私の先生⇔悪魔の先生 - 5/8

第四章 救世主

(生徒会で遅くなっちゃった……。母さんにはメッセージ入れておいたけど、今日は残業みたいだし帰ったらご飯の支度しないと)
 普段よりも少し遅い帰宅。太陽は沈みつつあり、空はうっすらと明るい程度。いつもの通学路では時間がかかるため、現在ジータは近道を歩いていた。
 この道はひと気がなく、車も辛うじてすれ違うことができる程度で道幅もあまり広くない。もっと明るい時間ならば問題ないが、暗くなり始めていてしかも今はジータひとり。ほんの少しだけ怖いが時間短縮することを考えると選ぶしかなかった。
 自然と早歩きになる足。ここを抜ければ家はすぐだと自分に言い聞かせていると背後から車の音。通り抜けていくだろうと特になにも思わずにいると黒い大きめの車がジータの横で止まった。
 身の危険を感じた刹那、車の扉が開いて中から二人の男が飛び降りてきてジータを車の中に押し込むとそのまま走り去って行く。抵抗する暇もなかったジータはさらに車内で目隠し、猿ぐつわ、手首を拘束されてしまう。一連の動作があまりにも手慣れていて、暴れるなと牽制するように首元に刃物らしきものを当てられ、恐怖に震えることしかできない。
 これは誘拐だ。これから自分はどうなってしまうの? なにもかもが分からなくて、怖くて涙が溢れて目隠しの布を湿らす。
 浅く速くなる呼吸。極度の緊張、恐怖。頭が真っ白になってなにも考えられない。
 車は町中を抜けると工場が点在する地域へと進んでいく。周囲一帯が寂れた廃工場に着くと車は止まり、後部座席のスライドドアが開いた。先に降りたのはガタイのいい男。その人物にジータはやや乱暴に降ろされ、俵のように肩に抱きかかえられると他の二人と共に工場へと向かっていく。
 ぴったりと閉じた工場の大きな扉を手が空いている男たちが開けると中から鉄と錆の匂いがジータの鼻をつく。工場内はとても広く、箱や機械などが放置されたまま。その中心辺りにはソファーだったりテーブルだったりと寛ぐための家具が乱雑に設置されていた。
「……へぇ? その子がねぇ〜。オヤジに写真見せてもらったけどすげぇ美少女だったし、こんな子と楽しめるんだ。オヤジが羨ましいぜ」
「オヤジは奥に?」
「ああ。もう待ち切れないって感じだ。早く連れてけ」
 粗末なテーブルを囲むパイプ椅子に座る男たちはトランプで暇潰しをしており、男たちが中に入ってくると彼らに背を向ける位置に座っていた男が振り向き、抱えられているジータを見て舌なめずり。
 彼らの会話からして自分がこれからどういう目に遭うのかが想像できてしまい、ジータは泣いて暴れるが声は猿ぐつわによってくぐもったものにしかならない。
 拘束されてない脚は抱えている方の腕の力で押さえつけられてしまう。少女とがっしり体型の成人男性。どちらが強いかなど考えなくても分かる。
 せめて声だけでもと抵抗を見せるが男は無視してジータを物のように運ぶとトランプで遊ぶ男たちを通り過ぎて奥へ続く通路に向かう。実行犯の他ふたりはもう自分たちの仕事は終わったとソファーに座るとタバコに火をつけるのだった。
 一歩いっぽ刻まれる靴音がジータにとっては処刑台へのカウントダウン。これが止まったら終わり。通路にはジータのくぐもった声が虚しく響くばかりで誰も助けてなどくれない。
 そしてついに目的の部屋に着いたのか男は止まる。中の人物に呼びかけ入室の許可が出るとドアノブを回し、軋む音を立てながら扉を開けて後ろ手に静かに閉める。
 そこそこの広さの部屋にはベッドとソファーにローテブルと必要最低限の物が置かれているだけ。これだけでどういう目的の部屋かが分かる。革のソファーに腰掛ける男は半裸になっており、見た目からしていかにもな人物。
