レッド・ルーム - 4/8

第三章

「……なにしてるの」
 風呂から上がり、ここに来たときと同じ制服に身を包んだジータが地下室から一階へと戻ってくると、アイランドキッチンでベリアルがなにやらしているではないか。
 スーツ姿だった彼も着替えたのか、薔薇柄の──着る人間を選ぶ服を身に着けているが、彼は見事に着こなしている。
 開かれた胸元はたくましい胸筋が布を押し上げており、慣れていない人間ならば目のやり場に非常に困るだろう。
 さらには伊達メガネをかけていて見た目だけは好青年。誰も彼がマフィアだとは思わない。
 ジータはベリアルの向かい側に立ち、手元を覗き込む。白いプラスチックのトレーには大きめのケーキが乗せられており、腕まくりをしているベリアルはクリームの詰まった袋を片手にデコレーションをしている最中だった。
 彼はパティシエをしていたときもあったと言っていた。お得意の嘘だとすぐに分かったが、パティシエでも十分通用する技術をベリアルは持っていた。
 この男に出来ないことなんてないのではないか。そう思えるくらいにベリアルは様々なことをそつなくこなす。
「なにこれ……」
「今日蒼の少女の誕生日だろ? ほらオレ、パティシエだからさ。お祝いとしてね。……これでよし」
 ルリアの好きな赤いトカゲ──ならぬ、ドラゴンのキャラクター“ビィ”が描かれているチョコプレートを生クリームの平原、シロップでコーティングされたフルーツたちがぎっしりと敷き詰められた中心に乗せ、ベリアルは作業を完了させた。
 きっとこのチョコプレートもベリアルの手作りだろう。自分では絶対に作れないケーキにジータは素直にすごいと思うが、それは言葉にせず心に留めておく。
「……変なもの入ってないでしょうね」
「もちろん。なんなら毒味してもいいぜ?」
「……いい」
「もう一つプレゼントがあるんだ。車にもう積んであるからあとで見るといい」
 店で買えばいい値段がしそうなくらいに大きく、そして美しいフルーツケーキをベリアルは丁寧にケーキボックスに入れ、持つと外へと向かう。
 ジータもその背中を追いかけ、車の助手席に乗ろうとしたとき、後部座席に見慣れぬ袋が置いてあるのに気づく。子供くらいの大きさがあるピンク色の巨大な袋には赤いリボンが結ばれている。
 ここに来るときにはなかった物。風呂に入っている間にベリアルが用意したのだとジータは考え、車に乗り込むとベリアルにケーキの入った箱を渡された。
 崩れないように慎重に受け取り、大事そうに膝に乗せると、運転席に乗り込むベリアルにジータは後ろにある物について聞いてみた。
「特大ビィ人形。キミのパパ──いや、ママだったかな? その中にオモチャ関係の仕事に就いている奴がいてね。キミから蒼の少女にプレゼントしてあげるといい。キミの働きに対しての正当な報酬さ」
 特大ビィ人形は数量限定品な上にその大きさゆえに結構いい値段がし、テレビのCMを見て目を輝かせていたルリアだったが、“欲しい”と言葉にはしなかった。
 ジータから見てルリアはいい子すぎるほどにいい子だった。我儘を言わず、年下の妹や弟の面倒をよく見て、手伝いも率先してやってくれる。
 なのでそのお礼という意味でも、ジータはこの人形をプレゼントしようと思っていた。だが、それは叶わなかった。
 お金のことは問題ないが、公式サイトには完売の二文字。それをいつの日かベリアルに零したのをジータは思い出した。
「……ありがと」
「どういたしまして。喜んでもらえてなによりだ」

   ***

 ホームに着く頃には空は夕焼け色に染まっていた。以前住んでいた場所よりも中心街に近く、治安や交通の便もいい。
 レンガ調で落ち着いたデザインの大きな家はジータが裏の仕事で得たお金で建てたものだ。
 ベリアルがホームの前に車を止めると、ジータの帰宅が遅いことに心配していたグランとルリアが外に出てきた。
「ジータ! 帰りが遅いから心配したんですよ……?」
「悪かったな。蒼の少女。実はキミへのプレゼントの用意に少し手間取ってしまってね。ほら、ジータ」
 助手席のドアを開けた瞬間耳に入る言葉にジータは本当のことを言えるわけもなく、誤魔化すように苦笑いしながら謝罪し、車から降りた。
 同じく降車するベリアルは質問攻めに遭っているジータを促し、思い出したかのように手に持っている箱をルリアへと渡せば、大人しくなった。
「これ……ケーキ、ですか?」
「そう。オレの手作り。大きめに作ったからココにいるみんなの分はあるはずさ」
「ベリアルさんの……! ありがとうございます! 嬉しいです!」
 ベリアルの手作りと聞いたルリアは無邪気に目を輝かせた。彼はたまにお菓子を作って持ってきてくれ、そのどれもが一級品。見た目も味も抜群な甘味はルリアだけでなく、他の子供たちにも大人気だ。
 雰囲気から早く開けて食べたいと伝わるほどにルリアは喜んでいた。あまりにも純粋な反応に悪辣な男であるベリアルもつい頬を緩め、後部座席から大きな袋に入ったプレゼントを出すと、ジータの隣に立った。
「そしてキミのお姉さんからはこれを」
「なんでしょう? ものすごく大きいです……」
「開けてごらん」
 自然な形でグランはルリアからケーキボックスを受け取り、両手が空いたルリアは目の前に置かれた袋のリボンを外し、開いた瞬間に感嘆の声を上げた。
「これっ! 限定品の特大ビィぬいぐるみじゃないですか! でも、すごく高いやつで……」
「いいの。ルリアはいつも弟や妹たちのお世話をしてくれるし、お手伝いも率先してやってくれるんだもの。そのお礼」
「ううっ……! ありがとうございますジータ、ベリアルさんも。私、すごく嬉しいですっ……!」
 目を潤ませながらジータに抱きつき、両者にお礼を言うルリア。ベリアルのケーキはともかく、ぬいぐるみの方の入手手段を思い浮かべたジータはすぐに抱きしめ返すことができなかった。
 己の手はもう血で汚れきっている。家族のために始めた仕事に後悔はしていないが、そんな自分に彼女を受け止める資格があるのか。
 悩み抜いた末にジータは躊躇いがちにルリアの背を抱いた。服越しでも伝わる人肌の温もりはジータの凍てつく心を溶かしていく。
「じゃあオレはこの辺で失礼するよ」
 姉妹同然の二人の抱擁を見て、ベリアルは視線をグランへと向ける。彼の顔は複雑そのもので、この場には似合わないもの。
 ベリアルはグランがなにを考えているのか分かるのか、不自然なくらいに笑みを深めると、車に乗り込んでホームを後にするのだった。