巧緻で狡知な人形⑦

「すごい人ですね……!」
「この島は交易が盛んな島だからね」
「ジータさんはこの島に来たことがあるんですか?」
「ん……まあね。……さて、と! 早く買い物を済ませようか」
 どこを見ても人、人、人。ルリアは目を丸くし、隣に立つジータは元の世界と変わらぬ町の様子に懐かしむが、未だこの世界のルリアたちに自分のことを打ち明けることができずにいるため、話を濁す。
 星晶獣の情報を求め、他の島との交流が多いこの島へとやってきた一行。グランやカタリナはまずはよろず屋へと向かい、ジータとルリアは買い物担当。
 普段はグランと一緒のルリアは今回は自分からジータを誘い、こうして二人きりに。その理由はなんとなく分かっている。
 ジータはグランたちと少しだけ距離を置いている。その理由は自分はルリアたちのことを知っているのに、この世界の彼女たちは誰ひとりとしてジータのことを知らない。
 いくら年を重ねて大人になったといってもまだまだナイーブなお年頃。思うところがあるのは当たり前。そしていつか必ず別れが来るのだ。必要以上に親しくなったら別れがつらくなる。
 ルリアは心優しい子だ。少し離れた場所にいるジータと距離を縮めたいと思ったゆえの行動だろう。
 ジータもジータでルリアと二人きりというのは悪い気はしないので申し出を快く受け入れた。たとえ自分の半身でなくても、自分のことを知らなくても“ルリア”という存在はジータの中では大きく、大切なものなのだ。
「よいしょ……っと」
 町へ向かう前にジータは背中にある大きな黒棺を背負い直す。この世界で唯一自分のことを知っている眠り姫の入っている大事な棺。
 ジータの命を繋いでいる存在、堕天司ベリアル。元の世界では敵同士で最後は最愛の人と一緒に次元の狭間に幽閉された。
 それなのになぜか一緒にこの異世界へと吐き出され、ジータと生命のリンクを結んでいたルリアなきこの世界では彼女の代わりにリンクを繋いだ。
 そして元の世界では不眠だったベリアルも別世界だからと眠るようになり、いつしか目覚めなくなってしまった。
 ベリアルに生かされているジータは深い眠りにつく彼女から離れることができない。なのでこうして棺に入れて常に一緒に行動している。
 この世界限定でベリアルはジータの一番大切な、守るべき存在だ。
「はわわ……待って、ジータさん……!」
 町へと向かった二人だが、早々に人の波にルリアが飲まれてしまう。それに気づいたジータはその波に逆らって彼女のもとへと向かい、困り果てているルリアの手をしっかりと握った。
 少し力を入れれば簡単に折れてしまうであろう細くて小さな手。こうしていると元の世界に戻ったような錯覚に陥る。いつも自分のそばにいてくれるルリアだと、思ってしまう。
「あ、ありがとうございます。ジータ“さん”」
「……はぐれないように、しっかりと握っててね」
 だが違うのだ。自分のことをさん付けで呼ぶルリアは、異世界の存在。その事実にほんの少し寂しさを感じながらもジータは手をしっかりと握っているように告げ、ほんのりと頬を赤く染めながら頷く蒼の少女に対して無性に愛おしさが湧いてくる。
 ルリアの年齢は不明だが、見た目の年齢はこちらの方が上だからだろう。可愛らしさにさらに拍車がかかる。

