頼ることを覚えた日

 ミアレシティに存在する道は非常に入り組んでおり、すぐにひと気の少ない路地裏に迷い込んでしまう。
 セイカは現在特に行く宛もなくぶらぶらと散策をしていた。一応ミアレには観光という名目で来ているのだ。
 普段はポケモンを捕まえたり、夜はZAロワイヤルでバトルの日々だがたまにはのんびりとした時間を過ごすのも有意義だろう。
 足が向くまま。気の向くまま。あぁ、こんな場所もあるのだと平淡な感想を思いながら歩いていると数人の子どもたちが集まってなにやら困った様子。
 特に中心にいる女の子は泣いており、友人らしき子たちはどうすればいいのか困惑している。
「どうしたの? なにか困りごと?」
 そうするのが“当たり前”のセイカは子どもたちを怖がらせないように、にっこり笑顔を貼り付けながら柔らかな口調で話しかける。
 見た目の年齢からしてスクールに通っていそうな子どもたちは互いに顔を見合わせる。この人に話してもいいのだろうか?
「私、エムゼット団のセイカっていうの。困っているなら力になるよ」
「エムゼット団……。俺、聞いたことある! ガイってお兄ちゃんが前に友達を助けてくれたんだ! お姉ちゃんはその人の仲間?」
「うん。そうだよ。どうかな? 話せる?」
 しゃがみ、自分より背の低い子どもたちと目線を合わせる。すると中心にいた女の子が服の裾をぎゅ……、と握ると意を決して話してくれた。
 友達に色違いのラルトスを見せていたらいきなり男の人が現れてボールごと奪われてしまったこと。
 追いかけてここまで来たのはいいものの、見失ってしまった。どうしよう、もうラルトスには会えないのかな……?
 不安に押し潰されて大粒の涙を零す少女を前にセイカの胸はぜったいれいどのように冷えていく。
(昔よりも治安は改善したと思いますが……やはりどこにでもいるものですね。そういう人間が。……ヒトは弱い。だからこそ導こうと、父が行き過ぎた思考に陥ったのも分からないでもない──と、感じるのは教育のせいでしょうか)
 在りし日の記憶を想起し、セイカは立ち上がる。
 救済を……助けを求めている人が、なにより子どもが目の前にいて手を差し伸べないわけにはいかない。
「分かった。私がなんとかする。問題はどこに逃げただけど……」
「おーい!」
 この広いミアレシティで対象を探すのはなかなかに骨が折れる。さてどうしようかと考えていた矢先、こちらに駆けてくる少年の姿が。
「よかった! 心配したんだぞ! もしかして無茶したんじゃないかって」
「さすがに僕ひとりじゃ無理だって。でも分かったよ、あいつが逃げた先。ほら、スマホで写真も撮ったんだ」
 彼も友人のひとりのようだ。別の男子が心配を口にすると彼は犯人がいる場所を突き止めたとスマホで写真を見せてくる。
 どこかの小さなビルのようだ。一見綺麗に見えるがじっくりと観察すると寂しげな雰囲気が感じられる。
 人の手が入っていなさそうな。悪いやつがたむろするにはぴったりとも言える。
「すごいね、君。追いかけるの怖かったでしょう?」
「そりゃあ怖いけどさ……この中で僕が一番足が速いから。あとはこれを持って警察に行けば悪い奴、捕まえてくれるよね?」
 少年の勇気を称えながらも、警察では迅速さに欠けるとセイカは正直に感じた。警察よりも早く動けるのは今の時点で自分だけ。
 次に子どもたちの話を親身に聞いてすぐに動いてくれる可能性が高いのはどう考えても……。
 浮かぶのはカラスバの顔。そう。きっと彼なら困っている子どもを放ってはおかない。すぐにビルに来てくれるはず。
