第一章 母親
ここ最近依頼続きで疲れていたジータは団員たちの計らいで久しぶりの休日を取ることになった。
補給のために寄った島でなにを買おうか、どこに行こうかなどをルリアと夜遅くまで話して、楽しい気持ちのまま眠り、朝を迎えた。
起きたら島に到着していたので朝食を取り、さっそくルリアと出かけようと艇を下り、整備された石畳を靴がリズムよく鳴らす。
周りはジータとルリア以外に人はいなかった。あるのは道を挟むように生える木々だけ。いつも一緒にいるビィは二人がすごく楽しそうに計画を練っているのを見て、なにかを察したのか今日は艇で留守番をしている。
「まず雑貨屋さんに行ってみたいなー。ルリアもそれでいい?」
「はい! ジータと一緒にお出かけできるだけで嬉しいですから!」
「もぉ〜! 可愛いなぁ、ルリアは」
「と・く・い・て・ん。ワタシとデートしようぜ?」
突如、背後からねっとりとした声が鼓膜に届いた。
「は? 嫌だけど」
瞬時に血が沸騰し、振り向きざまに剣を振るが手応えはない。
語尾に音符がつきそうなほどに軽い口調で声をかけてきた人物──ベリアルは後方に飛び退き、重さを感じさせない身のこなしで片足を地面についた。
堕天司ベリアル。ジータと戦う日もあれば、こうしてちょっかいを出しに来たりもする。なにを考えているのか分からない人物だが、一つだけ明確に分かっていることがある。
それは造物主ルシファーの願いである終末を実現すること。そのために気が遠くなるほど永い時間を過ごし、やっと叶えられるという寸前でジータたちの手で砕かれたのは記憶に新しい。
「オイオイ、それは得策でないなァ特異点」
「ジ、ジータ……」
剣を握っていないほうの腕を後ろにいるルリアを庇うように横に出す。どろりとした血の目が蒼い髪の少女を舐めるように見つめる。
穢れ無き少女を穢される──そう思ったジータは悔しそうに目を閉じ、眉根を寄せたまま諦め半分で開眼した。
「ごめんルリア。艇に戻ってくれる?」
「は、はい! 他の人たちを呼んできます!」
「おおっと、今日は戦うキブンじゃないんだ。本当に特異点とデートしたいだけさ。頼むよ蒼の少女。そんなことをされたら……街一つ吹き飛ばしてしまいそうだ」
「ッ……!」
艇に戻るために駆け出すルリアの脚にベリアルは重たい鎖を巻きつける。恐ろしいことを何事もないかのように言ってのける女を見て、ルリアの空色の瞳が零れてしまいそうなくらいに開かれた。
「ルリア。私なら大丈夫だから……。みんなには言わないで」
「……ベリアルさん。絶対にジータを傷つけないで。約束してください」
「オーケイ。約束するよ。なに、夜までには艇に返すさ」
“約束する”という言葉がここまで信用がないのは彼女が狡知を司っているからだろう。ひとまずルリアをみんなのところへ帰すことができたので、去っていく蒼い髪を見ながらジータは安堵の息を吐く、と。
「んぶぅ!?」
「さあ、デートとイこうか。たしか雑貨屋に行きたいんだったな? 案内するよ」
ついルリアのことに気を持って行かれていてベリアルに気づくのが遅れたジータの顔は現在、彼女の大きくて柔らかな胸に埋まっている。
他の女性の胸を触ったことがないので比較はできないが、少なくともジータ自身の胸よりふわふわで、これで相手がベリアルではなかったら甘えてしまいそうだ。
離れたくてもベリアルの腕がジータの後頭部と肩を抱いているので身動きができない。
鼻孔を擽る香水の薫りがジータの思考を溶かしにかかるが、その前に呼吸の限界が訪れ、ベリアルの背中を何度も叩くことでやっと解放された。
「死ぬかと思った……」
「ワタシの胸で窒息死か……間抜けな死因だな」
