第一章 白百合の箱庭で
(ここ、どこだろう……)
太陽の光を受けてキラキラと輝く金髪の三つ編みに桃色のヘアバンド。白百合をイメージさせる制服のスカートを揺らしながらジータは辺りを見回し、不安そうに表情を曇らせた。
ここは私立カナン女学園。歴史ある全寮制の学園で通うのは有名な会社の社長令嬢を始めとするお嬢様ばかり。ジータもそれなりの会社の令嬢だ。
ここに入学して一週間ほど。少しずつ学園生活に慣れてきたところで、この広大な敷地の中をもっと知りたいと思ったのが今日の昼休みの時間。
活発な女の子であるジータは思い立ったが吉日。限られた時間の中で小さな探検をしたのはいいが……。
(人……いるかなぁ……)
見事に迷ってしまった。
そろそろ昼休みも終わり、午後の授業が始まる。それに遅れるわけにはいかない。
焦る彼女は現在温室にいた。まるで植物園のように巨大なドーム状のここは目立つものの、一般生徒は立ち入り禁止になっている。
ジータも分かってはいるが、もしかしたら管理している人がいるかもしれないと足を踏み入れたのだ。禁を破ったことを咎められるかもしれないが、このまま帰れないよりはマシだ。
(見たことない花や植物がいっぱい……。って、見入っている場合じゃないでしょ私!)
とにかく人を探そうと視線を右へ左へ。しかし映るのは植物たちのみ。名前も知らぬ花や実がついている木々の中には可愛らしいものだったり美しいものがあり、余裕があればゆっくりと鑑賞したいところだが今はその時間はない。
「──あ……」
早歩きで道なりに進んでいくと、開けた場所に出た。そこにはジータに背向ける誰か。
間の抜けた声に合わせて振り返ったその人物に、ジータはあんぐりと口を開けたまま言葉を失ってしまった。
上級生のお姉さま方に見られたら「はしたないでしょう」とお叱りを受けるであろう面様をしながらも、視線を目の前の人物から外せない。
ジータと同じ純白の制服を着た長身の女性の手足はスラリと伸び、あまりの美しさに反応ができない。今まで見てきた誰よりも美しく、触れてしまったら消えてしまいそうな儚ささえ感じさせる白い肌。
自然の光を受けて煌めく短い銀髪。気だるそうに開かれた冬を思わせる青い目からはなんの感情も読み取れない。そしてなにより目を引くのは、首に巻かれた薄手のストールだ。
全体的に色素の薄い銀髪の美少女を前に、全ての感覚が遠くなり、時間が止まったような気さえする。
(なんて綺麗な人なの……)
完全に静止してしまう。本当は校舎への道を聞かねばならないのに、金縛りに遭ったように体が動かない。声も出ない。
正常に流れる時間の中、過去に取り残されてしまったジータを救ったのは肩に置かれた手だった。
「どうしたんだいキミ。もしかして迷子?」
「ひゃぁぁぁぁっ!?」
「そんなに驚かれると傷つくな」
静寂を破ったのは男の声とジータの悲鳴。肩をビクつかせながら声を上げ、横を見ればいつの間にいたのか。一人の男が困ったように笑いながら立っていた。
「ええと……あなたは確か、ベリアル先生」
「正解。キミは一年のジータだね。こんなところに来ちゃダメじゃないか。一応ココ、部外者以外は立ち入り禁止なんだぜ?」
ジータに声をかけたのはベリアルという男性教員だった。ジータの学年を担当しているわけではないので、名前と顔だけ知っている状態。あとは非常にモテるということだけ。
スタイル抜群で顔も整い、声もその美しい顔に相応しいもの。まさに神に愛されて生まれてきた存在に箱庭の少女たちが黄色い声を上げるのも納得である。
それにしてもなぜ自分の名前を知っているのか。何百人といる生徒の中で、特に目立ったこともしていない自分をなぜ?
