カラスバが突如としてペンドラーになってしまってからはや数ヶ月。セイカの生活は一変した。
彼の言葉が分かる人間はセイカしかいないので彼と一緒に過ごすことが自然と増え、朝は彼と事務所へ。
そこでジプソと一日の予定を確認。カラスバの指示をセイカが伝えていた。
そんなある日。今日も朝から事務所で過ごしていたセイカはカラスバに少し出かけてきてもいいかと相談しているところだった。
「クエーサー社に行ってこようかと」
「クエーサー? なんや用事でもあるんか?」
「用事と言いますか……。この間、大量のメガ結晶を掃除したじゃないですか。それでメガカケラが持ち切れないほどに増えたので、メガストーンを交換しに行きたいんです」
ソファーに隣同士に座っての会話。これ以上持ち切れないメガカケラを交換しに行きたいという至極真っ当な理由。
告げるセイカの目の前には大きなクッションに座っているカラスバの姿が。XSサイズといえどソファーには座れないのでジプソが用意したものだ。
「……なあセイカ。オレも連れてってくれへん?」
「カラスバさんを?」
「たまにはゆっくり街を歩きたい気分やねん。普段は市民の皆さんを怖がらせてまうからなかなかできへんからなあ。今なら……まあ、珍しいペンドラーでいけるやろ」
「私はいいですけど……どうですか?」
「わたくしの方からもお願い致します。カラスバさまもいい気分転換になるでしょう。ちょうど今日は晴れ晴れとした散歩日和。こちらのことはわたくしがいるので気にせず、ごゆっくりお過ごしください」
カラスバの背後に控えるジプソを見れば彼からもお願いされ、セイカは頷く。
成り行きで一緒に行動することになったが、実質のデートに気分は晴れやか。
早速カラスバを連れて外へ。サビ組事務所からクエーサー社までは徒歩で行くとなるとかなりある。
だが大人しくセイカの隣を歩くカラスバはどこか楽しげだ。
体を動かすのはあまり好きではない彼も人間のときとは違う視点で愛する街を見て回れて、ジプソの言うように気分転換になっている様子。
時折彼に話しかけながら歩くセイカもよかったと心を緩ませる。
原因不明のポケモン化。意思疎通できる人間は今のところセイカただひとり。
普段はおくびにも出さないが、本当に人間に戻れるのかという不安をカラスバが抱えていることを知っていた。
だからこそ、少しでもその憂慮を取り除けるならばセイカはなんだってする心持ちであった。
「こんにちは。メガストーンの交換に来ました」
「こんにちは、セイカさん。いつもありがとうございます。……珍しい色をしたペンドラーですね。初めて見ました」
「はい。通常の色違いとも違う子なんです。縁があって一緒にいることになりまして。今はお散歩中です」
クエーサー社。受付にいるメガカケラ交換担当の女性とはもう何度も会っているので、今では親しげに会話するほどになっていた。
当たり前だが誰も隣にいるペンドラーがカラスバとは気づかない。
セイカの用事が終わるまで大人しく待機。メガストーンとけいけんアメを交換する様子を眺めていた。
「さて。交換も終わりましたし──事務所に戻る前に少し休みましょうか。そこの広場でミアレガレットでも買って」
「ええな。行こか」
すぐ近くの広場にはいくつかの屋台があり、クエーサー社のすぐそばということもあって人やポケモンが多い。
活気があるのはいいことだが、ここで休憩するという考えはセイカにはなかった。
ミアレガレットをふたつ購入すると、その足は迷うことなく広場から離れていく。
「セイカ。どこ行こうとしてるんや?」
「この先に人が全然いないベンチがあるんです。まあ……見たらその理由が分かるかと」
クエーサー社の裏側へと歩みを進め、細い道へと入っていくセイカにカラスバは思わず声をかけるも行ってみたらのお楽しみと暗に返される。
十八番ワイルドゾーン近くの場所。どんどん奥へとセイカは歩いていく。
奥へ行くにつれて人は少なくなり、目的地に着くと。
「よかった。やはり誰もいませんね」
「なるほどな。ビードルやオヤブンコクーンがこうもおれば、わざわざここで休もういう気はなかなか起きへん」
