もしもオレが浮気したら、どないする?

「なあセイカ。もしも、や。もしもオレが浮気したら──どないする?」
 昼下がりのミアレシティ。サビ組事務所のカラスバの部屋にて。
 互いに向き合う位置でソファーに体を預けながら、ティータイムという名の休憩時間。
 カラスバが恋人である少女、セイカに思い切って聞いてみるのにはワケがあった。
 昨日の晩。夜も深まった時間。サビ組が面倒を見ている高級クラブの視察帰りをセイカに見られてしまったのだ。
 店のママとともに外に出たところをばっちりと。
 辺りはネオン輝く夜の街。セイカには似合わない場所だというのに、なぜ彼女が?
 大方ロワイヤルの帰りで偶然だろうが、離れていたとはいえセイカと目が合ってしまったのだ。
 しかし彼女は特に興味なさげに視線を外すとそのまま行ってしまったので見られてはいない──いいや、あの目は絶対に認識していた。
 カラスバとしてはただの視察。仕事であり、酒も飲んでいない。
 そもそもの話。仕事以外でこういう店に客として行ったことすらない。
 特にセイカという心を許せる女性に出会ってからはたとえ仕事だとしても、女性相手には殊更気をつけていた。
 ならばここでの発言はセイカに昨日のことを聞き、誤解しているようであれば解くのが正解。
 しかし彼の悪い癖が出た。仮に浮気したとして、セイカはどんな反応をするのか。
 彼女が気になるからこそ過去に興味を持ち、彼女の重苦しい経歴を知ることになった。
 セイカのことならばなんでも知りたい。たとえ現実に起きることなんてないことでも。
 カラスバは冗談めかすように明るい口調で聞く。ただの雑談。たわいのない会話だと。
「…………」
 セイカは数秒だけ黙った。
 カラスバの意図を汲もうとジッ……と見つめる瞳からは感情は読み取れないが、やがて胡乱げな視線に変わるとゆっくりと口を開く。
「……あなたが何をしようと」
 セイカは手に持っていたカップをソーサーにゆっくりと戻すと、静けさが宿る双眸にカラスバを映す。
「最後に私の隣にいればいい……とは言ってあげられませんね」
 凛とした佇まい。場を支配する圧が宿る声にカラスバは自然と居住まいを正す。
「もしもカラスバさんが、私以外を見たとしたら──」
 軽く握った手の人差し指を口元に当て、微笑む。
 けれどそれは温度のない笑み。
 声を荒げているわけでも、ましてや脅されているわけでもない。
 細められる視線にカラスバは生唾を飲み込む。
(あかん。ガオガエンの尾を踏んでしもたかもしれへん……)
 部屋の温度が急激に冷えていくような気がした。
 セイカの視線に縫い止められて、顔を逸らすことができない。
 想像よりもずっと重苦しい反応にほんの少しだけ後悔するが、それ以上に自分の知らないセイカの姿を見ているという現実がカラスバを高揚させる。
 彼女は組織の後継者として育てられてきた。その才能の片鱗をいま、自分にだけ向けられているのだから。
「以前言いましたよね? 私はあなたを逃がすつもりはありません」
 どこまでも平淡な声。怒りもなにもないからこそ、余計に恐ろしい印象を相手に与えるのだろう。
「誰も知らない場所に閉じ込めてしまうかもしれません。……ご安心ください。身の安全は保証します。ふたりきりの空間でじっくりと、甘やかしてあげますから」
 ごくり。カラスバは再び喉を鳴らす。
 サビ組ボスとして様々な相手と渡り合ってきた。しかし年下の少女のただならぬプレッシャーは誰よりも強く、ここにいるのがカラスバでなければ今頃は顔を見れずに俯くしかない。
「ただし外出は禁止。私以外との連絡も、すべて遮断します」
 さらに続ける。