   ***

「お疲れさま。はい、飲み物」
「わ〜い! ありがとうございます、ジータさん!」
 買い物も一段落し、町の広場の長椅子に座っての休憩。時間も昼ということで人はまばらだ。
 ジータは近くの屋台で搾りたてのりんごジュースを二人分購入し、長椅子に腰掛けるルリアへと手渡すと地面に棺を下ろして隣に座った。その距離は近く、お姉さんと少女の構図は微笑ましいものがある。
「そうだ。ルリア、私のことは呼び捨てでいいよ」
「えっ!? でも……」
「ルリアにはジータって呼ばれたいの。……駄目、かな?」
 驚くルリアに対し、ジータは小首を傾げて愁眉を向ける。やはりルリアには呼び捨てにされたい。元の世界ではずっとジータと呼ばれてきたのだ。異世界の存在といえど、さん付けはむず痒いものがあった。
 大人の女性の憂いを帯びた顔にルリアは赤面し、恥ずかしさから視線を逸しながらも「わ、分かりました……」と了承する。
「なら早速呼んでくれる?」
「は、はい……。ジータ……」
「うん。ありがとう、ルリア」
「なんだか不思議な感じです……」
 見つめ合っての呼び合い。周りの音が遠くなって、ルリアと二人だけの世界に入り込んだように思ってしまう。
 えへへ、とはにかむルリアに抱きしめたくなる衝動が芽生えたが、ジータはぐぐっと堪える。自分の片割れならば突き上げる思いに任せて行動しても驚くのは最初だけだろうが、目の前の少女はルリアであって、ルリアではない。節度をもって行動せねばなるまい。
「あーっ! てめぇはあのときの!!」
 美しき蒼と可憐な蒼の視線の交わり。背景に百合の花が咲き乱れる光景を途切れさせたのは、声だけで粗暴な輩だと分かる男の叫び。
「……誰?」
 いつからそこにいたのか。目の前には赤いバンダナを頭に巻いた目付きの悪いヒューマンの男が一人、ジータを指差していた。その顔はなぜこんなところに!? と驚きを含みつつも、同時に敵対心も読み取れる。
 だがジータには覚えのない顔。顔をしかめ、ぶっきらぼうに告げると、男は怒りに体を震わせた。
「忘れたとは言わせねぇぞ! アウギュステではよくもやってくれたなァ!」
「アウギュステ……? あぁ、あのときの……」
 思い出すのはベリアルがまだ起きているときに彼女とアウギュステでデートをした記憶。その中で嫌がる女性に絡む不埒な男を店から追い出したのだが、まさかこんなところで遭遇するとは。
 アウギュステでも雰囲気を害され、今回も邪魔された。ふつふつと静かな怒りが胸を中心として広がっていき、それは行動へと駆り立てる。
「ジータ……」
 大声で凄む男に怯えるルリアを庇うように立ち上がり、彼女と男を遮るために一歩前に出ると、ジータから発せられる無言の圧に男は怯む。
 蛇に睨まれた蛙とはこのこと。男はジータの怒りを肌で感じ取ったのか額に汗が浮き、頬を流れる。仮に男が屈強なドラフだったとしても、今のジータ相手では動けないだろう。それほどの圧だった。
「私はあなたに用はないの。だから今すぐ消えてほしい。これ以上絡んでくるなら……アウギュステと同じように実力行使するから」
「ひッ……!」
 ゾッとするほどに冷たい声だった。
 ──これ以上関わってはいけない。そう本能で感じ取ったのか、男は声を詰まらせると慌てた様子で去っていった。
「あの、ジータ……?」
「大丈夫? ……なんかごめんね」
 控えめな声にジータはゆっくりと振り向く。今の今まで視線だけで相手を殺せるのではないか、というくらいに鋭い目と重苦しい雰囲気を漂わせていたのが嘘のように明るい声音と表情。
 怖がらせてしまったと謝罪するジータにルリアは「私なら大丈夫です」と明るく返事をする。闇を照らす光の存在の笑顔に、ジータはそれだけで救われるような気持ちになるのだ。

   ***

「クソッ……! あの女……! ッ!? いってぇな!」
 一方、こちらはジータに絡んだものの怯えて逃げ去った男。太陽の光から逃れるように路地裏へと入り、文句を口にしながら歩いていると突然誰かにぶつかった。
「あぁ、悪い悪い。怪我はないかい?」
 悪態をつきながら顔を上げれば黒い服の男が立っていた。自分よりも背が高い男は百八十以上だろう。
 胸元や腹部を露出しており、筋肉質ながらも整った体は思わず見惚れてしまう。
 柔らかな茶髪にオルディネシュタインをイメージさせる緋色の目。鼻筋の通った整った顔を見て、同性だというのに一瞬だけほの暗い感情が胸に宿る。
 人間離れした完璧な容姿にぴったりな甘い声に心臓が変に反応してしまう。一体自分はどうしてしまったのかと内心不安がるが、それを表に出すことはしなかった。
 そうだ。自分はイライラしていたのだ。けれどそれを彼女に直接ぶつけたくても返り討ちにされるのは確定。ならばこの男に八つ当たりするのも──。
「さっきの蒼い髪をした女のコとのやり取り、見てたよ」
「てっ、テメェ……!」
 口元に緩い笑みを浮かべ、身長差から必然的に見下ろされながらの言葉は瞬時に怒りに火をつけるが、妖艶な男は怯むことなく続ける。
「彼女に一泡吹かせたいと思わないかい?」
「は……? なに言ってんだ、お前……」
「想像してご覧よ。キミのプライドをズタズタにした彼女の顔が歪むのを」
 男に言われて脳裏にイメージしてみる。あの凍てつく顔が悲痛に歪み、自分に許しを請う姿。強い女を格下が支配する愉悦を想像して、口が勝手に歪んでしまう。
「…………いや。やめておく。あの女は異常だ。俺なんかが敵う相手じゃねえ。これ以上は関わってはいけない。悔しいが、アレは普通じゃない……」
 アウギュステで会ったときとはまるで違った。店を追い出されたときは正義感からの快活な印象。だが先ほどは彼女の地雷を踏んでしまったような、あのまま絡み続けたら……死ぬのではないか。冗談抜きでそう感じる迫力があった。
「そうか。ザンネンだ。だがオレは彼女に興味があってね。悪いけど付き合ってもらうよ」
「え──」
 瞬間、男の目が鋭く発光し、意識は完全な闇に閉ざされた。

