あたしの知らないセイカの顔

 昼下がりのミアレシティ。観光地として賑わっている街は活気に満ちているが、その賑やかさの裏側では雑音も混じる。
「だから無理だって言ってるでしょ!」
 表通りから少し横道に逸れた路地裏にデウロの姿があった。表には人の往来も多いが、一歩細道に入ればそうはいかない。
 険しい面様ではっきりと拒否の言葉を告げる彼女の前には男がひとり。見た目からして軽薄な雰囲気の彼にデウロはナンパされている最中だった。
 嫌な顔をされても男に引く様子は全くなかった。距離感という概念をどこかに置いてきたような顔で、にやにやと下卑た様子で食い下がる。
「そんな怖い顔すんなって。せっかくの可愛い顔が台無しだぜ?」
「っ……しつこい……!」
 ぎりり、とデウロは端正な顔を嫌悪に歪めて歯噛みする。どうすればこの男はいなくなってくれるのか。
 ポケモン勝負で追い払おうとしたときも「俺、トレーナーじゃないんだよね」とバトルを受け入れてもらえず。
 いっそのことポケモンを出して威嚇するか。
 しかし結局は無抵抗の相手に攻撃なんてできないし、したとしてデウロの方が悪くなるのが分かっているので男は意に介さないだろう。
 八方塞がり。こうなったら全速力で逃げるしか──。
 そう思ったとき。
「やめてください」
 背後からの声はよく知った声。差し込む希望の光に待ちわびたように振り向けば、そこにはセイカの姿が。
 ピュールから貰った白い帽子。エムゼット団のロゴを背負ったブルゾンを身に着けている彼女はデウロにとってお馴染みの姿。
 セイカの顔を見ているだけで気分が晴れてくる。この状況もどうにかなる。そんな気持ちにすらなってきた。
「彼女、嫌がってますよね?」
「セイカ……!」
 迷いなくデウロの前に立ち、庇う。柳眉を逆立て、男を牽制するも肝心の相手はセイカを値踏みするようにじろじろと下品な視線を寄こす。
「君、その子の友だち? セイカちゃんっていうんだ。名前も可愛いね〜。君も一緒にどう?」
「本当にやめてください」
 男とセイカたちには身長の差もあり、下から睨みつけてくる女の子に怖いという感情など一切ない様子。
「そんなつれないこと言うなって。絶対楽しませるからさ!」
 男の手がセイカへと伸びる。その先は肩。距離は詰められてき、触れそうになった瞬間。
「──その手。どこに触れようとなさっているのでしょうか」
 空気が一段沈んだ。
 低く、しかしよく通る声に男の体は反射的に止まった。
 声を荒げたわけでもなく、ただ口調が変わっただけなのに帽子から覗く暗澹を抱える眼差しは酷く冷たい。肩に触れようとした指先から体温が奪われていくような。
 セイカの後ろにいるデウロも感じたことのない威圧感に呼吸を一瞬忘れる。
 目の前にいるのはセイカのはずなのに。セイカなの? と疑問が浮かんでしまうくらいに。
「な、なにマジになってんだよ。ちょっと触るくらい、」
「触る“くらい”?」
 セイカは小さく首をかしげる。口元には薄い笑みが貼り付けられているが、温かさは微塵も感じられない。
 目は当然のように笑ってはおらず、視線で男を責め立てる。
 思わず逸らしたくなるほどだというのに、男の目はセイカから逃れられない。
「あなたにとっては些細な行為。けれど受け取る側にとっては暴力になりえる……という想像はなさらないのですね」
 すっ、とセイカが一歩前に出れば男の手が肩に触れそうになったが、男の方が一歩下がったので触れることはなかった。
「それとも承知の上で、無視しているのですか?」
「っ!」
 一切逸らされることのない“くろいまなざし”に男は背筋が粟立ち、あれだけ挑発的な態度を取っていたとは思えないほどに小さくなると手を引っ込めた。
