幻のひと、夏の日のあなたと。 - 2/6

第一章

 ぎらぎらと輝く太陽。アルファルトからの照り返しに熱せられた空気。どこからともなく聞こえる蝉の音を聞きながらひとり道を歩くのはワンピースに身を包んだ茶髪のショートヘアをした快活そうな雰囲気の女の子。
 彼女の名前は田尻未来。中学三年生の学生だ。容赦ない日差しに一旦足を止め、肩に掛けているトートバックから汗拭き用のミニタオルを取り出すと額に浮かぶ汗を拭っていく。
 夏休みの宿題で読書感想文があり、今日は隣町の図書館で本を探すために電車に乗ってやってきたのだ。目的の場所は駅から少し離れた場所で今は向かっている途中。
 帽子を被ってくればよかったと内心少し後悔しながらも歩みを再開させた未来。図書館に行けば冷房が利いているだろうし、館内に小さいながらもカフェが併設されているのでそこで休むのもいいだろう。
 すると視界の先にちょうど目に入ったものに未来の表情は険しいものへと変わる。裏地が黒、表が白い日傘を差し、清楚感に満ちたロングの白ワンピースに身を包む女性の横顔。
 女性の平均身長から考えるとかなり高い背の彼女の前には二人組の若い男。自然と聞こえるその内容は女性を誘っているものだった。
 駅から離れているので人は少ないながらも未来以外にサラリーマン風の男だったり、周囲に大人の存在が数人いるが自分には関係ないと、面倒事には関わりたくないと女性を助けようとする人物は皆無。
 それは仕方のないことだと理解はできるが、明らかに女性が迷惑そうにしているのを見てあまり気持ちのいいものではないのは確か。
 正義感が強い未来は助けてあげたいという思いが湧き上がるがどうやって場に割って入ればいいのか。自然な形で女性を男たちから引き離すには? 考えていると、誰かから聞いたとある方法を思い出し、すぐに実行することに。
 すたすたと真っ直ぐに、途中から小走りになって女性へと近づく。わざと大きな声で「お姉ちゃん!」と声をかけ、何事だとナンパ男含む周囲の視線を集中させながら未来は女性の細いながらも自分より大きな手を握る。
「こんなところにいた! 父さんと母さんが待ってるよ、行こう!」
 女性の返答も聞かずに未来は手を引いてずんずんと早歩きで男たちから離れる。
 未来が思い出したのはこうだ。自分の家族と周囲に認識させ、また、近くに親がいることを男に知らせて離れる。
 さすがに親がそばにいて深追いしてくる男はいないだろうし、今回初めて実践したものの成功したようだ。
 しばらくは無心で進み続け、男たちも追ってきていない様子なので未来は立ち止まると振り返る。
 そして、時が止まった。
 日傘が作る日陰の下でも輝きを忘れない一本いっぽんが輝く銀色の糸は背中まで伸びており、肌は外国の人かと思ってしまうほどに白く、冬の寒空をそのまま閉じ込めたようなふたつの煌めきは未来を虜にして離さない。
 顔のパーツはそれぞれ完璧な位置にあり、レースの装飾が施された白の長袖のワンピースは体のラインが目立たない作りになっていた。
 また、服から伸びるレースが喉仏を隠しており、気品も感じられる。どこかのお嬢様のようだ。
 身長も高いので未来は少し見上げる形になる。涼やかな印象の目元により強く年上のお姉さんというイメージが強まった未来は一瞬口にしようとしていた言葉を忘れかけたが、気を取り直して緊張した面持ちで口を開く。
「えっと、いきなりすみませんでした! お姉さんがあの人たちに絡まれていて困ってるように見えたので……。あの、もし迷惑に思ったのならごめんない」
 両手を己の膝の前で組み、ぺこりと軽く頭を下げた。
「…………」
(ど、どうしよう……本当は助けが要らなかったパターン? 沈黙が怖い……うぅ……)
 女性は助かったとも、迷惑だったとも言わずに無言のまま。張り詰めた空気感に顔を上げられずにいると、こつり、と靴音がしたと思ったら優しく漂う涼やかで清潔な香り。
 女性は未来になにか告げることなく彼女の横を通り過ぎ、歩き出したのだ。とりあえずは嫌な空気が霧散したため、未来は溜めていた息を大きく吐き出すと脱力した。
