第三章 起首
「──だからジータさんならどうにかしてくれるかも、と思って」
「確かにあなたの言い分も分かる。私たち、受験生だもんね」
「ベリアル先生じゃいくら注意しても聞かないし、正直頼りないし……。頼めるのがジータさんしかいなくて」
放課後の生徒会室。唯一の出入り口である小窓付きの引き戸の前は現在ホワイトボードで目隠しをされており、廊下を通りかかった人から中が見えないようになっている。
教室ほど広くはない空間の真ん中には凹型になるように折りたたみの長テーブルが設置されており、それぞれにパイプ椅子がセットされている。
部屋の窓側の席に座り、ジータはクラスメイトの大人しいグループに属する女子ひとりと一対一で話を聞いていた。その内容はベリアルの授業を妨害する不良たちにジータから注意してほしいという内容。ジータも相談者と同じ生徒という括りなのだが生徒会長という立場上、そして彼女の親しみやすさゆえに相談事を受けることも多かった。
二年生ならばまだしも、自分たちはもう三年生。次なるステップに向けて受験する人が多い。少しでも集中して授業を受けたいという悩みは大いに理解ができる。本来ならば教師であるベリアルがしっかりと不良たちに注意しなければいけないのだが、彼はすっかり舐められているので不良たちも聞く耳を持たない。
また、ベリアル自身の気の弱さからして強く注意できない。他の先生も不良たちを怖がっていたり、面倒に思っているのでアテにならない。
今まではジータも大人であるベリアルが対処するべきことだと思っていたので静観していたが、そろそろ自分も声を上げるべきなのかもしれないとは思っていたし、こういった悩みをいつかは受けるだろうとは想像していたので相談者に対して首を縦に振る。
「分かった。やってみるよ」
「ありがとう! ジータさん!」
果たして自分が言ったところで不良三人組が改めるのかは不明だが、それでも他の人が迷惑をしているということを伝えることは必要だ。今度彼女たちを見つけたら言おう。
相談者はジータの快諾に嬉しさを隠し切れないのか明るくお礼を言うと、ペコリと頭を下げて生徒会室を出ていく。ジータは微笑みながらしばらく扉を見つめると、軽く息を吐いてパイプ椅子の背もたれに体を預けた。
(先生がしっかりしないから……。今頃、なにしてるんだろ)
ベリアルから距離を取るようになって一ヶ月が過ぎようとしていた。わざとベリアルに近づかないようにして困っている彼を見ないようにしていたのだ。見てしまうと体が勝手に動いてしまうから。それでも完全に彼と距離を取ることは難しく、手を差し伸べてしまうこともあるが前と違って深入りはしないようにしていた。
最初の内は周りの生徒はジータの変わりようにどうしたの? と聞いてくることが多かったが来年には自分がいなくなることを話せば、察した生徒たちはなにも言わなくなった。今ではその質問をする生徒もほぼいない。一度聞けばジータの気持ちが理解できるからだ。いつまでも一緒にはいられない。いつまでも助けることなんてできないのだから。
(先生の方も特に変わった様子はないし、私が素っ気ない態度をしても気にならないのかな……。はぁ、最近は先生のことばっかり考えちゃって。自分で決めたことなのにずるずると未練がましく引きずっちゃう)
木目調の折りたたみテーブルの一点を見つめて思い悩む。こんな思いをしてまで本当に離れる必要があったのか。いいや、自分のためにも先生離れをしなければならない。そして──彼のためにも。
思考の迷路に惑うジータを引き戻したのは控えめなノック。「どうぞ」と返事をすればホワイトボードの陰からひょっこりと顔を出すのは澄み渡った空のように蒼い髪と目を持つ小柄な女の子、ルリアだ。
「ジータっ、一緒に帰りませんか?」
親友である彼女の登場に先ほどまでの暗い顔は霧散し、ジータは花のような笑みを浮かべながら立ち上がる。
「ルリア! 入って、入って!」
「えへへ……。そろそろ終わったのかな? と思って来ちゃいました。それでお話はどうでしたか? って、聞いちゃ駄目なことですね」
「実は……不良の子たちに迷惑してるからどうにかしてください、っていう相談で。ほら、もう私たち受験生だし授業に集中したいじゃない?」
