(大丈夫なんだろうか……)
つい先日ボスから伝えられた“ボス代理”の話。
ボスとジプソさん、ふたりともミアレから離れた町での会合に参加しないといけないとのことで、数日ほど留守。
一週間以内には戻ってくるとはいえさすがに顔役がいないのは芳しくないとのことで、なんとセイカさんが代理として一時的にボスの座に抜擢された。
──セイカさん。彗星のごとくミアレに現れた女性。俺が知っているのはポケモンバトルで無敗を誇る、ボスの将来のお嫁さんってことくらい。
一部の組員が言うにはセイカさん自身も強いらしい。以前、エレベーターから飛び出してきた債務者を簡単に制圧したと色んな奴が言っていた。
そのとき俺は外に出ていたから実際に見れず、みんなが言うならそうなんだろうとは分かるけど……正直信じ切れていない自分がいる。
だからこそ一時的とはいえボス代理っていう重要な役職に女の子を就けていいのか。ボスやジプソさんが太鼓判を押すとはいえ……。
「おはようございます」
「……!」
そろそろセイカさんが来るからと、いつものように事務所の一階で他の組員と列を成して待機していたときだった。
凛とした声とともに入ってきたのは背筋が通った美しい人。ボスと同じ服装をしているけど、大きめのジャケット──もしかしてボスのもの? を肩に羽織っている。
ジャケットの胸元には俺たちと同じようにサビ組のバッジが鈍く輝く。
いつもはアップにしてる髪も下ろされ、肩より長い髪は毛先付近が緩いウェーブになっていた。
見ているだけで自然と姿勢がよくなり緊張してしまう。見た目は違ってもその顔は紛れもなくセイカさん。
普段の彼女はどちらかといえば可愛い系だ。でも今は上品な綺麗さ。威圧感もある。ボスのことを知らない人にこの女性がサビ組ボスだと言ったら信じてしまいそうな。それほどの圧。
本当にこの人があのセイカさんなのか?
「おはようございます、セイカさん。カラスバさまとお揃いの服もよく似合っています」
「見た目から入るのは大事ですから。カラスバさんからの直々のご指名ですし、気合いを入れてみました。これなら舐められないですよね?」
「もちろん。さあ、カラスバさまがお待ちです。早くその姿を見せてあげてください」
近くにいた女性組員と軽く会話をする様子はいつものセイカさんだ。彼女の言うとおり見た目は大事。初対面の人間を判断する材料に適している。
特に俺たちみたいな舐められたら終わりの世界なら、なおさら。
その点で考えるとセイカさんの見た目は十分だ。漂う品の良さが相手を逆に緊張させるだろう。
***
ボスとジプソさんが出発して数時間後。組員たちもそれぞれの仕事のために外に出たりと散らばっていた。
俺は今日は内勤。事務室で債務者たちのデータを整理していた。
パソコン画面に映し出される文字の羅列たち。
ふと、ひとりの男でマウスを動かしていた手が止まる。借金が三桁、返済もぼちぼち……。そろそろ締められてもおかしくない。
けど今はボスが不在。セイカさんが代理をしている間は表の仕事だけするようにボスにはしつこいくらいに言われていた。
……綺麗事だけじゃ、守りたいものは守れない。
俺たちはサツの世話になっていないだけで、やることはやっている。
もちろん証拠を残さないように慎重にやっているが、もしかしたら警察上層部とボスが“仲良し”の可能性もある。そこまではしたっぱの俺は分からないけど。
とにかく。セイカさんは将来俺らの姐さんになるお方でも、まだカタギ。そういう仕事を見せたくないというボスの気持ちも理解できる。
(少し外の空気を吸うか)
部屋にこもってのデータ整理も一区切りしたところで、気分転換をするためにエレベーターで一階に戻れば。
「こいつ……! 大人しくしろや!」
「おい! どうした!」
「借金踏み倒してミアレからバイバイしようとしてたんや! 駅に向かう途中で見つけたからそのまま連れてきたんやが……」
扉が開くと広がる光景はある意味では見慣れたもの。債務者の男が取り押さえられていた。
暴れるが上からふたりの男に押さえつけられ、どうにもできない。
(あれ、こいつ……)
見たことがあるぞ? というかさっき見たばかりだ!
