ようこそ!ポケットモンスターの世界へ!

 社会人になると学生時代と違い、仕事に追われてなかなか趣味の時間が取れないものだ。
 ここにいる清花もそのひとり。
 社会人になって数年目。最近は忙しいのもあり、残業が当たり前で帰宅時間は遅め。
 夕飯を食べ、溜まっている家事を片付けて、風呂に入ればあと少しで寝る時間。
 けれどその短い時間でゲームをするのが彼女の趣味であった。
 今プレイ中のゲームはポケモンZA。ポケモンシリーズは通しで買ってはいるものの、今回はとあるキャラに一目惚れして購入した面が強い。
 公式動画で紹介されたサビ組のボス“カラスバ”。
 その容姿や口調に心を射抜かれたのは、もちろん清花だけではない。

 部屋着に着替えた清花は、逸る気持ちを抑えながらリビングに置かれているソファに体を預けた。
 その手にはゲーム機。ソフトを起動すれば、画面の中には最後にセーブした地点の景色が広がっている。
 美しい建造物たち。行き交うポケモンと人間。耳心地のいい音楽。
 特に明るい時間帯のミアレシティの音楽は疲れた心に染みるようだった。
 現実の部屋にはエアコンの低い音しかないというのに。
 ストーリーは一通りクリアしたが、図鑑集めやサイドミッションはやりきれていない。少しずつ進めてはいるが、全部終わるのはいつになるのか。

 清花にはゲームを起動した際に必ず向かう場所がある。
 ゲーム内の分身である女主人公を操作し、ファストトラベルでいつもの場所へと向かった。
 ブルー地区にある異国情緒あふれる建物。サビ組事務所。
 そこにいる男に会うため、ダッシュで中に入ると真っ直ぐエレベーターへ。

「カラスバさん……! いつ見ても格好いいなぁ〜。眼福、眼福」

 毒を連想させるデザインの黒い服。特徴的な髪型。こちらを見透かすような鋭いこがね色。
 最初は外見で好きになったが、プレイしていく内に彼のミアレに対する強い思いやポケモンを愛する心を知り、さらに好きになった。
 ついでに付け加えると、主人公に好意的というのも好感度が高かった。
 暴走したアンジュを止める際に共闘したときは、相手のポケモンやシチュエーションを含めてかなり悶え、スクショボタンを連打したのは記憶に新しい。

「今日も来ちゃいました」

 清花は大好きな推しを前に頬を緩め、語尾に音符が付きそうなくらいの声音で呟く。
 ひとり暮らしが長く、自分以外聞いている人はいないからと独り言が多いのだ。
 カラスバ相手にはそれが顕著になる。この声が届くわけがないとは思うが、湧き上がる感情を口に出してしまう。
 主人公を操作し、カラスバの横に立つと決定ボタンを押す。
 メッセージウィンドウには、もう何回も見たセリフが流れる。
 ゲームのキャラクターは設定されたセリフを喋るだけ。ゲームによってはAIが都度違うセリフを返してくれるものもあるが、ZAにはない。
 ──そのはずだった。

『今日も遅かったな。ほんま、おつかれさんやで』

 いつものように決定ボタンを押せば会話が終わるはずだった。
 だが画面に表示された見慣れぬテキストを見て、清花は数回瞬きをした。

「あれ……? こんなセリフ、あったっけ?」

 すでにストーリーはクリア済みで新たなイベントは発生しないはず。
 自分の知らない間に更新が入った? いやいや、そんな通知は来ていない。もしなんらかの追加要素がくるなら、SNSで話題になっているはずだ。
 清花は怪訝そうな顔をしながらも、さらにボタンを押した。

『今日はもう寝た方がええんちゃう?』
「え……?」

 指が、止まった。
 部屋の時計を見る。
 午前零時三十七分。
 このゲームにはリアルの時間で連動する要素はなかった……はず。
 ぞわっ、と背中側から氷を入れられたように体が冷えていく。
 全身がこわばり、緊張感に呼吸が浅くなっていくのが分かった。

