レッド・ルーム - 7/8

番外編
※若干のベリサリ表現あり

「あなたって寝るときちゃんとパジャマ着るんだ……」
「普段は裸だが……それをするとキミ、怒るだろ。ほら、コッチにおいで」
 外は月が輝く時間。家族のため、マフィアであるベリアルのもとでトーメンターとして働くジータは現在仕事場でもある家の寝室にいた。部屋はベッドサイドに置かれている橙色の間接照明のみで薄暗い。
 シャワーを終え、ベリアルがいる部屋へと入れば、白いシーツと黒い掛け布団に包まれたキングサイズのベッドの中心に寝転ぶ男の姿に、ジータは意外だと目を丸くする。
 普段の服装も胸元を開けたりと露出が多い。ジータは上半身裸くらいは覚悟していたが、ベリアルはしっかりと寝間着を身に纏っていた。が、やはり普段は裸の格好をしていると言われ、もし今そんな姿だとしたら彼の言う通り怒っているだろうな、とぼんやりと思う。
 ほら、と言いながら片腕を上げて布団を捲ることで見えたベリアルの黒いパジャマはひと目で高級品だと分かり、ジータは家から持ってきた己の桃色のパジャマと比較して少しばかり恥ずかしくなる。あまりにもこの空間に釣り合わなくて。
 トーメンターとして生きる彼女だが、自分にお金をかけることはあまりしていなかった。最優先はいつも家族。
 考えていても仕方がない。ジータは誘われるがままにベリアルの横へと潜り込むと、こうするのが当たり前だと言わんばかりに抱き寄せられた。
 顔部分に当たる肌は温かく、一定のリズムで聞こえてくる命の音は正直心地いい。
「オレとお揃いの香り。キミがオレの女になったと錯覚してしまいそうだ」
 普段は地下室に備え付けられている風呂場のボディソープや洗髪剤を使っているが、今日使った風呂場は一階にあるもの。つまりベリアルと同じものを使ったということ。
 ジータの頭頂部へと顔を寄せ、くんくんと香りを楽しむベリアルは上機嫌だ。
「ちょっと、抱きつかないでよ……」
「なに言ってるんだ? キミはオレの抱き枕。だろう?」
「くっ……」
 なぜジータがベリアルと一緒に寝て、あまつさえ抱き枕にされているのか。それは数日前に遡る。

   ***

「なあキミ。一日だけでいいからオレの抱き枕になってくれないか」
「はい?」
 突然のことだった。仕事を終え、あとはベリアルにホームまで送ってもらうだけのとき。リビングで帰る支度をしていたジータをベリアルは背後から抱きしめた。
 一瞬だけ体をこわばらせたジータだが、ベリアルからのこういった触れ合いには慣れてしまったのでその場で顔を上げ、見下ろしてくる男に向かって眉間に皺を寄せ、不快感を露わにしつつ胡乱げな目を向ける。この男は一体なにを言っているのだと。
「なにもしないから安心してくれ。本当にただ一緒に寝るだけさ」
「怪しい……」
「もちろん金は払う。オレだってたまには人肌のぬくもりを感じながら眠りたいんだよ」
「おかしなことを言うのね? 毎晩のように他人と肌を合わせているのに」
「セックスはしても意識を手放す──つまり眠ることはない。キミ、オレがマフィアの人間だって忘れてるだろ。しかもファーさんの右腕。ファミリーでの立場はボスのすぐ下だ」
 ベリアルと一緒にいるのが当たり前になっていて忘れていた。彼はマフィアで、立場も上から数えた方が早い。そんな彼だ。他人に隙を見せるわけにはいかない。ならばこの願いも頷ける。
 ジータにはベリアルを殺そうだとか、そういった考えはない。そもそも彼がいなくなったら困るのだから。
 改めてベリアルの顔を見る。どこか寂しそうにしている彼の目を見ていると一日くらいなら……という考えが浮かんでしまう。
「……本当になにもしない? ただ寝るだけ?」
「ああ。約束する」
 あぁ、またお人好しの面が出てしまうとジータは己の性格に内心ため息をつくが、基本嘘つきな彼が妙に真剣な眼差しで約束すると言っているのだ。今回だけそれを信じてみることにした。
 こうして、ジータは一日だけベリアルの抱き枕になることになったのだ。