 ジータの到着を待っていたのかテーブルの上に置かれた灰皿にはタバコが小さな山を作っていた。
「へぇ……写真より上玉じゃねえか」
 低く、酒焼けした声が下劣な言葉を口にする。ジータはベッドに仰向けに下ろされ、腕をばんざいの形にさせられると腕の自由を奪う縄の上からベルトのようなものを巻かれた。強度を確認するように数回手首を引っ張られ、ベッドの柵が金属音を鳴らす。
 猿ぐつわが外され、声は出せる状態になったが喉に引っかかって出てこない。餌を求める金魚のように口を開閉させるばかり。年端もいかない少女にとって味方がひとりもいない場所、身動きが取れない状況では殺されないようにじっとしていることしかできない。
 寝かされたジータが背に感じるのは湿っぽいシーツに包まれた硬めのマットレス。部屋がそうなのか、ベッドがそうなのか。埃っぽい臭いがしてお世辞にも衛生的とはいえない。
 男はジータを拘束し終わると部屋を出ていく。するとすぐにベッドが沈んだ。先ほどの低い声の持ち主が上がってきたのだとジータはすぐに分かった。思わず悲鳴を上げると片脚のすねに触れる手。それは触り心地を堪能するように撫で回しながら上へと移動していき、制服のスカートに隠された太ももへと到達する。
「乳臭いガキだが若いだけある。肌がスベスベで気持ちいいのぉ〜」
「ぅ……!」
 あまりの気持ち悪さに吐き気を感じ、泣きながら声を引きつらせていると今まで自分と男しかいないと思っていた部屋にクスクスと笑う女の声が現れる。
 部屋の隅に立つ少女はジータと同じ制服を着ており、その手にはスマホが握られている。その持ち方はなにかを撮影しているような角度で、レンズは真っ直ぐジータへと向けられていた。
 部屋には男と二人きりだと思っていたジータは突如聞こえた少女の声に記憶を巡らす。その声、どこかで聞いたことがあるような……? 動画を再生するように日々を振り返っていくととある少女の顔が思い浮かび、ジータの時が止まる。
「その声……! あ、あなたは……!」
「ふふ……ふふふふっ……! ね〜ぇ、目隠し取っちゃわない?」
「別に今じゃなくていいだろ。目隠しをされ、身動きができない女を凌辱する……興奮するシチュエーションじゃねぇか」
「ハイハイ……。こっちはこっちで勝手に撮らせてもらうから」
 正体がまさか不良のリーダー格の彼女だなんて! どうして? なんで? 様々な感情が綯い交ぜになってジータに襲いかかる。クラスの問題児ではあったがここまでするとは。そこまで疎まれていた? 人の強烈な悪意というものと無縁の世界にいたからこそショックが大きかった。
 絶句してしまうジータを見て、少女はケラケラと面白そうに笑うと勝ち誇ったように高らかに宣言する。
「この動画、ネットにばら撒くから! クソ真面目な生徒会長サマの淫乱姿に学校中の男たち、ううん、世界中の男たちのオカズになってシコってもらえるんだから嬉しいでしょ? あははははっ! アンタもこれで終わりだね!」
 なんておぞましい言葉を平然と言うのか。ジータの脳裏に絶望の二文字が浮かぶ。そんなことをされたらもう生きていけない。昨今のネットトラブルはニュースになるくらいでジータもその恐ろしさは知っていた。が、自分が当事者になるかもしれない日がくるとは思ってもみなかった。
「いやっ……! いやっ、やめてぇっ!! イヤァァァァッ!!!!」
 じわじわと這い寄る黒い感情にジータは嫌だ嫌だと悲鳴を上げながら自由を許されている脚を必死に動かして暴れるが、男の両手に強く掴まれ、動けなくなる。今度は縄をほどこうと腕をやたらめったらに暴れさせるが皮膚が縄と擦れて痛いだけ。それでもやめることはできなかった。