借金が膨れ上がったあの男。なにを血迷ったのか逃げようとするなんて、ボスが知ったらどうなるか。
だがどうしたものか。今はボスは不在。クリーンな仕事だけやるように言われているのに、これは……。
それが分かっているからこそ、男を連れてきた奴も困ったように顔をしかめている。かといって借りた金も返さずにトンズラしようとした奴を見逃すわけにはいかない。
──ポン。考えあぐねていると、背後から電子音。全員の視線が、背後の鉄の扉に釘付けになった。
「これは、何事ですか?」
「セイカさん……!」
やってきたのはセイカさん。その後ろには彼女の補佐として抜擢された古株の女性組員。彼女も目の前の光景に驚き、眉を寄せる。
まずい! さすがにこれは誤魔化しがきかない。
ここはひとまず素直に打ち明けて、監視付きで男を解放した方がいいのか……!?
焦りに焦る俺たちをよそに、セイカさんは冷静に場を眺めていた。
(怖くないのか!?)
いくら代理に選ばれたとはいえ、カタギの人間ならば暴れる男に対して怖いと思うだろう普通。けど彼女は一切取り乱したりする様子は見られない。
じわじわと彼女の異質さが身に染みてくる。
「代理。実は……」
男を連れてきた組員が訳を話す。
「……そうですか。顔を上げてください」
床に押さえつけられ、情けなく這いつくばる債務者の前にセイカさんは歩み寄り、片膝を折った。
俺たちは固唾を飲んで見守るしかできない。彼女はなにをしようとしているのか。
静かながらも通る声は命令というよりかは、そうするのが当然と言うような声音。男も反射的に顔を上げた。
「な……! あ、あんたは……!?」
男の顔が驚愕に歪む。そりゃあそうだ。ミアレを救ったヒーローそのものの存在が、サビ組側の人間として出てきたんだから。
「借金を踏み倒して、ミアレから逃げれば済むと思ったんですか?」
微笑み、声は穏やかながらも……なぜだろうか。──怖い。
ありえない! 俺よりも年下の女の子だぞ!? それなのに、なんで……。
「あ、いや、それは……! 逃げようなんて……!」
「お金の話で、なあなあはあきませんよ?」
その言い回しに俺以外の組員たちも息を呑む。
ボスに寄せた口調。甘さのない冷えた声にぶわりとポッポ肌が立つ。
「代理とはいえカラスバさんに組を任されていますから。格を落とす真似をするつもりはありません」
「っ……!」
「借りたものは返す。当然のことです。返せないなら……そうですね。あなたにお仕事をしていただきます。まずは市民の方からポケモンが置いた岩の撤去を依頼されているので、お願いしますね?」
セイカさんは立ち上がると、男を連れてきた組員を監視役として仕事を指示した。
ミアレのためになる仕事。ボスも返せないならミアレのために働かせる人なのでやり方としては間違ってない。
「もちろんこれだけであなたの借金がチャラになるわけじゃありません。さすがにそこまでの権限は私にないので」
エレベーターへと向かうため、踵を返したセイカさんが一度だけ振り返る。
「……次に同じことをしたら、この程度では済まないと思ってください」
じろりと視線を細め、釘を刺すとセイカさんはエレベーターへ。
なぜこんなにも堂々として、しかも手慣れている様子なんだ。
(彼女は、いったい……)
俺らが知らないだけで元から“こちら側”の人間なのか? そうとしか思えない。
こつり、こつりと上品な靴音を奏でながら離れていくセイカさんの背中を見て浮かぶ疑問。
あと少しでエレベーターに着くというところで、債務者がぶつぶつと何か言っているのに気づいた。
「なんで……なんでだよ……ミアレの英雄がサビ組なんかに……! しかも代理ってどういうことだよ……!」
顔を伏せての呟きは徐々に大きくなっていき、最後は空気を震わせるような、下卑たな笑いが響く。
「英雄サマも所詮はオンナか! カラスバにどんなコトされて堕ちたんだかなあ!!」
「なっ……てめえ!!」
温情を掛けてもらった癖にセイカさんを貶め、あざ笑う男にさすがの俺も堪忍袋の緒が切れた。
反射的に手が出そうになったとき。
「っ!?」
空気が、変わった。
背後からはセイカさんが近づいてくる。一歩。また一歩。
靴音は死刑宣告。体も冷えていき、冬でもないのに震えてくる。
空気も重苦しく、冷や汗が滲む。
そばまできた圧に俺の足は自然と距離を取り、セイカさんは男の目の前へ。
今度は膝を折ったりしない。首を下げたりもせず、視線だけが男を見下ろしていた。
今の彼女は冷徹なまでに無だった。こんな顔、見たことがない。俺が知る彼女は明るくて笑顔が似合う女の子。
この人は本当にセイカさんなのか? それともこの姿が本当のセイカさん?
