運命の相手かもしれませんね?

 異次元ミアレのデータ解析は終わりが見えなかった。
 セイカたちが体を張って調査しているのだ。その分自分も身を粉にして働かなければ。
 連日の徹夜。目元に薄っすらとクマが浮かび、顔色もあまり優れないカラスバはパソコンと向き合うがふと、恋人の少女の顔が浮かぶ。
 ──セイカ。いま彼女はなにをしているのか。
 異次元にいるのか。それともこちらの世界にいるのか。
 無性にその顔が見たくなり、おもむろにスマホを手に取ると迷うことなく監視画面を起動する。すると。
「は……、」
 画面に映った映像に呼吸を忘れた。
 街の一角。セイカは見知らぬ男と向き合い、穏やかな表情で会話を交わしている。
 距離も近く、相手の男とはどこか親しげだ。カラスバも知らない男。仲間であるガイやピュールに見せる顔とも違うセイカの面様。
 胸の奥に、ざらついた感情が沈殿する。
 ──あの男は、なんや。
 そう思った瞬間。カラスバは自分でも驚くほど強く歯を食いしばっていた。

   ***

「こんにちは。差し入れのドーナツです」
「こんにちはセイカさん。ありがたく頂戴いたします」
 数時間後。セイカはアンシャが作ったドーナツが入った箱を片手にサビ組事務所を訪れていた。
 ポン。無機質な電子音とともに鉄の扉が開けば見慣れた光景が広がる。
 カラスバのデスクの上は紙や本が乱雑に散らばり、それだけで彼らの頑張りが伝わってくるようだ。
 ジプソに箱を渡し、カラスバの方を見る。
 この部屋に来た瞬間に肌で感じた緊張感。普段とは違う様子に異次元関係でなにかあったのかとセイカは思ったが、
「……さっきの男は誰や」
 挨拶よりも前に出た言葉。デスク越しに見る男は眉間に皺を寄せ、胡乱を宿す黄金にセイカを映す。
 セイカも彼の言葉がなにを指し示しているのか一瞬で察した。
 あのときのこと、カラスバさんに見られていたんだ。
 言葉にはせず喉の奥で転がす。
 カラスバの監視が継続しているのは承知の上。誤解とはいえ彼に嫉妬されるのは意外と悪い気はしないと、セイカはさして驚いた様子も見せずにわずかに目を細めた。
「あぁ、あの人ですか」
 ちょっとした“いたずらごころ”。セイカはわざと柔らかな微笑みを浮かべると、カラスバの目をしっかりと見つめながら言の葉を散らす。
「……運命の相手かもしれませんね?」
 依頼者の男性との会話を思い出しながら意味深なことを告げる。
 そして彼の反応を想像する。数秒後には呆れたように──。
「…………、…………」
 しかしセイカの予想に反してカラスバの反応は違った。
 顔から感情が抜け落ち、目がこれでもかと見開かれる。
 初めて見る表情。まるでショックを受けているような。
 その変化を見てセイカはすぐに笑みを消した。
 無になるとカラスバの真横へと回り込み、彼の顎に指を添えて持ち上げる。
 無理やり上を向かせれば、カラスバは戸惑いの表情。セイカからは普段は感じぬ圧が発せられ、部屋はさらに張り詰めた空気へと塗り替えられていく。
「なぜ、そんな顔をするのですか?」
 先ほどまでの柔らかさとは無縁の低い声はカラスバを咎めるような鋭さを宿す。
 独特の圧を纏う今のセイカは後継者の顔。これもセイカという人間を構成するひとつなのだ。切り離すことなどできない。
「私が他の人間にうつつを抜かすとでも?」
 カラスバを真っ直ぐ見つめる。暗澹を宿す瞳にはなにも映らない。
「……あなたは、私が唯一心を委ねた人です。いつものあなたならただの冗談──嘘だと分かるはず」
 一拍おいての言葉にカラスバは己の間違いに再び瞠目し、口を開きかけるがセイカは発言を許さないかのように親指で唇を押さえつけ、続けた。
「未だ心のどこかで負い目を感じているのですか? 自分以外に、私に相応しい相手がいると?」
 矢継ぎ早に紡がれる言葉の節々に赤い感情が揺らめく。
 セイカは今までカラスバにどれだけ自分が想っているのかを言葉や行動で示してきた。