 絡む視線。逃げ場を探そうとする男の目をセイカは捕まえ続ける。
「彼女も、私も。やめてくださいと伝えました。それでも続けた。それがどういう意味を持つのか」
 再び一歩近づく。男は下がる。
「あなたは今、拒否をした相手に手を伸ばそうとした人間。見た感じ観光客のようですが……せっかくの旅行なのですから、楽しい思い出だけ持ち帰りたいですよね?」
 纏う圧が言葉をより鋭利な刃物へと変化させていく。
 体格差やそもそもの性差では男の方が有利だというのに、彼は喉が狭まって言葉が出てこない。
 温度が失われていく顔色からはついさっきまでの軽さはなく、己の軽率な行動を後悔しているようだった。
「知らない土地であまり羽目を外すと、痛い目に遭うかもしれませんよ?」
 にっこりとした笑み。笑っているのになぜか無性に恐ろしくなって、男はあはは、と誤魔化そうとしたが顔は引きつり声は出なかった。
「今すぐ立ち去る。それでこの話は終わりです。それとも……これ以上を望みますか?」
「そ……れは……」
 目の前の少女から放たれる異様な雰囲気。これ以上関わるのは危険だ。さすがの男も観念したのか、ごくりと喉を鳴らすと静かに顔を伏せた。
「す、すみませんでした……!」
 早口でそれだけ告げると男は転げるように路地を駆けていく。背中を向けた途端、ようやく許されたとでも思ったのかその速度は思わず呆気にとられるほど。
「あ、ありがとうセイカ。助かったよ」
 張り詰めていた緊張の糸がほどけていく。
 デウロは自分の知らないセイカの一面に驚いたが、思い返せばその片鱗を感じることはあった。
 記憶に強く残っている場面はガイの借金の件でサビ組に呼び出されたとき。
 怖い大人に対してセイカは怖がる素振りを見せず、最後まで冷静だった。
「すぐ逃げてくれてよかった〜。デウロも大丈夫?」
 振り返ったセイカの顔はデウロのよく知るもの。柔らかい笑みを浮かべる快活な少女。
 だからこそ余計に分からなくなる。
「うん。あたしは大丈夫。……でも、さっきのセイカ……まるで別人のようでびっくりしたかも」
「実はね……前に見た映画の登場人物を真似てみたの。デウロも驚くくらいなら私の演技、女優レベル!? なーんてね。ねえ、気分転換にカフェに行かない? 嫌なことがあった分楽しいことしよっ!」
「うん……。そうだよね! この近くにおすすめのカフェがあるから奢るよ。助けてもらったお礼!」
「別にそんなこと気にしなくていいのに」
「あたしが気にするの〜!」
 和やかな雰囲気を醸し出しながらふたりは歩き出す。
 よかった。いつものセイカだ。しかし。
(あれが演技なの……?)
 デウロは思う。いま見せている花のような笑顔は何度も見ていて当たり前のものになっている。
 だが少しだけ、先ほどのセイカの方がより彼女らしいと感じてしまったのだ。
 観光客としてミアレにやってきた彼女。ポケモンを捕まえるのは初めてと言っていた割にはバトルの際の指示は的確。
 あっという間にトップへと登り詰めてミアレを救った。
 もし。もしも。セイカがなにかを抱えているのなら。
 果たして自分は受け止めてあげることができるだろうか。
(でも……聞けないよ)
 セイカから話してくれるまで聞くべきじゃない。誰にだって触れられたくないことがある。そもそもはぐらかされてお終いのような気がする。
「デウロ? どうしたの、ぼーっとして」
「あ、ううん! ちょっと考えごとしていただけ。なに頼もうかなーって」
 大切な仲間だからこそ踏み入れてはいけないような気がして。
 デウロは脳裏に浮かんでいた疑問を振り払うように軽くかぶりを振ると、セイカとの日常に戻っていった。