 ならばここでの選択はひとつのみ。
「私のスマホにその場所の情報を送ってくれる? 画像もね」
「……お姉さん、まさかとは思うけど……ひとりで行こうとしてる?」
「うん。私なら大丈夫だから。それより君たちにお願いしたいことがあるの。サビ組事務所に行って、カラスバさんにこのビルまで来てって伝えてほしい。セイカって名前を出せば門番の人もすぐ取り次いでくれるから」
 そう言ってセイカはマップを頼りに走り出す。ここからは多少距離があるがきっと間に合うはず。
 色違いのポケモンは希少性が高い。特に色違いラルトスが進化したサーナイトがメガシンカをすると、まるで黒の花嫁。
 あまりの美しさに裏ルートで入手しようとする人間がいてもおかしくはない。なので乱暴に扱うことはまずないはず。大事な商品なのだから。
 だがそれは、色違いラルトスに商品価値を見出していた場合。仮に別の目的があったとしたら──嫌な想像を振り払うように走ることに集中する。
 理由がどうであれ、助け出すのは確定事項。ラルトスも急に知らない人間に連れ去られて心細いだろう。急がなければ。
 ミアレシティは広大だ。それが路地裏となればさらに複雑化する。こんな道があったんだとセイカは知らない細道をマップを頼りに走り続ける。
 するとようやく目的の場所に着いた。人の気配が感じられない薄暗いところ。改めて画像を確認すれば、勇気ある少年が切り取った風景と同じだった。
 すぐそばには小さなビルへの入り口がある。そこまで長く時間は経っていないので別の場所に移動しているとは考えづらい。
(さて。問題は中にいる人数。数人くらいなら私ひとりで制圧可能。あまりにも多いとなるとポケモンの力に頼らざるを得ない……ですね)
 組織での潜入任務の際にも事前に情報を頭に叩き込んでからだった。情報は武器だ。
 セイカはおもむろに手持ちのモンスターボールのひとつを放った。
「ゲペペッ!」
「ゲンガー。中の様子を見てきて。誰にも見つからないように」
「ゲペッ!」
 元気よく飛び出してきたメスのゲンガーに指示を出すと、彼女はケタケタ笑いながらもゴーストタイプポケモンよろしく姿を消した。
 その間セイカは物陰に身を隠し、相棒のバンギラスが入ったボールを持つと手の中のそれをじっと見つめる。
 中の様子しだいではポケモンの力を借りることになる。しかし理由がどうであれ、人にポケモンをけしかけることを想像すると重苦しい気持ちになる。
 人間に対してではない。ポケモンに対してだ。
(昔はそんなこと、全然考えなかったのに)
 組織の邪魔になる存在は敵。排除するためにポケモンを使ってもなにも思わなかった。なぜならポケモンは道具という認識だったから。
 道具に対して罪悪感を持つ人間がこの世にどれだけいるか? という話。
(私ひとりの力で抑え込めるならいいですが。もし駄目なら……ゲンガーのさいみんじゅつで眠らせる程度ならいいですよね。さすがにバンギラスを出すほどではありません)
 手の中でボールを転がしながら思案する。
 オヤブン個体のバンギラスを人間相手にけしかけたら相手はたまったものではないし、そもそもバンギラスに人間を傷つける命令をしたくない。
 一番楽なのはセイカひとりで制圧してラルトスを奪還。次点で相手がポケモンを持っていたとして、バトルで黙らせる。
(でも……こういう手合いは負けたとしても直接襲ってくる。必死になればなるほど、なり振り構っていられない)
 男からすればセイカは小柄な女。まず舐めてかかってくる。ポケモンには勝てなくても力なら。