開けた場所には数本の木々。特にセイカたちの目の前の木にはオヤブン個体のコクーンが吊るさっており、他の木にはビードルも多くいる。
虫ポケモンが苦手な者も多く、苦手でなくともたくさんいるとなると話は別。
休もうと思ってベンチを利用するのにポケモンだらけというのは落ち着かないだろう。こちらから何かしなければ大丈夫といえど。
ハシゴを登ることができないカラスバでも行ける、人がほぼいないベンチとなるとここは最適だった。
カラスバ的には街の賑やかさを眺めながら休むのもよかったかもしれない。
が、ある意味デートなのだからと、ふたりきりで休めるここを選んだのはセイカだけの秘密。
「カラスバさんは平気ですか?」
「あんなぁ……。オレを舐めてる?」
「ふふっ。まさか」
ベンチに座るセイカのそばにカラスバも体を楽にする。こうして軽口を叩けるほどに親密なふたりだが、はたから見れば仲良しのトレーナーとポケモンにしか見えない。
「私、最近思うことがありまして。カラスバさんってメガシンカできるんですか?」
「さあなあ……。一応ペンドラーやからできるんちゃうか? 今度試してみよ! オマエとなら出来る気しかせえへん」
ミアレガレットを食べながらの会話はとりとめのないもの。
けれど街の賑わいから少し離れた場所。吹き抜ける風を感じながらの恋人とのひとときは、互いにとっては幸せな時間そのもの。
ぽかぽかと温まる胸の中心。優しい熱にセイカの表情も自然と和らぐ。カラスバがペンドラーになっても変わらない関係にホッとさえする。
「うわあああ〜〜っ! 助けてくれ〜〜!!」
「なんや!?」
「……ワイルドゾーンからですね。……観光客の方がオヤブンに追われているようです」
静寂を破る悲鳴。助けを求める声はワイルドゾーンから離れた場所にあるここにも聞こえ、遠くからは人々のざわめきが聞こえる。
その中で観光客がオヤブンに追われているというのを知ったセイカは自然と腰を浮かしかけ──止まる。
視線の先にはカラスバが。いくらポケモンとはいえ中身は人間。一緒にいたらオヤブンの攻撃を受けてしまうかもしれない。人間より頑丈な体を持つとはいえ、彼が傷つくことをセイカは望まない。
「セイカ! なに迷ってんねん! はよ助けに行きや!」
「で、でも……」
「悔しいけどな。今のオレは足手まとい。ここで大人しゅう待っとる。……行ったり」
「はい!」
カラスバの言葉にセイカは迷いを断ち切り、ワイルドゾーンへと駆け出す。
すぐに戻りますから。喉の奥で思いを転がし、オヤブンミミロップがいる出入り口から中へ。
観光客の声は近くから聞こえるも、姿は見えないことからボーマンダに追われている様子。
ミミロップの攻撃を避けながら表に出れば逃げる観光客とそれを追いかけ回すオヤブンボーマンダが。
とにかく助けなければとセイカは手持ちのポケモンを繰り出した──。
***
「……え!?」
ワイルドゾーンから観光客を連れ出したセイカはカラスバが待つベンチへと小走りで戻るところだった。
すると遠くに見える光景に時を忘れる。
カラスバから離れた場所。セイカからは背中しか見えない誰かがおり、その手にはモンスターボール。
男がボールを投げ、カラスバに当たると光線が漏れて彼の姿がボールへと吸い込まれる──何度も揺れる様子はカラスバが抵抗している証。
え? どうして? なぜあの人はカラスバさんにボールを投げているの? なにが起こってるの?
頭の中には疑問符でいっぱい。混乱状態を極めて冷静に思考できない。
あまりの衝撃に目の前で起きている光景をぼんやりと見ていることしかセイカにはできなかった。
ボールは数回空中で揺れたものの、最後は光とともにカラスバの姿が出てくる。
彼も突然の出来事に激しく動揺しているのか逃げることすらできない様子。
捕獲できなかったことに男が新しいボールを構えると、弾けるようにセイカは我に返った。
早くカラスバさんを助けないと! 駆け出しながら手持ちのエースが入ったボールを前方に向かって思い切り投げた。
「カイリュー! しんそくでボールを弾いて!!」
一気に距離を詰める技、しんそく。これならば間に合うはず。間に合ってほしい。
お願い。彼を助けて……!
