「いい加減カラスバ様に会いに行ってやってくれないかい? ここ数日は仕事量も増えてイライラしているようだし」
「……会ってないの、一週間程度ですよ?」
大都会ミアレシティのブルー地区。洋の町並みが広がる景色にひと際目立つ異国情緒のある建物。サビ組事務所の一階にセイカの姿はあった。
普段の動きやすい服とは違い、ダマスクパープルのジャケットにブラックのブラウス。
下もジャケットと同デザインのダマスクブラック。
帽子も服に似合う物を被っており、見ているだけで背筋が自然と伸びるような圧を感じる。
セイカに話しかけるのはまっさらアネゴ。
今日も今日とてポケモンを生まれ変わった気持ちにさせるため、セイカは彼女のもとを訪れていた。
「前はほぼ毎日会ってただろう? うちのところに来て、そのままカラスバ様にも会いに行ったり。それなのに最近はすぐ帰ってさ。うちらの為にも今日こそカラスバ様に会いに行っておくれよ。あなたに会うだけでご機嫌になるんだからさ」
単純にカラスバに会いに行ったり、アネゴへの用事を済ませてそのまま……というのが常だったが、ここ最近は依頼やモミジリサーチ、ポケモンの育成などで忙しかったのだ。
気づけば一週間。言葉にすることはないがセイカ自身もカラスバ不足であった。
「まあ……。そろそろと思って今日は来たんで。ほら、これお土産なんです。ケーキ。疲れているなら甘いものがよく合いそうですね!」
左手を軽く上げ、持っている小さな白い箱を見せてにこっ! と笑う。
快活な表情ながらもそれが多少無理をしての笑顔ということは、セイカの過去を知っているカラスバにしか分からないだろう。
「……本当に。あなたがサビ組に入ってくれたらいいのにと毎回思うよ。そのスーツ姿もよく似合っているし、バトルも無敗の強さ。なによりカラスバ様のお気に入り。むしろ組員じゃなくて奥方様として……、おっとすまないね。口が滑っちまったよ」
「……いずれはこちらに参加できたらなとは思ってます。今はまだエムゼット団所属ですけど、いつかは。なにより“私が”カラスバさんを欲しいので」
「え?」
「それじゃあ、また」
さらりと爆弾発言をし、思考がまっさら状態になっているアネゴを置いてセイカは踵を返す。
さあカラスバに会いに行こうとエレベーターに続く中央、したっぱたちが左右に列を成す道を歩いていたときだった。
エレベーターから半分ほどの位置で電子音が短く響く。どうやら上の階から降りてきたようだ。
上からならばカラスバか、ジプソか。
相手が降りてくるのを待とうと待機し、扉が開いた瞬間。
「うあああぁぁぁっ!!!! どけぇぇっっ!!!!」
「っ、待てっ!」
鉄の箱の中。見知らぬ男が恐ろしいものから逃げるように腕を振り回して大暴れし、背後に立つジプソを振り切って飛び出してきた。
怒鳴り声を上げ、暴走する勢いのままにセイカへと突っ込んでくる。
おそらく悪質な債務者なのだろう。恐怖が張り付いた顔を見るからにカラスバの堪忍袋の緒が切れたか。
「あっ、」
ジプソがセイカの存在に気づき、短い声を上げる。このままだと彼女に男がぶつかり、怪我をしてしてしまう──そんな光景が瞬時に浮かんだのだろう。
しかしセイカは涼しい顔のまま。左手に持っているケーキの入った箱を守るように数センチ分、体を左へと避けた。
その刹那。彼女の右手が男の喉仏へとスッと伸び──触れる寸前で止まる。
「っ……!?!?」
錯乱状態の男も急に現れた手刀が急所のひとつである喉に触れそうになり、反射的に止まった。
どのみちこのまま突っ込んでも手刀が喉に直撃し、床に倒れるのは必然だ。
「動かないでください」
静かに、そしてどこか品が感じられる口調。
怒りはない。しかし背筋がふぶきに晒されているような圧を間近で感じ、男はもちろんセイカ以外の人間も動けないでいた。