呼吸を忘れそうになるほどの威圧感。この場にいる全員が彼女の顔を見ることが出来ずに顔を伏せる。もちろん、俺も。
債務者も今の今までのイキりはどこへやら。額を地面にこすり付け、可哀想なくらいにブルブルと震えていた。
「言葉を選びなさい」
ビリッ、と空気に電気ショックが走った気がした。丁寧な口調はさっきと同じはずなのに、明らかに違う。
俺に対して言ったわけじゃないのに体が反射的に竦んでしまった。
「まず、間違いを正しておきます。私が彼の女になったのではありません。カラスバさん“が”私の男になったんです」
平淡に告げる声はあのボスすら呑み込むほどの毒の気配がした。
「それと──」
顔を伏せつつ、目だけでちらりとセイカさんを見れば彼女は口元に微笑みをたたえていた。
でも目は笑っていない。黒いまなざしが男を縫い止める。それが余計に恐ろしかったが、冷たい恐怖の中に宿る魅力に俺の視線は逃げることができなくなった。
「今あなたが口にした言葉。誰が聞くことを許しましたか?」
「ひ……、ひぃっ……」
「英雄だの、女だの、堕ちただの」
一つひとつ、指折り数えるように。
「それらを判断する立場にあなたはいません」
ボスとはまた違う恐ろしさ。態度や声を荒らげること、ましてや暴力が一切ないからこそ、もしかしたらボスより怖いかもしれない。
「命がある。自由に息ができる。今ここで“話す権利”がある」
ぎゅ、と心臓を鷲掴みにされている感覚に陥る。
彼女が少しでも力を込めたら、そのまま握り潰される。そんなあり得ない妄想が脳裏をよぎった。
「それは全て──私が許しているからです」
男が大きく体を跳ねさせた。今頃は舐めた口をきいたことを後悔してるだろう。あのまま大人しくしていれば、今頃はこんな思いをせずに岩の撤去をしていたはずなのだ。
口は災いの元。昔の人はよく言ったものだ。
「私は自身のことを英雄、ましてや救世主などと思ったことは一度もありません」
その口調は淡々と事実を告げるようだった。
ミアレを救ったのは違いない。ただセイカさん自身の考えは違うようだ。むしろそう言われるのが好ましくない、嫌だとすら感じられた。
「下品な言葉で私を測ろうとしたのがあなたの失敗でしたね。……仕事内容を変えます。オヤブンサメハダーを目の前でじっくりと観察したいと捕獲依頼をしてきた方がいましてね。報酬は弾みますがオヤブン相手は危険なので腕の立つ方、もしくは私が行こうと思いましたが──その前に」
ここでようやくセイカさんは首を傾け、男を見下ろす。相変わらず微笑んではいるがその眼差しは変わらない。
「次に口を開く前に。自分の命の持ち主が誰なのか、よく考えて発言してくださいね?」
──サメハダーの捕獲、していただけますね?