   ***

(私……いったいどうしたっていうの……)
 一度グランサイファーに戻ろうということになり、再び町中を歩いていたジータは異常なまでの怒りの衝動に戸惑っていた。
 雰囲気を台無しにされたことに対して赤い感情を発露するのには違和感がないが、その怒りの度合いが段違い。あそこまで深い怒りを抱くなんて……と自分でも信じられない。
 全身の血が沸騰したように熱くなって、目の前の男が憎くて仕方なくて。早く消えてほしくて。なぜあれほどまでの激情を?
「──ルリア?」
 ふと、気づけば隣を歩いていたはずの存在がいない。手を握っていたはずなのに、その熱はすでに失われている。
 一体いつから──?
 全身の血が凍るような感覚がジータを襲う。寒くないのに体が震えてくる。考えに耽り、彼女の手を離してしまうなんて!
「ルリアっ! いたら返事をしてっ!」
 大声を張り上げ、大切な人の名前を呼ぶ。人が溢れる場所での突然の声は周りをザワつかせるが、ジータはその視線を気にせず走り、蒼い髪の少女を探し回る。
 生命のリンクで繋がっていれば大体の居場所は分かるが、いま繋がっているのは背中にいるベリアル。ジータはルリアがどこにいるのか分からない。
 嫌な予感がする。ザワザワとした焦燥感が胸を蝕み、ジータを襲う。
「そうだ、グラン……!」
 異世界の特異点。本来ならば自分がいるはずの場所にいる男の子。ルリアと生命のリンクを繋いでいる彼ならば場所を特定できるかもしれない。
 彼はカタリナと一緒によろず屋へと向かったはず。もういないかもしれないが、もしかしたらの可能性もある。
 そうと決まればジータの足はよろず屋のある方向へと向かう。背中に重い棺桶を背負っているというのに、彼女は風のように速かった。