 そういう人間たちに昔、直接手を下した経験も一度や二度ではない。
「ゲペペーッ!」
「おかえりゲンガー。中に人はたくさんいた?」
 影の中からヌウッ、とセイカの目の前に姿を現したゲンガーをお疲れ様というように頭を撫で、聞けば彼女は首を横に振る。
(数人程度、ね)
 ポケモンと会話ができたら意思疎通も楽だが、そうはいかないのでいくつか質問をしていき、ゲンガーの様子で中の情報を整理していく。
(今のところラルトスは無事。このビルの一番上に男が三人。そこまで大柄な人もいないみたいだし、私ひとりでも大丈夫そう)
 建物を見上げ、心細いであろうラルトスを思うとゲンガーと向き合う。
「ゲンガー。姿を消して私に着いてきて。あとね──」
 彼女にはやってもらうことがある。新たな指示を受けてゲンガーが再び姿を消すのを見届けたセイカは、ビルへと乗り込む。
 極力音を立てずに、静かに、静かに。
 中は前に入っていた店のものらしき残置物が放置されていて荒れていた。それでも移動することに問題はない。
 階と階を繋ぐ階段。遠くから男たちが話す声が反響して階下まで響いてきた。微かにだがラルトス、金、という単語が聞こえたため、やはり売り飛ばすのつもりらしい。
 それならばラルトスの身は安全だ。高く売りつけようとしているのに傷つける馬鹿はいないだろうから。
 かつての潜入任務を思い出しながら順調に進んでいき、あっという間に男たちの気配がする部屋へとたどり着いた。
 扉を隔てた向こう側に男たちがいる。ポケモンバトルになるか、直接手を下すことになるか。
(確率として高いのは両方ですけど)
 短く息を吐き出し──ドアノブに手を掛けた。
「な……誰だ、お前……」
「なんだぁ? ここはお前のようなガキが来るところじゃねぇぞ!」
「もしかしてラルトスを取り戻しに来たんじゃ……」
 扉を開ければ広い空間は当たり前のように荒れている。周囲に散乱するゴミは人間の食べ物が主。どうやらここを拠点にして悪さをしているようだ。
 するはずのない音が部屋に響いたことで、奥にいた男たちの信じられないものでも見る視線がセイカに突き刺さる。
 薄汚れたテーブルの上には赤いモンスターボール。それを囲むように置かれた椅子に男たちは座っていた。
「ご名答。ラルトスを迎えに来たんです。……私も汚れた身ですから、あなた方を責める資格はありません。……それでも。子どもから奪う真似だけは、しなかった」
 白い帽子から覗く瞳は底冷えしながらも、鋭い光が宿る。
 正体不明の女から放たれる静かな怒りに男たちはまるで氷タイプの技を受けたかのように身震いしたが、男のひとりが怒鳴りながら立ち上がった。
「いきなり現れてふざけたこと言ってんじゃねぇぞ! おいお前ら、やるぞ! 三対一のバトルだ!!」
 体格はそこそこいいが、ジプソには及ばない男がリーダー格か。彼に言われて残りの男たちも続いてボールを取り出す。
 二人はやや痩せている体型ながらも悪いことをやっていますと言われれば納得の顔つきだ。
「ポケモンバトルですか? では私はこの子だけで相手をしましょう」
 さっきからずっと暴れたくてしょうがないのか揺れるボールを投げれば飛び出す巨体。怪獣そのものの声を上げるのはバンギラス。セイカの相棒だ。
 男たちは通常サイズよりも大きいオヤブン個体の圧に気圧されるも、自分たちもポケモンを繰り出した。
「っ……、怯むなお前たち! いけっ! サメハダー!」
「ズルッグ!」
「ヤ、ヤブクロン!」
(水と格闘はバンギラスの弱点ですが──問題ない!)
