巧緻で狡知な人形

「おい、起きろ。特異点」
「う〜ん……むにゃ」
「とーくーいーてーんー? いいのかい? ワタシの前で無防備に寝ていて……」
「……っ、ん? ん……? べり、ありゅ……?」
「やっと起きたか」
「ベリアルがいる……? なんだ、夢──え!? ベリアル!?」
 鬱蒼とした森の中。木漏れ日を受けながら地面に倒れるのは二人の女。一人は闇を想像させる色をしたファーを纏う黒衣の女で名前はベリアル。触り心地のよさそうなダークチョコレートの短い髪を逆立て、中性的な顔だけを見れば男性なのか女性なのか分からないが、服を押し上げている豊満な果実が彼女が女性であることを示している。
 その胸を枕代わりにしている蒼い髪の少女を起こせば、寝ぼけまなことベリアルのルビーの瞳が重なる。
 ここにいるはずのない人物が目の前にいるということに特異点と呼ばれた少女は夢と思い、顔を伏せかけたが、一気に覚醒したようで顔を上げた。
「な、なんであなたが……!? 次元の狭間に吸い込まれたはずでしょう……!? それにどこ、ここ……」
 少女──ジータは上半身を起こして辺りを見渡すも、ここがどこなのか皆目検討がつかない。そもそも自分は自室で眠っていたはず。
 やはりここは夢の世界なのか。いわゆる明晰夢。夢と自覚しながら見ている夢。
「なっ、なに……!?」
 考えに耽っていると、体が縦方向に揺れた。急な揺れにベリアルに意識を向ければ、彼女はジータの剥き出しの太ももに手を置き、腰を突き上げる動作をしていた。
 だがジータは性的な知識に疎いため、ベリアルがなにをしているのか全く理解できず、困惑の眼差しを向けたまま。体を揺らしてなにが楽しいのか。言葉にせずともその顔が物語っている。
「いや? いきなりキミが騎乗位してくるものだから溜まっているのかと思って。それにしても……少し大人びたか? 少女というより一人の女。キミがサンディを女にしたように、キミもサンディに女にしてもらったのかい?」
 知識のないジータもさすがにベリアルの言葉でソッチの意味だと分かり、一瞬で頬が茹だる。慌ててベリアルの体から下りると立ち上がり、こちらに向かって伸ばされた手を見て逡巡すると、ため息とともにベリアルを引っ張り起こした。
 ジータの正面に立つ狡知の堕天司はなにかを考え込むように顎に手を置き、じっとりと、まるで視姦するような視線をジータへと向ける。その目にジータはまたため息をつきたくなるのを我慢し、しっかりと彼女と向き合う。
 本来はブラウンであるはずの瞳は、髪と同じく大空を思わせる蒼色をしていた。
「なあ……ワタシはどのくらい次元の狭間にいたんだ」
「五年くらいかな。って、これは私の夢なのに変なの……」
「五年か……。芽吹き始めの十五の少女も色香が漂い始める女性になるのも頷ける。本当に人間はあっという間に年を取るんだな」
 ベリアルが余りにもしみじみと言うものだから、ジータは調子を狂わされる。本来の彼女との関係を振り返れば今頃は刃を交えていてもおかしくはないのに。
 これも夢だからか。
「……さて」
 ジータを堪能し終えたのか、ベリアルは六枚羽を広げた。他の天司はその名前にふさわしい見た目の羽をしているが、ベリアルは逆だった。まるで悪魔のように黒く、巨大な羽を広げると、飛び立とうとする。
 が、ジータが反射的に抱きついたため、空へと舞おうとする体は止まった。それでも少しずつ上昇は続いている。
「ちょっと! どこに行くつもり!?」
「どこってファーさんを探しに行くんだよ。きっと彼女も脱出しているはずさ」
「これは夢のはずなのに……!」
「さっきから現実逃避をしているようだがこれは紛れもない現実さ。間違っても夢なんかじゃあない」
「夢じゃ、ない……? ──ッ!? げほっ! げほっ! ガ、ぁ、あぁ゛ァァ゛ぁ゛ァッ!!」
 ベリアルから夢を否定されると刃で貫かれたように心臓が痛みを訴え、あまりの苦痛にジータはベリアルから離れ、腹部からせり上がる衝動を吐き出せば赤黒い血が地面を汚した。
 次いでジータを襲うのは全身の激痛と灼熱。今までの戦いで攻撃を受けた際の痛みの記憶が体中を駆け巡り、かつてヒドラに負わされた致命傷や戦闘での傷がジータの白い肌に次々と現れ、この世の地獄を凝縮したような痛みに顔を歪ませながら倒れ伏す。
 この感覚は知っていた。ルリアが幽世に引きずり込まれ、離別してしまったとき。あのときはここまでの状態にはならなかったが、意識したことで分かったのはルリアとの命のリンクが切れていること。
 離れ過ぎているなど、そういうレベルではない。ルリアの存在自体がこの世界にないような──。
「ぁ……」
 真っ赤に染まり、急激に閉ざされていく世界で最後に見えたのは、地面に足をつく堕天司の靴だった。

   ***

 例えば、真っ暗な深海に差す一筋の光に導かれるようにジータの意識は少しずつ覚醒していく。
 重たい目蓋を持ち上げれば目に入る木製の天井。体を受け止めるマットレスの感触に自分がベッドに寝かされているのだとなんとなくジータは理解した。
 やっぱりあれは夢だったんだ。それにしても嫌な夢だったと唇の隙間から息を吐き出せば、横から聞き慣れた声。
「やっと起きたか。調子はどうだい? 特異点」
「ベリアル……」
 首を動かして声のした方を向けば、長い脚を組んで椅子に座るベリアルと目が合った。そばにあるテーブルにはティーカップとポットも。
 これは夢の続きだろうか。いいや。いい加減認めよう。ルリアがいないこの空は現実のもので、理由は分からないがベリアルと二人きり。そして、自分は彼女に助けられたのだと。
「しかし驚いたな。キミと蒼の少女がソウルメイトなのは知っていたが、離れただけであんなふうになるとは」
「……違うよ」
「うん?」
「あなたは知らないと思うけど、一度ルリアが幽世の世界に落ちてしまったことがあるの。そのときも体に異変が起きたけど、ここまでじゃなかった。それに……この空には“ルリア”という存在自体が感じられない……」
「まるで異世界に来てしまったような?」