「ベリアル先生にあげたかったその処女も汚いオッサンに奪われ、綺麗な体もザーメンまみれになって……あー、カワイソ」
 ベリアル先生という言葉にジータの胸がナイフで刺されたように酷く痛み、涙がさらに溢れる。こんなことなら普段どおり接すればよかった。少女にデキてるんじゃ? と言われ、教師であるベリアルの迷惑になるわけにはいかないと最近では距離を取っていた。もしなにか問題になったとき、真っ先に責められるのは大人である彼なのだから。
 彼への好意は否定できない。もし恋仲になれたらそれは嬉しい。けれど自分は高校生。せめてその枠を卒業してから彼に気持ちを伝えようとは思っていた。
 それがこんなことになるなんて。彼女の言うとおりだ。捧げられるなら彼がよかった。自分の初めては──彼がよかった。
「汚いオッサンって、自分の男に向かってひっでぇなぁ!」
 悲しみに打ちひしがれるジータをよそに全く可哀想と思ってない声で少女はあざ笑い、男の方も彼女の言葉に酷いと言いつつも真に受けてはおらずにゲラゲラと下品に笑った。
「助けてっ……助けて! ──たすけて、ベリアルせんせぇっ!!!!」
 頭の中いっぱい浮かぶのはベリアルだった。頼りない人だというのに、彼だった。
「だ〜〜か〜〜ら〜〜! 助けなんて来ないって言ってんじゃん! っ……なに?」
 親でもなくベリアルの名前を叫ぶジータに少女は苛々した口調で切り捨てるが、遠くから怒鳴り声が聞こえたことに一定の緊張が生まれる。次いで聞こえるのは男の悲鳴。誰か来ているのか。……まさか、本当に先生?
「おい、お前見てこい」
「な、なんで私が……!」
「なんだぁ? 俺の言うことが聞けねぇのか!?」
「ッ! わ、分かったから怒鳴らないで……」
 少女が退室すると男はぶつぶつと文句を言ってるようだったがジータはそれどころではない。少女が去ったとはいえ自分の身の危険には変わりないのだから。
 男も仕切り直しだとジータの脚の間に体を挟み、服の上からまさぐってくる。無骨な手が自らの欲望のままに触れてくるものだから痛みを感じ、ジータは拒絶の声を上げるが男としては嫌がる女を無理やり支配する快楽が好みなのか、歯を見せニタニタといやらしい笑みを浮かべるばかり。
「なんだ……? 発砲音……!? 誰かチャカ抜いたのか。大方、喧嘩っ早いあいつだろうが……。誰が来たかは知らねぇがこれで静かになったな」
 遠くから聞こえる乾いた音に男の動きが止まる。首だけ振り返り、扉を見つめるが自分の中で音の原因に納得がいったのか再びジータへと向き直る。もう、なにもかも無茶苦茶だ。
「それにしても遅いなあいつ。撮る前に始めちまうぞ。……いや、そもそも誰か報告しに来ないか……?」
 ベッドの上で少女を襲おうとしていた男は誰も報告しに訪れないことに違和感を感じ、逡巡するが最後には思うところがあったのか部屋を出ていった。
 しばらくすると「ぐえっ!」と情けない声がジータの耳に届いたのを最後に世界が無音に包まれた。
 背中から這い上がる恐怖にジータは身を固くし、震えることしかできない。目隠しによって閉ざされた視界がより強く負の感情を煽り、逃げられないと分かっていてもベッドに縛り付けられている手首を動かすが痛いだけ。
 品のいい靴音が近くで聞こえる。それは部屋の扉の前で止まり、金属の軋む音とともに扉が開かれた。
 誰かが目の前にいる。もしかしてこのまま殺されてしまうのかな。嫌だな、せっかく助かったと思ったのに。
 そんなジータを見下ろすのは上下ともに黒の服を身に纏う美丈夫。スラリとした手足、開かれている胸元から覗く割れた腹筋の一部が細身ながらも筋肉質な体だと示す。
 柔らかそうなダークブラウンの髪は綺麗にセットされており、乱れひとつもない。見る者によっては恐怖する真紅の瞳は細められ、囚われの少女の状態を確認するように見つめている。