   ***

「グランっ!」
「わっ! ジータさん? どうしたんですか、そんなに慌てて……」
「ルリアが……ルリアがっ……」
「落ち着くんだジータ。ルリアがどうしたんだ」
 よろず屋の店先にグランとカタリナの後ろ姿を見つけたジータはその背に声を張り上げ、振り返ったグランの両肩を掴む。
 ジータの行動にグランやカタリナ、彼らと話をしていたシェロカルテは驚愕するも、ジータの様子からなにかがあったことを悟った。
 カタリナが落ち着いて話すように言えば、ジータは一言謝ってからグランの体から手を離し、深呼吸。
 薄い涙の膜を張ったブルースピネルの瞳を向け、ルリアとはぐれてしまったことを告げた。
「私のせいなの……。私がぼーっとしていたから……! 人がたくさんいて、一度はぐれそうになってからはしっかりと手を握っていたのに、私は離してしまった……! それで、ルリアと繋がっているあなたなら場所が分かると思って……」
「大丈夫。落ち着いてジータさん」
 シェロカルテお墨付きの強さを誇るジータの激しく動揺する様は、この場にいる誰もが初めて見る一面。
 とりあえずはジータを落ち着かせようとグランが声をかけ、気配を探るために目を閉じて集中すると、ピリつく場に男の声が割って入る。
「なあ、あんたがジータさんかい?」
「…………」
「私が代わりに聞こう」
 縋るような悲痛な面持ちでグランを見つめるジータには男の声が聞こえていないのか、返事はない。なのでカタリナが代わりに声をかければ、男は一通の封筒を差し出した。
「俺もよく分からないんだけど、赤いバンダナをした男にジータって人にこれを渡せって。蒼い髪に大きな棺を背負っている女だからすぐ分かるって、駄賃にしては多すぎる金を渡されて……。とにかく、届けたからな!」
「あっ、待ってくれ!」
 男は告げると早々に立ち去り、カタリナの声が虚しく広がるばかり。
「ジータ。君宛てのようだ。読んでみてくれ」
「これは……!」
 男の口から赤いバンダナの男と出た瞬間、ジータの意識は手紙を受け取ったカタリナへと向く。
 彼女から渡された手紙の内容を見た刹那、ジータの目の前は真っ赤に染まった。
 俯く顔。ガタガタと震える体。ぐしゃりと握り潰される紙。肌で感じられる憤怒。ジータの豹変に一同が息を呑む。
「……シェロさん。この町の北に丘が?」
「は、はい! あります〜!」
「ジータさん。ルリアの気配も北の方から感じます。……手紙にはなんて書いてあったんですか」
「お前の大事なものを預かった。一人で北の丘に来い。必ず一人で、だ。破った場合、女の無事は約束できない」
 抑揚のない、平坦な声が生み出す言の葉にグランたちに緊張が走る。ルリアが誘拐された。さらにはジータ一人で丘へ来るようにという要求。
 その人物とジータの間になにかがあるとすぐに分かったが、それを口にするのは憚られた。
「私のせいだ……私の……!」
「今は責任の所在を明らかにしている場合ではない。急いでルリア救出に向かわなければ!」
「待って! 私ひとりで行きます。カタリナさんたちは憲兵を連れて後から来てください。ルリアを取り戻すのが先決です」
「……僕もその方がいいと思います。ジータさんはとても強い。必ずルリアを助け出してくれます」
「ありがとうグラン。……一つ、お願いがあるの」
 いつも肌身離さず持ち歩いている棺をグランの足元へと下ろす。
「これを預かってほしい。この中身は私の命よりも大事なものが入っている。……あなたの大切な──あなたの半身の命。私が必ず救い出す」
 それは一種の誓い。もしもルリアの身になにかあればグランの命の灯火が消えることになる。そんなことには絶対にさせないと、ジータは自らの命をグランに預けた。
「分かりました。ルリアを……お願いします」
「ああ、頼んだぞ。ジータ。私たちもすぐ後を追おう」
「お気をつけて〜!」
 仲間たちの信じる言葉にジータは力強く頷くと、北へと急ぐ。棺がない影響か、駆ける速度は段違い。普通の人間ではとうに息切れを起こしていてもおかしくはない時間を過ぎてもジータは走り続ける。
 そんな彼女の内側では様々な負の感情が渦を巻いていた。
 ──怒り、絶望、焦燥、破壊衝動。
 まるで無数の鋭い針が血管を巡っているようだ。
(ルリアっ……! お願い、無事でいて……! あなたを失ってしまったら、私……!)
 元の世界とか、異世界とか、どうでもいい。ルリアはルリアだ。たとえ命を共有していなくても大切な存在には変わりない。
 心優しい彼女がいなくなってしまうことを想像したら……胸が張り裂けそうだった。
 脳裏に浮かぶのは“ルリア”との記憶。空の世界に旅するきっかけになった初めての出会い。空へと旅立ち、様々な困難を一緒に乗り越えたこと。
 どれもかけがえのない、宝物の記憶。
