病めるときも、健やかなるときも、

 街の宿屋の一室。そこにジータは一人いた。薄暗い室内。ベッドに寝転ぶ彼女の体は真っ白なタオルケットに包まれている。
 だが眠れないようで天井の木目を見つめながら軽くため息をつく。
 ジータたちの騎空団に舞い込んだ依頼の中にこの街の町長の娘の結婚式についての依頼があったのだ。内容は護衛任務で、つつがなく終わった。どうやら町長が過保護すぎたようだ。
 報酬の他にこうして宿も用意してもらい、ありがたいことだが、今のジータの頭を埋め尽くすのはウェディングドレスに身を包んだ花嫁の姿。
 大きな団を率いる団長であり、勇敢な騎空士でもある彼女も女の子。憧れるし、もし一緒になれたら……と思う人物はいる。だが絶対にその願いは叶わない。なぜならその相手は堕天司ベリアルだからだ。
 ひょんなことから彼女に心奪われ、敵として刃を交えたあともその心はベリアルに奪われたまま。仲間への酷い裏切りとは分かっているが、ジータはベリアルを求め続けている。
「眠れないのかい? 子守唄でも歌ってやろうか?」
「っ……!? 急に現れないでよ……びっくりするじゃない」
 ジータがぼんやりとしていると、今まさに考えていた人物の声がしじまの空間に広がる。一瞬体を硬直させたジータはベッドのそばに立つベリアルを視界の中に捉えた。
 短いダークブラウンの髪を逆立て、鼻筋の通った美しい顔に映える二つの赤星。豊満ながらも形の整った乳房はドレスシャツを押し上げている。
 極上の体の持ち主は低めの声でからかうと、ベッドの縁に腰掛け、それに合わせてジータも起き上がった。
「キミの考えていることを当ててやろうか」
「分かるの?」
「もちろん。あんなに目を輝かせて花嫁を見ていたからな」
「……私だって女の子だもん。好きな人と結ばれたいよ」
「結婚、ねぇ」
「ベリアルには一生縁のない話だね」
 あまり興味がなさそうなベリアルを見てジータは苦笑する。仮に結婚したとして浮気をしないでいられるのか。きっと無理だろう。彼女に束縛は似合わない。
「キミは結婚したいのか」
「してくれるの?」
「そうだな。キミがワタシのいるところまで堕ちてきたら考えてやってもいい」
「それは……難しいかな」
 ジータが絶対に選ばないと分かった上での発言。意地の悪い笑みを浮かべているベリアルにジータは力なく返す。
 彼女を縛るものがなにもなければ、とっくの昔に堕ちているだろう。だが彼女には背負うものが多すぎた。その小さな背には背負いきれないほどに、たくさんのモノを。
「……ねえベリアル。ごっこ遊びに付き合ってよ」
 視線を白いタオルケットへと向けていたジータはなにかが浮かんだのかハッ、とするとベリアルを見た。その顔はいたずらっ子のものだ。
「ごっこ遊び? なにをするつもりだい?」
「こうするの」
 短い声とともにタオルケットを自分とベリアルに掛け、新婦がするベールのようにすると、ジータはベリアルの左手を手に取った。
 白磁のようになめらかで荒れとは無縁。爪の形もネイル映えするもので、細やかなところまで拘った出来栄えからはベリアルを造ったルシファーの熱量が伺える。
「私、一生結婚できなさそうだから。だから付き合ってよ。ごっこ遊びくらいならいいでしょ?」
「キミも物好きだねぇ」
 呆れた言葉を口にするも、ベリアルはされるがまま。それを肯定の意として受け取ったジータは自分の唇の位置にベリアルの手を持ち上げると、静かに目を閉じた。
 祝福してくれる人は誰もいない二人だけの結婚式。結婚指輪もないが、あったとしても贈らないだろうなとジータは思う。
「病めるときも、健やかなるときも……」
「死が二人を分かつまで?」
「ううん。死んでも一緒」
 自然と出てきてしまった言葉は偽りのない言の葉。ジータは刹那、己の発言に目を丸くしたが、ゆっくりとその言葉を心へ染み込ませるとベリアルに誓うように目を閉じて薬指へと口付けた。
「ハッ……。キミはワタシのことを嘘つきと言うがキミ自身も大概だな。いつまで偽り続けるつもりだ? 本心はもう決まっているじゃないか。……全てを捨ててワタシに身を委ねたらどうだ。楽になれるぜ?」
「私が自分の気持ちに素直になったら、あなたは私だけを愛してくれるの? 永遠に」
 開眼し、切なげな目を向けながらベリアルを見れば、彼女はジータの左手を手に取ると、目を閉じて同じように薬指に口付ける。それはジータの願いを叶えようとも言っているようで。
 ──なんて、甘美なのだろうか。だが彼女とは想いは通じ合えない。なぜならベリアルには愛する人が既にいるから。
「嘘つき」
 それでも溺れてしまいたいと思ってしまう自分を見つけ、ジータは無性に泣きたくなるのだ。