「っ……!? っ……!!」
男は錯乱から回復したが訳の分からない恐怖にぶるぶると体を震わせる。この少女が怖くて仕方がない。
年下の子どもだというのに息が詰まるほどの威圧感。
男の脳裏に浮かぶのは先ほどまで話をしていたサビ組ボスのこと。
彼に負けず劣らずの圧にガチガチと歯が音を鳴らす。
呼吸が浅くなっていく男を見てセイカは静かに腕を下ろすと、流れるような動きで軽く足先で男の重心を払った。
「うぁっ……?」
それだけで男の体は崩れ、自分でもなにが起きたのか分からずに床とキスをする羽目に。
悲鳴を上げることもせず、恐れもせず。ただ目の前に迫るトラブルを淡々と処理したセイカの呼吸はひとつとして乱れてはいない。
「…………」
ジプソやしたっぱ達は目を瞬かせたまま、言葉を失っている。
セイカの過去を知っているカラスバならば今の状況を見てもすんなりと受け入れられるだろうが、彼以外の人間はそうはいかない。
ジプソに関しては悪漢が子どもから奪ったラルトス救出のためにセイカが単身乗り込み、無傷で制圧したのを知っているために驚きは最初だけ。
それでも静寂の中一瞬だけ漏れた鋭い殺気に、動けないでいた。
「こんにちはジプソさん。カラスバさんは上に?」
「あ……あぁ、はい。申し訳ありません、セイカさん。お怪我は……ないようですが」
セイカはなにもなかったように普段と同じ調子で笑みを浮かべると、男を放置してエレベーターへ。
唖然としているジプソを前に話しかける様子は落ちていたゴミをゴミ箱に捨てただけ。当然のことをしたまでという堂々としたものがあった。
「そうそう。これ、ケーキなんですけどジプソさんの分もあるのであとで食べてください」
「ありがたく頂戴致します」
華奢な少女が大人の男を、大した労力もなく簡単に制圧してしまった光景。
カタギとは思えない気配を目の当たりにしてさすがのジプソも動揺してしまったが、鋼の精神を持つ彼は呼吸ひとつですぐに平静を取り戻し、エレベーターに乗り込む背中を見送った。
扉が閉まった刹那。静まり返っていたフロアには男女問わず怒声が響く──。
***
「……ジプソ? なんや忘れ物でもしたんか?」
エレベーターの到着を告げた音にカラスバはパソコン画面から目を離さずに声をかけるが返事はない。
無言のまま聞こえる足音。それは机を挟んだ向こう側で止まった。不審に思い、顔を上げればそこには。
「こんにちは。カラスバさん」
口角を少し上げただけの微笑みをたたえたセイカの姿。
「……」
一瞬の沈黙。疲労による機嫌の悪さが滲む面様が、まるで待ちわびたヒーローがようやく登場したかのように緩む。
「一週間振りですね。多忙続きだとまっさらアネゴに聞きましたよ。ケーキを買ってきたので休憩にしませんか?」
「セイカ……! たった一週間でも久しぶりに感じるなあ。その服もユカリのとき以来か。よく似合おうてる」
「ふふ。格好いいですか? あなたに会うからとジャケットもパープルにしたんですよ」
「嬉しいこと言ってくれはるやん。男前を待たせるわけにはいかへん。すぐにキリつけるさかい、ソファーに座って待っといてな」
明らかに上機嫌になるカラスバにセイカの頬も自然と緩む。
残っている仕事に区切りをつけるためにカタカタとキーボードを打ち続ける指の動きは軽く、セイカもケーキや飲み物の準備をするために別階にある給湯室へと向かう。
お客さんがそんなことせんでええ、と背中に掛かる声も軽く手を上げることで返し、セイカは再びエレベーターの中へと消えていく。
最初にここに来たときはどこになにがあるかなんて分からなかったが、足繁く通うようになった今では少しだけ内部の構造を知ることができた。
それでも全てではない。いつかは全部教えてもらう心持ちではあるが。
「甘さはいかがです? 控えめなので食べやすいとは思いますよ」