 ベリアルの言葉にジータは小さく頷く。
「……あながち間違いじゃない。ワタシも妙な感じがしてキミが寝ている間に情報を集めたが、色々面白いことが分かったぞ」
「面白いこと?」
「この世界は特に大きな異変もなく平和。──そう、サンディによる災厄も起きていない。それならば過去に来てしまっただけと思うが、問題はここから」
 言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡ぐベリアルからジータは目を離せない。嫌な予感がひしひしと感じられ、ドクドクと心臓の音が聞こえ、焦燥感がジータの精神を蝕む。
「この世界にもグランサイファーは飛んでいる。蒼の少女や赤き竜を始めとするお馴染みの仲間も存在する。が、その中心にいるのは“グラン”という名前の男の子だそうだ」
「グラン……」
 その名前にどこか親近感が湧くものの、それ以上に喪失感があった。まるでこの世界は自分の世界の写し鏡だが、ここにはジータという名前の存在はない。ジータであった場所にはグランという男の子。この空の下でジータという名前の人間を知る者はベリアルだけ。
 半身であるルリアもこの世界ではグランの片割れだろう。
 ぽっかりと、胸に空虚な穴が空いた気がした。
「そうだ……私、なんで生きてるの? ルリアとのリンクは切れているはずなのに」
「あぁ、それ? ワタシとリンクさせたのさ。ふかぁいところまでね」
「……どうして。私はあなたやルシファーの前に立ち塞がった敵でしょう? あのまま見捨てても……」
「あんな簡単に死なれたらつまらない。知らない仲じゃないんだ。ちょっとしたサービスさ」
「……ありがとう。ベリアル」
 その本心がどこにあるのか分からないが、ジータは素直に感謝の気持ちを伝えた。まさかベリアルに命を繋げてもらう日が来るなんて思いもしなかったが、ジータにとって異世界であるこの空の下で訳も分からず死ぬのは彼女も望まない。
「はぁ……これからのことを考えないとね」
 倦怠感の残る体を起こし、窓の向こうを見る。外は明るく、聞こえてくる街の声は賑やかで昼頃なのだろうとジータは推測した。
「この世界の特異点に接触するのはどうだい?」
「……やめとく」
「異世界の特異点同士、なにが起こるか分からないから?」
「ううん。そんな理由じゃないの。ただ……心の準備ができてないから」
 世界の進化を加速する特別な存在、特異点。接触すれば元の世界に帰る方法も見つけやすくなるかもしれないが、まだ心の準備ができていなかった。ジータのことを知らない仲間たちを見て、はいそうですかと受け入れられるわけがない。
「まだまだナイーブなお年頃ってヤツか」
「ベリアルだって自分のことを知らないルシファーに会ったら……少しは思うところ、あるでしょう」
 寂しそうに俯くジータにベリアルがからかうような言葉を投げかける。常に人を小馬鹿にする態度にはもう慣れっこのはずなのだが、今回は少しだけむっ、としたジータはすかさず反論する。が、ベリアルの余裕の表情は崩せない。
「別に。ワタシの救世主メシアは元の世界のファーさんであって、この世界のファーさんじゃないからな」
「へぇ……ルシファーなら関係ないと思ってた」
「おいおい、こう見えてワタシは本命には一途なんだぜ?」
 ルシファーを愛しているベリアルだから、“ルシファー”という存在ならば……と思っていたジータだが、呆気なく否定された。
 こうも簡単になにも感じないと言われるとこの世界に存在するかもしれないルシファーに会わせてみたいという気持ちが湧くが、もしこの世界がジータの世界と同じ道を辿っているのならば、ルシファーの肉体はすでに失われている。
 そして首はベリアルが持ち、ルシファーを復活させるためにルシフェルの隙を伺っている。
 ルシファーの復活が意味するのはルシフェルの死。
 ジータの脳裏に浮かぶのは少々捻くれてはいるが、本当は優しい女性の姿。己の役割がないことに懊悩し、空の世界に災厄を齎した彼女。
 この世界のサンダルフォンのことをジータは知らないが、悲しむ姿はできれば見たくない。
「……ベリアル。元の世界に戻るまで、あなたとは協力関係ってことでいいんだよね?」
 青星の瞳で赤星を見つめ、腕を伸ばす。ベリアルは自身に向かって伸ばされた手を見て軽く口の端を上げると立ち上がり、歩み寄るとその手をしっかりと握った。
「オーケイ。しばしの休戦といこうじゃないか。そのままワタシに堕ちてくれれば元の世界に帰った後もラクだしな」
「心配しなくても絶対にあなたには堕ちないから!」
 こうしてジータとベリアル、敵同士であった者たちの奇妙な生活が幕を開けた。

   ***

 異世界での生活が始まったのはいいが、旅にはお金が必要である。ベリアルは星晶獣なので食事や睡眠も要らないが、ジータは人間。色々と入用だ。
 路銀はジータがシェロカルテから仕事を斡旋してもらったり、訪れた島での困りごとを解決することによって確保していた。
 違う世界なので当たり前だが、シェロカルテはジータのことを知らなかった。それでも高難易度な魔物討伐などの仕事を軽々とこなしてしまう姿は強烈に印象に残り、今では元の世界と同じくらいに親しい関係になっていた。
 また、ベリアルはジータが仕事をしている間に情報収集を担っていたが、これだ! という決定的な情報は未だ得られず。
 移動は騎空艇を持っていないのでベリアルの六枚羽に頼り、二人は各地を転々としていた。そんなある日のこと。
「なあ特異点。姦淫しないか」
 シェロカルテに紹介してもらった仕事を終え、時間も時間なので一人で食事を済ませてこの島での拠点として利用している宿にジータが帰ってくる頃には、もう夜の帳が下りていた。
 そんな彼女を迎えた第一声に、ジータは言葉を失ってしまう。
「……帰ってきて早々なんなの……」
 なにを言われているのか理解できないように瞬きを数回繰り返すジータに、少しでも宿代を浮かそうと彼女が選んだダブルベッドに脚を組んで座っているベリアルは悩ましげにため息をつくが、芝居じみたものでジータは胡乱げな目を向けるばかり。
