チョコに隠された悪巧みを打ち砕け!

 この空の世界とは違う世界。全ての始まりの世界でジータはルシファーと夫婦関係にあり、彼が作った人工生命体であるベリアルと一緒に平穏に暮らしていた。しかし望まぬ別離の果てにジータは自分で命を終わらせ──次に意識を取り戻すと別人として前世と全く違う世界・時代で生きていた。
 その世界での生を終えるとまた違う世界で別人として生きており、ジータは失った大切なものを取り戻すために永遠とも思える長い輪廻転生の果てに、この空の世界で家族を取り戻して幾許かの月日が流れた。
 艇内はバレンタインが近いということもあり、女性陣たちは沸き立ち、一部の男性陣もそわそわとした不思議な空気に満ちており、ジータもルシファーにチョコを用意しないとな~と考えながら廊下をひとり歩いていた。
 目的地はルシファーの部屋。普段から彼は自分の部屋から出てこず、ジータが無理やり依頼に連れて行ったり、町に買い出しという名のデートに誘わないとずっと部屋にこもりきり。今日の朝も朝食に誘ったが要らんと言われ、ならお昼は絶対に一緒に食べようね! と一方的な約束をし、その迎えの最中なのだ。
「あ、」
 曲がり角をちょうど曲がって来たのは会いに行こうと思っていた人物。白いローブ姿の美青年。
 彼が──ルシファーが自分から部屋を出るのは本当に珍しいことだ。後ろにはベリアルがついてベラベラとひとりで喋っているが、ルシファーが聞いている様子はない。もしかしたらベリアルが気を利かせてルシファーに会いに行くよう言ってくれたのかもしれない。
 ジータにとっては全ての始まりの遠い記憶。ルシファーにとっては前世の記憶を持つのは過去にジータがベリアルと会話をした際に自分とルシファーだけと考えたが、彼は本心を隠すので不明。時折ジータが喜ぶことを間に入って仕掛けてくるので本当は記憶があるのでは? と思うときがあるが真実は未だに分からない。
 とにかくルシファーに会えたことが嬉しいとジータは駆け寄った。
「やあジータ。もしかしなくてもファーさんに会いに来ようとしてた?」
「うん! 大嫌いなルシファーに会いたくないと思ってたの!」
「……は?」
 ジータの爆弾発言にルシファーは色素の薄い瞳を一瞬瞠目とさせ、気の抜けた声を出す。いつものジータは過去の深い悔恨と、様々な人生経験からストレートに好きや愛しているを伝えていたのでこの発言はさすがのルシファーも想像の範囲外だったようだ。ちなみに後ろのベリアルも驚いている。
 両名の間の抜けた表情は貴重なのではないか? とはジータも刹那思ったが、思っていたことと真逆のことを口走ってしまったことに大混乱を極めていた。
「え!? いや、ちが……! ルシファーのことは大す──大嫌いで! えぇ!? なんで、この……口が……!」
「そうか」
「ああああぁぁぁッ……! 違うのルシファー! 待って、あ……」
 違う。本当は“大好き”と伝えたいのに。どうして思ってもないことを言ってしまうの?
 ジータは腕を伸ばして慌てて訂正しようとするが、極寒の雰囲気を纏ったルシファーは無表情で吐き捨てると空間移動の魔法を行使して姿を消してしまった。伸ばされた腕は空しく宙を掴み、力なく下げられる。一体どうなっているの……?
 助けを求めるように狡知の堕天司を涙目で見上げると、彼はやれやれと軽く首を振り、肩をすくめた。
「そういえば──言語を発する機能に影響するブツが入ったチョコレートが出回っている話を耳にしたな。それを食べてしまうと問いかけに対して本心と相反する言葉を口走ってしまうらしい。心当たりは?」
「……あ」
 ついさっきのことを思い出す。ルリアと一緒にキッチンに置いてあったチョコをつまみ食いしたのを。ベリアルはジータの様子を見てため息交じりに、
「あるようだな。ファーさん大丈夫かなぁ~? 絶対に認めないけど、ああ見えてちょっとナイーブなところもあるし。せっかくファーさんが珍しく自分からキミに会いに行こうとしてたのに、愛しのキミに“大嫌い”なんて言われたら……ねえ?」
「っ…………!」
 顔面蒼白で今にも倒れてしまいそうなジータを残して、ベリアルも黒い霧に紛れて消えてしまう。きっとルシファーのもとに戻ったのだろう。
 まさかそんなチョコレートが出回っているなんて。一緒にチョコを食べたルリアにも話を聞こうとジータは活を入れ直すように自らの両頬を叩く。
 ルリアを探してさっそく食堂で様子を聞けば、やはり彼女も自分と同じあべこべな答えを言ってしまう状態に陥っていた。
 最初はルリアの様子を聞いていたジータだが、すぐにルシファーとのやり取りを彼女に聞いて貰う側になり、現在のジータはテーブルに突っ伏してその周囲には涙の湖ができていた。
 自分がルシファーを嫌いなんてあり得ない。好きだからこそ、また会いたいからこそ、たった独りで長く苦しい輪廻転生の旅を続けてきた。
 会いたいという気持ちはあれど、魂は終わりの見えない孤独に疲弊を極め、もうこの空の世界で旅を終えようとしたが最悪な形ながらも夫と、そして息子同然の存在と再会し──ようやく自分の幸せを歩めるようになったのだ。それなのに不本意とはいえ彼に酷いことを言って傷つけてしまった。
 後悔が押し寄せ、涙となってまた少し湖を大きくしていく。昼食の時間というのもあり、団員たちもかなりの人数いるのだが、ジータたちの周辺は不自然に空席が目立つ。ひそひそと団員たちが団長はどうしたんだ? と困惑の眼差しを向け、ルリアも居たたまれなくなった頃。
「ダンチョ。これでも食べてテンアゲ~! 的な」
「う゛ぅ……ありがとう、ローアインさん。……おいし」
「ん~! このアイス、すごくなめらかで、バニラの味が濃くて美味しいです~!」
 ローアインがガラスの器に盛り付けたバニラアイスを差し入れてくれた。見た目はチャラく、喋る言葉も独特だが本当に心優しい人だとジータはありがたくアイスを受け取り、ひとくち。
 口に広がるリッチな味はもっと欲しい! という欲求を生み出し、ジータはアイスを食べ進める。問いかけではないからか薬の影響もなく、また、他のことに意識が向いているせいか涙は止まっていた。
「ダンチョとルリぴっぴの話、聞こえたんスけど~。そんなにネガらなくても、ダンチョのファーさんへのBIGなLOVEは伝わってると思うんスよ」
(そうだと……いいな。……よしっ!)