「…………」
「カラスバさん?」
カラスバの仕事も一段落し、応接に使うソファーに向き合いながらのティータイム。
万人向けであろう、甘さ控えめのケーキを選んで購入したのはいいものの。実際の感想を聞いてみるが、カラスバはセイカの顔を見て動きを止めている。
「いや……。帽子、取るんやなって」
「室内で取るのはマナーですから。まあ……最初は知った上で取りませんでしたけど。この世界ではメンツが重要。舐められるわけにはいきません」
セイカは傍らに置いた黒い帽子を見て目を細める。
幼い頃から叩き込まれたマナーは現在も色褪せず、染み付いているので室内で帽子を取るのは当たり前ではある。
が、それを実行するか否かはセイカ自身が決めること。
ガイの借金の件で初めてサビ組を訪れたときには舐められるわけにはいかないのと、当然心も閉ざしているので脱がなかった。
「帽子を脱ぐようになったゆうことは、ここが安心できる場所になったってことやな」
「ふふっ。そうですね」
安心。そう表現されてセイカは肯定するが、厳密には違う。カラスバがいるからこそだ。
他人にここまで心を許したことはない。エムゼット団の仲間たちのことは信頼はしているが、過去の罪を打ち明ける勇気はなかった。
嫌われたくない。軽蔑されたくない。みんなのことが好きになったからこそ、明るくて元気な、綺麗なセイカしか知らなくていい。
けれどカラスバは──この人なら、過去を打ち明けてもいいと思った。
そう思って罪を語り、彼女の人生の中で一番心の距離が近い大人になった。
「ケーキもちょうどええ甘さや。おおきにな。……にしてもいけずやなあ、セイカ。事務所に来ても全然オレのとこには来いひんなんて。オマエが忙しそうにしとるのは知っとったけどカラスバさん、寂しかったわぁ」
茶化しつつも、事務所に来て自分には会いに来なかったのをやんわりとカラスバは非難する。
透き通る飴色の飲料を飲んでいたセイカはちらりと彼を見る。機嫌はよさそうだ。
本当に寂しかったのかは定かではないが、会いたかったという気持ちは本物だろう。
彼自身をも侵す毒。人を魅了する毒にセイカ自身、だいぶ侵食されていると思いながら静かにカップをソーサーに戻す。
その些細な所作も優雅なのが、教育の片鱗が滲む。
「なら私を今すぐに引き抜きますか? 毎日会えますよ」
「それはアカン。筋は通さんとな」
「では筋を通してくるのでサビ組に参加させてください」
ほんわかとした空気がスッと冷えていく。真顔で淡々と告げるセイカの様子からして本気なのだと分かり、カラスバも食事の手を止めた。
「どうしたんやセイカ。えらいグイグイ来るやんか」
「……分からないですね。一度は引き入れようとしたのに、こうして私が筋を通そうとしても一歩下がってしまう。なにか問題があるんですか? 私はあなたに秘密を打ち明けたのに。なにを躊躇っているんです?」
セイカとしては墓まで持って行きたかった秘密を彼にだけ打ち明けた。
絶対に吐かせるというカラスバの圧に屈したわけではない。本当に嫌だったら言わない。
最悪、あの場で後先考えずにポケモン大会を開いてもよかったのだから。
そして自分はミアレを去る。エムゼット団のみんなや世話になった人々との別れは惜しいが、自分の過去を知られるわけにはいかない。
安住の地はここではなかったと、後ろ髪を引かれる思いを抱えながらもミアレを離れて新天地を求めていた。
だがそうしなかった。それは彼には過去を知られてもいいと思ったから。
それがどういった理由からなのかは当時は分からなかったが、今でなら分かる。
出会いは最悪だったが、彼と関わるようになってガイたちとは違う感情を意識するようになった。
この人が欲しい。
同じ穴の狢。日陰に生きる人間。彼になら本当の自分を……むしろ知ってほしいと。