 彼女がなにを感じたのかは分からないものの、助けたこと自体に後悔はなかった。自己満足と言われればそれまでだが。
 きっとこの先の人生でも自然と人助けをしてしまうのだろうな、と想像に難しくないくらいには、未来はお人好しだった。それこそ幼馴染である蒼人が心配するほど。
(……さてと! 私もそろそろ図書館に行かないと)
 気を取り直して図書館へと向かうために歩き出す。すると前方には白い女性が歩いており、まあここは一本道だから当然だよね。と、楽観的に考えながら硬いアスファルトを踏みながら進む。
 だが未来の行きたい方向に女性は曲がっていき、その次も未来の目的の場所を曲がる。なので未来は必然的に女性のあとに続く形になるのだが。
「わ……っ!?」
「…………」
 こう何度も同じ道を行くと女性が不審がったのか、曲がり角で待ち構えていたのだ。未来からすれば曲がった先にクール系美女が佇み、こちらを見下ろしてくるのだから心臓に悪い。情けない声を出しながら硬直してしまう。
(あ! もしかしなくても後をつけていると思われている!?)
 全く関わりのない人間ならばまだしも、ふたりの間には一方的に助けた・助けられたという関係がある。
 なにも言わずに去った女性を追いかけてなにか悪いことをしようとしていると思われているのかもしれないという思考に陥った未来は、若干の混乱状態にあわあわとしながらも両手を“違うんです!”と訴えるように左右に激しく振り、女性にアピールする。自分は無害です! と。
「わ、私っ、図書館に行きたいんです! あの、もしかしてお姉さんもですか!?」
 日傘の下、ハイライトのないじっとりとした青星に見つめられ、緊張なのかドキドキと胸の高鳴りが止まらない未来に対して女性は一泊置いたのち、ひとつ頷く。
「な、なら一緒に行きませんか……?」
「…………」
 目的は一緒なのだ。また追いかける形になっても、と思った未来は思い切って声をかけてみる。若さゆえの勢いだ。
 ぎこちないながらも、にこやかな笑顔に努めて提案してみれば女性は未来を見つめたまま数回瞬きをすると、くるりと踵を返して歩き出す。
 振り返る際に見えた表情は無。だが拒否の反応はなかったため、付いてきてもいい──否。“好きにしろ”と暗に告げていると感じられた。
 都合のいい解釈なのは理解しているが、未来はどんどん先に行ってしまう美女を慌てて追いかける。
 隣に並んで歩くふたり。謎の女性の方が身長が高いのでその分歩幅も大きく、未来は常に早歩き状態になるが置いてかれないように一生懸命足を動かす。そんな彼女の額には真夏の太陽と軽度の運動というのも相まって、汗の粒が浮き始めた。
「えと、私、隣町に住む田尻未来って言います」
「…………」
 まずは自己紹介から。互いに名乗れば少しは警戒心も解けるだろうと考えてだが、女性はちらりと横目に見るだけで無言のまま。こちらを用心して喋らないのか、もともと寡黙な人なのか。
 いきなり知らない少女に話しかけられて懐疑心があるならばまず図書館への同行を拒否するだろうし、そうしなかったので警戒して喋らないという線は薄い。
 ならば沈黙を愛する人。あまりにもそれに対する愛が深いとは思うが。
 未来はどちらかといえば沈黙は苦手である。なので自然と取り留めのない話が口から出て、それに対する女性からの反応はないために独り言のようになって空に消えていく。
 読書感想文を書くための本を探しに来たこと、読書よりも剣道に打ち込むタイプなのでどんな本をテーマに書こうか悩んでいるなど自分のことを話すが、初対面の人間に話せる話題はとても少ない。
 そして彼女からの相槌すらないのだ。必然的に話すことがなくなり、未来は閉口するしかなかった。
(うぅ……気まずい。なにも喋ってくれないし……。変な誤解は解けてると思うけど、あのままお姉さんの後ろを追いかけるのもなんだか嫌だったし……勢いで一緒に行きませんか? って言って、なぜかお姉さんも拒絶しなかった手前引き下がるわけにもいかなかった結果がこれだよ〜! 自業自得だけどぉ……!)
