小さな夏の恋物語─初恋は、夢の中のあなた─ - 7/8

第六章

 不破と未来が自分たちの間にあった繋がりを互いに思い出し、契約関係なく本当の意味で恋人同士になってしばらくして。七月も後半に差し掛かり、あと少しで夏休みに入る今日この頃。
 蒼人や櫂は以前と変わらず未来が契約に縛られていると思っており、さすがに彼らには本当のことを打ち明けようと一日の授業が終わったところで未来は話したいことがあるからと二人を誘った。ちなみに今日は不破と織部は不在、かつ事前に不破には許可を取ってある。
 彼女と正式にお付き合いする前からなんとなく分かっていたが、感情に乏しい彼女にも嫉妬という感情があり、そのせいで大変な目に遭いかけた。なにしろ幼馴染である蒼人と駄菓子屋で喋っていただけで未来が誰の女なのか分からせようとしてきたのだから。
 なので念には念を入れて許可を取った。最初は不満げな不破だったが、未来が願い倒してようやく首を縦に振ってくれたのだ。
 未来からの誘いにふたりは快く応じてくれ、三人でせんべい婆の駄菓子屋へ。部活などでもともと三人で帰ることはあまりなかったが、不破と契約を結んでからは全くなかった。なので話は盛り上がり、三人の顔には久しく忘れていた心の底からの晴れ晴れとした笑みが浮かんでいた。
 心優しいせんべえ婆の店に着くと、それぞれ駄菓子を購入して外のベンチに。蒼人を挟む形で未来と櫂は座り、最初はお煎餅を食べながら取り留めのない話に花を咲かせ、キリのいいところで未来は本題に入った。
「それで、その……不破君とのことなんだけど」
 彼の名前を出せば和やかな空気も瞬時に張り詰めたものに変わる。当然だ。彼らからすれば未来は契約によって従わされているだけだし、蒼人からすれば苦い記憶もある。
「不破……もしかしてなにかされたのか!?」
「待って蒼人。落ち着いて。違うの。ええと……なんて言えばいいか」
「──不破に恋した、とか?」
「なっ……櫂! なに言ってるんだよ! 未来が不破のことを好きになるわけないだろ!?」
「よく分かったね、櫂……」
「えええええ!?!?」
 感情を昂ぶらせる蒼人とは正反対に櫂は冷静な口調で指摘すれば未来はその通りだと頷くしかない。
 未来も最初は不破にいい感情を持っておらず、まさか過去の繋がりがあるとはいえ彼女に再び恋をしてしまうなんて。
 不破に契約を持ちかけられたときの自分が見たら蒼人と同じ反応をしそうだ。それほどの衝撃の大きさなのだ。けれど不破に恋をするのは同時に蒼人への裏切りに思えて。
 今回はそれについて話をしたかったので、こうして自分が口にしづらかったことを代わりに櫂が言ってくれたことで話の広げやすさに繋がった。
「蒼人は覚えてないと思うけど不破君ね、私たちと同じ幼稚園に一時期通っていたの。当時の私は不破君にべったりで、成長した今でも当時の夢を何度も見てて。夢の中での小さな不破君の顔はぼやけて見えないし、名前も思い出せないんだけど、私はその子に恋してて……。最近になってその初恋の人が不破君だって分かったの」
「そのことは不破は知ってるのか?」
「うん。不破君も同じような夢を見てたんだって。だから……最初は契約上の恋人になっていたけど、今はそういうの関係なく本当に……」
 蒼人はまさか幼馴染と自分を苦しめた原因になった人物の間がそんなことになっているとは思わず、言葉を失っている。微動だにしない彼に代わって櫂が未来と会話をすることで彼女が言いたいことも引き出していく。
 櫂が一緒にいてくれてよかったと心底未来は思う。きっと彼がいなければスムーズに話が進むことはなかっただろうから。
「……ごめんね。蒼人。あなたを苦しめた人なのに……。でも、でもっ……! 私は、この恋を諦めたくない」
 蒼人の目を芯のある力強い目で見つめる。このまま仲違いしてしまう最悪のケースだって想定してる。彼女と恋仲になるというのはそういう可能性も出てくると覚悟はしていた。けれど諦めるという選択肢は未来にはなかった。
 最初は大切な人を守るためだったのに、互いに思い出した途端に態度を変えるなんて、と自分自身非を感じる。それでも夢の中のあの子とどんな形であれ再会し、彼女も受け入れてくれた。
