カラスバさん。シンオウ神話って、知ってますか?

 大都会ミアレシティにはとても珍しいポケモン──ペンドラーがいるのは、多くの住民が知るところである。
 ブルー地区にある異国情緒漂う建物、サビ組。人々からは恐れられていたり、頼りにされたりしている組織のトップはポケモンだ。
 並の人間よりも高い知性を持ち、人語を理解し、巧みに操るペンドラー。
 通常の色違いとも異なる黒と紫の珍しい色をした彼の名前はカラスバ。
 彼自身ポケモンでありながらトレーナーのようにポケモンに指示を出して戦わせる、ZAロワイヤルの上位ランカー。
 なにもかも異色。それでも彼のミアレに対する想いはポケモンや人間を惹き付け、組織のボスとして今日も街の様々な困りごとを対処しているのだ。
「ねえカラスバさん。……シンオウ神話って、知ってますか?」
 地下水道に大量発生したメガ結晶一掃のお仕事完了報告に来たセイカは、もうお馴染みである執務室のソファーに沈みながらおもむろに口にする。
 彼女の視線の先。ソファーの隣に設置された大きなクッションに体を預けているXSサイズよりもやや小さいペンドラーこと、カラスバは休憩がてら報告を受けていた。
 その雑談の中で出た話題に、きょとんとした顔でセイカを見る。
 もともとのペンドラーという種がなかなかに愛嬌がある顔をしているのだ。
 眼鏡の奥に光るじっとりしながらも鋭さが宿る眼差しを向けられて、セイカの様子に若干の変化が現れたことにカラスバが気づくことはない。
「なんや藪から棒に。シンオウ神話……知らへんけど面白そうやん。聞かせてや」
 シンオウ地方の名前は知っているが、その土地に根付く昔話は知らない。
 雑学でも知識をつけることには大いに興味を持つカラスバは、じぃっとセイカを見つめる。
「あ、いえ、その……」
 けれど彼女は一瞬言葉に詰まり、分かりやすく挙動不審に。
 そわそわと視線を泳がせて人差し指で己の頬を軽く掻きながら、餌を待つトサキントのように口をぱくぱくと開閉させる。
 どこか恥ずかしそうにしながらも覚悟を決めたように双眸に強い決意を宿すと、カラスバの顔をしっかりと見てようやく口を開いた。
「ポケモンと、人が……“同じ存在として結ばれていた”っていう話があって……」
「ほ〜ん?」
 人とポケモンが結ばれていた。その言葉はカラスバの興味をさらに強く惹く。他の地方にはなかなかにロマンチックな話があるものだと。
 早く続きを聞きたいとセイカに集中する熱視線。けれどそれを受ける彼女は、
「い、いえ、やっぱりなんでもありません! 私、帰りますね! お仕事頑張ってください!」
 なにかを振り払うように大きくかぶりを振ると、セイカは顔を真っ赤にしてエレベーターへと走って行ってしまう。
「どないしたんや。あいつ……」
 なぜセイカがいきなり帰ってしまったのか分からず、残されたカラスバは呟くと、しばらくの間ぽかんとするしかなかった。