「ルリアーーッ!!」
「ジータ!」
「おっと! そこから動くなよ……?」
 丘の上へとたどり着いたジータが目にしたのは昼間自分たちに絡んできた男と、その男に捕らえられているルリアの姿。
 首元には鋭利な刃物が突き付けられ、体をこわばらせるルリアの姿にジータの感情の器からドス黒い破壊衝動が溢れる。
 それはジータの体を突き動かす。
「ルリアを離せ。死にたくなかったら」
 輝きを失った憎悪の瞳で男を睨みつけると片手を突き出し、顕現させたのは巨大な緋色の剣。元の世界で肉体を捨てたルシファーを打ち破り、得た終末の力の一つ。
 あらゆるものを永遠に拒絶する絶対的な意志を感じさせる剣を前にしてもなお、男にルリアを解放する様子は見られない。
「このナイフが見えないのかァ!? 攻撃したらこのガキの首から鮮血が噴き出るぜ?」
「もう一度だけ言う。ルリアを“離せ”」
 声を聞くだけで体の奥底から震えがきそうな絶対的な者の命令。光を失った蒼い空を見て、ルリアは目を見張る。体も小刻みに振動しているが、男とジータ。どちらに恐怖しているのか。
「は……ハハハハハッ……!」
「ッう……!」
「ルリ、ア……?」
 凄まじい圧に臆することなく──そもそも恐怖という感情が抜け落ちているのか、男は目があらぬ方へ向いている正気を失った顔で不気味に笑うと、ナイフに力を込めた。
 ルリアの白皙はくせきに食い込む刃は少女の首筋に鮮血を一筋垂らす。
「やめて……」
「うぁ、ぁぁぁッ……!」
 さらに肌に沈む鋭い銀色の刃はルリアの血で赤く染まっていく。
「やめろ……」
「ジー…………タぁっ……!」
 涙を流しながら助けを求めるルリアの姿に、ジータの心の器が粉々に砕かれる。並々と注がれ、溢れていた負の感情。それらが洪水となってジータを怒涛の勢いで飲み込んでいく。
「やめろ……やめろぉぉぉぉぉッ!!!!」
 ジータの体から爆発的な力が流れ出し、この世の終わりを思わせる赤黒いオーラは天へと向かってほとばしる。大地は悲鳴を上げ、ジータから発せられる重圧にひび割れていく。
「うぁぁぁぁァァぁッ!!!!」
 喉が裂けんばかりの咆哮。ルリアと同じ色をした双眸は今はベリアルと同じ色をし、ジータはさらなる武器たちを召喚していく。
 大鎌・杖・竪琴・槍・剣・太刀。否定・拒絶の名を冠する十二本の武器がジータの頭上に全て顕現し、同時に島全体に突如として異常気象が発生する。
 空は世界の終わりかの如く赤に染まり、天をつんざく勢いの雷が轟く。島のとある地点では暴風雨が吹き荒れ、別の地点ではブリザードが襲い、大地は怯えるように揺らぐ。
「──殺してやる……!」
 理性をなくした獣と化したジータは血走った目で歪んだ笑みを浮かべる。男は自分が殺される寸前だというのにケラケラと腹の底からの笑いを押し殺す。
「まさか“もう一つの特異点”がこれほどとは……。フハハハッ……! 一人で終末を起こせそうじゃないか。でもザンネン。ここまで、かな」
「え……」
 謎の言葉がルリアの耳に届くと、糸が切れた傀儡人形のように男は倒れた。自由になったルリアはジータと向かい合う。彼女は男が倒れても攻撃を仕掛けようとしており、このままでは男の命はないだろう。それ以前にこの島自体が破壊されてしまう。
「ジータ! もうやめてください! 終わったんです! 全部、終わりましたから……!!」
「ぐッ、ううぅっ……!?」
 ルリアの叫びを聞いて、ジータの体勢は崩れ、苦しげな声を漏らす。その隙をついてルリアは駆け出し、ジータを抱きしめた。
「お願い! 元のジータに戻って! その力に負けないで!」
「ァ……アァぁぁぁ……!」
「しっかりして! ジータっ!」
「う……ぅ……ルリ、ア……?」
 ジータの力が抜けていくにつれて各地で暴れていた天候は勢力をなくしていく。大地の揺れも治まり、赤い空も色が薄まり、やがて元の色へと戻った。
 天変地異が嘘のように晴れ晴れとした青空に戻り、ジータの瞳もルリアとお揃いだ。
「私は……いったい……?」
「いいんです。全部、終わったんです……!」
「ルリア……」
 なにがあったのか知っているはずのルリアは語ろうとしなかった。そんな彼女に対してジータは深く抱きしめる。
 冷え切った心を温めてくれる優しい熱はここにあるんだ。もう離したくない。離さない。けれど意識は薄れていくばかり。
「ジータ!?」
「おーい! ルリア! ジータさーん!」
(遠くでグランの声が聞こえる……? そうだ、ルリアの傷を治さないと……。あ……ぁ、だ、駄目、意識が……)
 ルリアの傷を治さなければ、とは思うが鉛のように重い体は指一本さえも動かせない。
 ゆっくりと閉じられる目蓋。世界に終末を齎すやもしれぬ力の暴走にジータは心身ともに果て、眠るように意識を手放した。

