失楽園 - 3/5

第二章 受胎

 かつてパンデモニウムであった戦いから十年と少し。ジータの故郷ザンクティンゼルに似た田舎の島に彼女の姿はあった。
 丘の上に立てられた小屋の中、ベッドの上にいるジータはルリアと出会った頃の姿と同じだ。しかしあの頃の明るさはなく、窓から空を見つめる顔は憂いを帯びている。その目は全てを諦めたような、そんな色をしていた。
 弱々しく目を伏せようとしたとき、部屋に突如現れた気配にジータは目を見開き、寝室の扉を見つめた。
 音もなく侵入してきたのは十年以上前に堕天司の女王とともに次元の狭間に吸い込まれた黒衣の女。
「ベリアル……!?」
「やあ、特異点。久しぶりだね。にしても……キミは時間から取り残されたように変わってない。いや、中身は変わってしまったか。あの頃のキミはそんな顔、絶対にしなかった」
 まるで恋人に会いに来たかのような微笑みと優しい声音でベリアルはジータに歩み寄り、ベッドの端に軽く腰掛けた。
 昔のジータならば武器を取って抵抗するだろうが今の彼女にはそれをする力もないようで、ただベリアルの行動を見つめているだけだ。
「体が成長しないのはたぶん……一度死んでいるから。はぁ……まさか次元の狭間から出てくるなんて。あなたがいるんじゃルシファーも当然いるよね? でももう相手をしてあげられないの。ごめんね」
「──不治の病、なんだろう」
「知ってたの。そう。どうにもならない。みんな私の病気を治そうとしてくれてるけどもう……時間がない。自分の体だから分かるの。それに私は今までルリアに生かされていただけ。本来あるべき姿、死体に戻るだけだよ」
 ジータの体を蝕む病気は治す方法がなく、徐々に彼女から体力や力を奪っていった。
 団員たちや天司たち、ジータと関わった全ての者が血眼になって治療する方法を探したが見つからず、みんなにこれ以上迷惑をかけられないと自ら艇を下り、故郷に似た風土のこの田舎で命を終えようとしていたのだ。
 もちろんそれを告げたとき全員に反対されたが、これ以上弱っていく自分を見せたくないと涙ながらに懇願し、父親に会うという夢をルリアとビィに託してジータは静かに余生を過ごしていた。
 死を受け入れているジータの頬にベリアルが片手で触れれば、振り払われることはなかった。かつての勇敢な騎空士の面影はどこにもない。
「潔いんだな。もっと生にしがみつくかと思った」
「ッ……私だって、私だって! もっと生きたい! 父さんに会いたい! みんなと空を旅したい! でもっ……できないの、もう……。お願い、帰って、一人にして……」
 ベリアルの言葉にジータは初めて感情を爆発させ、自分の本当の願いを吐き出し、激昂する。
 死にたいわけじゃない。生きれるなら生きたい。もっとみんなと一緒にいたい。仲間たちには言えなかった言葉が堕天司相手にはすらすら言える。
 ブラウンの瞳から大粒の涙を零しながらベリアルの胸ぐらを力いっぱい掴み、歯茎を剥き出しにして怒るジータからは生命力が溢れていたが、変えられない現実を突きつけられるとその赤い感情はしぼんでいき、ベリアルからも手が離れる。
 顔を両手で覆い隠し、ベリアルに背を向けるようにベッドに沈む。哀れむように髪の毛を撫でられたが、ジータが反応することはない。
 やがてベリアルも飽きたのか、その手と気配は空気に溶け込むように消えた。
 次の日。ジータが朝起きると寝室とリビングを隔てる扉の向こうからいい匂いが漂ってきた。誘われるように扉を開ければなんとベリアルが朝食の支度をしており、昨日のことを忘れたかのような笑顔で食事を勧めるのだった。
 この日を境にベリアルは毎日まいにち飽きもせずにジータの世話をしに小屋にやってきた。彼女が起きる前に訪れ、眠ると去って行く。その繰り返し。
 最初は帰って! と拒否していたジータも段々とベリアルを受け入れるようになり、柔らかな笑みを見せるようになった。