 今までずっと素直な気持ちを彼に伝え続けてきたのだ。一回嫌いと言ったくらいで今までの想いの大きさを超えられるわけがない。そう信じたい。ジータは励ましの言葉を受けて意を決すると、残りのアイスを急いで食べ終えて両手をテーブルについて勢いよく立ち上がる。
「私、ルシファーのところに行ってくる!」
「ジータ!?」
 走って食堂を出れば背後でルリアの声と団員たちのどよめきが聞こえたが、今のジータの頭にはルシファーのことしかない。彼に謝らなければ。気持ちと行動で彼への愛を伝えなければ。
 ルシファーの部屋は艇内でも奥の方に位置する。食堂からだと距離がだいぶあるが、ジータは走る速度を緩めることなく駆ける。すれ違う団員たちが一体どうしたのかと彼女の後ろ姿を見送る顔を何度も受けながら走ること数分。ルシファーの部屋に着いた。
 逸る気持ちを抑え、一度深呼吸をしたのちにノックをする。すぐにベリアルの声が「ドウゾ」と返事をし、開ければ椅子に座って書き物をしているルシファーの姿が一番に目に入った。
 本当は落ち着いて話そうと思っていたが、彼の姿を見たらなにもかもが吹き飛んで──ジータは衝動的に彼の名前を呼びながら突っ込み、自らの胸にルシファーの頭部をぎゅうぎゅうと抱きかかえて矢継ぎ早に口にする。
「ごめんねルシファー! もうベリアルから聞いているかもしれないけど、食べたチョコが原因で私っ……思ってもないことを口にしてあなたを傷つけた! ごめんね、ごめんねルシファー。好き……大好きだよ」
 問いかけに対して効能を発揮するチョコなので、今回は素直に自分の気持ちを伝えることができた。腕に抱えるふわふわの銀髪を慈しむように何度も撫でて最後は体を離すと、そのまま両手で彼の頬を包む。体温の低い青白い肌。青星の輝きを見つめながら自らの熱を分け与えるように口付ければ、拒絶はされなかったことにジータは内心安堵する。
 唇を重ねるだけのキスは数秒だったが、顔を離して改めて見るルシファーの表情は若干和らいでおり、廊下のときのような雰囲気はない。
「──あの言葉が本心ではないことくらい分かっている。……ベリアル」
「オーケイ、ファーさん。ジータ、これを飲んでくれ」
 ベリアルから渡されたのはフラスコに入った液体。なにかの薬のようだ。ジータはなんの疑いもなく中身をあおり、飲み干す。味は正直美味しくない。
 ベリアルは「疑いもせずに飲むんだねぇ」と揶揄してくるが、ジータの中にはルシファーに対する絶対の信頼がある。彼を疑うなんてするわけがない。仮にこれが命を奪う物だったとして、彼の手で殺されるのならそれもいいとさえジータは思っていた。
「この薬は?」
「歪められた言語機能を正常に戻す薬だ。即効性もある。直に効能が現れるだろう。……これが材料だ」
「これなら艇にあるものですぐに作れるよ! ありがとうルシファー! ……あ、もしかして部屋に帰ってすぐに作ってくれたの? 嬉しい!」
 ルシファーが今さっきまで書いていた紙をジータに渡す。まさに求めていた薬。必要な材料も艇にあるものなので薬を作ることに長けた団員に協力をお願いすればすぐに作れる。これでチョコのせいで苦しむ人たちを救えるとジータは大喜び。
 さすがは星の天才。大いなる獣、星晶獣の生みの親。
 彼と廊下で別れてから一時間かかるか、かからないかの時間しか経っておらず、その短時間で治癒する薬を作り上げたのだから。
 再びジータはルシファーに抱きつき、椅子に座ったままの彼の顔が柔らかな胸に埋まる。それを甘んじて受け入れている造物主の様子をベリアルは記憶に焼き付けるような熱い眼差しで見つめ、妖しく微笑む。
 ルシファーの薬のおかげでひとまず艇内の団員で症状が出ている者たちの治癒はできたが、思っていることとは違うことを言ってしまうチョコの流通を止めない限り抜本的解決には至らない。
 ジータは自分と同じように悲しむ者が出てはいけないと他の者たちと協力し、解決に向けて奔走する──。

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