   ***

 その日の夜。仕事が終わったカラスバの姿はサビ組最上階にある彼の私室にあった。
 ポケモンである彼には、人間が使うような家具はほとんど不要。
 最低限のインテリアは置かれてはいるものの、殺風景だ。
 体を休める寝室はミアレでは珍しく全面畳張り。もちろん広い。
 中心に置かれているポケモン用ローベッドは、彼が横になってもまったく狭さを感じさせないほどに大きい。
 普段はフシデのときからずっと一緒に育った相棒のような、兄弟のようなペンドラーと身を寄せ合って眠っているが今日は違う。
 ひとり体を丸め、目を閉じればお天道様のような輝きを放つ少女の姿ばかり浮かぶ。そして。
 どうにもセイカの“あの顔”が頭から離れない。
 紅潮した顔。明らかな動揺。
 彼女が帰ったあともずっと片隅にこびりつき、仕事にもあまり身が入らなかった。
(同じ存在として、結ばれていた……)
 言葉とともに、セイカの赤くなった顔が何度も再生される。
 己がポケモンゆえに気にするということ自体頭になかった。
 あの言い方。あの逃げ方。パズルのピースがひとつひとつ、カチリと音を立ててはまっていく。
「……まさか、やないよな」
 そんなはずない。自分はポケモンで、彼女は人間で。
 ならなぜ、わざわざシンオウ神話を? ただの雑談ならば逃げる必要もなし。
 だがセイカはカラスバの元から慌てた様子で去っていった。
 神話を口にする前も妙に真剣な表情をしていた。
 これらの要素から導き出されるのは──。
(セイカが、オレを……?)
 ──それからセイカは、事務所に来なくなった。
 一日目。
(まあ忙しい日もあるやろ)
 二日目。
(今日も朝からワイルドゾーンか)
 三日目。
(まっさらのところには来てんのか。相変わらず育成に手を抜かへんねんな)
 …………。
 ……………………。
「……全然来ぉへんやんけ!!」
 執務室。カラスバの定位置。
 椅子代わりの巨大クッションに座りながら声を荒らげるカラスバの前には、スマホロトムの画面。
 そこには今日も元気よく街をパルクールしながら移動するセイカの姿が。
 気づけば一週間以上、彼女はカラスバの前に姿を現していない。
 一階にいるまっさらアネゴに会いに来ても、用事が終わったらそのまま去っていく。
 今までは何もなくても毎日顔を見せに来ていたというのに。
 ジプソが控えているのも忘れカラスバは前片足で床を何度も強く叩き、イライラを隠そうともしない。
 こっちはセイカのことで頭がいっぱいだというのに。
 相手は人間。そういう意味で意識したことはなかったのに。あんなことを言われて意識するなというのが無理な話。
 今は気になって仕方がない。彼女と頻繁に顔を合わせるガイやピュールを始めとする男たちが妬ましいとすら。
「……なあジプソ。シンオウ神話って知っとるか? 人と結婚したポケモンがいた。ポケモンと結婚した人がいた。昔は人もポケモンも同じやから普通のことやったんやて」
「小耳に挟んだことはあります。しかし──いや、まさか、カラスバさま……?」
「オレはおかしくなったのかもしれへん。セイカからこないな話聞かされてから、ず〜っとあいつの顔が頭から離れへんねん。あいつはミアレの救世主、そもそも人間」
 気に入ってはいた。純粋なバトルの強さ。どんなに逆境に追い込まれても輝きを失わない眼差し。
 彼女とのバトルは全身が沸騰するように熱く、負けて悔しい気持ちはあれど、同時に清々しい気分にもなれる。
 ポケモンを愛する心だって。暴走し、苦しむポケモンを少しでも早く苦痛から開放しようと尽力してくれた。
「人間の言葉を喋ってもオレはポケモンで、日陰もんや。想ったらあかん。あかん……とは思うけど、止められへん……」
 人がポケモンを想ってもいい。
 ポケモンが人を想ってもいい。
 無意識下で植え付けられていた種族間の壁が取り払われたいま、カラスバはセイカに友好以上の感情を抱いていたのだと知った。
 だが、たとえ自分が人間であったとしても──カタギの彼女を日陰に引きずり込んでいいわけがない。
「……あかんな。最近どうにも寝不足で……。ジプソ、少し休ましてもらうわ」

   ***

 寝室でカラスバはひとり丸まって休んでいたが、どうにも眠れない。セイカのことを考えて悶々としてしまう。
 時間だけが過ぎていく。そんなときだった。ボールからペンドラーが出てきて、カラスバの隣に体を横たえた。
「からすば。だいじょうぶ?」
「ペンドラー。……はぁぁぁ〜。正直、こないな気持ち知りとうなかった。まさかメスポケモンやなくて人間の女の子に惚れるなんてなあ……」
「からすば。せいかのこと、すき。すきはだめなの?」
「な、なんでそこでセイカが出てくるねん」
「からすば、せいかのこといつもかんがえてる。ずっとまえから。きづいてなかった?」
「……そない前から?」
 知らなかった。相棒の言葉からして彼女から神話を聞く前からだろう。
 カラスバ自身も知らない変化。ずっと一緒にいたペンドラーだからこそ気づけたのか。
「せいかとのばとる、とってもたのしそう。ばとるいがいでもせいかのこと、よくみてる。あんなの、いままでなかった」
「そう……なんか。オレ、全然気づいてへんかった」
「せいかも、からすばのこと、すき。からすばも、せいかが、すき。ふたりのすきだけじゃ、だめなの?」
「……!」
 ペンドラーが当然のように言うものだから衝撃を受けてしまう。なまじ人間社会の知識をつけすぎているからこそ、厳しく線引きをしてしまっていた。
 今の今までカタギだから、日陰ものだからと前に進むことを躊躇っていたのが馬鹿のように思えてしまう。
 なんだ。こんなにも簡単なことだけでいいのかと。
「からすばは、せいかとはなせる。ことばでつたえないと、わからないよ」
「……おおきにペンドラー。大事なのはオレとセイカの気持ちやんな。あいつのためや言うてオレは逃げとった。セイカの口からなんも聞いてへんのに」