「バンギラス! じしん!」
「ギャォォォオ!!」
 セイカの命令を受けたバンギラスは一気にポケモンたちに距離を詰めていく。
 ズシン! ズシン! と迫る巨体に相手も攻撃を加えるがバンギラスの体力はさほど減っておらず、纏わり付くポケモンたちを薙ぎ払うべく技を繰り出す。
 強い揺れの範囲攻撃は一撃でポケモンたちの体力を奪い、ひんし状態にするとボールに戻っていく。
「っ!? っ、くそっ! まだだ! いけっ!」
 男たちは残る手持ちを次々と繰り出すが、バンギラスの蹂躙とも呼べる、あまりにも一方的な攻撃になす術無くボールにとんぼかえりだ。

   ***

「もう手持ちはないようですね。ありがとうバンギラス。……ゲンガーもご苦労様」
「なぁっ!?」
 暴れてご満悦な様子のバンギラスをねぎらい、ボールに戻すとセイカの周囲をゲンガーがふよふよと漂う。
 その手にはラルトスの入ったボールが。男たちがバトルに意識を向けている間に奪還するように指示していたのだ。
 ゲンガーはいたずらが成功した子どものようにケラケラと笑いながら、最後はセイカの横に落ち着く。
「もういいでしょう。あなたたちの負けです」
「ふざけんな……ふざけんな、ふざけんなぁぁぁっ!! ポケモンバトルが強くても所詮は女! 力づくでッ!?」
 ワナワナと震える男は叫ぶとセイカに向かって一直線に殴りかかってくるも、男の腕が振るわれるより前にセイカは間合いに飛び込むと──足を振り抜いた。
 靴の先端が顎の下へとのめり込み、短い嫌な音がすると男はそのまま後ろに倒れてしまう。
「……! ……!? …………」
 脳が揺れて意識が混濁し、体から力が抜ける。
 やはり、こうなってしまった。
(キレが悪い……)
 保護されてから今に至るまでひとまず平穏に暮らしていたのだ。むしろ体が動いてくれてよかったと思うが、本格的にトレーニング──ジャスティスの会にでも入門して鍛え直した方がいいかな? と考えていると。
「っ、おま──ぐぇっ!」
 怒りに任せて突進してくる男を軽くいなし、蹴り飛ばす。
 人体のどこを攻撃すればよりダメージが入るのか。
 しっかりと頭に入ってるので的確に急所を攻撃し、全員すぐに床とキスをすることに。
「…………」
 痛みに呻く男たちをセイカは冷めた目で見下ろす。
 この先は自分の領分じゃない。
 カラスバさんはもう近くまで来ているかな。こんな場面を見せたら驚かせちゃうかな? 今更か。
 少々乱れた呼吸を落ち着かせながら考えに耽っていると、ゲンガーが服の裾をぐいぐいと引っ張ってきた。
「あぁ……ごめんね、ゲンガー。ありがとう。もう戻っていいよ」
 膝をつき、ゲンガーと視線を合わせるとラルトスの入ったボールを受け取り、彼女をボールに戻す。
 バンギラスとゲンガー。二匹にはあとでご褒美として美味しいものをあげなければ。
「ラルトス。大丈夫?」
「ラル……」
 ボールから出せば頭部が青いラルトスが出てきた。鳴き声に力はないが、見た感じどこにも怪我はしていない様子。
 あとはこの子を少女に届ければ終わる。
「もう少しだけ我慢してね、ラルトス」
 安心させるように極めて優しく声をかければ、ラルトスは頷いてボールに戻っていった。
 ──遠くから足音が聞こえてくる。バタバタとこちらに向かって走ってくる音はふたり分。
「セイカ!」
 ラルトスが入ったボールを手にし、立ち上がったところで背後からの声にセイカはゆっくりと振り返る。
 そこにはカラスバとジプソの姿が。ふたりとも部屋に転がる男たちの姿に唖然とし、体の動きを止めた。
 それもそうだ。少女ひとりで悪漢がいる場所へと向かっただけでも冷や汗ものだというのに。
 いざ到着すればひとりどころか複数の男が床に転がっているのだから。
 けれどセイカの過去を知るカラスバはこの事態にも納得してしまう。彼女は幼い頃からずっと英才教育をされてきた。
 加えて任務にも積極的に出されていたというのだから、対人戦くらいお手の物。
「怪我はしてへんな?」
 セイカの様子をじっくりと確認し、彼女も「問題ありません」と短く返す。
 さて。カラスバが来てくれたのだ。男たちのことは任せよう。自分はこのラルトスを少女に返す仕事がまだ残っているのだから。
「カラスバさん。来てくれてありがとうございます。この方達の“おかたづけ”をしたのはいいですが、その後のことをお任せしたいと思いまして」
「……あんなぁセイカ。いくらオマエでも無謀や!」
 何事もないようにけろりとしている少女の姿にカラスバは大きなため息をつきたいのを耐え、彼女の両肩を掴んで声を荒げた。
 額には青筋が何本も浮かび、瞳孔は開いている。
 サビ組のボスとして恐れられるカラスバの怒りを前にしても、セイカの心は水面ひとつ揺れることはない。
(なんで怒ってるんだろう?)
