エレベーターにて。とあるアベックの話をしよう。

 外はすっかりと暗くなった時間。コンビニに行くため、マンションのエレベーターに乗ったときのこと。俺以外は誰も見当たらなかったため、扉を閉じようとしたときに外から若い女の子の声が聞こえ、閉ボタンへと伸ばされかけた手は反射的に宙ぶらりんになる。
「すみません! 乗ります!」
 そう言いながら小走りでやって来たのは金髪のショートヘアとカチューシャが特徴の見た目十代くらいの可愛らしい少女だった。
 その女の子に手を引かれる形でエレベーターに乗り込んできたのは長身の男。こちらはびっくりするほど顔がいい。職業はモデルや芸能人と言われたら納得がいくほどに。
 二人は恋人──だろうな。まさに美男美女。理想のカップルともいえる。俺には縁のない話だ。
「ありがとうございます」
 にこっ、とはにかむ女の子。きっとその笑顔に何人の男たちが骨抜きにされたことやら。そして俺もその仲間入りだ。
 男の方は俺から見て右側、奥の角に立っていて手元のスマホに視線は向けられている。こちらを見ようともしない。まあ別にお礼を言われたいわけじゃないからいいけど。……それにしても顔が綺麗だな。
「何階ですか?」
「一階です。なにからなにまですみません」
 ちょうど目の前には操作盤。だから彼氏らしき男の前に立つ女の子に聞けば、彼女は申し訳なさそうに軽く頭を下げ、階数を告げてきた。
 目的の階は俺と同じか。静かにボタンを押し、無機質な音を立てながら扉は閉まる。
 三人の人間を乗せた鉄の箱はゆっくりと下降していき、俺はなんとなく、本当になんとなく彼女たちと並ぶ位置、左側の角に立つ。
 この階から一番下までは少し時間がかかる。手持ち無沙汰な俺はポケットからスマホを取り出し、適当にネットサーフィンをしていると微かに鼻を鳴らす音が聞こえた。
 ちらりと横目に見れば、女の子の方が──どうやらくしゃみが出そうな様子。彼氏と二人きりなら今頃は構わず出しているんだろうが、知らない人の前でくしゃみをしてしまうのは恥ずかしい……といったところか。
 少し辛そうな彼女。ああ、駄目だ。鼻がムズムズとしてきてるんだろう。俺のことなんて気にせずにくしゃみをすればいいのにと思った瞬間。
「はくしゅんっ!」
(なっ……!)
 顔と同じく可愛らしいくしゃみは、くぐもった音となって俺の耳に届く。
 その理由は彼氏が女の子を自らの胸に抱き寄せ、服で音を軽減したから。……そんな方法ある!?
 顔もイケメンだがさりげなくとった行動すらもイケメンとか……なんなんだ、このアベックは!
「ありがと」
 彼氏の腕の中。顔を上げて告げる彼女はきっと愛らしい表情をしているんだろう。見えないのが悔しい。
 さっきまでスマホに夢中だった男も女の子の頭を何回か撫でていたり、完全に二人の世界に入り込んでいる。
 その後、一階に着くまではイチャラブ空間にひとり邪魔者という立ち位置で本当につらくて、俺はエレベーターの扉が開いた瞬間にダッシュ。あの二人におかしな人だと思われたかもしれない。
 ──そんな散々な出来事も忘れかけた頃。
「あ……」
 少し肌寒さが感じられる夜。コンビニに買い物に行こうとした俺はエレベーターへと向かったが、あと少しで着くというところで扉が閉まりかける。
 他のエレベーターも使われているし、階段を下りる気分でもない。これを見送って次が来るのを待つかと思ったとき、閉まる寸前だった扉が逆の動きをし始める。
「乗りますか?」
 中にいた少女が俺に問いかける。……あの女の子だ。忘れもしない。そのショートヘア、流れるような金髪。ピンク色のカチューシャ。そしてなにより、鈴を転がしたような声。
 目が覚めるほどの美少女にまた会えるなんて! と思うと同時に例の出来事を思い出してしまって内心苦笑い。
 彼女の方は俺を覚えていないようだ。まあ、どこにでもいるモブおじさんだからな。俺は。
 頷き、小走りで中へと駆け込めば、前回と同じ位置に例の男はいた。今日はスマホを弄っておらず、壁に寄りかかるようにして立っている。
 濃い血の色をした目と一瞬だけ視線が交わる。逸らした方は俺。目の色が怖いとかじゃない。逆に白い肌によく映えて、綺麗すぎて。俺なんかが見てちゃいけない気になって逸らした。もう反射的に。
「何階ですか?」
「一階で。ありがとう」
 彼氏に背を向けて立つ女の子にお礼を言えば、彼女は横に設置されているボタンを操作し、エレベーターの扉が閉められる。
 後ろに移動するのもな……と考えた俺は扉側のボタンの前、彼女たちに背中を向ける位置に立つ。
 沈黙が下りる密室。扉の窓の向こうが一定の速度で景色を変えるのを見つめながら待っていると、どれくらい経った頃か。鼻を鳴らす音が聞こえ始めた。
 ……あれ? なんかデジャヴが……。
「大丈夫?」
 鼻を鳴らしているのは男の方か。気にする女の子に男の方は「大丈夫」と返すものの。
「へ……くちゅっ!」
 えっ、えええええぇぇ!?!?
 扉のガラスに反射する二人の姿に俺は釘付けになる。なんと女の子が男の頭を引き寄せ、自らの肩にうずめることでくしゃみを散らしたのだ。
 というか、結構ガタイいいのに、そんな可愛いくしゃみってアリ!?!?
 前回のときよりかも衝撃を受けている俺を放置して、女の子は顔を上げた男に対して「前のおかえし」と言って機嫌良さそうに笑う。
 男の方はやはり少しばかり恥ずかしいのか人差し指で軽く頬を掻きながら「大胆だねぇ、キミは」とか言っているが、まさか声もこんなに魅惑的なんて! なんちゅう男だ……。
 少々どころではない。神に愛され過ぎじゃないか? 見た目もよし、体もよし、声もよし。そしてとびきり可愛い彼女持ち。なんか……自分が惨めすぎる
 そして再び俺を忘れてイチャつく二人。もう勝手にしてくれ。
 一階に着くと、俺は前と同じようにダッシュで鉄の箱を飛び出す。もういやだこのアベック。キラキラし過ぎてて逆にこっちが瀕死のダメージを負ってしまう。
「あ、」
 そんなことをつらつらと考えながらコンビニまで着いたところで思い出す。
 財布──忘れた……。