「セイカの気持ちは……正直嬉しい。せやけど人生やり直すためにミアレに来たんやろ? 悪いことしとった言うオマエもミアレを救い、今はお天道様の下を堂々と歩けるようになった。……オレはどこまで行っても半端もんで、日陰から出ることは出来へん。オマエを……日陰に閉じ込めたないんや」
カラスバは自嘲するように力なく笑った。
セイカの過去を知り、手を伸ばし続けてもいいと考えたときもあったがやはり高嶺の花。
太陽の下で光り輝いてほしい。自分は日陰から出ることは叶わないのだから。
「なんだ。そんなことですか」
「は?」
しかしセイカは見当違いもいいところだと平淡に返す。
「あなたが言うようにやり直すためにミアレには来ました。けれどその意味は太陽の下を歩ける人間になりたいというわけではありません。自分の意思で選択し、歩いていくこと」
以前のセイカは父親の敷いたレールの上を忠実に、無感情に走ってきただけ。そこに自分の意思はなかった。
人は弱い。だからこそ強者である我々が正しく導かなければならない。
その使命に従い人々を救い、導いてきた。
義務での行動も、今では助けたいから助けるという考えに変わることができた。そこに贖罪の意味はあれど。
「自分で選択し続け辿り着いた先が日陰だろうと日向だろうと、関係ありません」
つらつらと言の葉を散らしながらセイカはカラスバの横へと移動すると、体重をかけて押し倒す。
馬乗りになると逃げられないように彼の両腕を片手で封じ、暗澹を抱えた瞳に妖艶な笑みを浮かべながら柔肌を撫でる。
カラスバの顔も歪みはするが、目立った抵抗はなかった。まるで幼い子がなにをするのか見守る大人の図だ。
「私、今までなにかを欲しいと思ったことは一度もありませんでした。でも今は違う。カラスバさんが欲しい。絶対に手に入れます。あなたが逃げても地の果てまで追いかけます」
息継ぎをせずに一気に思いを吐き出し、セイカは屈み込む。近づく顔。カラスバの香りが包み込み、安心するのと同時に気分が高まってくる。
組み敷く男の美しさに見惚れながら唇を合わせようとしたとき。
「…………」
触れたのは手の平。セイカの拘束から逃れた片手で彼女の口を覆い、キスを阻止したのだ。
心が通じているのになぜ? セイカは心底理解できないと言いたげな、じとっ……とした眼差しで不満を訴える。
愛や恋がよく分からないセイカではあるが、ここはキスをして想いを確かめ合うシーンだろうということは理解していた。
「あぁ……くそっ! そんな顔すな! ……オマエの覚悟はよう分かった。オレも腹ぁ括る。オマエから逃げへんし、オレも逃がすつもりはあらへん。……一緒に地獄に堕ちてや」
カラスバと人生を歩むということは、そういうことだ。
一緒に地獄行き。あなたとなら、悪くない。
セイカは眩しいものを見るかのように目を細めた。
「け・ど・な! オマエはまだガキや。ガキに手ぇ出すほど落ちぶれてへん。この先は大人になったら……な?」
「いくじなしですね」
「なんぼでも言いよし。これだけはなに言われようが譲らへん。ほら、はよ降り。せっかくのケーキがまだ途中やろ?」
彼のプライドを刺激する言葉を選ぶも、取り付く島もない。正直無理やり襲うことも可能だが彼の矜持だ。貫かせてあげようと、セイカは大人しく降りた。
(温かい……)
じんわりと温かくなっていく胸に手を当てる。
今までの人生。周囲からすれば衣食住に困らず、贅沢もできる羨ましい環境だったと思うだろう。けれど心が満ちることはなかった。
(これが、充足感?)
欲しいと思っていた人が手に入った。
恋や愛はやはり分からないままだが、内側の隅々まで行き渡る高揚感は心地よい。
彼と一緒に歩むことを決め、この選択が未来にどう作用するかは誰も分からない。けれどこれだけは分かる。
後悔はない、と。
終