「ああ、サビ組のこともご心配なく。ジプソさんを再びボスに私が支えるのも良いですし──あなたの伴侶として私自身がボス代理として立つのも、悪くない」
 うっそりと歪められる視線。目だけで笑っているのが彼女ならやりかねないという想像を駆り立てる。
「一応私も組織の後継者として“教育”は受けていますから。カラスバさんほどではないかもしれませんが……組をより盤石にしていく自信は、ありますよ」
 冷淡な微笑み。
 その瞬間、カラスバの背筋に冷たいものが走った。
(冗談、ただの興味で聞いただけやのに)
 監禁うんぬんよりも、組織を回す話が即座に出たきたことにゾクリとする。
 お揃いのスーツを身に纏い、堂々とした立ち振る舞いでサビ組を丸ごと背負っていく姿。
 セイカがただの女の子ならばこんなにも鮮明にイメージできない。
 幼少の頃から培われたカリスマ性。彼女が組織から離れても滲まぬその在り方は、もはや生まれ持っての素質としか思えなかった。
 ──見てみたい。
 一瞬だけそんな考えが頭をよぎり、カラスバは内心で舌打ちした。
「……ふふっ。ふふふふっ……」
「な、なにがおもろいねん」
 くすくすと笑い出すセイカに今の今までの張り詰めていた糸がほどけていく。
 一瞬で和らぐ空気にカラスバはついぶっきらぼうに言ってしまうが、セイカは気にすることなく席を立つとカラスバの横に腰を下ろした。
 その距離はゼロ。ふわりと香るセイカ自身の香りにカラスバは否応なしに存在を意識せざるを得ない。
「いきなり何を言い出すのかと思えば……昨日のことでしょう? あの店がサビ組関係だとは知っていますよ。女性は責任者。それに……仕事のお付き合いで束縛するほど、私は浅慮ではありません」
 つつ……、とセイカのしなやかな手がカラスバの太ももを撫で上げる。
 指先が内ももに触れ、驚きながらセイカを見れば彼女は微笑をたたえたまま。
 特別な感情をいだく女の行動に、さすがのカラスバも心臓の鼓動が速まっていく。
 そんな彼を無視してセイカの手は筋肉の膨らみを確かめるような動きで上がっていき、最後は唇にたどり着く。
 ふっくらとしているカラスバの下唇を親指でなぞりながら身を乗り出し、互いの息遣いを感じるほどの至近距離。
 カラスバは毒使いである自分をも呑み込む勢いの媚毒に、セイカの妖艶さに、動けないでいた。
 普段は体だけ歳を重ねた子どもと思って接することが多いカラスバであるが、こうして時折見せる後継者の一面にはあれだけあった庇護欲は吹き飛び、ぐちゃぐちゃにされてしまう。
「先ほどのは戯れ事。私はカラスバさんを信頼していますし、あなたも他の方にうつつを抜かすなんて不義理、ならさないでしょう?」
「オマエの言うとおり、ただの視察。仕事や。酒も飲んでへん。安心し。オレが心許す女はセイカだけや。……少しな、オマエの反応が見たかっただけやねん。堪忍な」
「まあ……戯れとはいえ、必要があれば代理として上に立つ覚悟は本物ですよ」
「セイカ……!」
「ですが」
「い゛たっ!? いきなりなにすんねん!」
「冗談だとは分かっていましたけど、私を弄んだお仕置きです」
 ガブリ。左手の薬指の根本付近に強めに噛み付かれ、くっきりと刻まれる歯型は結婚指輪。
 白魚の手に赤く映えるリングはすぐには消えない。これを見る度に反省しなさいというセイカの顔が浮かんでくるようだ。
「普段はオレに甘えてくる癖にたまにこないな顔も見せられて……オマエこそオレの心を乱した責任、取ってほしいわぁ」
「どちらの顔も私自身。あなたが甘えることや頼ることを教えてくれたからですよ。……素の私を見せれるのは、カラスバさんしかいません」
「そういうとこやで、ほんまに……」
 その言葉が叱責なのか愛情なのか。カラスバ自身にも、もう分からなかった。