「こうも手詰まりじゃあ気が滅入るってものだ。だから気分転換にキミとセックスでもしようかと」
「…………」
 いつものジータならば反射的に拒否するだろうが、今の彼女は恥ずかしそうに目を泳がせ、片腕で胸を抱えるようにして反対側の腕を掴んでいた。その頬は薄く紅潮している。
「キミに拒否権はない。分かってるだろう? キミの生殺与奪の権利を握っているのはワタシだ」
「…………」
「特異点?」
「ご、ごめんなさい。いつかは言われると思っていたけど、やっぱりそのときが来ると、その……。わ、私、お風呂入ってくる!」
 無言を拒絶と受け取ったベリアルが追い打ちをかけるも、ジータはなにも言わない。どうも様子がおかしいことにあだ名を呼べば、ジータは真っ赤になって一気にまくし立てると脱兎の如く脱衣所へと逃げ込み、勢いよく閉められた扉の音が部屋に溶け込み消えていく。
 年齢的に大人になったといっても少女らしいところが色濃く残っており、ベリアルは元の世界では絶対に見れないであろうジータの姿にどこか嬉しそうに笑みを深めると、大人としてウブな少女の準備が整うまで待ってやることに。
 ──数十分後。控えめな音と一緒に出てきたジータは真っ白なバスタオル一枚という姿だった。羞恥心を抱え、モジモジしながらベッドに上ると、伺うようにベリアルを見上げる。
 あまりの処女っぷりに歓喜の笑い声を上げたいところだが、それは内心に留めたベリアルは脚を引き上げ、清潔なシーツに包まれたベッドの上で蒼海色の少女と向かい合う。向けられる熱視線は潤み、今にも零れてしまいそうだ。
 いくらジータが成長しても仲間たちは性的なことから彼女を遠ざけていたのだろう。行為自体は知っていても、どうやってするのか、どんなふうに感じるのかとジータにとっては性行為は未知の体験。
 秘める戦闘能力はベリアルに近いか、超えているというのに肉食動物を前に怯える草食動物のようなジータを見て、ベリアルの征服欲が高まっていく。
「そんなに怯えなくても取って食ったりはしないさ」
「だ、だって本当にこういうこと、したことないの。だから……優しくして、ほしい……」
 目の前の人物は本当にあの特異点なのか。疑ってしまうほどにしおらしい彼女にベリアルの情動が突き動かされる。あまりにも可愛らしくて、優しくしてやりたいという気持ちが自然と沸き立つ。
 ジータにとって息をするのと同じように性を貪ってきたベリアルであるが、ここまで興奮はしたことがなかった。世界の中心である特異点のハジメテという貴重なモノを自分が散らせるからか。
 はたまた、仲間たちと一緒だったとはいえ、アバターの破壊衝動を取り込んだ己や堕天司の女王であるルシファーを打ち破った相手を好き勝手にできるからか。
「あっ……」
「この程度で恥ずかしがってどうする。今からもっと恥ずかしいコトをするのに」
 体を隠すバスタオルを外し、みずみずしい肉体を露わにするもジータは腕で胸と陰部を隠してしまう。吹き出してしまいそうになるほどの生娘にベリアルは笑みを深めると、胸を隠す手をどかし、シャワーを浴びたばかりでしっとりとしている乳房の一つに触れた。
 中心は意図的に避け、柔い膨らみを感触を楽しむように揉み込む。そんなに力を入れてないというのにジータの頬はイチゴ色に染まり、なにかを我慢するようにくぐもった声が漏れ、体は面白いようにビクビクと跳ねる。
 物足りなくなり、もう片方の媚肉へと手を伸ばし、たゆんたゆんと下から持ち上げるように揺らしたり、胸を寄せて親指で乳輪を撫でたりして遊んでいると少しずつ乳頭が存在を主張してきた。
 ジータの呼吸も肩で息するようになり、煮え滾った視線は胸を弄ぶベリアルの手へと向けられている。
「キミばかり裸なのはフェアじゃないか」
 思い出したように言うと、ベリアルは大胆に胸元を晒すシャツを脱ぐ。下着類は身に着けていないので大きな胸がいきなり眼前に現れ、見せつけられたジータは驚いたように目を皿にすると慌てて視線を逃がすが、童貞のようにチラチラと見るのを繰り返す。
「っ……! や、柔らかい……!」
「ハハッ。キミの団にはキミを慕う女たちがたくさんいるだろう? それに同性ならスキンシップと称して胸を揉んだり、揉ませたりあると思うが?」
「た、確かに触れ合いが過激な人もいるけど触ったりしたことはないよ……」
 気になるのならば触ればいいのに、触れてこないジータに焦れったさを感じたベリアルは彼女の両手を取ると導いてやる。
 ベリアルの白桃に触れたジータの第一声は初めて他人の柔らかさを知った者の言葉。グランサイファーに乗る女たちの顔を思い浮かべながらベリアルが指摘すれば、ジータは否定するも、その手は揉むことに夢中になっている。呆気ないほどに簡単に肉欲に身を沈ませるジータを見て、ベリアルは当然だと魔性の笑みを浮かべた。
 この体は星晶獣の礎を築いた造物主ルシファーの寵愛を受けて生まれたモノ。彼女がこだわり抜いてデザインしたボディに魅了されるのは当たり前のことだ。
「どうだい? 特異点。こうするとリラックス効果があるんだ」
 胸に触れる片手を絡め、もう片方の手でジータの背を抱くとベリアルは密着した。腕の中の小さな体は一瞬だけこわばったが、ベリアルの言葉に合わせて弛緩していく。
 ぎゅっ、ぎゅっ、と恋人繋ぎをしている手に軽く力を込めれば、ジータからも握り返される。このまま堕ちてくれれば元の世界に戻った後も終末に向けて非常にやりやすいのだが、きっとこれは一時的なものだろう。行為を終えて明日になれば元通りの関係。
「ほんとだ……なんか安心するし、すごくスベスベで気持ちいい……」
 頬ずりしてくる様子がとても愛らしくて、ベリアルの背筋に甘い痺れが走る。女同士というのもあるとは思うが、今のジータは年上のお姉さんに甘える妹のようだった。
 原因も分からずに知らない世界へと来てしまって、自分のことを知るのは堕天司のみで命のリンクもベリアルに繋いでもらっている状態。命を握られている以上、彼女に対して強くも出られない。
