小さな夏の恋物語─初恋は、夢の中のあなた─ - 4/8

第三章

 放課後に不破の家に連行される日々を送りながらも期末テストを迎え、結果が廊下に貼り出された。集まる生徒たちの中には未来と隣には蒼人の姿があり、他の生徒に混じって自分の名前を探す。
 未来はいつもなら真ん中の上くらいにある自分の名前が見つからず、もしかして成績が下がった……!? と下を見ても己の名前はない。
「す、すごいじゃないか未来! いきなり上位なんて!」
「へ……?」
 どこにあるんだろう? と、もう一度念入りに探そうとしたときに隣にいる蒼人の驚きの声に顔を上げて上位の欄を見れば、上から安定の不破、三位に織部、そして四位に未来の名前があった。
 たしかに今回のテストはいつもと違って簡単に解けた問題が多かったが、まさかいきなり上位に食い込むなんて。もしかしなくても不破のおかげなのだが、この場でそんなことを言えない未来は、
「べ、勉強すごく頑張ったからかなぁ……? あはは……」
 誤魔化すしかなかった。
「不破君、今日ね。テストの結果が出たんだけど私、四位だって。不破君の教え方がよかったみたい。……ありがとう」
 学校終わり。今日も未来は不破の家にいた。最初に連れて来られたときに比べるとだいぶ慣れたもので、今ではかなり精神的にも楽にはなっていた。
 未来は向かい側のいつもの定位置で大きなクッションに寄りかかりながら読書をする不破に明るい口調で話しかけるも、彼は視線を寄越しもせずに「そうか」と短く返事をするのみ。
 目線は本に向けたままページを捲る不破の横顔を見て、未来は兼ねてからお願いしてみようと考えていたことを口にしようと、表情が強張る。彼が聞き入れてくれる保証はどこにもないが、それでも自分の意思を伝えたい。
 テスト期間は終わり、部活の再開も近い。最後の夏だからこそしっかりやり遂げたいという思いが未来にはあった。
「ねえ不破君。話があるの」
 文章の羅列に落とされていた視線が横目ながらも未来に向けられる。じっとりと冷えていくような眼差しに未来は正座し直すとなにかを決意した強い面様で不破を見据え、ひと呼吸すると本題に入った。
「部活に行かせてほしい。今年が最後だからやり遂げたいの」
「……俺に譲歩しろと?」
 本を閉じ、体を起こした彼は未来と向き合う。そんな不破に未来は力強く頷く。ここで引くわけにはいかない。なんとしてでも部活に行く許しを得なければ。
「もちろんタダで、とは思ってない。……あなたの言うことなんでも聞くよ」
「なら、今ここで服を脱げと言ったらお前は言うとおりにするのか?」
「っ……!? …………それで、部活に行けるのなら」
「ある意味狂気だな。そんなにも剣道が大事か?」
 不破からの命令に目を丸くしつつも、そうすることで部活に行くことを許されるならと未来は俯く。不破からすれば脱げと言われて、貞操の危機に陥ってまで部活に参加したい気持ちが分からないために狂気と表現したが、その言葉は未来をキレさせた。
「大事だよ! 中学に入ったとき、私は最初文化系の部活に入ろうと思ってた。けど、あの人に──先輩に憧れて、あの人の背中を追いかけて剣道部に入って、がむしゃらに打ち込んで、みんなに認められるようになって……! だから……!!」
 勢いよく顔を上げ、座卓に両手を叩きつけて揺らしながら不破を睨みつける彼女の目には涙が浮かび、流れ落ちる。矢継ぎ早に口にするのは自分の中でどれだけ剣道が大事なのかを伝える言葉。
 最後の方は怒りから懇願の顔になっていたが、不破に向ける眼差しに宿る強さは変わらず。彼女の必死さを受け不破は逡巡すると小さくため息をつく。
「泣くほどに……か。フン。いいだろう。こちらに来い、田尻未来」
 不破が傍らに置いてあるビーズクッションをどかしたことで意図を汲んだ未来は涙を腕で乱暴に拭うと、あぐらをかく彼の横に移動し、正座して座る。
「今後はお前が自分の意思でここに来い。毎日部活が終わったら、必ず」
「ま、毎日……。塾もあるのにお母さんに怒られちゃう」
「塾? そんなもの辞めればいい。勉強なら引き続き俺が見てやる。お前の親も無駄な出費が減ってよかったな」
「……分かった。部活に出るためなら」
 塾のことを考えるとキツい部分もあるが、正直彼のおかげで期末テストも上位になれた。彼の言葉に納得はできるが、母がどういうか。とりあえず塾のことは置いておいても、毎日自分の意思でここに来れば部活をしてもいいという言葉に嬉しさが込み上げる。正直彼がこんなにもすんなりと許してくれるとは思ってもみなかったから。