 赤信号の横断歩道。並んで止まった未来はちらりと隣の女性を盗み見れば、彼女もこちらを見ていたために目線が交差する。
 透明感のある冷たい空色の瞳に見つめられると認識した瞬間に全身に熱と緊張が走るのを自覚した未来は慌てて正面を向く。
 この町は未来が住んでいるところに比べて色々充実しているので都会寄りではあるが、それでもこんな絶世の美女がいるのが酷く不釣り合いに思える。
 東京でモデルの仕事をしていると言われたら首を何度も縦に振り納得してしまうほどの美貌。長身痩躯の手足は当然未来よりも長い。きっとどんな服でも完璧に着こなすだろう。
 今まで接した人たちの中にはいなかったタイプの美少女とも、美女とも呼べる見た目の女性に小娘である未来が意識するなという方が無理だ。
(なんかいい匂いもするし……! 香水かな? ふんわり香る感じで)
 夏にぴったりの涼しげな香り。爽やかな幽香ゆうこうは優しく漂い、未来の鼻腔をくすぐっていく。
(そういえば、なんとなく不破君に似ているような気も……)
 クラスメイトであり、不良である不破大黒。蒼人と織部の間に起きたトラブルの原因になった人物。彼に対してマイナスなイメージしかないが、性格はともかく顔だけは織部と並んで整っており、女子たちからの人気も高くファンクラブまであるほど。
 そんな彼も今、隣にいる人物と同じ銀髪に青い瞳を持っていた。田舎にはなかなかいない容姿。もしかしたら彼となんらかの関係がある人だったりする?
 たとえば家族──お姉さんだったり、親戚の誰か。そんなことを考えているとすでに信号が青に変わり女性が先に歩いているのを見て、未来も慌てて横断歩道を渡り切るのだった。

   ***

「ふぅ。ようやく涼める〜!」
 大きな建物の前で未来は火照った顔を手で仰ぎながら息をつく。
 雑談をしながら──女は終始無言のままだが、未来の話を遮ったりせずに歩き続けてようやく着いた目的地。
 この図書館は内部にこぢんまりながらもカフェが併設されており、大人のゆったりとした空間が広がっている。読書後の一服としてそこで休む人も多かった。
 本自体も充実しているので読書感想文の本探しにはぴったり。本が多すぎるゆえに探すのが難しいという一面もあるが。
 早く冷房の利いた中に入ろう。未来はひとり軽く頷くと隣に立つ女性に向かい合い、再び青と茶が重なった。
「お姉さん、ありがとうございました。いきなり変なことを言ったのに同行を許してくれて」
 綺麗という言葉が酷く陳腐に思えるほどの美貌を前にして照れ隠しのはにかみでお礼を言って頭を下げれば、女性は涼しげな瞳をほんのり細めると行ってしまった。
 最初から最後まで不思議な人だった。無言だったけれど怒っているというわけでもなかった様子。
(……さてと。私も本を探さないと)
 図書館の中へ消えていく長身を見送れば蝉たちの鳴き声がさらに夏の暑さを煽る。アスファルトが太陽の光を反射し、忘れかけていた汗がどっと額に浮かび流れる感覚に冷を求めて、足が自然と屋内へと向かう──。