 逆に分からなかった。怪我をしてないのだからいいじゃないか。こうしてラルトスも無傷で取り戻せたのだから。カラスバが怒る理由が理解できない。
「今回はたまたま、うまいこといっただけや。せやけどな、毎回そうとは限らへん。いくらオマエが強うても体格も力も、男と女やったら差は出る。……これから先もこないな無茶を続けとったらいつか必ず、取り返しつかん目ぇに遭う」
「私だって人数を考えて行動しています。考えなしに突っ込むわけがない。それに……そう仰るなら人よりもポケモンの方が怖いですよ。人体の急所は男女ともにほぼ同じですがポケモンはそうはいかないですから。……この人たち全員がジプソさんのような大柄な人だったらポケモンに対処させますが、今回はろくに格闘術の知識もない一般人。私が遅れを取るわけがありません」
「だから自分の手でのした?」
「できればポケモンたちには、対人間の命令はしたくないので」
 セイカは平然と答える。ポケモンバトルの知識やセンスはもちろん必要だが、人間そのものも強くなければならない。
 どんなときでも負けることは許されないし、いつでもポケモンに命令を下せるとは限らない。
 どこを狙えば人体に大きなダメージを与えることができるのかを叩き込まれ、急所を知り、体術も習ってきた。
 セイカからすれば今回は自分で動いた方が加減もできるし、なにより人にポケモンをけしかけることをしたくなかった。
 今の彼女にとってポケモンは道具ではなく、大切な仲間なのだから。
 しかしそれが普通の女の子とはなにもかも、根本的な部分が違うのだとカラスバをやるせない気持ちにさせ、彼は黙り込むと静かに双眸を閉じた。
「…………。…………はぁ。オマエは……失敗が許されへん環境で生きてきたんやったな。言い方を変えるで。オレが心配になるんや。だから大人を……オレを、もっと頼りや。オマエのためなら、オレはいつでも駆け付けたる」
「しん……ぱい……」
 いつの日か。ワイルドゾーンで怪我をして動けないところをカラスバに助けられたときも、心配の言葉を口にしていた。
 あれ以来。カラスバに余計な心配をさせないよう野生のポケモン相手にはかなり慎重に動くようにはなったが、ポケモンより弱い人間相手でもこの人は気にかけてくれるのか。
 純粋な強さを求められる環境で生きてきた。
 情緒は育てられないまま置き去りにされていたせいで、最初はカラスバが怒る理由にピンとこなかった。
 けれど心配だと、自分のことをもっと頼るように言われてセイカの中に“頼ってもいいんだ”という認識が生まれる。
 今までは可能な限り自分で全部やってきた。なまじやり通せる能力があったから困ったこともない。
 誰かに頼ることは己の弱さを見せることだと思っていた。でも、もういいんだ。寄りかかっても、叱責する人はいない。
「せや。セイカになんかあったらオレごっつ悲しむで? オマエもオレを悲しませたないよな? せやから今回みたいなことがあったらすぐオレに言うんやで」
 頷き、小さい子どもに言い聞かせるように告げるカラスバの目を見てセイカは胸がざわつく。
 自分の過去を打ち明けてもいいと思える相手に幼い頃に教わらなかったものを少しずつ教えられ、言葉にしづらい感情が渦を巻いていた。
「……ごめん、なさい。でも、過程がどうであれ今回迅速に動いたことは正しかったと私は思います。──我々は強き者。弱き者を正しく導かなければならない。それが使命。父の口癖でした」
