辺りは夜の帳が下り始め、一日の終わりが少しずつ近づいてくる。
今日は依頼で寄ったこの島で夜を越す。仕事は終わったので団員たちは各自自由行動だ。
芝生が一面に生える島の高台で、一人林檎をかじりながら街を見下ろすのは黒い服を纏った少女だった。短めな銀髪に真っ赤な目、白い肌。
その顔は彼女が所属する騎空団の団長とそっくりだが、双子というわけではない。
彼女の名前はマリシャス。異世界からの迷い人。帰る方法を探すため、団員としてジータとともに旅を続けていた。
眼下に広がる街は闇色に染まり、ぽつりぽつりと明かりが見える。少しずつ目線を上に移動させれば赤とオレンジが混ざり合う空が広がっていた。
いつもは柔らかな橙色で空を包む色に赤が混ざるだけで、隠れていた禍々しさが牙を剥く。
人々をどこか不安にさせる色。しかしマリシャスにとっては違うようで、二つのレッドスピネルを爛々とさせて邪悪な笑みを浮かべながら林檎を口にした。
しゃり。と、気持ちのいい咀嚼音。すると遠くから人の気配を感じた。もう誰なのか分かっているので、マリシャスは気にせず林檎を食べ続ける。
やがて足音も聞こえてきた。一人分のそれ。わざわざこんなところまで来るなんて、とマリシャスは噛み砕いた林檎の欠片を飲み込む。
「やっと見つけた……マリシャス」
「別に子供じゃないんだから。探す必要なんてないと思うけど?」
残った芯をぽい、と放ると紫の羽のようなファーストールを揺らめかせながらその場で振り向いた。
マリシャスを探していた人物──ジータは困ったような笑みを浮かべ、マリシャスの隣に立った。
自分と同じ顔をした人物。その雰囲気の危うさもあり、心配になってしまうのだろう。
「分かってるんだけど……どうしても気になって。一人でなにを見ていたの?」
「──世界の終わる風景」
「……はい?」
想像もしていなかった答えにジータは瞠目し、素っ頓狂な声を上げてしまう。普段からマリシャスはジータをからかうことが多い。これもその一つなのだろうか。
真意を知りたくて濃い赤に照らされる横顔を見つめるも、汲み取ることはできない。
空を見つめるマリシャスの表情はどこか憂いを帯びていて、その目はなにかを求めるように細められている。
「まあ、今日の夕焼けはなんかこう……怖い、っていうか。ちょっとイヤな感じだけど……」
「この禍々しき空。世界が終末を迎えたときの混沌とした空だとは思わない?」
ジータと目を合わさず、今度は夢心地な表情へと変える。
どうしてそんなに楽しそうな顔で恐ろしいことを言うのか。今まで見たことのないマリシャスの一面を知り、ジータは言葉を失う。
異世界から来た彼女は自分のことを多く語ろうとしない。見た目は普通の女の子なのに、その戦闘能力は未知数。本気で戦ったところはジータの知る限り、ない。
分からないからこそ、怖いと感じた。彼女なら世界を壊すことなど本当にできてしまいそうで。
「フフフ……怖がらせちゃった? でも変だと思わない? どうして空は蒼いのか。時間によって、天候によって一時的に色は変われど、世界が生まれてからずーっと基本は変わらない」
「な、にを、言って……」
「結局は神の都合の産物。正直なぜあの方がそこまで神に反抗心を抱くのか興味はないけれど、私には私の還りたい場所があるワケで、」
「マリシャス!」
嬉々として語る彼女を見ていられなくなって、ジータは言葉を遮るように抱きしめた。
あのまま喋らせているとどこかに行ってしまいそうで、この腕に繋ぎ止めておきたくて、閉じ込めた。
体温の低いマリシャスの体にジータの熱が奪われ、溶け合う。
「ごめん、ジータ。私……」
「あなたには私がいるよ。だから、世界の終わりとか、そんな悲しいこと……言わないで」
体を離し、向かい合う。交差する赤と塗れた茶。
ジータが瞬きをすると目尻に溜まっていた涙がほろりと流れ、頬を伝った。
「ふふっ。あなたには私がいるよって……ずいぶんと大胆な告白ね? ジータ」
片方の頬を手で包み込み、親指で涙を拭い取るマリシャスの表情は穏やかなものに変わっていて、先ほどまでの狂気はもうなかった。
「べっ、別にそんなつもりじゃ……!」
「心配しなくてもなにもしないし、する気もない。この世界じゃ私の願いは叶えられない」
「あなたの願い……?」
力なく笑うマリシャスの言葉の影からは元の世界への強い執着を感じる。ただ帰りたいだけではない。もっと大きな感情を秘めている。
彼女は元いた世界でなにを願って、なにをしてきたのか──。
「知りたい? 教えてあげてもイイんだけど……条件として、私と姦淫しない?」
「かっ……!? ぜ、ぜぇぇぇったいにしないんだから! もう、ほらっ、帰るよ! マリシャス!」
「えぇ〜? それはダンチョー命令?」
「そう! 団長命令!」
顔を真っ赤にするジータとけらけら笑うマリシャスはもういつもの二人だ。
なんだかんだ言いながらも宿へと帰る彼女たち。その遥か上空にあった人々を不安にさせる夕焼けも、今では静かな黒で塗り潰されようとしていた。
終