彼と彼女の攻防戦

「織部君、なんのつもり?」
「…………」
 放課後の学校。剣道部終わりの未来はひとり帰ろうと校庭に出たところで遠くに織部の後ろ姿を見つけ、疲れているときに絡まれたくないので迂回路を回ることにしたのだが、なんと彼はそれをお見通しと言わんばかりに待ち伏せをしており、校舎の外、ひと気のない日陰の場所にて建物の壁に閉じ込められている──いわゆる壁ドン状態に未来は陥っていた。
 彼女の小さな顔の両側には織部の手がそれぞれ壁につけられており、彼の端正な顔の眼窩がんかに輝くふたつの紅玉がじぃっと未来の顔を見下ろしている。
 一般女子ならば織部のこの行為に顔を真っ赤にして喜ぶだろうが、未来は違う。確かに最近は彼のことを妙に意識してしまうことが多いが、いきなりこんなことをされたら反射的な怒りが湧き上がる。
 柳眉を逆立てて睨みつけるも、もともと体格のいい織部からすれば子猫ちゃんの威嚇に過ぎない。さらには普段の小馬鹿にするような態度でもないので未来の頭の中に警報が鳴り響く。これはやばい。
「私、帰りたいの。だからどいて……ッ! ふンッ……! ぐぐっ……! 動かないっ……!?」
 目の前にある織部の胸を両手で思い切り押すも、びくともしない。目を閉じて奥歯に力を入れてもう一度押してみるも、やはり結果は同じ。
 竹刀という武器を使って織部を成敗した未来ではあるが、丸腰の状態では織部には敵わない。彼女自身分かっていたこと──そもそも未だに竹刀を使ったとはいえ本気の織部に勝ったことが信じられないが、クラスの男子の中でも上から数えた方が早いくらいに織部の体は大人。小柄な自分が腕力で勝てるわけがない。
 頼りの竹刀は竹刀袋に入って肩にかけられている状態。身動きがまともに取れない今は竹刀を取り出すことは不可能。
 かといってこのまま流れに身を任せてしまったらなにをされるか分かったものではない。こうなったら……! と片足を織部の股間目掛けて振り上げようとしたとき、未来の動きを素早く察知した織部の片手が太ももを押さえた。
「金的ね。合理的な判断だよ。未来ちゃんからのそういうプレイもいいケド今は駄目」
「悪い冗談はやめて! これ以上するなら叫ぶから!」
「オレは別にいいぜ? 駆け付けたギャラリーたちにオレたちの関係を見せつけてやろうか」
「ッ……!」
 顔を近づけて妖しく囁く織部は全く怯む気配がなく、いよいよ未来も追い詰められる。助けを呼んでも駄目、体を押しても動かない、男の弱点を蹴り上げる攻撃も防がれた。
 きっとここで折れて彼の要望を聞いてやればすぐに解放されるだろうと未来は考えるが、負けたような気がしてなんだか癪である。ならばここは最後のあがきをしようと数秒後に襲ってくる痛みを覚悟すると頭を後ろに素早く振り、勢いをつけるとそのまま織部の鼻目掛けて頭突きを繰り出した。
「ふんっ!」
「うぐっ!?」
 ごっ! と固い音が鳴り、さすがの織部も超至近距離での攻撃に対応し切れなかったのと、鼻への強烈な一撃に後退せざるを得ない。織部の腕から解放された未来は素早く距離を取り、肩にかけたままの鞄の持ち手を握りしめるとこの場を離れるために駆ける、が。
「いっ……てぇ……」
 背後からのうめき声に思わず立ち止まって振り返る。織部は鼻を抑えながら前屈みになっており、相当痛いのだと見て分かる。ほんの少しだけ未来の中に罪悪感が芽生えるが、これは織部君の自業自得だと己に言い聞かせた。そもそもの話、彼が壁ドンなどしなければよかったのだ。
「っ……これに懲りたらもうしないでよね!」
 あなたなんて大嫌い!
 された行為への罵倒にはぴったりの言葉は一瞬だけ浮かんだが、すぐに霧散して代わりに出てきた言葉はどこか甘さが残る。
 一方的に言うと未来は足早に校庭方面へと向かい、この場には織部だけが残った。彼は顔の半分を手で隠しながら未来の背中を見つめ、見えなくなると手を外す。大きな手によって見えなかった口元には笑みが浮かんでおり、彼の歪んだ欲望を示していた。
(未来ちゃんが逃げるのが見えたから、からかってやろうと先回りして待ってたけどそこでも逃げようとしたから衝動に任せてついヤッちまったが……。竹刀を持っていない彼女はただの女の子で……一生懸命オレの胸を押すけど、どかすことなんてできなくて。あの未来ちゃんの無力な姿……。はぁ、駄目だ。興奮が収まらない)
 壁ドン行為の少し前を振り返る。外を歩いているとふと、未来の気配がして後ろを向けば彼女はあからさまに嫌な顔をして踵を返した。迂回して帰るのだとすぐに分かり、ちょっとだけからかいたくなって先回りして待ち伏せをした。
 そうすれば織部の想像通り未来がやってきて、そのときの彼女の驚いた顔と再び違う道を行こうと背中を見せたことに意地悪をしたくなり、壁へと追い詰めて閉じ込めた。
 執着している女が自分の腕の中にいる。怒って抵抗するも彼女の頼りの竹刀は袋の中。取り出すこともできない。
 胸を思い切り押されたときは未来に胸を触られているということで少し達しそうになったし、全力で押してくる彼女の顔は今夜のオカズに決定だ。
 金的も本当は受けてみたいところだったが、なにもかもを封じて絶望の表情をするかどうか見たいという好奇心が勝ったため、あえて封じた。そうしたら彼女は最後に自分も痛い思いをするというのに頭突きを喰らわせてきた。
 その思い切りのよさとゼロ距離に等しいということで避けることはできなかった──今思えばむしろ回避行動をわざしなかったのかもしれない。
 最後の最後で未来は逃げてしまったが、それでも彼女の新しい一面を見ることができたし、織部的には満足のいく結果となった。
「ってて……。それにしても容赦なく思い切りヤるんだもんなぁ〜。少しは手加減しろよな……」
 鼻をさすりながらボヤくと、織部もこの場を去っていく。彼と彼女の攻防戦もまだまだ続きそうだ。

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