   ***

「う……ぅ」
「ジータ! 目を覚ましたんですね! よかった……!」
「ルリア……」
 宵闇の中。光に導かれて目覚めれば傍らには蒼い髪の少女がホッとしたように安堵の表情を浮かべていた。一瞬だけ自分の知るルリアだと脳は認識したが、首に巻かれている白い包帯を見て、彼女が別世界のルリアだと分かった。
 部屋を見ればジータが使用している部屋だった。どうやら気を失った後、この部屋でずっと眠っていたらしい。
 自分と関わりがある男によってとても怖い思いをしたはずなのにルリアはジータの手を握り、目覚めたことを喜ぶばかり。
 どれくらいの時間眠っていたのかは不明だが、体はまだ本調子ではなく、起きるのも億劫。なので寝たまま、ジータはルリアに謝罪の言葉を零す。
「……ごめんなさい。あなたを危険な目に遭わせた……」
「自分を責めないでください。あの人にさらわれてとても心細かったとき、ジータが助けに来てくれたのを見て私、すごく嬉しかったんです」
「そもそも私がしっかりとルリアの手を握っていれば、あんなことには……」
「それを言ったら私も同じです。誰かに呼ばれたような気がして、一瞬ぼーっとしちゃって。気づいたらあの人に路地裏に連れ込まれて……」
「ルリア……」
 互いに無言になってしまう。この沈黙を破ろうと、ジータは意識を失った後のことを聞いてみた。おぼろげな記憶では自分は暴走し、島全体に多大な影響を与えたような気がする。
「えっと……」
「いいの。教えてルリア。なんとなくだけど私の力が暴走して、島に影響を与えたのは覚えているから」
「あなたが暴走して、島全体を異常気象が襲いました……。けど! すぐに治まったので大きな被害は出ていません。怪我人も。それに誰もあなたがしたとは思ってません。町の人たちは星晶獣の仕業なんじゃないかと思っているみたいです」
「……そう」
「グランたちにもこのことは言ってないので安心してください。なんとか誤魔化したので……」
「ありがとう……」
 嘘が苦手なルリアに嘘をつかせたことに罪悪感がまた一つ募る。
(……星晶獣の仕業、か)
 そうだ。人間ならばありえない。人間だったなら、ば。
 かつてベリアルに人間を卒業したと言われた。ジータはそのときよりも力をつけ、ルシファーの力が宿る武器をも統べた。姿こそ人間でも……中身は化け物だ。
「ジータ……」
「ルリア。もう一つ教えてほしい。暴走したときの私は……どんな顔をしていた?」
 聞けばルリアの顔が分かりやすく曇り、ジータは想起する。あのとき、暴走した自分の中に宿っていたのは純粋な破壊衝動。今なら分かる。あれはアバターの力が影響していたと。
 ベリアルが起きているときには感じなかった激情。今までは制御してくれていたのか、彼女が眠ったことでそのコントロールがなくなってしまい、こちら側に流れ込んできたのかもしれない……と考える。
 ルリアを人質に取られていたというのに、激しく気分が高揚していた。目の前の男を破壊したくて、殺したくて仕方がなかった。
「あのときのジータは……とても、楽しそうな顔をしていました。人を傷つけることに対してなんの躊躇いもない顔。まるで別人になってしまったような……。それに目も赤かったような気がして」
「……分かった。ありがとう。ごめんね、私のせいで怖い思いをさせちゃって」
「そんな、私は……!」
「ごめんなさい。今は一人にさせて……」
 ルリアの言葉を遮るように告げる。ベリアルとリンクしているのだ。なにかしら影響はあると思っていたが、まさかここまでだなんて。
 一人になりたいという願いにルリアは大人しく引き下がった。
「……分かりました。でもこれだけは言わせてください。助けに来てくれてありがとう、ジータ」
 眉を下げ、どこか寂しげな顔をしてルリアは退室する。明るい笑顔が似合う彼女の陰りに申し訳なさを感じながらも、ジータはその背を見送った。
(この力は、みんなを守るためにあるんだ)
 一人になった部屋。床に置かれている棺を一瞥し、視線は天井へ。
 目を閉じ、一度ベリアルの手に堕ちてしまいそうになったときのことを思い出す。あのとき、ルリアとビィのおかげで自分を取り戻すことができ、この力は仲間を守るために使うと誓った。
 今度だって大丈夫。力に支配されたりしない。逆に支配するんだ。
 目を開き、再度棺を見下ろす。そのかんばせは決意を新たに刻む勇ましきもの。
 守るんだ。ルリアを、仲間を、自分の半身であるベリアルを。
 この身に宿る破壊衝動。それを自覚し、受け入れながらもジータは自らの胸に強く刻む。
 もう暴走したりしない。一歩間違えればこの空に終末を齎してしまうほどの強大な力は、大切な者たちを守護するために使うのだ。