 今ならそれがどれほど傲慢な考えがよく分かる。しかし当時は疑問なんて浮かぶはずもなく。その理念に基づいて行動をしていた。
 後継者である自分に敗北は許されない。だから勝ち続けられるように教育をされていた。
「以前の私はただの義務感で救いの手を差し伸べてきました。……裏では酷いことをしていたっていうのに。歪んだ教えですが弱者を導く──言い換えれば“困っている人を見捨ててはいけない”という部分だけは正しかった」
 カラスバの視線がセイカの芯の通った鋭いものと交差する。
「子どもが泣いているのに見捨てるなんてできません。これは“セイカ”としての私の意思です」
 困っている人を、弱者を救い、導くのが自分の義務だと疑うことなく信じていたときはそこに己の考えなんてなかった。
 けれど今は違う。自分の意思で選択し、助けたいと思ったから行動に移した。そこには過去の贖罪も含まれてはいるが、助けたいという気持ちに偽りはない。
「でも……次からはカラスバさんにすぐ頼りますね」
 心の距離が近い大人に頼れと言われて胸が軽くなったのか、セイカの顔に柔らかな笑みが浮かぶ。
 カラスバもセイカの心境の変化が目に見え、大きく頷いた。
「よし。それでええ。これでオマエは人に頼るゆうことを覚えた。また一歩成長したな。ええ子や」
 成人男性の大きな手に帽子越しによしよしと撫でられて、セイカの中には様々な感情が弾ける。
 父親にも撫でられたことがない。もちろん他の人にだって。
 これはなに? 嬉しい? 恥ずかしい? くすぐったい?
 ごちゃまぜになったセイカの脳裏には宇宙空間にニャスパーの顔がなぜか浮かび、思考停止状態に陥ってしまう。
 胸の中心が急激に発熱し、全身に広がっていく。
「私、ちっちゃい子どもじゃないですよ……!」
 顔にまで回る熱を誤魔化したくて訴えるも、撫でる手をやめてとは言わなかった。言えなかった。
「オレから見たらガキもええとこや。さあ事務所戻るで。ラルトスの元気なとこ、あの子たちにちゃんと見せたらな。ジプソ、あとのこと頼むわ」
「かしこまりました。カラスバさま」

   ***

「またなんか困ったことあったらサビ組に頼るんやで。ほな、気をつけて帰りよし」
「お姉ちゃん、カラスバさん、本当にありがとうございました!」
 事務所に戻り、少女のもとに無事ラルトスを返したことでお仕事完了。
 嬉しいそうにしている少女や、その友人たちの背中を門の前で見送りながらセイカは柔らかく微笑む。
 先の未来を作る子どもたち。その笑顔を守れてよかった。
 組織時代は同じように感謝されても特になにも感じなかった。なぜならセイカにとって弱き者を導くのは当然のこと。
 義務を果たしたに過ぎないので感謝されようが、されまいが心の水面を揺らすことなどなかった。
(いつかは、自分を許せる日がくるのかな)
 自分の意思で人々に救いの手を差し伸べ続ければ、過去の罪を許せる日が。
「これから先も、似たような話はなくならへんやろな」
 何気ない口調で言うカラスバの横顔。その目はどこか遠くを見ていた。セイカも彼の意見に同意なのか静かに肯定した。
 正しさだけでは守れないものがある。
 綺麗ごとだけでは救えないものがある。
「だからこそ、オレらがもっと頑張らなあかん」
 ぽつりと呟く言葉にセイカは目を閉じる。
 人もポケモンも生きていたら汚れていく。それは紛れもない事実。
 これからもカラスバの──サビ組の仕事は続いていく。
 そしていつか自分も、その隣に。