グリーンフラッシュに願いを

 ジータは空の世界とは異なる世界の記憶を数多く持つ。全ての始まりである世界では彼女は夫であるルシファー、彼のつくった人工生命体であるベリアルと一緒に暮らしていた。しかし。
 運命は残酷である。三人は望まぬ別離をし、ジータは絶望の波に飲まれながら自らの手で人生を終わらせたが、彼女が次に目覚めると元の世界とは違う様相の世界で別人として生きていた。
 ──輪廻転生。一定の年齢までは自分が“ジータ”ということは忘れて生活をしているが、記憶を取り戻すことでようやく“ジータ”としての人生が幕を開ける。
 前世の記憶を保持しての転生にジータはやがてこれはルシファーたちを取り戻す旅なのだと思うようになり、今まで経験してきた様々な知識を役に立てながら家族を探すというのを繰り返してきた。
 そしてついに、この空の世界で最悪の再会をすることになる。ジータはあの日失ったものを取り戻すために、仲間たちの未来のためにルシファーやベリアルと戦い、その果てにかつての家族を取り戻し、ようやく自分自身の幸せのために生きることを選べるようになった。
 ──堕天司との争乱から幾ばくの月日が流れ、季節は夏真っ盛り。もはや定番になっていたアウギュステでのバカンスはいつもと少し違っていて。
「一ヶ月ほど休暇を取ってはいかがでしょう」
 ルシオの提言にジータの事情を知る他の団員たちも同意し、団は長期の休みに入ることにしたのだ。
 ジータはシェロカルテが用意してくれたコテージにてルシファーとベリアルと過ごすことになり、毎日のように夏のアウギュステを満喫していた。
 ルシファーは前世と同じように夏が苦手なのであまり気乗りしないようだったが、それでもジータの我儘に付き合ってやるという気持ちはあるのか、渋々ながらも行動をともにしてはいた。
 そんなある日の早朝。未だ陽が昇らぬ薄暗い時間にジータはタンクトップにハーフパンツ、緩く羽織られたカーディガンというラフな姿でひとり砂浜を歩いていた。
 波が引いては押し寄せる音、サンダルが砂を踏む音を聞きながら歩いていれば、
「こんなところでなにをしている」
「ルシファー?」
 背後から音も気配もなく声をかけてきたのはジータにとっての最愛。なんの感情も宿らぬ声に振り向けば、白のパーカーに膝までの丈があるボトム姿のルシファーが。上着は普段は当然の如くしっかりとチャックが上げられているが、今は上げられておらず。血色が悪いながらも完璧な肉体が見えている。
 その首には縫合の痕がくっきりとあり、それは彼の体が本来は違う人物のものと示す証拠。ジータはその痕を見る度にどこまでも自分の幸せは他人の犠牲の上に成り立っているのだと思い知るのだ。
「もしかして心配で来てくれたの?」
 小首を傾げながら聞くも、彼は無視してジータの隣に立つ。その視線の先には白み始めた水平線。ジータも倣うように顔をそちらに向けながら、ぽつりと話し出す。
「ルシオから聞いたんだ。この海では陽の出と陽の入りの瞬間、ごくまれに太陽が緑色に輝くんだって。それを見れた人は幸運が訪れ、願いが叶うって。早く目が覚めちゃったし、見れるかな〜と思って来たんだ」
「あの男と話すなと何度言えば分かる。他の団員と会話をすることは認めてやるがあいつだけは許さん。極めて不愉快だ」
 ルシオは不思議なことにルシファー・ルシフェルと顔がそっくり過ぎるほどに似ている──よりかも同じ顔なのだが、世界には同じ顔をした人が三人はいるという話でジータは納得していた。たとえその背景事情を知ったとしても、彼女にとっての唯一はルシファーなのには変わりないからだ。
 彼との出会いは不可思議で時に超常の力を発揮することもあるが頼りになる仲間のひとり。それ以上でも、それ以下でもない。
 嫉妬してくれるのは嬉しいが、もっと信用してくれてもいいのにと思わざるを得ない。
「団長なんだからそういうわけにいかないって……。あ、」