『明日も仕事やろ、清花』

 耳に届くはずの音が、すべて消えた気がした。
 今、自分ではボタンを押していないはず。それとも無意識に指が当たってしまった?
 いいや。そんなことはどうでもいい。表示されている文字は、セイカという読みは同じでも漢字。
 主人公の名前はセイカで、清花は……自分の名前だ。
 喉が乾いていく。真冬のように寒く、ガチガチと上下の歯が当たり音が鳴る。
 ありえない。そんなはずない。
 これはバグ……?
 おかしな挙動に慌ててスクリーンショットを撮ろうとしたが、その刹那。画面の文字が変わった。

『撮らんでええ』

 清花の指が、固まった。

『そんなことせえへんでも、すぐに会えるさかい』
「なに、これ……」

 声が震える。
 ゲーム機を持つ手に力が入らない。
 画面のカラスバは大きすぎる椅子の定位置に座っている。いつもと変わらない。
 背景も、音楽も、なにもおかしくない。
 おかしいのは、セリフだけ。
 ──いいや。
 カラスバの顔が、明らかにこちらを向いている。主人公のことを見ているはずの目は──清花へと向けられていた。
 画面の向こうで、彼が笑っている。

「っ!」

 気づかなければよかったものに気づいてしまい、清花は息が詰まるのを感じながら、ホームボタンを慌てて押した。反射的だった。
 ゲーム画面が切り替わり、ホーム画面へ戻る。
 ──戻れた。
 その事実に、胸を撫で下ろす。

「なんだったの……」

 落ち着こうと深い呼吸を繰り返しながら小さく呟くと、ソフトを終了し、そのまま画面も消した。
 黒く沈んだ画面には清花の顔が映る。見慣れた自分の顔は目が伏せがちになり、疲れ切っていた。
 いつものように好きなゲームで遊び、推しに会いに行っただけなのに。
 力なく傍らにゲーム機を置くと、疲労から目頭を押さえた。
 きっと寝不足だ。それで脳が変なものを見せたのだ。そうしか考えられない。
 ゲームのキャラクターが、こちらに語りかけてくる。
 そんなこと、あるはずがない。
 ソファに体を完全に預け、目を閉じる。
 彼が好きすぎるのも相まって幻覚を見せたのだ。ウトウトしているときに変な映像が浮かぶのと同じ。
 自分で意識していないだけで、きっと舟を漕いでいたんだ。それであんなものを見た。
 自分を納得させようと思考を巡らせていると、部屋の中で電子音が鳴った。
 勢いよく目を開け、飛び跳ねるように立ち上がる。
 耳に届くゲームの音はサビ組事務所。
 呼吸が浅く、速くなっていく。ガタガタと震えが止まらない。
 見たくないのに。視線はソファに置かれたゲーム機へと吸い込まれる。
 スリープにしたはずのゲーム機が、淡く光っていた。
 ソフトの起動音すらせず、画面に映るのは最後にセーブした場所ではなく──サビ組事務所。
 そして、カラスバ。

『逃げんといて』

 表示された文字を見た瞬間、清花は戦慄した。

「やだ……!」

 ありえない、ありえない、ありえない!
 清花はゲーム機を乱暴に掴むと、画面を消そうとボタンに指を伸ばす。
 けれど、指が触れるより先に画面の中のカラスバが椅子から立ち上がり、セイカの横を通り過ぎてこちらへ近づいた。
 ゲームのキャラクターが、決められた範囲を越えて動く。
 カメラが勝手に寄る。
 カラスバの顔が大きく映る。
 カラスバの整った口元が、愛しい人を呼ぶように名前を紡ぐ。

『清花』
「やめて……!」
『ずっと見とったのは、オマエの方やろ』

 もう訳が分からない。これは現実? それとも夢?
 カラスバの言葉に、心臓が嫌な音を立てた。

『毎日会いに来て』
『話しかけて』
『オレのこと見て』
『スクショまで撮って』

 清花は呼吸を忘れた。
 彼の言うとおりだ。
 画面の向こうにいる彼が好きで、毎日のように会いに行っていた。
 彼のセリフ、表情、仕草の一つひとつに胸を躍らせ、じっくりと味わうように噛み締めて。
 スクリーンショットを保存して、見直してはこんな顔もするんだと一人で喜んでいた。
 でも、それは。
 向こうがこちらを見ないから、許されるものだった。