ボールから出てきたカイリューはセイカの焦りを中から感じていたのか、威勢よく鳴き声を上げて技を繰り出した。
オヤブン個体であるカイリューの巨体が一瞬で消え、カラスバに迫るボールを弾くとそのまま庇うように前に出る。
ご主人様の大切な人には指一本触れさせないと、男を睨みつけての威圧。
さすがに男もいきなり現れたカイリューにこれ以上カラスバを捕獲しようという気はもうないのか、じりじりと後退していく。
「やめてください! カラ──そのペンドラーは私のポケモンです!!」
カイリューの横に立つと両腕を大きく広げてカラスバを庇う。
男もまさかトレーナーがいるとは思っていなかったのか、目を丸くする。
「え、でもそのペンドラー“野生”じゃ……」
「っ……!」
だってボール弾かれなかったし……。
男の言い分にセイカは世紀の大発見をしたように思考がまっさらになってしまう。
そうだ。なんでこんな初歩的なことが浮かばなかったのか。
今の彼はポケモンで、“おや”もいない状態。
つまりは野生のポケモン。
男からすればカラスバは通常の色違いとも異なる非常に珍しい個体。ゲットしたいと考えるのも普通だ。
セイカだってそうする。
「君、本当にそこのペンドラーのトレーナー? 珍しい色をしているのを見て適当なこと言ってない?」
「は……、」
分かる。理屈では分かる。男の言いたいことも。
珍しいペンドラーを横取りしようとしてるんじゃ? という至極真っ当な考えだ。
男の言葉にセイカは怒りが沸くかと思いきや、体は逆に冷えていく一方。
心の中がぐちゃぐちゃになる。冷静に話をしなければならない。いつもの自分ならそうしている。
でも今はどうすればいいのか分からない。焦る。焦る。カラスバが盗られてしまう。そんなの──嫌だ!
「ならバトルで決めましょうかバンギラス!!」
「グギャアァッ!」
息継ぎなしで一気に吐き出すと、セイカは相棒であるオヤブン個体のバンギラスを出した。
「っひ……!」
男よりも大きな体を持つポケモン二匹の威圧。さらには少女から放たれる鋭い殺気にこれ以上はやばいと本能で感じたらしい。
男は声にならない悲鳴を上げると一目散に逃げていく。
(っ……?)
遠くなっていく背中を見つめ、セイカは体の異常に気づく。
息を吸って、吐いて。繰り返してもうまく呼吸ができない。
体が震え、指先が冷たくなっていく。
目の前がなぜか暗く、狭まっていく。
心臓が痛いほどに脈打って息が苦しい。
心の水面も波打ち、揺れが収まらない。
「カイリュー……バンギラス。あ、り……がとう。戻って……いい、よ……」
心配してくるポケモンたちをボールに戻したところでセイカはくずおれる。
カラスバさんが捕獲されそうになった。
私のせいだ。一緒に連れて行っていれば。
もっと早く気づくべきだった。彼が野生に分類されることに。
吸っても吸っても楽にならない呼吸の中で浮かぶのは自責の念。自分のせいでカラスバを危険な目に遭わせた。
──絶望。
初めて経験する感情。一歩間違えれば大切な人を失っていたかもしれない未来にセイカは打ちのめされ、なにもかも分からなくなる。
「セイカ!」
倒れそうになったとき。抱きとめてくれたのはカラスバだった。
ペンドラー特有のもちっとした腹部に顔が包まれ、そのまま器用に爪で持ち上げられると近くのベンチへと運ばれる。
「ぁ……から、すば……さ……ごめ、ごめ……なさい……」
「謝らんでええ。大丈夫。大丈夫や。ほんまに……怖かったな」
カラスバにしか見せない弱りきった姿は彼の目には幼い少女に映る。
取り乱しているセイカを少しでも落ち着かせるためにカラスバは低く、ゆっくりとした声で寄り添う。
「よう頑張った。もう終わりや。オレはここにおる。離れへん」
カラスバ自身、数々の修羅場を潜り抜けてはきていた。
しかし捕獲されそうになるという、まず人の身では経験できないことにさすがの彼も恐ろしい思いをしたが、今はセイカが優先。
あまりの感情の揺らぎに今にもバラバラに崩れてしまいそうな少女をカラスバは抱き寄せ、落ち着かせるために何度も頭部を左右に振る。
撫でる手があればよかったのだが、あいにくペンドラーにはない。なので頭部を大きな手に見立て、優しく彼女の髪を撫でる。