   ***

「ねえ、いま思ったんだけど……サリエルさんもあなたにとって安心できる人だと思うんだけど。サリエルさんに頼めばよかったんじゃ……」
 この家に住み、普段は家の維持・管理をし、ジータが仕事をするときは彼女が拷問した人間の処理をしている長髪の男の姿を思い浮かべる。
 名前はサリエル。ベリアルに拾われてからはずっと彼のもとで働いており、大人しい性格からは想像できないが、彼もベリアルの部下ということでマフィアの一員。
 彼は自分以上に安心できる存在だとジータは思う。サリエルの中にはベリアルに対してなにかする、という考え自体浮かばないだろう。また、ベリアルもサリエルのことを“サリィ”とあだ名で呼び、可愛がっていた。
 ジータに指摘されたベリアルは「まあそうなんだけど……」と言い淀む。
「一度サリィをキミと同じように抱いてみたが……やっぱり男の体は硬いからね。結局隣同士で寝るに留まったよ」
「あぁそう……」
「……温かいな」
 頭上から聞こえた呟きは、今まで聞いたことのないくらいに安らかなものだ。ジータもジータでベリアルの心臓の音に、この男も人間なんだなとしみじみと思っていた。
 ルシファーのためならばなんでもするこの男。彼のためなら今の今まで快楽を共有した相手を行為が終わった瞬間に殺すことさえ厭わないだろう。
 そんな悪魔のような男も当たり前といえばそうだが、自分と同じ存在だと考えると感慨深いものがある。
(人のぬくもり……か。いいかもしれない……)
 規則正しい心臓の音と眠気を誘う肌の温かさ。幼い頃、グランと一緒に寝たことはあるが、こうして抱き合って眠った経験はなかったため、新鮮さにジータは微睡まどろむ。
 眠そうにしながら、くあ、と軽くあくびをすれば頭部を撫でられる感覚に体に力が入ってしまう。
「な、なに……!?」
「キミはいつも家族のことばかり気にして気を張っている。今くらいリラックスしたらどうだ」
「それが頭を撫でているのとどう関係が……!」
「キミは最年長として、家族たちの“姉”としていつも生きているからさ。オレの前でくらい一人の女の子に戻っていいんだぜ?」
 言葉を交している間もよしよしと撫でられ、なんともむず痒い感情が湧き上がる。
 彼の言葉の通り、ジータはいつも家族のことばかり気にしていた。だが今はその家族のことを忘れて気持ちを楽にしてもいいかもしれない。そんな緩みが彼女の中に生まれる。
「ところでキミって好きなヤツとかいるのか?」
「いきなりなんなの……」
「普段はこういう話、全然しないだろ? キミだって年頃だし、そういう浮いた話の一つや二つあると思って」
「トーメンターをしている私が普通の人と恋愛できると思う? それに恋愛自体に興味ないし」
「そういうモンかねぇ……。ならもし恋人にするならどんなのがお好み?」
「もしも、ならあなたね」
「お? これは脈ありか? なんだ、それなら素直に愛人に──いや、愛人って呼び方が嫌だから断ったのか? なら恋人になろうか」
「もしもの話だし、あなたは“共犯者”だから選んだだけ。あなたは私の殺しを知っているし、私もあなたが非道なことをしているのを知っているから」
「そうかい? 残念だ。でも気が変わったらいつでも言ってくれ。キミなら大歓迎さ」
「はいはい……ほら、もう寝よう? あなた最近あくびばかりしていたし、ファーさんの人使いが荒いって言っていたじゃない」
 ここ数日のベリアルの様子を思い出したジータはなにを思ったのか、腕を伸ばして彼の髪を優しく撫でつける。何もつけていない髪は柔らかく、引っかかることなく指の間を通り、とても触り心地がいい。
 ジータの行動は予想していなかったのか、ベリアルは刹那、瞠目すると嬉しそうに喉を鳴らし、体をずらすと今度はジータがベリアルを抱きしめるような位置──彼女の胸に顔を寄せた。
 性的な香りのない、ただ甘えるだけの触れ合いにジータも体を離すことはせずに胸元にある煤竹すすたけ色の髪を撫でる。まるで慈しむように。
「なんだか大きな子どもみたい」
「ははっ。オレのママになってくれるのかい? 今度からジータママって呼ぼうか?」
「そういえば……あなたのご両親は?」
 ベリアルの戯言を無視して両親について聞いてみる。先に彼がプライベートなことを聞いてきたのだ。こちらも聞いていいはず。
 この男もさすがに人の子。誰かの腹から産まれ、親がいるはず。だがジータの中では一つの確信めいたものがあった。
「オレの親? ……さてね。忘れたよ」
「……そう」
 常々彼の言葉は嘘か本当なのかは分からないが、これは本当だとジータは感じた。そして、想像していた答えでもある。
 ジータの親もまだ幼い彼女とその弟のグランを残して消えてしまった。今となってはその生死も不明。二人の存在を思い出すこともない。
 彼女も思うところがあったのか、相槌以上は言葉にせず、柔らかい髪を撫でるに留まる。
「まあでも、もしキミがオレの母親だったら……オレはマフィアになってなかっただろうな。……おそらくファーさんと出会うこともない。その点を考えると産んでくれた女には感謝してるよ」
「私があなたのお母さんだったら自分の子どもがマフィアになるなんて絶対に許さないし、こんな歪んだ性格の子にならないように愛情込めて大切に育てるよ」
「……ああ、本当にそう思うよ」
 これきり会話は途切れ、ベリアルはジータの体に腕を回すと大人しくなり、しばらくすると一定の間隔で上下する肩にああ、眠ったのかとジータは小さく笑う。
 普段見ないベリアルの一面に彼もだいぶ苦労をして、今の地位に納まったのだと思うとやっていることは一旦置いておいて、やはりマフィアはこの国にとっては必要悪なのだと思う。こうして救われる存在があるのだから。
(なんか絆されちゃったかも)
 抱きついてきたベリアルに対して拒否したりもせず、逆に受け入れた。いつもの自分ならしないことにジータはたまにはいいかと自嘲すると、自らもベリアルを抱き枕にして目を閉じる。
 ひとときの穏やかな時間は静かに過ぎていく……。