 それだけでもジータにとっては相当なストレスのはずなのだが、それに加えて赤き竜や蒼の少女、グランサイファーに乗る仲間たちの中心にいるのは知らない男の子。
 彼らに会いたくないと告げ、未だに会おうとしないジータの心境は星晶獣であるベリアルも理解はできた。共感はできないが。
「特異点」
「ぁ……ぅ、ん……」
 自身の性欲を満たすために始めた行為ではあるが、弱音を吐くこともせずに頑張り続けるジータにご褒美としてその蓄積されたストレスを解放してやろうと、ベリアルは動き出す。
 愛しい人を呼ぶように優しく声をかければ、目の奥に確かな熱を宿す青の宝石がベリアルの顔を映す。背中に回していた腕を逃げないようにと後頭部へ伸ばし、顔を近づけると性熱により甘く蕩けた瞳が閉じられていく。手を握る力も強くなり、ジータからベリアルを求めていた。
 重なる唇。抵抗なく開かれた隙間から舌を差し込み、愛撫しながら口内を余すところなく味わう。
 リップ音と唾液の混ざり合う音に、なにもかもが初めてであるジータのかんばせに嬌羞きょうしゅうの色が浮かぶ。
 普段とは違う甘い接吻。本当は物足りないはずなのに、無性に欲しくなるとベリアルは何度も角度を変え、喰らい尽くす勢いでジータを捕食していく。
 呼吸もままならないジータの目尻には涙が浮かび、頬を伝うが、ベリアルはやめない。自らの体液を流し込み、一生懸命に飲み込むジータの姿を見届けると、ようやく顔を離す。
 やっと解放されたジータは苦しさからベリアルに倒れ込み、足りない酸素を補おうと深い呼吸を繰り返している。
 その頭をぽんぽんと撫でつつ、ベリアルは透明なつゆで濡れた唇を舐め、ジータごとベッドに倒れ込む。最初は不安の色を宿していた目も、今では次はなにをしてくれるのかという期待に色づいていた。
 その期待に応えるように軽く口づけたベリアルは舌先を出したままジータの肌をなぞり、下がっていく。顎を通って首筋へ、胸元に濡れた唇で吸いつけば、組み敷いている体が震える。
 それを皮切りにちゅ、ちゅっ、と強めに吸えば、ジータの白い肌に赤い花が散る。それはまるで所有の証。
「んっ、ん……! ベリアル、痛いよ……。それにこの赤いのなに……?」
「キスマーク。キミがワタシのモノっていう印。キミだって自分の持ち物には名前を書いたりするだろう? それと同じさ」
 揶揄するように言えば、気に障ったのか責めるような表情をするジータだが、赤い先端をベリアルの整った細指がこねるように触れれば、すぐにそれは崩れる。
「あっ、あっ、ぁ……! なんかっ、ビリビリするっ……!」
 悶えるジータに気分をよくしたベリアルは残りの乳頭を食べ、乳輪ごと吸い上げる。強い吸引にたまらずジータはベリアルの頭を抱きしめ、甘い声で啼いた。
 ぷっくりと硬くなった先端を甘噛みし、痛みを与えた後は癒やすように舌で撫でると、それが気持ちいいのかもっとしてほしいと言うようにベリアルを抱く力が強まる。
 けれどそれを無視してベリアルはジータの下半身へと移動していく。程よく肉が付いている太ももに唇を寄せながら見つめる先には男も女も知らない濡れ花。
 濡れやすい体質なのか、愛蜜は恥裂から溢れ、卑猥に光っている。キスをしたり肌を舐めながら陰部へと近づくと、頭上から期待がこもった吐息が聞こえた。このまま願い通りに秘処を責めてもいいのだが、もう少し焦らし、反応を見たいと思ったベリアルはジータが望むところには触れずにギリギリの場所を唇で触れる。
 鼠径部のラインを舌で舐め上げ、恥丘をペロペロと舐め回して唾液まみれにしていく。ジータの脚に触れている手から彼女の体が小刻みに振動していることが伝わり、決定的な快楽ではないにしろ、感じていることが伺えた。
「ねえ……ベリアルお願い、いじわるしないで……」
「ならオネダリしてみて。ワタシにどうされたい?」
「ぅ……。……わ、私のアソコ……をっ、触って……!」
「アソコってどこ? もっと具体的に」
「うぅ〜……! わ、私のココを……ベリアルお願いだからぁっ……これ以上は本当に……!」
 ベリアルが望むような卑猥な言葉はまだジータにはハードルが高かったようだ。ベリアルの手を取り、触れてほしい場所に持っていくだけで精一杯。ついには泣き出してしまう始末。
 近い将来全空最強と呼ばれるようになってもおかしくはない力を秘める人間だというのに、今はただの女──いや、少女だった。
 ベリアルのコアが力強く反応を示す。まるで人間の心臓のように脈打ち、熱を孕む。それは淫らな熱となって広がり、ベリアルの性欲を煽る。
「分かった分かった。泣くなよ特異点」
 誰もが羨む美しい手を伸ばし、爪の形が整った繊細な指で涙を拭うと髪を撫でてなだめすかす。するとジータは泣きやみ、濡れた双眸で股の間にいるベリアルを凝視した。
 合図するようにベリアルは目を細めると、舐めやすいようにジータの両脚を開いて膝を立てさせる。そしてようやくジータの望む場所へと顔を近づけた。
 熱くてつるりとした内緒のところ。その持ち主さえもこうして見ることはまずない。今まで色んな女のココを見てきたベリアルだが、最初に思ったのは“綺麗”という感想だった。
 女性器は個人差があり、実に様々な形がある中でジータのは左右対称でふっくらとしており、色も初々しさを感じさせるサーモンピンク。
 年齢的には大人の仲間入りをしているジータだが、肉体は未だ幼さを残している。桜色の花びらを見て、余計にそう思う。
 次いで感じたのは“優越感”。ジータの団に所属する団員の一部には団長である彼女を恋愛の意味で好いている者たちがいる。それは男女問わず。
 いつしか時が満ちたら想いを告げて、もしかしたら恋仲になれて、やがて愛し合うことを夢想する者たち。その者たちの知らぬところで少女のカラダを大人へと導いてやるのだ。どうしたって悦を感じてしまう。この雰囲気をブチ壊してもいいのならば、おかしくて、哀れで、腹を抱えて大笑いしているところだ。
 ジータ本人もそこまで嫌がっていないのがまた唆るというもの。命を握られているから、命を助けてもらったという理由から受け入れているにしても想像より拒否していない。
