗闇を彷徨って、苦しみや悲しみの果てに大切だったはずの人たちも廃忘し──。私はいつまで独りで旅を続ければいいの……?」
 ジータは膝から崩れ落ちる。ずっと気丈に振る舞っていた精神が音を立てて崩壊し、感情が決壊したように涙となって地面を濡らす。
 声や体を震わせながら、縋るようにフェニックスを見つめるジータは幼い子どものようだ。
「──……会えないわ」
「え…………?」
「この世界ではあなたが家族に再会できる未来が予測できない。あなたは五十年後に死に、そこから先は途切れてしまってる」
「そ、そんな……まだ、私は……あ、ぁぁ……、わた、わたし……これは、罰なの……? 彼が作った武器が間接的にとはいえ、罪のない人々を殺した……。私は、知りながらも止められなくて……私の幸せは犠牲の上に成り立ってて……」
 どこかで分かっていた。それでもフェニックスに突きつけられると神の宣告に等しくて。ジータは絶望に瞳を濁らせながらうわ言のように言の葉を散らす。
 ルシファーは国に雇われた研究者。研究所では所長を務めており、様々な実験をしていた。その中には国から依頼され、武器を設計したこともある。それを使って軍は自国の領土を広げるために他国を侵略し……。ルシファーは間接的ながらも顔も知らぬ多くの人々を殺めた。
 彼に一度話したこともある。武器を作るのをやめてほしいと。だが他人の死に興味がない彼はまともに取り合わず、仮に作らずともすでに出回った武器があるから無意味だと言われた。
 研究には金がいる。自らの研究に没頭したい彼にとって国のお偉いさんのご機嫌は定期的に取らねばならなかった。けれどそんな彼の最期は、彼の作った武器に家族を理不尽に奪われ、復讐心に燃えるひとりの人間の自爆によって研究所もろとも吹き飛び──。
「………………」
 闇に囚われたジータの目に入ったのは腰に差している短剣だった。基本は剣で戦う彼女だが、距離によっては短剣を使うこともあるのだ。
 なにかに操られるようにジータは短剣を抜くと柄を両手で持ち、鋭い銀色に輝く切っ先を自らの喉元に向ける。そのままゆっくりと押し込めば白い皮膚に先端がわずかに埋まり、血が漏れ出す。
「自殺。あなたが一番その意味を知っているのでしょう?」
「……なんとなく感じてた。再び自らの手で命を終えれば、もう輪廻の輪には入れない。太陽から生まれたあなたが言うんだもの。……私の考えは合っているんだね」
「輪廻は早くても数千年から数億年かかるわ。あなたに特別な輪廻転生を齎すのはあなた自身の想いの強さ。力強い魂はあなたの決意によって輝きに満ち、短い間隔での……魂の旅とも言える輪廻を可能にしている。自死は魂の輝きを奪い、永遠にあなたをこの世界に縛り付けるわ」
「…………ッ!!!!」
 脳裏に浮かぶのはルシファーとベリアルの顔。あなたたちにまた会いたい。その想いを胸にいだきながらジータは命を終わらせ、全てが始まった。
 どんなにつらくても、苦しくても、自分だけはこの決意を裏切らないでいよう。旅の始まりにそう誓ったではないか。
 ジータは短剣を離すとそのまま地面に突き刺し、何度も地を殴りつける。自らの迷いを恥じるように。たったひとつの願いを永久に手放すところだった。
「まだ……もう少しだけ、頑張ってみるよ……。もしかしたらいつかまた、諦めそうになるかもしれないけど……」
「そう。なら私は行くわ。この世界ではもう会うことはないでしょう」

   ***

「あのとき……フェニックスが私の魂の形を教えてくれたから、思い留まれた。それからも旅を続けて……それでも魂は疲れきってしまってこの空の世界で終わりにしようとしたけど、ルリアやビィ、みんなの存在が私を繋ぎ止めてくれた。そして……私の旅はようやく終わりを迎えた」
 遥かなる想起を終えたジータの目からは涙が流れていた。諦めないで、足掻き続けてよかった。
 ルシファーは口を挟むことなくジータの話を黙って聞いてくれた。それが逆にありがたかった。話しかけられたらもっと泣いてしまいそうだから。
「ルシファー……。ぎゅっ、ってして」
 普段はジータの方からルシファーに対して積極的なので、弱りきった彼女の甘えにルシファーは無言で深く抱きしめてやる。
 好みの香りと彼の静かな息遣い。どこまでいっても自分の幸せは誰かの犠牲の上に成り立っていることは覆らないが、それでも、今は──この幸せを享受したい。

   ***

 翌日。依頼を早くに済ませたジータたちは甲板にて降焔祭の話で盛り上がっていたが、今は彼ら彼女たちは艇の中へ入っていき、ジータもあとに続く。しかし、ふとなにかを感じて、誰もいない後方を振り返った。
「……──」
 その姿を視認した瞬間、時間が止まったような気がした。ジータの視線の先で、巨大な光る鳥が手すりを爪でつかみ、物言わずただ風に吹かれていた。
「フェニックス……?」
「まるで私を見たことがあるような目つきね。いつ会ったかしら?」
「この世界では“初めまして”だね。フェニックス。あのときは、ありがとう」
 こことあの世界は違う。別世界の同一の存在でいくら全てを超越するといえど、世界が違えばまた少し勝手は違うはず。それでも言いたかった。彼女がどういう考えで魂の形を教えてくれたのかは分からないが、結果的に彼女の言葉のおかげで願いを叶えることができたのだから。
「…………そう。随分と積み重ねてきたものが多そうね。あなたの記憶はどれもが正しく、どれもがあなただけの真実よ」
「この世界のあなたは私のことを知っているの?」
「あなたのことはなんでも知っているわ。なぜなら私に知らないことはないから」
「世界は違えど、同一存在だからなのかな。彼女と同じことを言うんだね」
「あなたはこの旅で特異な存在となり、ついに目的の地へと至る資格を手に入れつつある」
 フェニックスが口にしたその言葉の意味をジータが尋ねようとしたとき。
「お~い! なにしてんだ?」
「早く行きましょう!」
 ジータを呼ぶビィとルリアに頷いてから振り返ると、そこに鳥の姿はなく。ただ、手すりは爪の形そのままに焦げ付いているのだった。
 この空の世界でのフェニックスとの邂逅はきっと偶然なんかじゃない。漠然とした感覚ながらもジータは太陽生物からの接触に一抹の不安を覚えつつ、降焔祭に参加するためにポート・ブリーズを目指す──。