 頼ることや甘えることを教えられ、ぎこちないながらも彼に対して素直な気持ちで応えてきたつもりだ。
 彼に秘密を打ち明けたのも適当な理由ではない。彼だからこそ、知ってほしいと思ったのだ。
 それなのにどうしてこの気持ちを疑うのか。
 頭では分かっている。今の彼はいつもと違う状態。仕方がないことだと。
 しかし心は疑われたことに赤黒い気持ちが暴れ回る。胸を掻き毟りたくなるほどに。
 こんなのはただの八つ当たりだ。みっともないと分かっていても、セイカは止まれなかった。
 疑う気持ち──信頼されていないということが、許せなかった。
「ふざけないでください。私は生半可な覚悟で、あなたを選んだわけではありません」
 顎を掴んだままの手を離さず、セイカはきっぱりと言い切る。
「私が欲しいのはカラスバさんだけ。この気持ちを疑うことはあなたであっても──許さない」
 近づく顔。しかしセイカの唇が向かった先はカラスバの唇ではなく、頬だった。
 カラスバから見てセイカは体だけ歳を重ねた子ども。子どものうちは唇へのキスもしないという彼の意思を尊重しつつ、大切にしているという気持ちを少しでも伝えたいがための妥協案。
 優しく触れるだけの口づけ。ぴくりと反応するカラスバに少しだけ気分がよくなる。
 綺麗で格好よくて、可愛い人。
 自分だけに向けられる反応に重苦しかった胸が少しずつ軽くなっていく。
 名残惜しさを感じながらもカラスバから離れ、セイカは静かに視線を伏せた。
「あの人はただの依頼人です。以前あなたが浮気の話をなさったでしょう? そのお返しのつもりでしたが……」
 小さく息を吐く。
「疲れている方にすることではありませんでしたね。ごめんなさい」
「……勘弁せえや。ジプソもおるやろ。……オマエの言うとおりや。疑うなんてな、自分で思うとる以上に疲れとったみたいや」
 深い深い息をカラスバは吐き出すと額に手を当てて、やれやれと首を数回振る。
 セイカに言われて自覚する疲労。疲れは人をネガティブな考えにさせやすい。
 彼女の言うとおり普段の自分ならば男のことは問いただすとしても、セイカの答えに「そないなわけあるか。セイカの運命の相手はオレや」と呆れながらも笑ってやるのに。
「私もちょうど休みたいと思っていたところなんです。上で休みますよ」
 サビ組の最上階には泊まり込みで仕事をする際などに使うカラスバの私室がある。普段生活しているアパルトマンよりかは狭いが、暮らそうと思えば十分生活できる。
 ベッドも大きいのでふたりで寝ても窮屈に感じることはない。
「拒否権はあらへんの?」
「あらへんです。私もカラスバさん不足で……その、甘え……たい、です」
 さっきまでの圧はどこへやら。尻すぼみになっていく言葉にカラスバもやれやれと言いたげに表情を和らげると、椅子から立ち上がった。
「まったく。高圧的になったり甘えたりと忙しいやっちゃな。……ジプソ。あとのことは頼んだで」
「かしこまりました。セイカさん、カラスバさまのことをよろしくお願い致します。丸一日お休みになられても構いません」
「はい。ではカラスバさんをお借りしますね。ジプソさんも無理はしないでください」
 控えていたジプソに声をかけると、カラスバはセイカに手を引かれてエレベーターの中へと消えていく。
 上へと向かっていくふたりを見送り、ようやくひとりになったジプソは静かに、しかし肺に溜めた空気をすべて吐き出すように長く息を吐いた。
 カラスバとセイカが結婚を前提にしたお付き合いをしているのは承知しているが、それでもいちゃつくのは人目を考えてほしいものだ。
 ひたすら空気に──否、セイカのカラスバへの重い感情に内心乙女のように反応してはいたが、とにかく無に徹していたジプソはひとり黄昏れると、少しでも上司の負担を減らすべく動き出そうとしたが。
「……わたくしも、休憩にしますか」
 自然と目に入るのは手に持ったままの箱。セイカから渡されたドーナツ。
 箱から漂う甘い香りは疲れた体には強烈な誘惑となり、ジプソの姿もまた、エレベーターの中へと消えていった。