「っ……ふ、ぅ……!」
 部屋に入ってきた何者かが無言で動かないことが心底怖い。怖くてたまらない。どうしてかは分からないが自分を襲おうとしていた男よりかも恐ろしいと感じる。溜まった生唾を飲み込み、小さな嗚咽を漏らす。どうかこれ以上恐ろしいことは起こらないで、と。
「せ……んせ……ベリア……ル……せんせ……たす、け……」
 心の中で唱えていた言葉が実際に口から出ているとはジータは露知らず。男は哀れむような目を向けながらジータの真横に移動し、ベッド脇に座ると手首の拘束を妙に慣れた手つきで外す。
 完全に自由にしてやると今度は目隠しに手をかける。頭部に触れる手にジータは小さな悲鳴と一緒に縮み上がれば目元を隠す布が外され、閉じられた目蓋の向こうが明るくなる。目を開ければ助けてくれた? 人がいる。でも怖い。自分がどうなるかまだ分からないから。
 上がる心拍数。乱れる呼吸。最大限の恐怖を味わいながら薄く目を開け、ゆっくりと目蓋を持ち上げるとそばに座るのは黒い服を着た妖艶な男。
「先生……?」
 男を見た瞬間、ジータの中に普段から頼りなくて弱々しい、でも心優しく密かに惹かれるものがある男性教師の顔が浮かんだがすぐに霧散する。目の前の男と違い過ぎるのだ。
 彼は寝癖がついていたりするが、目の前の男は髪色こそベリアルと同じ色をしているが綺麗に整えられていて清潔感がある。
 ベリアルが掛けている分厚い瓶底眼鏡の奥には確かに男と同じ白い肌に映える紅玉があるが、鋭さが全く違う。この男は見ているだけで冷え冷えとした気分になってくるのだ。
 なによりも纏う雰囲気が違う。ベリアルは妖艶という言葉からかけ離れている雰囲気だが、目の前の謎の男は色気が凄まじい。大胆にボタンが外されているシャツから覗く盛り上がった胸筋がさらに拍車をかける。
「ぁ……っ!?」
 考えに耽っていると突如首筋に鋭い痛みが走り、自分が首に注射されたと理解したときには男はプランジャーを押し込んでおり、薬液が体の中へと侵入して意識が急に遠くなる。
「少しばかり眠るといい。目が覚めれば全て元通りさ」
 朦朧とするなか最後に感じたのは半身を屈ませて耳に囁く男の、ベリアルと似た香りだった。

   ***

「──ッ!?」
 急に浮上した意識。その勢いのままに起き上がれば見慣れた寝室が眼前に広がっていた。点けられたままの照明、ぴったりと閉じられたカーテンの様子からして今は夜なのか。そう思って枕の脇に置いてあったスマホを確認すれば悪夢のような時間から数時間は経っており、普段ならばもう夕食も済ませている頃だ。
 次いで確認したのは自分の服。今の服装は部屋着で制服は壁に掛けられたハンガーに吊されている。もしや自分は帰宅後すぐに着替えて今まで眠っていたのでは? とさえ思う。あの出来事が夢なのか現実なのか寝起きの頭では判断できなかった。しかし。
「ぁ……」
 ふと目に入った手首にはなにかで縛られたような跡があり、それがあの恐ろしい時間を現実のものだと知らしめていた。途端に震え出す体を抱きしめ、己に言い聞かせるように大丈夫、大丈夫だからと呟く。いったいあの男の人は何者なのか。なぜ自分を助けてくれたのか。どうやって家に入り込み──。
(って、それじゃあ私、あの男の人に……!)
 とある事実に気づき、ジータの青かった顔が今度は羞恥心で真っ赤に染まる。
(裸、見られた……!?)
 正確には下着姿だが、年頃の女の子。異性に肌を見られたことが恥ずかしくて恥ずかしくて。枕に顔をうずめるとそのまましばらく悶え転がる。なにもかもが分からない。
 ただひとつ分かっていることはあの男の人が助けてくれて、家まで運んでくれたこと。