「っひ、お、オヤブンなんて……」
顔を上げた男の顔は情けないほどに歪み、みるみるうちに涙で目が潤んでいく。
普段から二十番ワイルドゾーンで、オヤブン相手に元気よくローリングしているセイカさん。
彼女からすればサメハダー捕獲なんて朝飯前だが、一般人はそうはいかない。
「なにか言いましたか? すみません。聞こえなくて。もう一度。今度は大きな声ではっきりと答えを聞かせてください。捕獲、できますよね?」
拒否権なんて最初からない。“はい”以外の答えは許されない。
どう足掻いても覆すことなどできない“肯定”に、ついに男はぶわりと大粒の涙を流し、みっともなく鼻水垂らしながら子どものように泣き喚く。
それでもセイカさんは眉ひとつ動かさずに答えを待つ。
「ひ……ひっ゛……! やり゛まずっ゛っ! やらぜでっ、い゛ただぎまずぅぅ゛ぅ〜〜!!!!」
「ではお願いしますね。……監視として彼に腕の立つ方の手配を」
ここでようやく張り詰めていた糸がほどけていくように場の緊張感が緩んでいき、俺は少しでも多くの酸素を取り込むように何度も息を吸い直す。
自分の好きなように呼吸するなんて当然のことなのに、今ではありがたみさえ感じる。
補佐の組員に小声で腕の立つ人間を付けるように指示する辺り、最低限の保証はするようだ。
命までは取らない。つまりは怪我をしても生きてさえいればいいという、本当に最低限。
「“お仕事”はまだまだ沢山あります。ミアレをよりよい街にしていくため、お互いに頑張りましょうね?」
しゃがみ、にっこりと貼り付けたような笑顔で首を傾け、債務者に言うものだから余計物騒に感じる。
この先、絶対にセイカさんを怒らせないようにしよう。そう思ったのは俺だけじゃない。周りの奴の顔を見れば分かる。
下手すればボスやジプソさんよりも怖いかもしれない。
少し前まで感じていた不安なんて吹き飛んでしまった。なんて人をボスは射止め、違う。ボスは惚れさせたんだ。
「多額債務者の方のリストを作成していただけますか? ──さん」
「えっ!? は、はい! お、俺の名前……覚えてくださったんですか?」
突然名前を呼ばれたような気がして思わず変な声を出してしまった。まさかと思って聞いてみれば、彼女は当然のことだと言うように頷いた。
「いずれは皆さんと働くことになりますし、これを機に全員の名前を覚えました」
俺は白昼夢でも見ていたのか。目の前の彼女は明るくて元気なセイカさんに戻っていた。
借金で首が回らない人間ほど何をするか分からない。
組を任されている間に今回のようなことが起きないようにするため、仕事を斡旋しながら監視を強めるとのこと。
(名前、呼ばれただけなのにな)
上の部屋に戻っていくセイカさんを見送り、俺は名前を呼ばれたシーンを脳内再生する。
芯の通った声で、日陰者の俺には眩しい笑顔で呼んでくれて……。
(っ! いけねえいけねえ……セイカさんはボスの恋人……)
妙にうるさい心臓を落ち着かせるように胸を手で押さえる。
ボス自身も相手を魅了し、自分すら侵しかねない毒を持っている。俺だってその毒に惹かれたひとりだ。
けど……セイカさんはボスとはまた違った毒。気づかない間にじわじわと入り込み、蝕んでいく。
遅効性の媚毒。そんな言葉が浮かんだ。
気づいたときにはもう遅い。思考に居座って、彼女から離れられなくなるような。
(俺も鋼タイプのポケモン、捕まえようかな……)
俺の手持ちは毒タイプのポケモン。
ジプソさんがボスの毒に魅了され過ぎないようエアームドを見るように、俺もふたりの分の毒に耐えるために鋼タイプのポケモンを見よう。うん。そうしよう。
兎にも角にも。ボスとジプソさんが帰ってくるまでの間、不安に思うことはなくなった。むしろ頼もしささえ感じる。
今日の業務が終わったら早速ポケモンを捕まえにワイルドゾーンに繰り出そう。
予定を組み立てながら、俺も事務室へと戻った。
終