首部分にすっぽりと収まるセイカの顔。皮膚が濡れていく感覚、縋るように腕を回し震える様子は冷静沈着なセイカとは思えないほどに弱々しい。
「ロトム! ジプソに連絡や!」
これ以上ここにいても仕方がない。安全な場所に移動しなければ。
セイカのスマホロトムに命令する。
ペンドラーになってしまったばかりの頃は同じポケモンとはいえ他ポケモンの言葉はよく分からなかったが、今は普通に意思疎通ができるほど。
それがペンドラーとして経った時間と、彼の努力の証。
「どうされましたセイカさん──カラスバさま?」
「ジプソ、迎えに来てくれへん? 位置情報はこれや」
「わたくしもカラスバさまの言葉が分かればよいのですが……セイカさんのその様子からしてなにかあったようですね。すぐに向かいます」
「頼んだで」
ビデオ通話。ジプソからすればカラスバはギュイギュイとペンドラーの鳴き声にしか聞こえないのだが、セイカのただならぬ様子や送られてきた位置情報からなにを求めているのかを察した。
カラスバも頷き、通話が切れる。
「すぐ迎えが来るさかい、もう少しの辛抱や」
こくり。首周りでわずかに動いたセイカの無言の返事にカラスバはジプソが来るまでの間、ずっと寄り添い続けた。
***
「セイカさん。いったいなにが……」
しばらくして。迎えに来たジプソはカラスバに抱擁されたままのセイカに声をかける。
ジプソには過去を打ち明けてはいないが、セイカが普通の女の子ではないことは知っていた。
そんな彼女の弱っている姿。相当のことがあったはず。
「カラスバさんが……知らない人に、捕獲されそうに……なって……」
カラスバから離れ、愛用の白い帽子を深く被り俯き加減での言葉はか細い。
「捕獲──あっ!」
ジプソもカラスバが野生のポケモン状態だと今の今まで気づいてなかった様子。
大切な人が捕獲されそうになった。それならば彼女がここまでの状態になるのも納得だ。
「申し訳ありません。わたくしも、部下たちも失念しておりました」
「謝らんでええ。オレ自身も野生ゆう自覚があらへんかった。そもそも人間がポケモンになること自体、特殊すぎるねん。……誰も悪うない」
「カラスバさん……」
「事務所に戻りましょう。歩けますか?」
セイカにはしっかりと彼の言葉が分かるが、ジプソには分からない。
様子からして怒っているわけではなさそうだ、と安心できる事務所に戻ることに。
カラスバを後部座席に。セイカを助手席に乗せた車はブルー地区の事務所へと向かっていく。
その間、車内は静まり返り誰も言葉を発することはなかった。
***
「……カラスバさん。ここに」
「セイカ?」
事務所。カラスバの部屋に戻ってきたセイカはデスクの前に立つと、自分の横を手で指し示す。
先ほどまで青い顔をしていた彼女は平静を取り戻した様子でカラスバを呼び、彼も大人しく従う。
「ジプソさん。あなたはそこで見届けてほしい」
「……分かりました」
ジプソを見届け人とするセイカはなにをしようとしてるのか。カラスバは黙って見つめる。
かち合う眼差し。冷静さを取り戻したといっても、まだ瞳の奥は動揺に揺れていた。
感情の揺れ幅の急激な強まりは、情緒が未成熟のセイカには刺激が強すぎた。
自分の中で気持ちをうまくコントロールできない。あまりにも衝撃が過ぎたからこそ。
今まで人間だったカラスバがポケモンになってしまい──欠落していた。彼が“野生のポケモン”に分類されている状態だと。
誰かに捕獲されていたかもしれない恐怖。
誰かの命令を聞いてしまうようになっていたかもしれない恐ろしさ。
あったかもしれない未来を想像するだけ、セイカは体の芯から冷えていくようだった。
だからこそ、とセイカは震えてしまいそうな体を必死に抑えながら、カラスバの目の前にひざまずく。
腰に着けているポーチからとある物を取り出し、両の手のひらに乗せながら彼に差し出す。
その手の上にあるのはカプセルの上部が紫色、中心にMの刻印が施されている──。
「マスターボール……」
最高性能のボール。使えば必ずポケモンをゲットできるといわれている。
カラスバは言葉を失い、目を丸くしてセイカを見つめた。
──オマエ、本気か?