 女相手だからあまり抵抗がない、というのもあるかもしれないが、今ではジータ自身この行為を楽しんでいる節が見られる。ついさっきまであった恐怖はベリアルが優しく触れるからかだいぶ薄まり、今は女同士のセックスがどういうものなのか興味津々──という様子。
「ベリアル……?」
「ん? あぁ、悪い。キミのココがあまりにもキレイだから見惚れてしまったよ」
「そ、そうなの……? でも恥ずかしいからあんまり見ないで……」
 動こうとしないことにジータが名前を呼べば、ベリアルは我に返った。恥ずかしそうに頬を染めるジータに笑みをこぼしながら視線は再び性愛器官へ。初めてにしてはしとどに濡れたソコを見て、ジータが感じやすい体質なのだと知る。
「自信を持っていいんだぜ? これは嘘じゃない。それに滴る愛液は──」
 割れ目から溢れ出る果汁はとても美味しそうで。誘われるがままに秘裂に口を寄せ、目を閉じながら味わう。閉じられた目は豊かなまつ毛に縁取られ、美の女神のよう。
「ひゃぁ……!? ベリアルっ、それつよいぃ……! ふぁ、あぁ、ぁっ!」
 泉のように際限なく湧く愛蜜を啜れば味など他の女と同じはずなのに、もっと欲しいとベリアルは音を立てて吸い上げた。あまりの刺激にジータは腰が引けてしまうが、逃げる体をがっちりと引き寄せ、太ももを抱えるように腕を回す。そうすればもうジータは逃げられない。蜘蛛の糸に絡めとられた蝶のように。
 口周りをジータの吐淫でベタベタにしながらベリアルは夢中で水密桃を口にしていく。内部に舌を挿入し、襞を一つ一つなぞるように舐め、引き抜くとそのまま小さな花弁を左右になぶり、溝に溜まっていた淫水を舐め取る。
 ひぃひぃと悲鳴を上げながらやめてとジータが言うけれど、ベリアルには届いていない。引き剥がそうと頭部に手を伸ばされるが、逆にもっととねだるように押し付ける形になってしまっている。
 ジータの嬌声をBGMにベリアルは滾々と湧き出る甘い汁を体内に収めていき、最後には膨らんだ陰核へと吸いついた。
「ひぎっ!? ひぅぅっ! あっあッアぁぁァアっ!」
 淫らな声を発しながらジータは全身を愛愛しく顫動せんどうさせると本人の意思とは関係なく脚の内側に力が入り、ベリアルを太ももで挟んでしまう。
 それがまたジータに求められているように思え、もっとその声を聞きたいとベリアルを駆り立てる。
「特異点がこんなにも淫乱だったとは。キミのとこの団員に見せて夜のオカズを提供してあげたいくらいだよ。大好きな団長が乱れ狂う姿にソロプレイも大いに盛り上がるだろうさ」
「やっ、やだぁ……! やめてっ、お願いだからそんなこと言わないでっ……!」
 上体を起こしたベリアルの言葉にジータは小さな子供のようにイヤイヤと首を振って懇願する。この世界にはジータの仲間だった者たちも存在するが、その誰もが彼女のことを知らない。それなのに未だに団長という仮面を付け続けるジータに対してその仮面を剥がしたい衝動にベリアルは駆られる。
 涙を滲ませるジータを見下ろしながらベリアルはボトムを下ろし、ジータと同じ姿になった。ジータに余裕があればベリアルの体にうっとりとするのだろうが、今の彼女にそんなゆとりはない。
「なあ特異点──いや、“ジータ”。この世界ではキミは特異点ではあるが、団長じゃない。キミが団長と知るのはワタシだけ。ワタシの前では一人の女になっていいんだぜ?」
 極めて優しく言葉にし、ベリアルはジータを抱き起こすと脚を伸ばしてベッドに座る自分の膝に座らせた。
 ベリアルから見て背を向ける形で座らせたジータの体に腕を絡ませ、肌の触れ合いを楽しむ。ジータはベリアルの肌をスベスベで気持ちがいいと言ったが、ジータの肌も体温が高く、汗でしっとりとしており、香り立つ女の匂いにそのまま酔ってしまいたくなる。
「団長っていうのを……忘れて、いいの?」
「ああ。もちろん。キミの全てをワタシに見せてくれ。……心配しなくても元の世界に帰った後に口外なんてしないさ。これでも口は堅い方なんだ」
「あっ、ン……! そこ、はっ……! ああっ……!」
 ベリアルの右手が先ほど愛したばかりの場所に伸び、その中心の小さな穴にぷちゅり、と中指を入れた。内部は粘液に満たされており、軽く掻き混ぜるだけで指に露が絡みつき、クチュクチャと独特の音を鳴らす。
「ふふ。頑張り屋で甘えることをしないキミ。己を厳しく律するのもいいがたまには甘えてもいいんだぜ? 団員相手にはできないだろうが、ワタシは団員じゃない。その強固な心を少しほどいて、身を委ねてごらん。大丈夫。受け止めてあげるから」
 残りの手でジータを抱きしめ、耳に囁く。すると自分の力で体勢を保つのをやめたジータの体が少しずつベリアルに委ねられていく。
 ここが異世界ではなくて、団長として日々を生きるジータだったならば、ベリアルの甘言になど惑わされることはなかっただろう。しかし、ここは知っているようで知らない世界。慣れない環境に精神的疲れもあった。
 少しだけなら、とでも思ったのだろう。ほんの少し委ねるだけなら大丈夫。いつでも戻ってこられると。その少しが堕落の始まりになることが多いのだが、ジータが知る由もなく。
「そう……いい子。いい子にはご褒美をあげないとね……」
「んぅっ! や、耳に舌いれちゃ……あんっ! ダメッ、こんな、おっぱいもアソコも弄られちゃ、私っ……!」
 舌で耳を、手で張り詰めた尖りを、膣に入ったままの指で一気に責めれば口では駄目だと言いながらも嬌声が溢れ、体も愛おしく震える。
 達したばかりで鋭敏になっている肉体はいとも容易くジータを絶頂の坩堝へと叩き込み、その魂を奈落へと引きずり込む。
「おかひくっ、こんなのおかひくなっちゃうよぉぉ! ンぁっ、あっ! もうっ……! ああッ! あっ──」
 極度の快楽に呂律も回らなくなり、果てたジータをギュッと抱きしめたベリアルはそのまま唇を塞いだ。ジータも夢見心地でベリアルを受け入れ、舌同士で戯れながら流れるようにベッドへと倒れ込む。
