穏やかな風が吹き抜け、乙女の髪を撫でていく。
賑やかな町の中心を少し離れた広場にて。ジータは長椅子に座りながら屋台で買ったクレープを食べていた。その隣には黒衣に身を包んだ秀麗な男が一人。彼の名前はベリアル。終末を目論む彼は人類の敵であり、ジータ率いる騎空団とは刃を交える仲であるが、今の二人の雰囲気からはそんなことがあるとは信じられないほどに楽しげだった。──主にジータが。
この島には補給に寄り、さあみんなと買い出しに行こうとしたジータだが、いつも誰かどうかと一緒にいて、いわゆる“一人の時間”というものがないからと仲間たちに言われてしまい、今日一日自由な時間をもらったのだ。
急にできた時間。仕方がないので町をぶらぶらとしていたジータだが、一人だとつまらない。特にしたいこともないし……と公園のベンチに座ってぼーっと空を眺めているところに現れたのがこの男。
そこでジータは思いつく。そうだ。ベリアルとデートをしよう。
急に登場した男の存在にジータは途端に行きたいところが浮かび、なかば無理やりベリアルを連れ回すことに。
一人で入るには勇気がいる、やたらとカップルが多いカフェや雑貨屋に詳しい彼の案内で入った店での買い物。
楽しい時間を過ごし、最後に比較的静かな場所で二人きりのひとときを堪能していた。
「──は、」
「クリームがついてたから。それにしても……ふふふっ。あなたってそんな顔もするんだ?」
食べながら談笑していると、ジータの不意打ちの行動にベリアルは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしながら瞬きを数回。
ジータがした行動。それは彼の口元に付いていたクリームを指先で掬い取り、その指を自身の口の中へ運んだことだった。
たっぷりのホイップクリームにほろ苦いチョコレートソースは相性が抜群。自分も同じものを食べているというのに、なぜかベリアルのものはより甘く感じられた。
余裕たっぷりのベリアルしか知らないジータは彼のかんばせに小さく笑い、最後のひと口を口の中へ。
「なんというか……今日のキミは信じられないくらいに積極的だな。いつもはお仲間と一緒にオレを倒そうと斬りかかってくるじゃないか」
ベリアルも同じようにクレープの最後のひと欠片を食べ、飲み込むとジータを見つめる。周りに仲間もおらず、ある意味ではピンチのはずなのにそれを微塵も感じさせず、逆にベリアルをデートに誘う大胆さ。
自分の知らないジータの一面に、ベリアルは興味があるようだ。
「……今は一人だから」
「?」
「今の私は“みんなの団長”じゃなくて、ただの“女の子”なんだよ。ベリアル」
太ももで組まれた手へと向けられていた顔を上げ、アンバーの瞳は真っ直ぐ、正面へと向けられる。その横顔はどこか複雑そうだ。けれどそれは一瞬のできごと。
ジータは弾かれるように立ち上がると、自身の傍らに置いていた茶色の紙袋から林檎を一つ取り出してベリアルに差し出した。
「今日はありがとう、ベリアル。これはお礼」
「林檎、ねぇ……。まるでアダムを誘惑するイヴのようだな」
「なにを言いたいのかは分からないけど……林檎好きでしょ? いつも持っているような気がするし」
真っ赤に熟れた林檎はビィへのお土産。一つくらいならいいだろうとジータはベリアルにあげることにしたのだ。
目の前に差し出された林檎をベリアルは目を細めて見つめつつも受け取るが、ジータには彼の言葉の意味が分からず、首を傾げるばかり。
「オレも、なかなか楽しめたよ。勇ましいキミがまるで恋する少女のように……熱のこもった潤んだ瞳でオレを見つめて。普段のオレに対する態度からしててっきり嫌われていると思っていたよ」
「嫌いなんて、一言も言ってないでしょ」
当たり前と言わんばかりの言葉にベリアルはジータの視線から逃れられない。
「一人の人間としては、むしろあなたに好意を抱いている」
先に逸したのはジータの方だった。その場で踵を返し、呟く。その言葉は今にも消えてしまいそうなくらいに小さいが、ルシフェルと同等の能力を持つベリアルの耳にはしっかりと聞こえていた。
「お〜い、ジータ〜!」
遠くの方からビィの声が聞こえ、前方を見れば遠くの方にビィとルリアの姿が見えた。二人はこちらに向かってくる途中。このままではベリアルと一緒にいたことに気づかれてしまう。
「じゃあ──またね。ベリアル」
振り返り、花を思わせる満面の笑みを男へと向けると、ジータはルリアたちの方へと駆けていく。
一人の少女から団長へと戻っていくジータは二人と合流すると、ベリアルに向けていた笑みとはまた違った笑顔を浮かべて離れていく。
その背中が見えなくなるまで見つめていたベリアルは、最後に双眸を閉じて軽く笑うと手の中にある誘惑の果実をひと齧り。
蜜がたっぷりと詰まった林檎は、禁断の果実と言われるに相応しい味をしていた。
終