言葉にせずとも彼が言いたいことがはっきりと伝わる。
「オレもずっと考えてた。オマエにオレのおやになってほしいて。そうすればもうあないな目ぇに遭わへんで済むし、オマエも安心するやろ。移動するにも楽になるしな」
カラスバもセイカも同じことを思っていた。今の自分はトレーナー、おやのいない野生ポケモン。
誰かのものになる恐怖はカラスバも感じていた。
ボールが体に当たり、中に吸い込まれたとき。嫌や! と全力で抗い、なんとか抜け出せたが、もうあんな目は懲り懲りである。
あのときは自分以上にセイカが心を乱していたため、彼女のメンタルを優先して気丈に振る舞っていた。
が、実際はさすがのカラスバも知らない誰かのポケモンになってしまうかもという思いに身が竦んだ。
「せやけどこれはアカン。オマエがモミジリサーチをぎょうさん頑張って、ようやっと貰ったもんやろ。こないな貴重品使わんでもオレは──」
セイカがおやになってくれるならボールはなんでもいい。モンスターボールだろうが、ハイパーボールだろうが、なんだって。
カラスバにとって一番大事なことはセイカがおやになることなのだから。
「せや! ダークボールにしよ! オレのペンドラーとお揃いや!」
せやから、な。そないな大事なもん、オレに使う必要ないねん。
自分に貴重なボールを使わせるわけにはいかないとカラスバはセイカに訴えるが、彼女はただ真っ直ぐ見つめるばかり。
微笑むこともせず。固く真面目な顔で告げる。
「これは。私の気持ちです」
声は静かで、揺れがなかった。
少女らしからぬ“圧”を纏った声は聞いているだけで自然と背筋が伸びてくるのか、カラスバもジプソも姿勢がよくなり、黙って耳を傾ける。
「大切な人だからこそ……ひとつしか持っていないマスターボールに入ってほしい」
ボールを持つ手が少しだけカラスバに近づく。
「私は、あなたを誰かに奪われる可能性を──もう一秒たりとも許容できません」
セイカは静かに目を閉じた。
「所有したいわけでも、閉じ込めたいわけでもありません」
薄く視界を開き、なにかを言い淀むように口をつぐむ。
胸に渦巻くこの気持ちはなんて言うのだろうか。
カラスバを離したくない。誰かのものになってほしくない。でも、そこには独占欲だけじゃない優しい気持ちもあって。
「ただ……。…………私と、ずっと一緒にいてほしいだけ」
「…………」
沈黙が降りる。
カラスバは動くことができなかった。一切逸らされることのない眼差しには覚悟が秘められている。
愛する女にここまで言われて、これ以上御託を並べるわけにはいかない。
「ほんま、かなわんな」
カラスバも腹を決め、一歩前に出た。
「そこまで言われて。入らんのは男ちゃうやろ」
カラスバ自らマスターボールに額を当て、開いたボールから広がる光線に抵抗することなく身を委ねる。
彼の体がボールに収納され閉じると、セイカの手のひらの上で揺れることなく捕獲は完了。
セイカはそっと、ボールを胸に抱く。
かつての自分には守りたい人なんていなかった。
だからこそカラスバが捕獲されそうになったときには、誰かのものになってしまうかもという焦燥、大切な人を守り切れなかった己の不甲斐なさに初めて絶望を経験した。
セイカにとってはただ一人の大切な人。けれど他人の目には捕まえていい“野生”でしかなかった。
「カラスバさん……ありがとうございます」
「セイカさん。このジプソ。しっかりと見届けさせていただきました。あなたがおやならば、誰もが納得するでしょう」
「ジプソさんもありがとう。……なんだか結婚式みたいですね」
固唾を飲み見守っていたジプソが温かく声を掛けるのに合わせてセイカは立ち上がる。
神父の前で恋人に跪き、捧げるマスターボールは結婚指輪のよう。そして彼が自らの意思で入ったことにより、さらに強い絆で結ばれた。
「いつか本物の式を挙げるのを楽しみにしていますよ」
「そのためにはカラスバさんが人間に戻らないとですね」
「……セイカさん。これはシンオウという名の地方に伝わる神話のひとつですが、大昔の人間とポケモンは同一の存在。結婚もしたそうですよ」
「人間と、ポケモンが……」
「現代では……人とポケモンは正式に結ばれることは認められていません。しかしわたくしはカラスバさまとセイカさんの互いを思う愛があれば、祝福されてもいいと考えています」
「……そうですね。私もカラスバさん以外の人を選ぶつもりはないですから。もしもこの先彼がポケモンのままだとしても──ずっとそばにいます」
世界は広い。そんな神話があるなんて。
大昔にそうだったならば、現代でそれが蘇ってもいいのではないか。
セイカは手の中にあるボールを見つめる。
口にした言葉に嘘や偽りはない。彼がこの先ずっとポケモンのままでも添い遂げる気持ちは揺らがない。
彼の大切なサビ組も、守りたいミアレも、全部背負ってみせる。
大きな決意を胸に秘めるとカラスバに誓うように両手でボールを持ち、セイカはそっと……口付けた。
終