 陽が昇りつつある刹那、ジータの視界に緑閃光が広がる。ごくまれ、とルシオは言っていたので見れない前提で来ていたが、まさか見れるなんて。
 ──それを見た者には幸運が訪れ、願い事が叶う。
(願い、か……)
「グリーンフラッシュ。天候と空気の条件、さらには太陽光の屈折と散乱が噛み合った際に起こる光学現象。それを幸運だの、願いが叶うだの……なぜ説明がつく現象に不確定要素を結びつけたがるのか」
「はは……あなたらしい意見だね」
「幸福も、願いも、他人から与えられるものではない。自らの力で叶え、得るものだ。あんなもので願いが叶うなら、すでにこの世界は終末を迎えている」
 徐々に昇る太陽の光を受けながらルシファーは淡々と口にし、研究者らしい彼の意見にロマンスもなにもないとジータは困ったように笑うが、幸福や願いは自分の力で、という意見には賛成だった。
 何度神という姿なき存在に願ったか。ルシファーとベリアルに会いたいと。だが神の存在を信じている間はそれを叶えてはくれなかった。
 神を信じないジータは神無きこの世界で、自分の力で大切な者たちを取り戻し、幸福を得たのだ。
「……お前は、なにか願ったのか」
「ん〜? ヒヒイロカネが欲しいでしょ〜。あ、金剛晶も!」
「物欲の塊か」
「あはは! 色々と入用だからね〜。でも、それ以上に……願い、っていうか決意なんだけど……」
「言いたいことがあるならはっきり言え」
「──あなたと、一緒にいたい。これから先もずっと」
 ルシファーと向き合い、ジータは彼の手を取りながら優しい微笑みを向ける。始まりの時代には彼への愛情をあまり言葉にして伝えられずにいたジータだが、当時の悔恨から、そして豊富すぎる人生経験から今ではストレートに愛を告げるようになった。
 あのとき──ルシファーとともに次元の狭間に吸い込まれることを選んだジータだが、空とは異なる次元ということでルリアとの生命のリンクが機能せず、瀕死の状態にまで追い込まれた。
 しかしそれを良しとしないルシファーがルリアとの回線に無理やり割り込み、ほとんどを奪う形で今は彼によってジータは生かされていた。
 なのでルシファー、もしくはジータ自身の身になにか起こるか、彼がリンクを切断するまでは生きていられる。彼とのリンクが人の寿命の枠を超えて機能するかまでは不明ながらも、とりあえずは一緒の時間を歩める。その間だけでも共にありたい。
「なんだ。そんなことか」
「へ?」
「今すぐにとはいかんが、お前をいずれは星晶獣にする。……俺から逃げられると思うなよ」
 星晶獣という概念を造り出した星の天才が言うのだから言葉の重みが段違い。
 元人間の星晶獣にはジータも何度か関わったことがあるが、彼の言葉からしてより完成された存在を目指しているような気がしてならない。
 それなのにジータの中に湧くのは嬉しいという気持ち。星晶獣は基本不滅の存在。ある意味不死として旅をし続け、その苦しみを身をもって知りながらも彼の言葉に喜びを感じるなんて。
 独りだったならば周りの大切な人を見送りながら永遠を生き続けるのはつらいことだが、彼となら。
 ジータは静かに笑むと握っていた手を放してルシファーの頬を包み、背伸びをするとそっと……口付けた。
 体温の低い彼に唇から熱が奪われていくようだ。だがそれさえも愛おしい。自らの熱を分け与えているようで。
「……ルシファーも、私から逃げられると思わないでね。何度終末を齎そうとしても必ず阻止して、あなたが嫌だって言っても一緒にいるんだから!」
 姿勢を元に戻すと挑戦的な笑みを浮かべて、改めての決意表明。終末を諦めていない彼はきっとこの先も行動を起こすだろう。その度に阻止して、一緒にいることをジータは誓う。ベリアルもびっくりの年数の執着を甘く見ないでもらいたい。
 きょとん顔をして静止しているルシファーを置いてジータは帰るために歩き出す。バカンスは始まったばかり。失われた時間を取り戻すように、彼女の中には今日一日のしたいことが浮かんでは予定に組み込まれていく。
 今日も、アウギュステでの思い出作りが始まる──。