 蒼人は未来の嘘偽りのない真剣な面差しに観念したように双眸を閉じると、静かに息を吐く。再び開眼した彼の目には迷いがあるが、それでも幼馴染の恋を自分の感情で妨げるわけにはいかないと、ひとつの答えを出した。
「正直驚き過ぎて飲み込めないし、個人的には不破に関わってほしくない。けど……未来が幸せならそれでいいよ。未来の人生なんだ。他の人のことよりかも自分のことを考えてほしい」
「蒼人……」
「俺も蒼人と同じ意見だな。互いに夢を見て相手のことを思い出すなんて不思議な縁を感じるし、未来のしたいようにすればいいさ。人生は一度きり。後悔のない選択を、な」
「櫂も……!」
 裏切り者と糾弾されるかと思っていた。だが蒼人の下した判断は未来を応援するもの。ずっと心に引っかかっていたものが羽ばたいて行くように取れ、心が軽くなる。
 自分は本当にいい友人たちを持ったと未来が泣きそうになったとき、彼女たちに近づく靴音がふたつ。
「話は済んだか?」
「不破君!? いつの間に!」
「やぁ未来ちゃん。ファーさんという存在がありながら堂々と浮気なんて酷い女だねぇ」
「織部君は黙ってて! 不破君にはふたりに話があるって言ってあるし、そもそも蒼人と櫂はそういう目で見れないから!」
 朝はいたものの、帰りのホームルームにはいなかった両名の登場に未来は立ち上がり、こちらをからかってくる織部に噛み付く。彼も本当は分かっているのにこうしてわざわざ煽ってくるのだから性格が悪い。
 こんな彼も不破に対しては俗っぽい言い方をすれば“ぞっこん”。イケメン・高身長・不破の話が理解できるほどに頭もよく、コミュニケーション能力にも突出している。一般的に考えればハイスペック同士、織部と不破がくっついてもよさそうだが、彼女の様子からして織部にそういった感情はなさそうだ。
 好きな女が恋愛感情を向ける女。それだけでも面白くないだろうが、それに加えて小学生以来の不破との付き合いにポッと出の女が入ってきたのにも思うところはあるだろう。それくらい未来も理解できる。
 彼は表には出さないが未来に対してあまりいい感情を持ってはいない。それなのに恋というものをしたことがない不破をサポートしたりなど、彼がなにを考えているのかさっぱり分からない。
「未来と戯れるな織部」
「えぇ〜? オレだけ言われるのかい?」
 未来の意識と視線が織部に向いているのが癪に障った不破だが、織部は逆に蒼人たちに目を向けることで暗に告げる。“彼らはいいのか?”と。
「事前に未来には許可を出してある。菊田蒼人と印藤櫂に俺との交際を打ち明けたい、あわよくば認められたいなどと……他者の感情に振り回されるなど理解できんがな」
「織部君しか友達がいない不破君には分からないですよ〜だ。でも逆に友達なんか要らないって言ってた不破君が織部君をずっとそばに置いてるんだから、織部君って結構気に入られてるよね」
「……未来ちゃん。もっと言ってくれ」
「いい加減にしろ。……話は終わっただろう。帰るぞ」
 あの不破と織部相手に比較的穏やかなやり取りを繰り広げる未来。そして不破の彼女に対してどこか柔和な態度、さらには自分たちはフルネーム呼びなのに未来に対して下の名前で呼び捨て。少し前までは彼女もフルネーム呼びだったというのに。
 完全に置いていかれている蒼人と櫂の両名はそんなことを思いつつ、目の前でのやり取りを見ていると不破が未来の手を握り、帰るぞの一言。
 こちらも握る場所は手首だったはず……と、ふたりは一体なにを見せつけられているんだと呆気に取られてしまう。自分たちの知る不破とは別人なのでは? と思ってしまうくらいの違いに風邪を引きそうだ。
「ちょ、ちょっと待ってよもう……! ごめんね、二人とも」
 許可を出したと言っても未来が──その気がないとはいえ、異性と話をしているのが気に入らないのか不破は彼女の手を引いて行こうとし、未来は彼女の嫉妬にしょうがないなと苦々しく笑いながらも鞄を持って歩き出す。
 以前は不破の後ろを歩く未来だったが、今は隣同士で歩いている。不破の身長を考えれば歩幅が合わずに未来が早歩きして追いつけるというのに、その様子もない。
 不破が彼女の歩く速度に合わせているからこそなのだが、未来はそれに気づいているかどうか。一ヶ月ほど前までは不破の後ろを歩く彼女の背中が物語る寂しさを知っているからこそ、蒼人はふたりの関係が変わったのだと思い知り、ベンチから立ち上がって不破へと叫ぶ。