「あの人たちですか……。ベリアル先生が注意してもやめてくれないですよね。私も他の子から困っているっていう話を聞きますし……」
そこまで秘密にしなければいけない話ではないとジータは判断し、ルリアに話せば彼女の表情が曇る。さらには他のクラスメイトからも困っているという声が上がってるではないか。
先生たちは頼りにならない。最後の砦が生徒会長。あの女子生徒も勇気を出して相談してくれたのだ。なんとかしたいという気持ちはあるが……。
「私が言ってどうにかなる……とは正直思えないけど、迷惑をしていることは伝えようと思ってる」
「そ、そのときは私も一緒に行きます!」
「ありがとうルリア。じゃっ、そろそろ帰ろっか」
二人して生徒会室を出て昇降口へと歩く。新しく駅前にできた喫茶店に今度行ってみようなど、女の子らしい会話に花を咲かせていると向こうの廊下からベリアルが歩いてくるのが見えた。このままではすれ違うのは必至。かといってこの道には他の教室などはないので逃げることもできない。色々考えているうちにベリアルがジータたちに気づいて軽く手を挙げた。
「今から帰るの? 気をつけてね」
「はい! ジータと一緒に帰るところなんです」
「そうなんだ。ルリアさん、ジータさん、また明日」
普段どおりの頼りない笑みを浮かべながら言うと彼は行ってしまった。教師としては普通の対応。仮に距離を取っていなかったら違和感を感じることはないが、妙に彼を意識してしまっている今だからこそなんだか素っ気なく感じてしまう。
いやいや、自分だって彼に対して同じような態度じゃないかと胸の中で自身の行いを省みるも、このモヤモヤは晴れないまま。
そんな気持ちを抱いたまま次の日。休み時間に廊下を歩いていると窓の向こうに不良たちを見つけた。中心人物の女子に取り巻きの男子ふたり。
三人で向かう先は以前タバコの吸い殻が捨てられていた場所。何回か注意はされているだろうが懲りずに吸いに行くのだろう。
ジータは彼女たちだけに接触できる機会だと近くにあった出入り口から外へと出て、彼女たちを追う。進む先は校舎の奥側で普段はあまり使われない教室が集まるエリアでひと気がない場所。禁止されていることをするにはもってこいだ。さらに近づけばうっすらとタバコの匂いも感じ始めた。これは黒だろう。
「あなたたち、未成年でしょ」
「……ちっ。なに、生徒会長が私たちになんか用?」
三人で喫煙している真っ最中に声をかければジータの存在に気づいた女子生徒が不機嫌を隠さずに顔に表し、威嚇してくる。女子に続いて男子ふたりも同じような態度になるがジータは怯まずに続ける。
「今日はあなたたちに聞いてほしいことがあるの」
「私たちが聞くと思ってんの?」
鼻で笑う女子生徒。
「ベリアル先生の授業を妨害するのはやめて。私たちはもう受験生なんだよ。勉強に集中したい子だっている」
「まーたベリアル先生かよ。好きだね、ホント」
事実だからこそ体に変な緊張が走る。いい印象のない人物に茶化され、怒りが噴き出しそうになるもここは冷静に、淡々と迷惑していることを伝えなければとジータは己に言い聞かせ、なんとか平静を装う。
「ベリアル先生だからじゃない。これが他の先生でも言うよ。それに現に私のところに注意してほしいって他の子から話があったからこうして言いに来たの。はっきり言うと──私もあなたたちには迷惑してる」
迷惑しているのは本当だ。ジータだって受験生。授業に集中したいのにできないのだ。そしてベリアルに対する嫌がらせにも密かに怒りを募らせていた。ベリアル本人が特に怒ったりせず、いつも苦笑いする程度だからこそジータもそこまで強く不良たちに出ることはなかったが……。
己と比較して対照的な存在であるジータのことが気に入らない女子生徒は彼女の主張に分かりやすく怒気の雰囲気を醸し出す。肌でぴりぴりとしたものを感じるジータだがここで弱気になるわけにはいかないと両足に力を入れた。
「あんたって本当にウッザ……! いい子ちゃん気取りもいい加減にしろよ」