『今度はオレが会いに行く番や』

 液晶画面が、ゆらりと揺れた。まるで水面のように。
 あるはずのない奥行きが、画面の内側に生まれる。
 ぴしっ……、と小さな音がした。
 画面が割れたのではない。
 白く繊細ながらも骨張った指先が、ぬぅっと顔を出す。
 清花の部屋の空気を、画面の向こうのものが初めて掻いた。

「ひっ……!」

 声にならない悲鳴が漏れる。
 画面いっぱいに広がる手。彼の指が画面の縁を掴む。
 手首。
 黒い袖。
 腕。
 清花を求めるように伸びてくる。

「っひ──いやあぁぁぁぁああっ!!!!」

 好きだったはずなのに。清花の顔は恐怖に凍りつき、甲高い声で叫ぶとゲーム機を床に向かって投げつけた。
 肌を焼く焦燥感。信じられない現実にパニックになり、涙があふれて止まらない。
 鈍い音とともに画面が床に伏せられ、こちら側への侵食が止まるかと思ったが──それでも声は聞こえた。

「乱暴やなあ」

 部屋の中から、知らない男の声。
 カラスバを始め、キャラたちにはボイスがないので知りようもないのだが、彼はこんな声をしていたのか。
 彼によく似合う声だと率直に感じた。異常事態ではなかったら、素敵な声だと素直に口にできるのに。
 清花は部屋を出た。このままいたら危険だ。本能がけたたましく警報を鳴らし、リビングを飛び出した。
 背後がどうなっているのか、清花は振り返らない。
 ……振り返れなかった。
 ただただ逃げたくて、裸足のまま部屋を飛び出した。

   ***

 清花の住むアパートがあるのは住宅街。午前一時近くの町は不気味なほどに静まり返り、明かりが点いている家はほとんどない。
 夏の気配が迫る今日この頃。夜だというのに蒸し暑く、生暖かい空気が肌にまとわりつく。
 財布やスマホも持たず。清花は部屋着のまま、サンダルすら履かずにひたすらに走る。
 どこに行けばいいのかも分からない。向かっている先さえも。
 足の裏がズキズキと痛む。肺も苦しい。息がまともにできない。それでも走ることをやめることはできなかった。
 創作物の登場人物がこちら側を認識している設定の話は、全くないわけではない。
 しかしカラスバのように実際に干渉してくる話は聞いたことがない。
 ああ、自分は夢を見ているのか。悪夢という名の。
 夢の世界はリアルでは起こらないことが、平然と繰り広げられるのだから。

(っ……! やだ、聞きたくない……!)

 背後から声が聞こえる気がした。
 清花。
 何度も、何度も。
 耳を塞いでも頭の中に直接囁くように。

「あぅっ!」

 限界を迎えた足がもつれ、清花は地面に勢いよく倒れ込んでしまった。顔は腕で庇ったので無傷だが、全身を痛みが支配し、さらに涙があふれた。
 なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか。
 どうして。なんで。
 仕事に追われる、ゲーム趣味の女。どこにでもいる一般人として生きていただけなのに。
 足の裏は感覚が麻痺していて痛みももうよく分からない。ただ……きっと、血まみれなのだろうとは、簡単に想像できる。
 逃げないといけないのに。もう体は限界をとっくに超えていた。立つことさえ難しい。
 絶望の淵に佇む清花は吸い込まれるように顔を上げる。すると真横には小さな神社があった。
 気づけば住宅街を抜けており、離れた先にぽつぽつと家が見える。清花も知らない場所だった。まさかこんなところに神社があったなんて。
 年季が感じられる鳥居、狛犬、賽銭箱、社。
 規模からして管理する人間が常駐しているわけではなさそうだ。
 なにかに引き寄せられるように清花は神社に向かって這った。どちらにせよ、もう立てないのだ。かといって諦めたくもない。
 力の入らない重たい体をずりっ、ずりっ、と引きずり土埃にまみれながら社へと向かう。
 ただ這うだけでも息が切れ、腕が痛みに震える。
 それでも社の前まで着くと力尽き、清花は姿の見えぬ神という存在に縋るように片手を伸ばした。