「それと、だ。たまにはお前の方からしてみろ」
「……? なにを?」
「俺がいつもしているだろう」
「き、キスってこと……!? っ……、するよ。なんでも言うこと聞くって言ったの私だし」
 不破がしていることといえばそれしか考えられない。最近では慣れてしまった口づけ。それを未来の方からしろという命令に彼女は自分が言ったことだからと素直に頷く。だが不破には意外だったようで、
「随分と聞き分けがいいな。嫌だと駄々をこねると思ったが」
「でも……本当にこれだけで不破君は譲歩してくれるの?」
「俺は織部と違って嘘は言わん」
「そう……。不破君を信じるよ」
 なんでも言うことを聞くと言ったし、あの不破と交渉して自分の意見を通したのだ。ここで拒否するわけにはいかない。だが正直この程度のことで本当に許してくれるのか。織部が蒼人にしたように言葉の解釈で相違が起こらないか疑念はあるものの、自分は織部と違うと宣言する不破のことを未来は信じてみることにした。
 正座のまま不破との距離を詰め、その肩に両手を置く。触れた体の感触は思ったよりも柔らかく、未来を驚かせる。
 正面から未来を見つめる青の輝きは美しく、触れてはいけないものに触れているような錯覚を起こして未来の顔に熱が集まっていく。
「あの、恥ずかしいから目を閉じてほしいんだけど」
 さすがにこのままではキスどころではないとお願いすれば、彼は静かに目を閉じた。至近距離でまじまじと見つめる彼の顔は男だというのに女性的に感じるところもあり、中性的な顔つきに未来の心臓が高鳴る。
 まつ毛も豊かで目や鼻、口のパーツの配置は完璧。神に愛された容貌に未来の額には変な汗が浮かぶ。かといってこのまま石像になっているわけにはいかないので意を決すると、未来は身を乗り出して不破へと顔を近づける。
 いつもと同じ。彼にされているときをイメージしながら徐々に近づくにつれ、未来の目は閉じられていく。超至近距離で感じる彼の香りは男子だというのに女子のような甘さが含まれていて正直心地いい。ずっと感じていたいと思ってしまうほどに未来の好みだった。
 触れる唇。ちゅっ……と可愛いリップ音を奏でながら最初は角度を何度か変えて彼の唇の柔らかさを確かめるように食む。
 普段はされるがままで特にこれといった感想を抱くことはないが、こうしていざ自分からすると話が違ってくる。彼以外とキスをしたことがないので比較のしようがないが、潤いのある唇は触れていると気持ちがよくて、その先を自然と欲しくなってしまうのだ。
 唇を舌で優しくなぞり、軽く開いている隙間から中へと侵入し舌先同士をにゅるにゅると絡ませ、吸えば濃密な彼の香りと自分がしている行為の淫らさに未来の体温が上昇していく。
(あれ……? なんで私、こんなにも一生懸命に……?)
 肩に置いていた両手が不破の頬を包み、それは逃さないといっているようで。未来自身にも行動の理由が分からない。彼の香りに誘われるままに求めてしまう。もっと欲しいと思ってしまう。
 どうして? どうして? 彼に対していい感情は──以前と比べるとマシになってはいるが、持っているはずがないのに。
 どちらのものか分からぬ唾液で濡れた舌を這わせ、彼の口の中を確かめながらぴちゃくちゃと淫猥なキスに没頭していると最後は不破が未来の後ろ髪を引っ張ることで顔を離した。
「俺のことを嫌っているのに随分と長い奉仕だな」
 言葉を発する際の息の放出を感じるほどの距離で放たれた内容に、どこか夢見心地の目をしていた未来は我に返ると元の位置に戻って彼と向き合う。
 未来の顔はほんのりと熱を持ち、余韻が抜け切らないというのに不破は平時と同じ。彼の言い分に未来は「不破君の方が長いもん……」とささやかな抗議をするが、
「俺はここまでしつこくない」
 と、ばっさり。汚れた口元を指で拭う彼の一挙一動に未来はなぜか目を離せないでいた。なんで男の子なのにこんなにも綺麗なんだろう……と。
 唇だって滑らかで弾力があって触り心地がよく、逆に自分の方がもっと手入れしないと恥ずかしいと思うレベルである。
「なんだ。物足りないのか?」
 未来の熱視線に不破は頬杖をついてストレートに聞いてくるが未来は反射的にぶんぶん! と首を横に振る。大げさな反応を取るのは逆効果だと知らずに。