 かつての敵。だが、今のジータには彼女に対する敵意はもうない。いつかまたルシファーと終末を引き起こそうとするだろうが、自分にはどうしようもないのだ。止めることさえもできない。
 それに──彼女といると心地よかった。ただの赤の他人なので仲間に言えなかった心の内を吐き出すことができた。
 穏やかな時間が流れると同時に確実に命の砂時計が落ちていく毎日。気づけば彼女との邂逅から数ヶ月経っていた。
「もうイくのか」
「そう……だね……感覚が、なくなってきた……」
 満天の星の下、花畑の中心にジータはいた。だがもう自分の力で体を支えることができないのか、花の上に座るベリアルに横抱きにされている状態だ。恋人同士のように体を密着させ、静かにそのときを待っている。
「まさか最期をあなたに看取られることになるなんて」
「不満かい?」
「……ううん。今までありがとう。短い間だったけど……敵、じゃないあなたと……過ご、せて、楽しかった……」
 か細い声とともにベリアルを見つめていた茶色の瞳から光が消えていく。それは彼女の命の灯火が消えかかっていることを示している。
「でも……やっぱり、もう少しだけ──生きたかったな……」
 もうなにも見えないが、ベリアルに向かって微笑む。
 生きたかった理由は父親に会うため、仲間と旅をするためだった。だがベリアルと過ごすようになり、もう少し彼女とこの不思議な関係を続けたいと思うようになってしまった。
 こんな気持ち、仲間たちへの裏切り行為だ。最後まで秘匿とし、墓まで持って行く。
 様々な感情が入り交じった一筋の涙が流れ、ジータの両目がゆっくりと伏せられると、彼女の命のきらめきが完全に消え去り、胸の鼓動も止まった。
「特異点? ……イッちまったか。なあ、覚えてるか? ワタシがキミの子を孕みたいと言ったのを。アレは本当でもあり嘘でもある。孕みたいのは──キミ自身さ、特異点。ワタシがキミを……産み直してあげるよ」
 体温の低い額に口づけ、ジータを抱いたまま立ち上がるとベリアルは自身の羽を広げた。
 アバターの破壊衝動を取り込んだ彼女の羽は八枚。力を解放していないときは六枚のはずだが、今は四枚しかなかった。
 巨大な翼で腕に抱くジータの姿を覆い隠し、魔力を込める。闇の魔力がベリアルの体から溢れ、再び羽を広げるとジータの肉体が元素へと還元され、光の粒子へと変貌する。
 一粒も残さずベリアルの体内に消えると彼女は表情をうっとりとしたものへ変え、下腹部を愛おしそうに撫でた。
 まるで我が子の誕生を待つ母親のように。
「ひとときの間ワタシの子宮という揺り籠で魂と体を休め、時が満ちたら再出発しておいで。それまで何十年、何百年、何千年だって待ってあげるさ。でもあまり長くはいないでくれよ? キミが再誕する前に産み落とされる世界がなくなっているかもしれない」
 この世界に戻ってくるための旅を始めた娘に向かって優しく囁き、ベリアルは空に飛んだ。
 飛行速度はジータを宿す前に比べると緩やかだ。時間をかけて飛び続け、緑が生い茂った小さな島に降り立った彼女の眼前にはところどころ朽ちている白い建物がある。
 雨風は凌げるくらいには屋根が残っているそれ。苔むした壁の向こう側へと歩を進め、奥へと進んでいく。意外と内部は形を残しており、身を隠すには適していた。
 変わり映えのない廊下の左右には扉のない部屋がいくつもあり、その中にはベッドが置いてある部屋もあった。
 時折お腹を撫でながらさらに進むと、大きな両開きの扉が見えてきた。アンバー色の木製の扉。ノックもせずに開ければ中にいた人物に睨まれる。
「ただいま。ファーさん」
「……ベリアル、腹になにがいる」
「バレた? ウフフ……ワタシ、一度でいいから母親ってものになってみたかったんだ」