「──おい不破! 未来を悲しませたら……僕は絶対にお前を許さないからな!」
「お前に言われるまでもない。未来は俺の女だ。その身が朽ち果てても逃がさん」
 立ち止まり、顔だけを蒼人の方へ半分向けると堂々と宣言する。隣の未来はその意味を不破が恥ずかしがることすらせずに言い放ったことに、餌を待つ鯉のように口を開閉させるばかり。可愛らしい顔は一気に紅潮し、思考停止。ショートしてしまう。
 最後にフッ、とどこか勝ち誇ったような、それでいて女らしさを感じさせる艶然とした笑みを不破は残すと未来を連れて行ってしまう。
「……ナチュラルに特大の告白してったな」
「不破なりに未来のこと大切に想ってる……のか?」
「ファーさんがあんなふうに笑うなんて。彼女の影響かねぇ……フフ。これから先も退屈はしなさそうだ」
 残された男たち。櫂は反応に困り、蒼人は自分の知る不破ならば絶対に言わない言葉に、織部は長い付き合いになる彼女の艶やかな笑みに各々立ち尽くすしかない。

   ***

「さっきから黙ってどうした」
「いや……だって蒼人たちの前であんな、逃がさないって」
 手を繋ぎ、横に並びながら歩く不破と未来の間には会話はない。普段ならば口数の少ない不破の代わりに未来が話題を振ることで会話が成立するのだが、なぜか未来は俯き加減に黙っている。
 彼女の様子がおかしいことに不破は足を止め、聞けば未来は顔を上げて一瞬視線を交差させるも、迷うように逸らしながら放つ言葉は沈黙の原因。先ほどの不破の発言だ。
 いきなり、しかも二人きりのときにすら言われたことのない言葉をみんなの前で言うなんて。明日から蒼人たちにどんな顔をして会えばいいのか。心優しい彼らは平時と変わらぬ雰囲気で接してくれるとは思うが……。
「…………お前は俺を嫁にするのではないのか?」
「えっ!?」
 目を丸くし、小さく開いた口でのぽかん顔。あ、なんか可愛いかもと思ったのも束の間。不破の口から“嫁”という単語が出てきたことで未来は大げさほどに体を跳ねさせる。そのまま心臓も飛び出してしまいそうな驚きにあんぐりと口も開いてしまう。
「忘れたか? 幼少のお前が俺の手を取って大人になったらお嫁さんにすると息巻いていたのを」
「ゆ、夢に何度も見たから忘れてはないけど、その……やっぱり、」
「なんだ。今更怖気づいたのか?」
 男のフリをしている低い声でお嫁さんという言葉が出てくるのに妙に違和感があるのは不破くらいか。
 まさか彼女も同じシーンの夢を見ていたなんて。つくづく運命めいたものを感じざるを得ない。
 自分が旦那さんで不破がお嫁さん役でのままごと遊び。今でも不破をお嫁さんにしたいかを考えればもちろんイエスである。だが当時とはひとつだけ違うことがあった。
 眉を顰め、口を真一文字に結ぶ不破の手をあのときと同じように両手で包み、未来はしっかりと彼女の目を見て告げる。
「違うよ。……私も、不破君のお嫁さんになりたいな、って」
 当時は特に意識せずに旦那さんと言っていたが、今は違う。好きな人の奥さんに、お嫁さんになりたい。
 彼女との未来を想像して自然と目尻は下がり、口角がふんわりと上がったどこか大人びた優しげな表情へと変わり、不破も思わず見惚れてしまう。
「心配しなくても計画は立てている。俺が大学を卒業したら──結婚式は不要だが写真なら撮ってやってもいい。式をやらん代わりに衣装などはお前の希望に合わせる」
「話が飛躍し過ぎてない!? 高校と大学合わせて数年後だよ? まだまだっていうか……でもドレス姿の不破君は見たいかも。互いにタキシードとドレスってのもいいな。写真をいっぱい撮って……えへへ、不破君綺麗だからなんでも似合いそう」
 機嫌が治ったのか不破の顔には小さいながらも笑みが浮かび、決定事項をつらつらと並べ立てる。まだ中学生で来年ようやく高校生。あまりにも早すぎる計画にさすがの未来も引き気味になってしまうが、様々な衣装に身を包んだ不破を空想すると止まらなくなり、だらしのない顔に変化していく。
 ──夢の中の初恋は実り、少しずつ愛を育む。この先に待っている楽しいことも、苦しいこともあなたと一緒に。
 ふたりの少女の恋を見守るように、今日も空は晴れ渡るのだった。