天司の娘

「どうしたんだい、ジータ。ご機嫌ナナメのようだが」
「…………」
「黙っていたら分からないだろう? それともママには言えないコト?」
 すっきりとしたインテリアでコーディネートされている部屋にて。窓から明るい日差しが差し込み、部屋を照らしている。ゆったりとした時間が流れる空間、くつろぐために設置されているソファーには軍服を連想させる制服に身を包む美青年と少女の姿があった。
 男は名前をベリアルという。以前は天司長副官、現在は研究所の所長であるルシファーの補佐を務めていて他の天司たちからは“補佐官”と呼ばれ慕われている星晶獣。そんな彼が肩を抱き、自らの胸に引き寄せている少女の名前はジータ。彼女は人間、しかも星の民と星晶獣ばかりのこの島で唯一の空の民だ。
 ルシファーと対になるような美しい金髪に赤いヘアバンド。大きめのブラウンの目は今はどこか不機嫌そうに形が歪み、その眉間には皺が寄っている。また、ふっくらとした桜色の唇はツン、と尖っており普段から温厚な彼女らしからぬ表情だ。
 ジータはベリアルに頭を撫でられながら自分の太ももへと視線を向けたまま。ベリアルの制服は下がボトムタイプだが、ジータはスカートタイプ。スカートの裾を両手できゅっ、と握っているためにプリーツの規則正しい折り目に乱れが生じている。
「……もしかしてさっきのことかい?」
 だんまりを決め込むジータの体がベリアルの腕の中で小さく跳ねる。明確な答えにベリアルは「母親想いの娘でオレは嬉しいよ」と穏やかで落ち着いた声で紡ぐ。ジータも彼の声に少しだけ体の緊張を解き、自分から彼の大きな胸へと頭部を預けた。着込んだ上からでも分かる豊かな盛り上がりは見た目どおりの柔らかさで傷ついた心を受け止めてくれる。
 目を閉じてジータが思い出すのはつい先ほどの出来事。ルシファーの命令で実験に必要な物をベリアルと一緒に運んでいたときのこと。あと少しでルシファーのいる実験室へと着く、というときに聞こえてきた言葉たちはいつまでもジータの脳裏にこびりついていた。
『あんな無能をよく所長はそばに置いているよな』
『空の民である娘の方がまだ有能だ。剣や魔法も俺たち星の民から見ても目を見張るものがある』
『そうだな。だがあのルシフェルと同時期に造られたというのに性能差が天と地ほどにもなるとは。所長は愛玩具として造ったのか?』
『顔だけはいいからな』
 下卑た声での会話、嘲笑。自然と耳に入ってしまった言葉はベリアルを母と慕うジータにとっては苦痛そのもので。こちらの存在など知りもせずに会話に花を咲かせている星の民たちから逃げるようにジータは実験室へと向かい、用事が終わると居住区にある自分とベリアルの部屋へと一目散に帰ってきて今に至る。
「ママは無能なんかじゃない……! 本当はルシフェルさんと同じくらい強いのに……!」
 手が白くなるくらいにスカートを握りしめ、悔しさと怒りで涙を浮かべるジータの頭をベリアルはあやすように撫で、彼女の顔を胸に寄せると優しく抱擁した。顔を包み込む胸は男性だというのに母性を感じさせ、ジータは甘えるように彼の背中に両腕を回して自分からも抱きつく。嫌なことや怖いこと、様々な負の感情を忘れさせてくれる触れ合いはジータにとって癒やしそのものだ。
「ファーさんのためには無能を演じていた方が色々都合がいいのさ。だけどごめんよ。そのせいでジータに悲しい思いをさせた」
「ううん。分かってるから。ママがわざとそう見えるように振る舞っていること。でもやっぱり悔しくて……。私にとってあなたは家族だし、なにより命の恩人。突如として現れた赤ん坊の私を娘として引き取ってくれなかったら……今頃私はここにはいないから」
 ジータの出自は特殊でベリアルから聞いた話によればある日突然研究所内の木の下に揺りかごに入れられた状態で現れたという。しかも空の民。研究所があるこの島には星の民や星晶獣以外は動物や魔物しかいないので空の民が置いていったという可能性はゼロ。
 なににせよ、赤ん坊に待っている運命としては放置されての死か実験材料された果ての死か。遅かれ早かれ死が待っている。
 そこでベリアルは自分が引き取り、育てる道を選んだ。ベリアルやルシフェル、四大天司たちの庇護下のもとすくすくと成長したジータは今では並の星晶獣ならば一人で機能停止まで追い込めるほどに強くなった。全てはベリアルの、そして彼がファーさんと呼び慕うルシファーのために。
「さて。もう泣くのはオシマイだ。そろそろファーさんとキミの夕食を作らないとな。手伝ってくれるかい?」
 体を離し、ベリアルはジータの目尻に溜まっている雫を指で拭うとふんわりとした笑みを向ける。それは慈母のようだが、同時にこちら側に引きずり込もうとする妖しさも纏っているのを含めて彼のことを愛しているジータは頷くと、元気よく返事をするのだった。