 部屋の中は建物の外観からは想像できないほどに綺麗な形を保っており、部屋の持ち主──ルシファーは大きな机の上に広げた紙にペンを走らせているところだった。
 ジータと戦ったときは黒い鎧を身につけていた彼女だが、現在はかつての姿と同じ服装だ。
 かけられる声に普段ならば反応を示さないが、ベリアルから感じるもう一つの気配に彼女は眉をひそめる。
 なにかがいるのは分かるが、それがなんなのか掴めない。そんな感情が読み取れた。
 ベリアルは慈愛に満ちた笑みを浮かべると両手で子宮がある部分に触れた。まだなにも反応はないが、ナカにいるということだけは感じられる。
「誰だと思う? このナカにいるの」
「知らん。興味などない」
「特異点でも?」
「…………」
 興味がないと切り捨て、紙に向かい直そうとするルシファーに言葉を続ければ少しだけ興味を持ったのか、彼女はベリアルの腹に視線を向けた。
 底冷えするかのような青い瞳。それに見つめられてベリアルの表情に興奮の色が差す。
「さっき特異点が死んでさ、その体を元素に還元して事前に胎に仕込んでおいたワタシのコアに吸収したんだ。いつになるかは分からないがいずれコアを媒体にして受肉し、この世に戻ってくるはずさ。それに……ファーさんは気にならない? 星晶獣が子供を産めるのか、産めたとして、特異点のその“特異性”は引き継がれるのか。上手くいけばワタシたちの特異点の誕生だ」
 自分たちの計画の邪魔をしてくれた特異点。産み直したら今度は自分たちの役に立ってもらってもいいだろう。
「……好きにしろ」
「フフ、アリガトウ」

 ジータを妊娠してから数ヶ月。ベリアルは自室のベッドの上から動けないでいた。額からは玉のような汗を吹き出し、なにかに耐えるかのように目をつむっている。
 綺麗に伸びた眉もつらそうにハの字に歪めてられていて、開かれた唇の隙間から苦しそうな息を吐き出していた。
 少しだけ膨れた腹をなだめるように撫で、どうしたものかと目を開き、窓の向こう側を見つめる。
「……ベリアル、どうした」
「あぁ、ごめんよファーさん。珈琲でも飲みたいのかい? 悪いけど今日は自分で淹れてくれないか。ジータがすごくお腹を空かせてるみたいでね……」
 声をかけられるまで気配にすら気づけなかった。それほどまでにベリアルはジータに気を取られていたのだ。
 体を反転させ、部屋の出入り口に立っているルシファーのほうを向けば、ベリアルの様子がおかしいことに気づいた彼女は近づき、魔力の枯渇を指摘した。
「どうやら普通の人間と違ってワタシの“魔力”がジータの栄養みたいでね。今までは自然回復分で足りていたんだが……ここ最近はそれすら追いつかないほどに吸収されているんだ」
 言って、顔を歪める。だいぶ魔力消費が激しいようだ。このままではジータを産む前に母体が駄目になってしまう。
 ルシファーはベリアルを一瞥すると無言で部屋を去った。ベリアルも今日に限っては本当につらいようで背を丸めて目を閉じる。
 すると……どのくらい経った頃だろうか。遠くのほうから足音が聞こえ、少しずつこちらに向かってきている。
「ベリアル。飲め」
「……ん? ポーション?」
 気だるげに目を開けば彼女の手にはコルク栓がされた平底フラスコがあった。半分より少し多いくらいの量の赤の液体は揺れ動き、ベリアルの目を引く。
「なになに、ファーさん特製ポーション? ファーさんがわざわざワタシのために作ってくれるなんて嬉しいねぇ」
「無駄口を叩くな。さっさと飲め。お前が使い物にならなくなったら特異点の観察ができん」
 ルシファーが動いたのはあくまでもベリアルの腹にいる特異点の観察のため。いなかったらこのまま放置されているのか。
 それもまたイイと考えてしまう星の獣は主から液体を受け取ると一気に飲み干し、口に広がる苦味に顔をしかめた。
 味はともかく効果は抜群なのか、体がだいぶ楽になった。どうやら魔力回復の薬だったようだ。