「助けて……」

 誰でもいいから助けてと声を絞り出す。

「お願いします……ッ……! 助けて、ください……!」

 ──ざり。
 背後で、アスファルトを踏む音がした。
 迫っていた絶望の闇が清花の心を覆い尽くす。
 ──ざり。
 たった一つの願い虚しく、男はやってくる。
 ──ざり。
 清花の呼吸が止まる。
 ──ざりっ。
 もう一歩。

「こんなとこにおったんか。清花」

 声が、近い。すぐ後ろから聞こえた。
 ゲーム機のスピーカー越しではない。
 空気を震わせて、清花の耳に届いている。
 油の切れた機械のようなぎこちなさで、清花はゆっくりと振り返った。
 鳥居の下。月を背負った男が立っていた。
 毒デザインの黒いスーツ。
 特徴的な髪型。
 こがね色の瞳。
 何度も画面越しに見た姿のまま、けれど現実世界の夜に立っている。

「ぁ……あ……」
「かわいそうに。足、血まみれやないか」

 逃げなければ。
 そう思うのに体は動かない。
 震えが止まらない。好きな人のはずなのに。こちらの世界に干渉してきたという事実が、彼への恐怖心を膨らませる。
 カラスバはゆっくりと歩いてくる。
 まるで怯えたポケモンに近づくような、静かな足取りだった。

「なあ、怖がらんといて」
「来ないで……」
「無理や」

 声や表情は柔らかい。けれど当然のように言う。

「やっと……やっと会えたんやで?」
「違う……私は、ただゲームを……!」

 清花は首を横に振る。涙が頬を濡らし、視界が滲む。

「せやけど毎日オレに会いに来ては、色々話してくれはったなあ。オレのことを好きてなんべんも言うてくれて」
「それは……」

 今度はかぁっ、と顔に熱が集まる。ゲームの住民だからと、様々な話をしていた。カラスバに聞いてもらっているという体で。
 しかし本当に聞かれていたとは。
 清花の顔近くに来たカラスバはうっそりと瞳を細め、微笑む。蠱惑的な魅力を宿す笑みが自分だけに向けられていて、心臓を直接掴まれたような感覚に陥った。

「オマエがオレを見とったように。オレも清花を見とったよ」

 見下ろしてくる眼差しを受けるしかない清花は、なにも言えなかった。
 好きだった相手に見つめ返される。
 たったそれだけのことが、こんなにも恐ろしいなんて知らなかった。
 カラスバは服が汚れるのも厭わず片膝を地面についてしゃがむと、片手を清花の頬へと伸ばす。
 荒れとは無縁の美しい指先は温かく、自分と同じ人間なのだと清花はぼんやりと思う。

「清花。“こっち”においで」

 こっち。向こう側の世界だと直感する。

「ぃ、や……」

 ポケモン世界。憧れたことは何度もある。しかし突然来いと言われても心がついていかない。
 脳裏によぎるのは友人や両親の顔。
 カラスバは清花が怖がっているのだと思い、安心させるようにすりすり、と頬を撫でた。

「大丈夫や。心配することなんか、なんもあらへん。向こうの世界ではオマエはミアレを救った英雄。理不尽に怒る上司もおらへんし、生活のためにストレス抱えながら仕事する必要もないねん」

 日常の取り留めのない話。その中で軽く吐き出したことがあった。
 カラスバは、画面の中で何度も見た笑みを浮かべた。

「オレが守ったる」
「ぅ……あ……?」

 その言葉が耳に届くと、視界がぐにゃりと歪み──清花は目の前がまっくらになった!

   ***

 目を開けると、見知らぬ天井があった。
 体を受け止めるのは柔らかなベッド。
 ホテルの一室のようだが、どこかで見たことがあった。
 そもそもなぜ自分はホテルに? 目覚めたばかりの曖昧な思考で記憶の引き出しを探っても、答えは出てこない。
 清花はゆっくりと起き上がった。なんとなく体が軽い気がする。

「な……!」

 爽やかな光が差し込む窓辺に立ち、清花は言葉を失った。
 窓の外に広がっていたのは、ミアレシティだった。
 ゲームで何十時間も過ごした異国の街並み。それが目の前にある。
 ヤヤコマの鳴き声が耳に届くのと同時に、空を飛ぶ小さな赤いものが見えた。
 間違いなく、ポケモンだった。

