驟雨の中、ふたりきり。

「すぐに止めばいいんだけど……」
 季節は梅雨。部活動が終わり、ひとり帰路についていた未来はシャッターが閉まっている店の前で雨宿りをしながら呟く。
 突然降ってきた雨はおそらく通り雨だろうが、今日は一日晴れの予報だったので折り畳みの傘を持っておらず、雨宿りできる場所を見つけるまでの間に全身を濡らしてしまっていた。
 行き交う人々もなく、一人だけの世界。汗を拭くために持っていたタオルで体を拭きながら、ざあざあと音を立てて地上へと降り注ぐ雫におもむきを感じながらも突然の雨に降られ、制服が濡れてしまったことに対して憂鬱な気分が募る。
 明日は休日なので制服を乾かす時間は十分にあるが、それでも面倒なことには変わりない。
「は~……ツイてない。って、うわ……」
 あらかた拭き終わり、タオルを鞄の中にしまったときだった。ふと顔を上げた先に映るのは赤い折り畳み傘を差しながら歩く、見た目同年代とは思えないほどに高身長のクラスメイト。
 ──織部明彦。蒼人にくだらない理由から絡み、我慢の限界に達した未来がタイマン勝負を挑み、打ち負かした果てになぜか惚れられてしまった。
 彼に対してマイナスの印象しかない未来はオレの女になれと言う織部の言葉を拒否したものの、一度執着すると織部はしつこいので、妥協案として毎日学校に来て大人しくしているなら少しは見直すかもしれないと告げれば彼は本当に言うとおりにした。
 さすがに未来よりファーさんこと不破大黒の方が優先度が高いため、彼が学校に来ているときは彼に合わせて途中で帰ったりもしていたが、彼がいない日は他の生徒と同じように最後まで授業を受け、校内で問題を起こすこともなかった。
 学校外では大人しくしているとは思えないが、そこに関しては自分の目の届かないところなので未来は目を瞑っている。
 そんな織部がこちらに向かって歩いてきており、ばっちり目が合ってしまった。未来は気まずそうに視線を斜め下へと逸らすが、視界の端で彼が近づいてきているのが分かった。
 性格は最悪だが顔だけはいい織部なので女子からの人気は高い。そんな彼に惚れられてしまっただけでも学校で余計な敵を生んでいる状態だというのに、今はそんな彼と二人きり。
 逃げ出すという選択肢もあるが、なんだか織部に屈したようで癪だ。
「やあ未来ちゃん。今日はファーさんがいないからキミと帰ろうと思って待っていたのに……。一人で先にイッちまって酷いじゃないか」
「別に織部君と帰る約束なんてしてない」
 いつかの日。ギラギラと輝く太陽から遮るようにして不破に対して差していた折り畳み傘を広げたまま、織部は未来の隣に立つ。
 妙な言い回しで話しかけてくる彼に塩対応を決めている未来だが、彼は変態なのでそれすらも喜んでいるのでどうしようもない。
 ああ、なんでこんな人に惚れられてしまったのだろうと自分の不運を嘆いていると、彼がごそごそと動いているではないか。
 一体なにをしようとしているのかと身を固くしたところで、ふわりと肩に感じる重さ。
 織部は己の制服を脱いで未来に掛けたのだ。
「女の子が身体を冷やすのは感心しないな」
「っ……!? でっ、でも織部君には関係ない……!」
「それとも、オレが直に温めてあげようか? フフ」
「気持ち悪いこと言わないで! 最悪……!」
「それと、はいコレ」
「え……」
 下品な言い方にカッとなってしまい、つい大きな声を出して自分よりも背の高い男を睨みつけると、織部は手に持っていた愛用の傘を差し出した。
 彼のする行動すべてが理解できず、戸惑い顔でフリーズしてしまう未来の空いている方の手に傘の柄を持たせると、織部は雨の世界へと踏み出す。
「待って織部君! それじゃああなたが濡れちゃうよ! それにこの傘! あなたの大事な物じゃ……!」
「キミだから貸してあげるんだよ。ちなみに今まで誰にも貸したことがない。じゃあ未来ちゃん、また来週」
「織部君……」
 降り続ける雨の中に消えていく背中を見つめることしかできない未来。やがて彼の姿は完全に見えなくなり、また一人だけの世界になったところで未来は織部の制服に袖を通した。
 男子の制服。しかも体格のいい織部の制服は小柄な未来にはブカブカ。袖もだいぶ余ってしまっている。
(いい匂いがする……)
 織部自身の香りとほんのりと混じるりんごの匂いに対して一番最初に浮かんだ感想だった。心なしかリラックス効果もあるような。
 さらには今まで織部が着ていたので温かく、まるで彼に後ろから抱きしめられているような……。
(って、なに考えてるの私……。あ……!)
 つい思考が乱れてしまい、慌てる未来だが、一息ついたところで重大なことに気づいた。制服が濡れたことで下着が透けてしまっていたのだ。
 織部に恥ずかしい姿を見られたことに羞恥心が湧き上がり、頬を染める未来だが、もしや透けていることに気づいた彼が気を利かせて上着を貸してくれたのでは……? という考えが浮かぶ。
 彼の性格的に透けていることを指摘してもおかしくはないが、あえてせずに黙って服と傘を貸してくれた。
(いやいや、都合よすぎるでしょ私……。でも結局は助けられちゃった)
 彼の真意は不明なものの、困っていたところを助けられたのは事実。
 貸してもらった物を綺麗にして返すのは当然。だけどそれだけじゃ、と思う未来は手作りのお菓子でも一緒に渡そうかなと考えながら傘を持ち直すと軒先から一歩踏み出し、水の世界を歩き出した。

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