「さすがファーさん。同じような薬は数あれど、効果が段違いだ。レシピを教えてもらっても?」
「当たり前だ。被造物の分際でこれ以上余計な手間をかけさせるな」
 懐から丸めた紙を取り出し、ベリアルに向かって軽く投げ渡した。インクで書かれたレシピに目を通し、脳内で独自のアレンジを描く。ジータが産まれるまで付き合うであろう薬。飲みやすいように味くらいは変えたい。
「……やはり分からん」
「ジータの気配が?」
「特異点の人間の気配か、コアを媒体に受肉するならばお前と同じ気配か、どちらかを感じるはずだが……様々なものが混ざり合い、混沌としていて掴めん」
「特異点は人間を卒業してるからなァ。この世に戻ってきたら──正真正銘のバケモノだったりして」
 腹を撫で、穏やかな表情をするベリアルからは少しだけ母性が感じられた。だがそれも魔を含むもので普通ではないが。
 それから毎日ベリアルはルシファー特製の水薬を飲みながらジータに魔力を供給してきた。月日を重ねる度に少しずつ大きくなる腹。
 人間と同じ速度で膨らみ、臨月を迎える頃にはベリアルの服装はいつものドレスシャツと革のパンツからゆったりとした黒のワンピースに変わっていた。
 ジータのために姦淫もすることなく、彼女らしくない極めて退屈な日々だったが禁欲の果てに得られるエクスタシーをベリアルは識っている。それを思うとこんな毎日も悪くないと思えた。
「大きなお腹ねぇ。もうすぐ産まれるのかい?」
「予定日はとっくに過ぎてるんだが……居心地がいいのか出てきてくれなくてね。時折蹴ったりしてくるから元気なのは間違いないが」
 とある島の店。そこにベリアルの姿はあった。薬の材料をまとめて購入した彼女は女店主とにこやかに会話をしながらワンピースの上から大きなお腹を撫でる。
 人間ならばもうとっくに産まれ、人生の折り返し地点にいるはずの年数が経っていた。
 産まれる気配のない子。だがそれは仕方がないとベリアルは思っていた。この妊娠そのものが普通ではないのだ。人間と同じように出てくるわけがない。
 一体いつになればこの世に戻ってくるのか。それまでナニもできないじゃないかと自嘲的な笑みをベリアルは浮かべるが、女店主はその笑みを都合よく勘違いしてくれたようで「きっと元気に産まれてくるさ!」と買い物が詰まった紙袋に林檎を一つオマケしてベリアルに渡した。
(──さて。そろそろ帰るか、ん……?)
 買い物を終えたベリアルは街から大きく離れた場所にある森を一人歩いていた。鬱蒼としたここは島に来たときと同じ場所。こんな深い森になど誰も来ないので羽を出すには都合がよかった。
 拓けた場所に出ると飛び立つために羽を広げる。ジータに己のコアを分け与えたために一時的に六枚から四枚に減った羽は、ルシファーの手によって元の枚数に戻っていた。
 地面を踏みしめ、飛び立とうとした瞬間、背後に強烈な殺気を感じた。突如現れたソレはとても懐かしいものでベリアルは不敵な笑みを浮かべ、その場で振り返った。
「おやぁ? サンディか。久しぶりだな」
 振り向いた先にいたのは茶髪のくせ毛が特徴の、かつて特異点であるジータたちとともにルシファーを打ち破った天司長サンダルフォンの姿だった。
 彼女の美しい顔は激しい感情に歪み、目で人を殺せるのではないかと思うほどに鋭い視線を向けているが、ベリアルは笑みを崩さなかった。
「貴様ッ、ベリアルッ! なぜこんなところに!」
「なぜってそりゃあ次元の狭間から脱出したからだけど。もう何十年前になるかな。今まで気づかないとか気が緩みすぎだろう、サンディ」
 ルシファーは計画の練り直しのため引きこもり、ベリアルもかつてと同じように力を伏せていた。なので天司たちが気配を察知できなくても仕方がない部分もある。
「貴様がいるということはルシファーも……!」
