小さな夏の恋物語─初恋は、夢の中のあなた─ - 8/8

エピローグ

「おっと……まさかの事後?」
 不破と未来の間にあった繋がりが明かされてから日は過ぎて今日は終業式。珍しく未来の方から不破に一緒に帰ろうと誘い、ふたりで下校した彼女らが不破の家に着いて数時間ほど経ってから、織部は訪れた。
 ファーさん、入るよ。返事を必要としない──そもそも、不破が返事をしたことなど一度もないが、確定事項を口にした織部が襖を開ければ、冷房の利いた広々とした和室に置かれているベッドには未来が眠っていた。
 恋人の部屋。不破のベッドで夏向けの掛け布団をかけてすやすやと寝息を立てる彼女の姿は織部からすれば“致したあと”のように思え、からかうように言葉にすれば未来の隣でヘッドボードに寄りかかりながら読書をしている不破に睨まれる。
「織部……お前の脳を一度解剖してなにが詰まっているのか精査するべきか」
「ウフフ……。それにしてもあんなにファーさんのことを拒絶していた未来ちゃんが……初恋の相手だと分かった途端に態度を軟化させて、しかもファーさんのベッド。ホント、気持ちよさそうな顔して寝て……」
 足音を立てずに未来の傍らまでやってきた織部は不破の方を向いてすぅすぅとあどけない表情を晒している未来を見下ろし、ついこの間までの彼女との違いを比べて緩やかな笑みを浮かべる。
 不破が初恋の相手であると知った未来は戸惑いながらも織部が言うように態度を変化させていた。不破から触れられる際は耐える表情をしていたというのに、今ではすっかりと大人しくなって自らの意思で不破を受け入れていた。
 今日だってそうだ。帰り支度を素早く終わらせた未来が自分から不破の机に行き、彼女を誘ったのだ。前は不破からの誘いという名の命令に重たくて陰のある表情で、少しでも時間を稼ぐようにゆっくりと支度していた未来が、だ。
 あのときのクラス中のどよめきはこの先も忘れることはないだろう。
「ところで未来ちゃんとはまだシてないのかい?」
「計画はしている。が、急く必要もない」
 未だ手を出していない不破に興味から聞けば、計画はあっても実行はしていないらしい。織部からすれば男女ではなく、女同士なのだからもっと気兼ねなく手を出せばいいのにと思ってしまう。今の未来ならば絶対に拒絶しないのだから。
「まぁ幼少の頃からの初恋の相手だからファーさんからすぐに離れるってことはなさそうだけど……心身ともにキミが手綱を握っておいた方がいい。フフッ。計画実行の際のセッティングはオレに任せてくれ。雰囲気作りも互いを高め合う際の重要な要素だよ」
 不破にその手の雰囲気作りは難しいからと織部は協力を申し出ながら、未来の傍らから不破の方へと移動する。正面から見た眠り姫は大好きな人のベッドで、しかも隣同士に寝ているのが嬉しいのか至福の寝顔をしていた。
 おもむろに織部は鞄から小型のなにかを取り出すと、今この瞬間を切り取った。それほどに気持ちの良さそうな顔だ。不破のためにも撮らないという選択肢はない。
 シャッター音で顔を上げた不破の目は胡乱げ。そんな物を持ってなにをしている? と。
 カメラから出てきた写真を織部は不破へと差し出す。成り行きで受け取った彼女の手にあるのは未来の寝顔を写したもの。
 隣で眠る未来を見ればすでに写真の中とは違う顔になっており、不破は無表情で手の中にあるフィルムを見つめる。
 どうやらお気に召したようだ。織部は喉の奥で小さく笑うと得意げに、
「ほら、オレってば将来写真家志望だからさ。将来のキミたちの晴れ姿を撮るためにも練習を始めたんだ。ヤッてみるとこれがまたどうして……刹那の一瞬を半永久的に残すのに趣を感じるようになってね。この道を志す人々の気持ちが分かるよ」
「そうか」
「ところでよくよく考えるとオレ、キミたちのキューピッドなんだよねぇ。キミ自身気づいてなかった未来ちゃんへの視線を汲んで──ま、最初は冗談だったけど、女避けに提案したら珍しくノッてくれてさ。ハンカチを見つけたのもオレだし、最終的には両想い。ハッピーエンドだ」
 両膝を畳につき、膝立ちの状態で顔をベッドの端に乗せながら織部は得意げに口にする。彼の言うとおり、纏わりついてくる女どもが鬱陶しいと零した不破に蒼人への嫌がらせの意味と、彼女自身は気づいていない未来への執着に気づいた織部が冗談半分で未来を女避けとして側に置くことを提案。そこからは早かった。
 不破は蒼人と織部の間にある契約を破棄させることを条件に未来に女になれと告げ、未来も条件を付け足すことで了承。
 その後。この家にひとりで住む不破の諸々の世話を自らの意思でしている織部は、荷物置き場として使われている部屋で探し物をしている際に例のハンカチを発見。不破に渡したことで未来との関係を好転させた。
 恋のキューピッドを自称するのも間違いではない。
 不破はどこか甘えるように上目遣いで見てくる織部を一瞥すると、再び視線を文字の羅列へと戻す。
「……なにが言いたい」
「ご褒美が欲しくてさ。ファーさん」
 語尾にハートマークが付きそうなくらいの声音に不破は返事をすることなく、分厚い洋書のページを捲る音だけが部屋に広がる。織部は彼女の様子を見つめるばかりで動かない。
 まあ彼女がオレに褒美なんて、と通常運転の不破に織部が立ち上がろうとしたそのとき。
「……よくやった。褒めてやる」
 本当に不意打ちだった。不破はなにを思ったのか、視線こそ織部に向けることはないが左手を上げると、ダークブラウンの髪を撫でながら感情の入らぬ平坦な声で告げた。
 まるでペット扱いだが、不破からの特別なご褒美に織部の腰は砕け、畳へと吸い込まれるようにへたり込む。
「ッ……フフ……! オレはキミのためならなんだってするよ。ファーさん」
 撫でるのをやめ、本へと戻っていく手を見つめ、一歩間違えれば危険な域に達する感情を吐露する織部の血の色をした目は、爛々と輝く。
 未来とはまた違った愛の形を、織部は不破に抱いているのだから。