 未だ終わりの見えない愛し合い。肉欲のままに求め合い、果ててはまた求めるの繰り返し。その情事にようやく終わりを告げたのはジータの体力が尽きたことだった。
 あらゆる体液で濡れ、シャワーで身を清めたいところだが、二人とも酷く億劫なのか互いに抱きしめて寝転んだまま。
 胸に顔を寄せているジータの髪をベリアルが指先で弄っていると、不意に出たのはあくびだった。
「ベリアル、もしかして眠いの……?」
 おずおずと顔を上げたジータの目は驚きに縁取られている。
「眠い? ワタシが?」
 眠いの? と聞かれてベリアルはあざ笑う。二千年も不眠で稼働し続けていられるのに、眠いだなんて。だがジータはめげずに言葉を続ける。
「元の世界では気配を消すために二千年ものあいだ気を張り続けていたんでしょう? ……ここは私たちの世界と似ているけど、違う世界。だから……眠ってみたら?」
「この世界にも四大天司やルシフェル、そしてワタシが存在している可能性が高い。もし気配を察知して天司たちがやってきたら、キミはどうするつもり?」
「きっと話せば分かってくれるよ。それにもし戦いになっても大丈夫。──私があなたを守るよ」
 それに、もしあなたの身になにか起きたら困るのは私だしね。とジータは付け加えると小さく笑った。
 まるで愛の告白のように伝えてくるものだから、本当はからかってやりたいのに、ベリアルはなにも言えずにいた。
 気配を消すのはベリアルにとってもう当たり前になっていた。今更それをやめて、寝てみたら? と促してくるのだから恐れ入る。だが、ここは彼女の言うように、そして自分がジータに言ったように別世界。気を張る理由もない。
 なにより、仮に見つかって戦闘になっても、ジータはベリアルを守り通せる力があった。
「原初獣であるワタシを守るなんて言う人間はキミくらいだよホント。……まあでも、一日くらいならいいかもしれないな」
「うん。おやすみなさい、ベリアル」
 ルシファーが生きていた頃、睡眠をとっていたときの記憶を頼りにコアの出力を最小限にし、目蓋を閉じてゆっくりと意識を落としていく。少しずつ意識が薄まっていく中であやすように背中を撫でる手の感触がどこか心地よく思ったのを最後に、ベリアルは二千年ぶりの眠りに身を任せた。

   ***

「ジータさ〜ん! 頼まれていた物が完成しましたよ〜!」
「本当ですか!? ありがとうございます、シェロさん!」
 賑やかな市場。行き交う人々の流れに沿ってジータが訪れたのはよろず屋だった。そこの主人であるシェロカルテはジータが店を訪れるとおっとりした口調で告げ、店員であるドラフの男に頼んで奥から大きな棺を運んできた。
 壁に立てかけられた棺は百八十センチを超え、艶やかな黒一色で特に模様もなく、シンプルな仕上がり。背負って運べるように裏側には棺と同じ黒色の革ベルトがつけられていた。
 これはジータがシェロカルテになんとか用意できないかと相談した物だった。足りない分のお金はシェロカルテから紹介された仕事をやることで補うからと、戦闘にも耐えられる頑丈さ、内部のクッション性、中身の盗難防止としてジータにしか開けられないような持ち運び可能な棺を用意できないかと。
 シェロカルテにとって難しい相談だったのは間違いないが、話をするジータが酷く悩んでいたのを見て依頼を受けたのだった。そしてようやく完成したのだ。
 ジータとしては出来上がるまでこの島に長い間滞在することになると思っていたが、想像より早く完成し、これでまた旅を再開できると逸る気持ちが抑えられない様子。
「ご要望通り、背負って持ち運べるようにベルトも付けてありますが……こんなにも大きな棺に一体なにを入れるんですか〜? まさか人なんてことはないとは思いますが〜」
「──人形、ですかね」
「人形?」
巧緻こうちな人形を貰ったんです。……大切な物だから大事にしまっておきたい気持ちはあるんですけど私より大きなビスクドールだから運ぶのも難しくて。でも旅をやめるわけにもいかなくて……。それでシェロさんに相談したんです」
「そうなんですね〜。ジータさんがそこまで大切にしている人形を一度は見てみたいものですが……。大事な人形が傷つかないよう、中は柔らかく、外はヒヒイロカネを使って頑丈にしたので大きな衝撃にも十分に耐えられると思います〜」
 ジータは一つの嘘をついた。ジータの世界では狡知を司るベリアルと初めて会ったとき、彼女が羽をすり替えたことを指摘したりとシェロカルテは鋭い人物。
 もしかしたら違和感を感じているかもしれないと思ったが、シェロカルテは普段通りのにっこり商人スマイルを崩すことなく、棺について説明をする。その中で超がつくほどの貴重品であるヒヒイロカネを使っているとサラリと言われ、ジータは一瞬気を失いそうになった。
「ヒヒイロカネ……!? たしかにお金はかかってもいいから材料はいい物をってお願いしましたけど、あんな貴重な物……!」
「ジータさんはお得意様ですし、とっても難しいお仕事も必ずやり遂げてくださるのでこちらとしても本当に助かってるんです〜。ですので、日頃の感謝を込めさせていただきました」
「これは……ますます頑張らないとですね。あはは……」
「留め具の方も希望通り特殊な加工を施しているのでジータさんの魔力に反応してしか開けられません。こちらもとぉ〜っても頑丈に作られているので無理やりこじ開けられることはないと思います〜」
「す、すごい……! 私の希望が全部叶ってる……!」
 さすが凄腕の商人だと改めてシェロカルテの有能さを目の当たりにしたジータは興奮が収まらない。早く宿に帰ってこの棺を使いたい。逸る気持ちのまま、ジータはルピを支払い、足りない分は仕事の成功報酬から引いてほしいと告げて今日は宿に戻ることにした。
 空箱といってもかなりの重さがある棺。だがジータは両腕にベルトを通すとひょい、と棺を背負う。空箱でこの重さなら中身を入れた状態でも片方の肩で背負って大丈夫そうだ。
 シェロカルテと別れ、ジータは来た道を戻っていく。女性が一見重そうな棺を背負って歩く姿は街の人々の目を引くが、ジータは気にせずに自分とベリアルが泊まっている宿へと向かい、部屋に戻ってきた。