「あのねぇ……! はぁ……で、雑貨屋だっけ? 詳しいの?」
「お、乗り気になったか。趣味の一つでね、雑貨屋巡り」
「意外……あなたの趣味って姦淫とかそっち系ばかりだと」
「終わりのない命。少しでも楽しむためには趣味は多いほうがいいだろう?」
「それもそうね。ほら、行くんでしょ……って、なんで恋人繋ぎ?」
「デートなんだから当たり前だろう? それに特異点、これはキミに……いいや、人間たちにとってもイイコトさ。キミがワタシの手をしっかりと握って監視していれば、その間はナニか起こることもない」
ベリアルの言っていることに対して“確かにそうだ”と思ってしまうのが悔しいのか、ジータは苦虫を潰したような表情をする。
が、他に被害が出ないなら自分の感情を殺そう。そう決心し、ベリアルの手を握り返す。込める力がもの凄く強いのはせめてもの反抗。だがベリアルは痛みなどないかのように微笑み、ジータを連れて歩き出した。
そよそよと体を撫でる風を感じながらジータは思わずにはいられなかった。一緒に歩く人がベリアルじゃなかったらなぁ……と。
その後、ジータはベリアルの案内で雑貨屋など色んな店に寄った。おそらく彼女がいなければ見つけることもできなかった穴場の店にも。
ルリアとの買い物がナシになってしまったのは痛いが、それでも楽しかった。ベリアルのエスコートは完璧だったのだ。敵であるのを忘れてしまうほどに
(本当、顔とか、声、体はいいんだけど中身がね……)
買い物を終えたジータは街の広場に来ていた。中心には大きな噴水があり、子供たちが遊んでいる。
長めの椅子にベリアルと一緒に腰を下ろし、ちらりと彼女の横顔を見た。男にも女にも見える顔は男女ともに惹きつけられるのも納得してしまうほどに整っている。
ウソとホントウを織り交ぜて言葉にする声は少し低くて、でも甘さがあって……囁かれたら容易く堕ちてしまう。
「特異点……昼間から熱い目でワタシを見てくれる。このまま宿に行って姦淫でもしないか? 一緒に昇天しようぜ」
「別にあなたなんか見てないし。……向こうの妊婦さんを見てたの」
認めたくなくて咄嗟に嘘をつく。狡知相手に嘘などついても無駄だと分かっているが、嘘に肉付けをするためにベリアルの向こう側に見えた女性を口実にする。
彼女はふっくらと大きいお腹を愛おしげに撫でながら、知り合いであろう人物と会話をしていた。
「あの人、もうすぐ産まれるのかな」
「だろうな。あそこまで大きいと」
「お母さんかぁ……どんな感じなんだろう」
いつか自分も好きな人の子をこの身に宿すのだろうか。自分と愛しい相手の遺伝子を後世に残すという神秘的な儀式。想像してみるが、ぼんやりとしたものしか浮かばない。
「まだ若いのにもう母親になりたいのか? 仕方がない。ワタシが相手になってあげるよ」
「頭のネジ何個、いいや何十個取れてるんじゃない? あなたは星晶獣だし、仮に人間だとしても女同士じゃ子は成せない」
子供。それは異性同士にしか実らない神様からの贈り物。どんなに愛し合っても種がなければできないのだ。
「ファーさんがいればきっと女同士でも子を成せる方法を見つけてくれると思うけどねぇ」
「あなたを造った人なら可能かもしれないけど、あなたとの子供なんて嫌」
「そうかい? ワタシはキミの子を孕みたいがなぁ。存在しているだけでなんの役にも立たない子宮。一度だけでいいから機能させてみたいし、母親というものを体験してみたい」
「ベリアルが母親とか想像できないんですけど。あなたの中にあるのは魔性だけでしょうに」
「ヒドイなあ。キミとの子なら愛情を込めて大事に育てる自信があるよ」