   ***

 闇夜に紛れて靴の音が響き渡る。カツン、カツン……。
 壁に設置されている松明が音の主の横顔を照らす。白い肌の眼窩がんかにはめられた赤は揺らめく炎を受け、ほの暗く輝く。
 ここはジータたちが滞在する町にある牢獄。牢屋は地下に設置されており、上には見張りの兵士たちがいるのだが今は誰もいないかのように静まり返っている。
「ぁ……あ……あか……」
 黒衣の男、ベリアルが地下へと向かうにつれて聞こえるうめき声。誰が発しているのか分かっているのか、ベリアルの顔には哀憐の色が浮かぶ。
 灰色の階段を下り、牢屋の床に足を着くとその声はより鮮明なものとなる。
「そら……あかい……あか……」
「やあ。コンバンハ……と言っても、キミにはもう聞こえてないか」
 一番奥の牢屋の中心。そこにはルリアを誘拐した赤バンダナの男が入れられていた。ベリアルは軽く手を上げて声をかけるも、男からの反応はない。
 彼の目はベリアルと重なることはなく、その存在自体を認識できないようだ。うわ言のように謎の呟きを虚空に向かって吐き続けている。
「まさかここまで壊れるなんてなぁ。ま、当然か。あの力をただの人間が至近距離で浴びたんだ。狂わない方がおかしい」
「あか……そら……」
「悪かったよ。まさかもう一つの特異点があんな力を持っているなんて思わなくてさ。本当に申し訳ない。だからこうして来てあげたんだけど」
 鍵がかけられているはずの鉄格子を容易く開けてベリアルは中に入った。男は相変わらずぶつぶつと無意味な言の葉を散らすばかり。
「そら、あかい……せかいが、おわ……る」
「そう。世界が終わる色。オレとファーさんで見る景色。……一足先にイくといい。いずれみんなソッチにイくからさ」
 腕を軽く横に振るえば、鮮血が壁に飛び散った。
 体を離れた男の首は広がっていく血溜まりの中に転がる。
 男の顔はなにかに救われたように目が開かれ、口にはうっすらと笑みが浮かんでいた。ベリアルはそれをつまらなそうに見下ろすと、興味を失ったのか踵を返す。
 階段を上り、床に伏して眠っている兵士たちの間を通って外へ。誰もが寝静まる町は夜の安寧に包まれ、聞こえるのは自然の音と野生動物の声くらいか。
 ふと、吸い寄せられるようにベリアルが顔を上げれば夜の空に燦然さんぜんと輝く月が目に映る。
(もう一つの特異点。アレを堕とすことができればファーさん復活に一気に近づける。そして終末も)
 ジータが暴走したときのことを回想する。男の目を通して離れたところで見ていると、彼女から破滅的な力が一気に溢れたかと思ったら空が終末色に染まった。
 だいぶ距離がある場所にいたというのに肌が威圧感にピリつき、局部が痛いほどに勃起するほど興奮し、それを思い出しただけでまた股間に血液が集中してしまう。
 異世界の特異点。初めて邂逅したときから異質な存在だとは思っていたが、まさかあれほどの力を有しているとは。
 あの力があればルシフェルの隙を伺わなくても肉体を確保することが可能だろう。ルシファー復活後の展開もスムーズに進行できるはず。
(あの子を堕とすのは骨が折れそうだが……フフ。最高の最期を迎えられそうだ)
 特異点は堕ちて世界は終わり。
 つまり、ハッピーエンドだ。