「もちろんファーさんも元気にしてるよ。今は計画を練り直している最中でね、ワタシも動くつもりはないよ」
「巫山戯るな! 貴様はここで斬る! そのあとルシファーも……!」
「あー……一人で興奮するのはイイんだが今ここでヤりあうつもりはないよ。このカラダはもうワタシだけのものじゃあないんだ」
 言って、膨らんだ腹を撫でる。頭に血が上っていたサンダルフォンもようやくベリアルの首から下を見て瞠目した。
 ありえない。目の前に突きつけられる現実が受け入れがたい。そんな表情をしている。
「は……? いや、その膨らんだ腹にこの妙な気配……しかし星晶獣だぞこの女は。そんなことが……」
「絶対あり得ないなんて──ナンセンスだろう?」
「気でも狂ったか。星晶獣が子供を宿すなど」
「一度体験してみたかったんだ。母親ってものをさ」
「それでどこぞの男の子を孕んだというのか」
「勘弁してくれよ。ワタシがただの人間の子を孕みたいと思うか? しかも相手が男と決めつけるのはよくない」
 芝居じみたため息をつくベリアルにサンダルフォンの眉間の皺が深くなるが、ここは一旦冷静になり、考える。
 この女はルシファーに心酔している。そして相手は男ではない。そうなると自然と導かれる答えは一つしかない。
「貴様が宿したいと思うほどの存在……ルシファーか」
「魅力的であると同時に、一般的でツマラナイ回答をドウモアリガトウ。ん、あぁ。早く家に帰ろうか、ジータ」
 ベリアルの言葉にサンダルフォンはこれでもかというくらい目を見開き、言葉を失う。目の前の女はいま、なんと言った? 数秒前の記憶を再生し、ベリアルの言葉をそのまま口に出す。
「ジー、タ?」
「そう。このナカにいるのは特異点さ、サンディ」
「馬鹿な……彼女は死んだはずだ。現にルリアとの繋がりはとうの昔に切れている。だが……遺体だけは見つからなかった。どんなに探しても……。貴様だったのか、ベリアル!」
 喉が裂けんばかりに叫ぶ。大切な仲間だった。幼いながらもみんなを支え、引っ張る少女。そんな彼女も最後は不治の病に侵され、一人で逝くことを決めた。父親に会うという夢を赤き竜と蒼の少女に託して──。
「そうだ。最期を看取ったのはワタシさ。そして特異点の願いを叶えるために死体をコアに吸収した」
「彼女の、願い……?」
「特異点はもっと生きたかった。だからワタシが産み直してやるのさ。ただ──人間と同じようには産まれてくれなくてね。未だにワタシの胎の中で静かに誕生のときを待っている。フハハハッ! 酷い顔だなサンディ! 信じられないって顔だ! ダイジョウブ、この子が産まれたらキミにも見せに行くからさ」
「彼女の魂を……弄んだのか」
「弄ぶなんてヒドい言いかただ。特異点のためにこんなにも身を尽くしているのに」
「ッ……どこまでも! 下衆な女だ!」
 ジータの純潔な魂を穢された怒りにサンダルフォンは瞬時に極彩色に輝く六枚の羽を顕現させ、空に舞う。
 魔力が渦巻き、背後に巨大な魔力剣と魔法陣が出現する。サンダルフォンの怒気を表すように轟音が響き渡り、空の色さえも変えた。人々はいつかの災厄を思い出すだろう。
 耳をつんざく音。ベリアルに向かって光が放たれようとしたそのとき、悪魔の声が天司の耳に届いた。
「攻撃するのは構わないが……ワタシを殺せば特異点も死ぬぞ? キミは──ジータを殺せるかい?」
「ッ……!」
「では、サヨウナラ。フフッ、ちゃんと産んであげるからさ、楽しみに待っていてくれ」
 ベリアルの言葉に義憤が削り取られ、魔力の奔流が消えていく。攻撃などできるわけがなかった。それを知った上でベリアルは煽ったのだ。
 呆然とするサンダルフォンを置いてベリアルは優雅に飛び立つ。早く帰って我が子のために薬を作らないとなあ、と考えながら。

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