 ダブルベッドの片側にはベリアルが仰向けに眠っており、起きる気配はない。ジータはベリアルの隣に棺を下ろすと、蓋を開けた。中は上質なレッドベルベットでできており、軽く触れてみればクッション性も十分。さっそく眠り姫を抱き上げて棺に収めれば、サイズ感もちょうどよさそうだ。
 蓋をしてまずは両肩で背負ってみれば、予想通りの重さ。背負う肩を片方にしてみてもさして問題はない。
 棺をベッドに戻し、大きく動かしても起きないベリアルを見れば、本当に人形のように思えてくるのだから不思議だ。
「気持ちよさそうに寝ちゃって……。ルシファーの夢でも見てるのかな」
 ベリアルを棺からベッドへと下ろすと、ジータはそのまま脇に座り、彼女の頬を撫でる。思い出すのは、最後にベリアルと言葉を交した夜だった。
 二千年ぶりの眠りを経験したベリアルはその後も自然と眠気がくるようになり、定期的に眠っていた。最初は一日だったのが、二日、三日と少しずつ長くなるようにも。
 今まで不眠不休で稼働していた影響か、このまま眠って起きないんじゃ……とジータが思うようになった矢先のことだった。ベリアルが起きなくなってしまったのは。
 この島にやって来て数日後の夜。もう当たり前になってしまった情交のあと、二人でベッドに寝転んでいるときにベリアルが眠そうにあくびをしたのを見て、ジータはなにを思ったのか自分の胸にベリアルを引き寄せた。
 子供を寝かしつける母親のように一定のリズムでベリアルの背中を優しく叩く。ベリアルも悪い気はしないのか、されるがままだった。
「ねえベリアル。寝物語にたぶんあなたが知らないルシファーの話をしてあげよっか?」
「ワタシが知らないファーさんの……? へえ、面白い。ぜひとも聞かせてもらいたいねぇ」
 ルシファーの話題と分かるとベリアルは顔を上げ、ジータを見上げる。その眼窩がんかに嵌まる二つのオルディネシュタインのギラつきに、ジータはベリアルがルシファーに向ける感情の大きさを思う。この世には様々な言葉があるが、断言しよう。既知の言葉では捉えることはできないと。
「エテメンアンキでルシファーと戦ったとき──彼女、あなたのことを褒めてたんだよ? 狡知の審美眼に経年劣化はなかったか。って」
「ファーさんがそんなことを……」
「嬉しそうだね?」
「彼女は褒めるということを基本しないからね。なあ、もっと他にないのか?」
 ベリアルがいない場でルシファーが口にした言葉を伝えれば、ベリアルの目はこれでもかというくらいに開かれ、満足そうに閉じると軽く笑む。
 初めて見るベリアルの表情にまるで親に褒められて喜ぶ子供のようだとジータは思った。ルリアがつけているノートに最低最悪な不埒者と書かれてしまうほどの女なのに、なんて無垢な顔をするのだと。
 もっととねだるベリアルにジータは回顧すると、脳裏に浮かぶのは天国の門で見たワンシーン。あの幻影の中にはベリアルは出てこなかったので、もしかしたら彼女はルシファーとルシフェルのやり取りを知らないかもしれない。
「あとは……そうね。カナンに向かう途中、天国の門で見た過去の幻影……ルシファーがルシフェルさんに粛清されたときの場面。彼女、自分が殺されるっていうのに微笑んでた」
「……それは自らの最高傑作であり、被造物であるルシフェルだったからだろう。彼女が微笑んでたのは知ってるさ。ファーさんの首が転がっているのを見つけたのはワタシだからな。……特異点。持ち上げてから落とすのがそんなに楽しいか?」
 鋭い目つきと一緒に表層へと現れる殺意。肌を突き刺すナイフにベリアルにとってどれだけルシファーの話題がデリケートなものなのかを思い知る。そしてルシフェルへの負の感情も。
 だがジータは動じることなく、逆になだめるようにベリアルのふわふわな髪に顔をうずめると口づけを落とし、よしよしと撫でる。ジータの腕の中でじっ、としているベリアルはなんだか小さな子供みたいだ。
「もう……ルシファーのことになると本当に過敏なんだから。怒らないで話を聞いて。あのね、そのときルシファーはこう言っていたの」

『無駄、だ……。私の研究を知る者が必ず……』

「──遺産は……引き継がれる……」
「……ファーさん……」
 ジータの背を抱くベリアルの力が強くなる。それがなんだか母親に縋るようにも思えて、ジータは胸が苦しくなる。
 きっと元の世界に帰ればこの関係も終わり。ならばせめて今だけは彼女に寄り添ってあげたい。優しく包み込んであげたい。
 ベリアルから向けられていた刃は、すでに霧散していた。
「ねえベリアル。私はルシファーじゃないからその言葉の真意は分からない。でも……あなたのことを言ってたんじゃないかなって。自分が死んでもあなたが意志を継いでくれると思ったから、最後に笑った……」
「…………」
「……ルシファーに会いたいよね。その気持ちすごく分かるよ。今すぐは無理だけど、せめて夢の中で逢えますように」
 突然置いていかれ、やっと再会できたらと思ったら今度はベリアルが置いていく側になってしまった。ジータ自身も幼いころ父親に置いていかれ、彼に会うために星の島を目指していた。
 ベリアルと比べれば大切な人と離ればなれになった期間は天と地ほどの差があるが、分かるのだ。そのつらさが。
 鼻の奥がツン、とし、目頭が熱くなる。泣きそうになっているのを知られたくなくてジータはベリアルを深く抱きしめると、胸に抱えている頭部を慈しむように撫でながら目を閉じた。
「おやすみなさいベリアル。い夢を」
 ──そして、ベリアルは起きることをやめた。
 最近は連日眠り続けることが多かったので最初は問題視していなかったが、それが一週間も続くとこれから先のことを考えなければ、という気持ちにジータをさせた。
 二千年も起きたままだったのだ。寝かせてやりたいが、旅をするにはこのままというわけにはいかない。そこでシェロカルテに相談し、ベリアルを入れて運べる棺ができたというわけだ。これならば彼女を寝かせたまま旅をすることが可能。