「べっ、別にそんなことないから! というかなんで男の子なのに唇ぷるぷるなの!? 蒼人や櫂なんてかさついてるのに!」
 言葉足らずな発言に不破の雰囲気が変わる。どこか和やかな空気が一瞬にして凍りつき、未来はしまった……! と不破を見つめるがもう遅い。
「……お前、俺以外の男としたのか?」
「はっ……? はぁぁぁっ!? 違うよ! 見た感じの話! きっ……キスは、不破君としかしてないよ。そもそも誰とでも簡単にするものじゃないし」
「フン……。織部が勝手にリップクリームを塗ってくるだけだ」
「あはは……想像に難しくないね」
 蒼人と櫂は友人であり、そういう対象ではないのは不破も分かっているはず。そもそも自分はただの女避けで他の男子とどうこうしても彼は興味ないはずじゃ? 未来は疑問を抱くものの、不破は彼女の否定に一応は納得したのか織部が勝手に塗ってくることを告げ、未来の頭の中には甲斐甲斐しく世話を焼く彼の姿が鮮明にイメージされた。
 女子の取り巻きと遊んでいても彼の中で揺らがぬ一番は不破なのだと見て分かる。蒼人に絡んだのも彼が理由なのだから。

   ***

「ねえだいちゃん、こっちであそぼー!」
「私はいい──って、おい!」
 たまに見る幼稚園時代の記憶。幼い私と顔部分が不明瞭な白い髪の女の子、だいちゃんの夢。
 今回の夢は椅子に座って本を読んでいるだいちゃんの腕を私がぐいぐいと引っ張って、無理やり遊びに誘っていた。連れて行った先にはおままごとの玩具が広げてあり、床にだいちゃんを座らせた私はその横に座ってご飯の用意をして、彼女の前に配膳していく。
「わたしはだんなさんで、だいちゃんはおよめさんね!」
「……性別を考えればお前も嫁ではないのか?」
「え〜! だってだいちゃんかわいいからおよめさんにしたいもん!」
「私を嫁にするなどとお前も物好きな奴だな」
「ふふっ! おとなになったらほんとうにだいちゃんをおよめさんにするからね!」
 子どもながらの純粋無垢な言葉。今の私だと法律的に結婚できないとか、色々考えてしまうけどこのときの私はなにも深く考えずに彼女をお嫁さんにしたいからという理由で言葉にし、だいちゃんの両手を握って無邪気なプロポーズをした。
 だいちゃんの顔は見えないからどんな表情をしているのかは分からない。また馬鹿なことを言っていると呆れているのかな? でもその後も私の遊びに付き合ってくれたから機嫌を悪くはしてないと思う。
 ──微笑ましいやり取りの夢から目覚めたとき、私の中にあったのは多幸感だった。カーテンの隙間から漏れる光からして朝だと知り、近くに置いてある時計を見ればいつもならまだ寝ている時間。もうしばらく夢に思いを馳せても問題ないと判断した私はだいちゃんのことを想う。
 名前も顔も分からないあなた。きっと私と同い年だよね。顔は相変わらず見えないけど夢の私は可愛いと必ず言っていたから、今頃はすごい美人さんになっているんだろうな。
 あのふわふわの髪は伸びてるのか、あの頃とあまり変わらないのか。どちらにしろ可愛いので長髪でも短髪でも似合うと思う。
 引っ越してしまったあなた。今、どこでなにをしているのかな? さすがに戻ってきてはいないよね。戻ってきてたら──絶対に美人さんだもん。噂になっててもおかしくないのに、そういう話を聞いたことがない。
(そういえば不破君の髪の毛も白……というか、銀、だけど似てるよね。名前も大黒だし、だいちゃん……。いやいや、不破君は男の子だから違うよね。だいちゃんのイメージに全然合わないし)
 不破君といえば高い身長に綺麗な顔をしているけど大人すら恐れる不良の男の子。怖いイメージばっかり。
 対するだいちゃんは身長は私と同じか少し高いくらいで、スラリとした美少女が自然と浮かぶ。成績も優秀で他者には興味がなくて、いつも本を読んでいるミステリアス系女子のイメージ。
(……こう考えると不破君も信じられないくらい頭いいし、いつも本読んでるし、他の人には興味ないし……。いやいやいや……)
 あり得ないよ。だってあの子は女の子だもん。でもあんなに特徴的な髪の毛……。もしかして親戚とか? 今度不破君に聞いてみるのもいいかもしれない。
「……そろそろ起きないと」
 だいちゃんと不破君のことを考えていたらいつの間にか時は過ぎていき、いつも支度をし始める時間になっていた。
 昨日不破君にお願いして部活も行っていいことになったし、卒業までうまく彼と付き合っていかないとね。