顎で男子たちに指図すれば女子生徒の意を汲んだふたりがじりじりと近づいてくる。もしかしたら暴力を振るわれるかもしれない。本当は逃げたいけれどここで退いてしまったら舐められるだけ。でも怖い。
「っ……!」
「先生! こっちです! 早く来てください!!」
「チッ、行くよ!」
遠くから大人を呼ぶ女子の声が聞こえ、分が悪いと感じたのだろう。女子生徒は男子たちに声をかけるとタバコをその場に捨てて去っていく。
ひとまずピンチを乗り切ったと安堵して肩の力を抜くと背後からこちらに駆けてくる足音。振り返ればルリアが焦った様子で向かってくるではないか。
「よかったっ……! なにもされてませんか!?」
「う、うん……。さっきの、ルリアだよね? ありがとう、助かったよ」
ルリアはジータの両手をしっかりと握り、澄んだ蒼い瞳をこれでもかと見開く。普段は大人しいルリアが大きな声を出していることにジータは戸惑いながらもお礼を言う。彼女の一声がなければ今頃どうなっていたか。
「廊下を歩いてたらジータが外に出ていくのを見かけてっ、不思議に思って追いかけてみたら男の子たちがジータに近づいていたから考える前に叫んでました……! とっさの嘘でしたけど逃げていってくれてよかったです……」
襲われかけていたのはジータの方だというのにルリアは自分のことのように安堵し、手を握る力を緩める。今にも泣いてしまいそうなくらいに潤む瞳を見てジータは自分はなんて愚かなことをしたのだと反省するのと同時に友を想うその優しさに心打たれる。自分はいい親友を持ったと。
「私も一緒に言いに行きますって言ったじゃないですか。……ジータは一人でたくさん抱え込み過ぎです。もっと私を頼ってください。──親友なんですから」
真剣な双眸の尾にきらめく雫を見つけてジータの胸が痛む。ルリアには危険な目に遭わせたくなかったという思いが根底にあり、今回タイミングもよかったので一人で行ってしまった。
「ごめんねルリア。そして……ありがとう」
ルリアに握られていた手を一旦優しくほどき、改めて自分から彼女の華奢な手を握り直す。しばらくの間、互いに見つめ合っているとどちらからともなく微笑みがこぼれた。
──この一件から不良たちはベリアルの授業になると大人しくなるどころか姿そのものを出さなくなった。どこかでサボっているのだろう。しかし、彼女たちに迷惑をしていたクラスメイトはとても多かったらしく、誰も心配することはなかった。
ベリアルは担任というのもあるのか、気になったようだがそれを口にすると他の生徒から「あの子たちなんて放っておいて早く授業してください」など鋭い言葉を貰うのと、毎回のようにいないとそれが当たり前になってしまうのかやがてなにも言わなくなった。
ジータもまさか授業そのものに出席しなくなるなんて……とは思ったものの、誰の邪魔も入らずにスムーズに進む勉強の時間はとても快適。それはきっと他の生徒も同じ。
場所は変わって校舎の外、建物の陰になって目立たないところにて。新しいサボりスポットを見つけた三人組はスマホをいじったり、タバコを吸ったりとそれぞれ時間を潰していた。
建物の壁に寄りかかりながら立ち、スマホを操作していた女子生徒は思うことがあるのか端末を操作する手を止め、視線を男子たちに向けながら切り出す。
「あのさぁ……生徒会長さ、ムカつくじゃん? で、彼氏に話したらあの子に興味持っちゃって。なんか誘拐する算段つけてんだよね〜」
「お前の彼氏ってヤクザの組長とかいう……?」
「それってさすがにヤバくないか?」
男子たちは不良といっても誘拐という言葉に表情を固くする。そこを踏み越えてしまったら完全な犯罪。自分たちが手を下すことはないだろうが、こうして聞いてしまったら正直あまりいい気分ではない。
「いい子ちゃんぶってるアイツにはいい薬になるじゃない? それに今更止めたってあの人、計画を止めたりしないって」
「それは……」
「そうだろうけど……」
各々思うことはあれど、女子生徒の彼氏が自分たちよりかも遥かに上の存在で意見なんてできるはずもなく。流されるように受け入れるしかなく、嬉々として会話を続ける女子生徒の話を聞くことしか許されないのだった。
ジータが知らないところで彼女の身に暗澹とした魔の手が忍び寄る──。