「そろそろ潮時なのかもね……」
 今まで島の移動はベリアルの羽に頼っていた。それが使えず、今後どうするかと考えをジータは巡らせる。
 様々な方法が浮かぶが、やはり一番はグランサイファーに乗ること。風の噂ではこの世界の特異点も父親に会うためにイスタルシアを目指していると聞いた。その旅路や星の島で元の世界に帰る手がかりが得られるかもしれない。
 自分のためにも、ベリアルのためにももう躊躇ってはいられないし、充分心構えもできた。今ならきっと大丈夫。自分ことを知らないルリアたちに会っても心を強く保てる。
「さて、と。シェロさんにグランサイファーと連絡を取ってもらって……無事に艇に乗れればいいけど」
 立ち上がり、窓から空を眺める。遠くには蒼海を泳ぐ艇たちの小さな姿が見え、彼女の騎空士としての血が騒ぐ。
 ──あぁ……こんなにも、空が恋しい。

   ***

「ジータさんってどんな人なんでしょう! 会うのが楽しみです!」
 一年通して温暖な気候の島。人で溢れ、活気に満ちた市場を歩く蒼い髪の少女ルリアは、ワクワクとした様子で隣を歩く少年に話しかけた。
 青いパーカーに胸当てを着けているこの少年の名前はグラン。十五歳ながらも大きな団を率いている団長だ。彼もルリアと同じだと頷く。
 すると彼らの後ろをふわふわと飛びながらついてくる赤い竜、ビィが唸りながら疑問を口にした。
「でもよぉ、よろず屋の話だとソイツすっげー奴らしいじゃねーか。なんでそんな奴がオイラたちに会いたがるんだ? なぁ、グラン」
「シェロさんには“ジータさんという人がグランさんに直接会って話がしたいそうなんです〜”としか言われてないからね……」
「蒼い髪と目の女の人……。噂では聞いたことがありますけど、本当にどんな人なんでしょうか……」
 今回グランたちがこの島を訪れた理由はジータという女性が会って話がしたいとシェロカルテを通して伝えてきたからだ。
 ジータのことはシェロカルテに聞いた話や人の噂で知っているくらいだが、その内容だけでこちらが緊張してしまうものだった。
 噂ではヒドラを軽々と倒してしまった、病気で苦しむ村を医術で救った、果ては星晶獣と一人で戦って勝利を収めた……など、噂がひとり歩きしている感も否めない。が、難易度が高く、なかなか引き受けてもらえない仕事も必ずやり遂げてくれるとシェロカルテからの評判はすこぶるよかった。
 ビィの言う通り、なぜそんな人が自分に会いたいと言っているのかグランは心当たりが全くなくて悩んでしまう。いい評判しか聞かないのと、シェロカルテの知り合いということで悪い人ではないとは思うが、ジータに会うためによろず屋へと向かう面持ちは硬い。
「あっ! あの棺! あれがジータさんじゃ……!」
 ルリアの視線の先には背負っている関係で二メートルを超えそうな高さの黒い棺。シェロカルテから聞いたジータの見た目の特徴は蒼い髪と目の他に大きな黒い棺。
 グランは確信する。あの人がジータだと。
 グランたちに背を向ける形でよろず屋の前に立っているジータはルリアの声に呼応するようにその場で振り返る。
 太陽の光を受けて光る蒼い髪と瞳は見ていると吸い込まれてしまいそうな感覚に陥り、グランはハッとして我に返ると軽く会釈をしてジータのもとへと向かった。
「あなたが僕に会いたいっていう……?」
 聞けば、ジータはにっこりと温和な笑みを浮かべて頷く。噂通りの優しい人でグランの表情から緊張の色は薄れていった。
「ええ。私の名前はジータ。元の世界に帰る方法を探して旅をしているんだけど……あなた、イスタルシアを目指しているんでしょう? その旅の途中で見つけられるかもしれないし、星の島だったらなにかしらあると思って。だから私をあなたの艇に乗せてほしいの」
「元の世界って、ジータさんは違う世界から来たってことですか……!?」
 驚愕の声を上げるルリアに対してジータは一瞬だけ憂いを帯びた目をしたが、すぐに元の表情に戻ると頷いた。
「原因は分からないけど、目覚めたらこの世界にいたの。色々調べてみたけどなかなか情報が得られなくて。だからシェロさんを通じて連絡をとったの。……お願い。私をグランサイファーに乗せて」
 一行を見つめるブルースピネルからは真剣さが伝わってくる。ジータが異世界の人間というのには驚いたが、それ以上に突然知らない世界に来てしまい、ずっと一人でいた彼女の心情を想像したグランの中に出た答えは一つだけ。
 旅の中で元の世界に帰る方法が見つかればいい。それにジータのように強い人が仲間に加わってくれれば心強い。しかし。
「事情は分かりました。でも僕たちは帝国に追われている身。それでもいいんですか……?」
「──ええ。それでも構わない」
 確実に大変な旅になる。それでもジータは力強く頷いた。どこまでも澄み渡った青空の決意は固い。
 こうして新たな仲間を得たグランたち。宿にジータの荷物を取りに行き、グランサイファーに戻るその道すがら。
 ジータの横を歩くルリアが棺を見つめながら誰もが抱く疑問を言葉にした。その声音は純粋な興味一色。他の者が抱くような悪意は感じられない。
「その棺の中ってなにが入っているんですか?」
「気になる?」
「はわわ……もしかして人が……?」
 意味深な笑みにルリアが怯えの表情を見せると、ジータはどこか懐かしむような、そして愛しい者でも見るような眼差しを向けると人好きのする笑みを浮かべ、ルリアを安心させるように優しく語りかけた。
「人の姿はしているけど“ヒト”じゃない。この中身は巧緻で狡知な人形──ってところかな」
「コウチでコウチ……?」
「ふふっ。いずれ分かるよ。──きっとね」
「……?」
 謎が多い黒棺の旅人ジータを仲間に加えてグラン一行は島を発つ。
 彼女との旅が一体どんなものになるのか、そして彼女の秘密を知る日がくるのか。
 グランはこれからの旅路を思い、新たな仲間と一緒に空の果てを目指すのだった──。

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