   ***

 ペンドラーに背中を押されたカラスバの行動は早かった。セイカの位置情報からしてホテルにいることは明白。
 ジプソの運転でホテルZへと赴く。彼には今日は泊まることを伝えて帰し、カラスバはホテルへと続く道をひとり歩く。
 外は夕日が街を照らし、どこか切なさを感じさせる。
「じゃますんで〜」
「えっ! カラスバさん!?」
「デウロか。セイカはどこにおるん?」
「セイカならたぶん、屋上にいると思いますけど……」
「おおきに。あと、今日は泊まるさかい、一番ええ部屋を用意してや」
「え? あ……、は、はい!」
 中に入ればAZ亡きフロントは無人ながらも、ラウンジにはデウロの姿が。
 まさかのお客さんに驚く彼女を無視してセイカの居場所を聞くと、カラスバは真っ直ぐエレベーターへ。
 途中、カウンターに置いてある名簿に口に咥えたペンで器用に名前を書き、いざ屋上へと向かう。
 古めかしいエレベーターながらも動作に異常はなく、カラスバをのせた鉄の箱は上へと向かう。
 屋上はすぐに着くというのに。セイカに会いたいという気持ちが急き、エレベーターの動きが酷く遅く思えた。
 一刻も早く、彼女に伝えなければならないというのに!
 十数秒後。機械音とともに扉が開く。見晴らしがよく、静かな雰囲気に包まれながらミアレを一望できるここは穴場だ。
「カ、カラスバさん……!」
 セイカは屋上に置かれた椅子に体を預けながら落ちていく夕日を眺めていた。
 するとどうだ。誰かが上がってくるではないか。デウロかな? と完全に油断していた彼女はまさかの人物に思わず立ち上がり、目を白黒とさせている。
「……ええ眺めやな」
 セイカのそばに歩み、視線を細める。アンジュが暴走する前までは立派なプリズムタワーがそびえ立っていたが、今は見る影もなし。
 けれどミアレの人々は今日も力強く生きている。
「なあセイカ。なんで急にオレのとこに来ぉへんようになったんや?」
 違う。そんなことを聞きたいわけじゃない。
 ここまで来てまだ本音を言えないのかと、カラスバは己の不甲斐なさに内心苛々を募らせる。
「……だって……」
 セイカは俯く。
「私、変なことを言って……。人間なのに、ポケモンであるあなたを好きになっちゃって。嫌われたらどうしようって、怖くて……。あなたを困らせたいわけじゃ……なかったんです……」
 ちらり。横目に彼女を見れば、今にも泣きそうな顔でカラスバを見ていた。
 薄く涙を張った目。目尻にきらめく小さな雫は夕日を受けてキラキラと輝き、少女の儚い美しさにカラスバは息をするのを一瞬忘れた。
 そしてそっと、目を閉じる。セイカがどれだけの思いでシンオウ神話を口にしたのか。
 彼女の方がつらかったに違いない。カラスバはポケモン。人間がポケモンに恋の感情をいだくなんておかしいと。
 もしかしたから気味悪がられてしまうかもしれない。でも、言わずにはいられなかった。
 それほどに。彼女は自分のことを。
 数秒の沈黙。カラスバは覚悟を決め、静かに目を開いた。
 互いにぶつかる視線。
 カラスバはセイカに一歩踏み出す。
 人とポケモンの境界線を、越えるように。
「なあ、セイカ。あの話な……オレ、ずっと考えてた」
「……え」
「シンオウ神話や。人とポケモンが同じ存在として結ばれてたって話」
 一拍置き、低く、真剣な声で続ける。
「オマエに言われて、オレは自分でも気づけへんかった気持ちに気づけたんや。オマエがどういう意味でそれを言うたか考えたとき……正直、嬉しかった」
「……!」
 セイカの目が見開かれ、ぽろりと雫がこぼれ落ちた。
「オマエがおらん毎日なんて……もう、考えられへん。オレも、オマエと同じ気持ちや」
 セイカを傷つけぬように、そっと……短い爪で抱きしめる。柔らかな体。甘い香り。すべてがカラスバを魅了する。
 すると彼女からも求めるように、恐る恐るながらも腕が回された。
 今まで抱きしめられる経験などなかった。
 互いを慈しみながら求める抱擁。まさかこんなにも心身ともに満たされるものなのだと、感じ入るようにカラスバは視界をとざす。
「……神話。信じてみても……いいですか?」
「信じるもなにも」
 少しだけ体を離す。目の前に広がるセイカの顔は涙で濡れているも、口元は嬉しそうに小さな弧を描いていた。
「オレはもう、オマエを手放す気ぃないで」
 セイカの唇に口先をそっと……くっつける。
 人とポケモンが愛し合うひととき。大昔には当たり前だった光景。
 夕陽が優しくミアレを包み込む。それはまるでふたりを祝福するように。