「……うそ」

 声が掠れる。窓ガラスの反射で映ったのは自分であって、自分ではない少女の顔。
 ゲームの主人公。
 自分が操作していたはずの、セイカ。
 その顔が、青ざめてこちらを見返している。
 ──こん、こん。
 扉の向こうからのノックに、清花は大げさなくらいに体をビクつかせ、凍りつく。
 もともと鍵が掛かってなかったのか、それとも鍵を持っていたのか。
 ドアノブがゆっくりと回ると、扉が開き始めた。

「起きたか」

 極めて優しい声なのに、清花は目を見開き動けなくなる。

「セイカ」

 その名前に喉が震えた。
 メッセージウィンドウが表示されているわけでないのに。同じ音でも違うように感じた。
 自分は清花だ。セイカはゲームの中での名前で、操作していた主人公で、ただのデータで。
 入ってきたのはカラスバだった。彼は清花の顔を見ると、安心したように口角を上げた。

「よう寝とったな。気分はどうや?」

 気遣う言葉は恋人に向けるように優しいのに。恐怖心の方が勝り、清花は後ずさるも背中は壁。逃げることはできない。
 そもそも、本当の意味での逃げ場はない。
 自分は、画面の向こう側に来てしまった。
 いいや。連れてこられた。
 窓の外はミアレの街。
 扉の向こうも、きっとゲームで何度も見たホテルの廊下なのだから。

「帰して……」

 そう言うのが精一杯だった。
 カラスバは少しだけ困ったように眉を下げる。

「帰るて、どこに?」
「私の……私の家に……」
「ここやろ。ここが、オマエの帰る場所や」

 いずれは違うとこになるけどな。
 楽しげに呟くカラスバに清花は理解できないと首を横に振る。何度も、何度も。
 善人ではないとは思っていた。かといって完全な悪人でもない。根には優しさを持った人だと。
 けれど、これは。
 言葉は通じているはずなのに。どんなに訴えても話が通じない。
 カラスバが目の前に立った。
 目線はほぼ同じながらも、サビ組のトップの圧や単純な男女の違いに肌が粟立つ。

「オマエが選んだんやで」
「選んでない……!」
「選んだやろ」

 カラスバの指先が清花の頬に触れると、慈しむように親指を往復させた。
 指のなめらかな感触や、大切にしたいという気持ちが伝わるようで、清花はますます彼が分からなくなる。

「何回も、何回も。オレに会いに来た」

 涙が滲み、頬を流れた。
 確かに会いたかった。でも、こんな形じゃない。
 画面越しでよかったのだ。届かない場所にいたから、好きでいられた。
 カラスバはその涙を親指で拭う。
 清花は泣きながらも目を逸らせなかった。
 カラスバは変わらずうっとりとしたかんばせで、こちらを見つめてくる。
 なにも悪いと思っていない顔。
 それが酷く恐ろしい。だが同時に胸が痛む。
 一方的に好意を寄せていたのだ。他の人間が推しと称して感情を昂ぶらせるのと同じように。
 どうしてこんなことに。なにが彼を狂わせた?
 カラスバは清花を抱き寄せた。ふわりと香る彼の匂いは心地よいのに、無防備に身を委ねることなんてできない。
 背中に回される腕は見た目の細さとは違い、力強さを感じ、触れている上半身はたくましい。
 抵抗しようとした手は、震えるばかりで力が入らなかった。

「大丈夫や、セイカ」

 耳元で、彼が笑う。

「こっちなら、ずっと一緒におれる」

 その言葉と同時に、頭の中のどこかで電子音が鳴った。見えるはずのないメッセージウィンドウが脳裏に浮かぶ。

 セイカは
 レポートにしっかり書き残した!

 清花は目を見開く。
 なにかが少しずつ、確実に塗り替えられていくような感覚に陥る。
 違う。自分はセイカじゃない!
 わななくセイカを他所に、カラスバは屈託なく笑う。
 まるで長く待ち望んだ日をようやく迎えたような、晴れやかな顔だった。

「ようこそ! ポケットモンスターの世界へ!」