「ふふっ。その顔、なんで私の名前を知っているんだ? って顔だねぇ。簡単なことさ。キミみたいなカワイイ子、知っていて当然だ」
口角を上げ、柔和な笑みを向けるベリアルだが、ジータは直感的に胡散臭さを感じた。教師が生徒に言う言葉ではないし、纏う雰囲気自体が怪しい。それに加えて眼鏡の奥に光るレッドスピネルは笑ってない。
そもそも、噂で聞くベリアルと今の目の前にいるベリアルが別人に感じられるほどだ。
噂のベリアルは爽やかで優しく、清廉潔白なイメージなのにこのベリアルは真逆だ。むしろこちらが本当の彼のように思える。
色々思うことはあれど、彼と出会えたことは僥倖。彼ならば校舎への道を教えてくれるはずだ。
「あっ、あの! 実は道に迷ってしまって」
「ここは広いからねぇ。好奇心が疼いてしまうのも分かるよ。……さて。そろそろ午後の授業も始まるから帰ろうか。それともここでオレと二人っきりでお茶でもどう?」
ねっとりと、纏わりつくような声音に制服の下に隠れる肌に鳥肌が立つのを感じ、ジータはぶんぶんと首を振りながら「帰りますっ!」と叫ぶ。
ベリアルはあまりの拒絶っぷりに声を上げながら笑いながらも、ジータを連れて帰るために歩き出した。
いったいなんなの……。と、呆れながらも、今のジータには彼について行く以外の選択肢はない。
たった少しのやり取りで非常に疲れたのか、重たそうに足を引きずりながら、ふと、思い出したように振り返る。
「あれ……?」
ベリアルに気を取られてすっかりと忘れていたが、ここにいたはずの銀髪の少女の姿がない。
あれは見間違いだったのかと思考するのは、ジータの名前を呼ぶベリアルによって中断せざるを得なかった。
「ところでさぁ。キミ、お姉さまはもういるのかい?」
「いえ……」
「ふぅん? まぁスール制度に強制力はないからね。上級生の妹になるのも、下級生の姉になるのも本人しだい」
ベリアルの後ろをついて歩いている途中で投げられた話題。スール制度とはこの学園に古くから伝わるしきたりだ。
昔は入学したての一年生に必ず二年か三年の上級生が一人つき、姉として妹の生活のサポートをする……というものだったが、現在ではスール関係を結ぶのは自由。卒業するまで誰とも姉妹関係にならないというのもザラ。
また、スール関係を解消することも可能。長きに渡る歴史の中でそれをした者たちは少ないが。
ジータの周りにもすでに上級生とスール関係になっている生徒はちらほらといるが、まだまだいない者の方が多く、ジータはいない側の人間。
上級生の誰かに誘われたら姉妹関係になるかもしれないが、今のところ誰からの誘いもないためフリーの状態だ。
「実は……キミに紹介したいヒトがいるんだ。放課後迎えに行くからさ。寮に帰らずに待っていてほしい」
「紹介したい人……?」
「そう固くならないで。キミにとある三年生を紹介したいだけさ。オレとしてはその人と姉妹になってほしいけど、キミが嫌なら無理強いはしない」
「……あの、その人は私のことを知っているんですか?」
「知らないけど……。妹にするんじゃないかなぁ。まあまあ、この恩を返すって意味で……どうかな?」
そう言われると断るわけにはいかない。とりあえず会って、その後は本人同士の問題だ。姉妹になって、もし合わなくても解消すればいい。
そこまで深刻に考える必要はないと決めると、ジータは校舎へと急ぐのだった。
***
「この人がキミのお姉様になるファーさんだよ」
「あっ、あなたは……!」
茜さす時間。教室でベリアルを待っていたジータが連れて来られたのは自分の帰る場所である寮。基本は男子禁制なのだが、ベリアルだけは事情が違うのか、すれ違う生徒たちはそわそわしつつも、騒がない。廊下ですれ違った寮母でさえも軽く会釈して行ってしまった。
なにがなんだか分からないジータだが、ベリアルは一階の一番奥の部屋の前で止まり、ノックをするも無反応。だが彼にとってその反応は当たり前なのか、返事がないのを無視してドアノブを捻った。
扉には鍵がかかっておらず、開かれた先にいた女生徒の姿にジータは驚愕の声を上げる。
なぜなら、温室で出会った美少女だったからだ。
銀髪の少女はソファーに座り、珈琲を飲んでいたが、部屋を訪れた者たち──ベリアルを見ると、口元に触れていたカップをテーブルに戻した。
「…………」
「怒らないでよファーさん」
「ふぁーさん?」
「そう。本名はルシファーね」
あだ名で呼び、軽い調子で声をかけるベリアルにファーさんことルシファーはギロリと睨み、ジータは自分に向けられたものではないとは分かっているものの、背筋に緊張が走る。
それでも、怖さの中に美しさがあり、惹かれるものがあるのも事実。
「そんな怖い顔しないでファーさん。この子、まだ誰とも姉妹になってないんだ。ファーさんも来年で卒業だし、最後の記念に経験してみたら?」
答えながらベリアルはルシファーに近づき、彼女の背後に立つと耳打ちをする。そうすればルシファーの凍てつく表情は一瞬だけ驚きに目を丸くし、その青い目にジータを映した。
「あっ、あの……」
「ファーさんにとっても、悪い話じゃないだろ?」
「…………」
いざ自分にその目が向けられると目線を合わせていられなくなり、ジータは視線を床へと逸らしながら困り顔。
ベリアルの言葉にルシファーは無言で立ち上がり、別室へと向かうと、戻ってくるなりジータに向かってなにかを放り投げた。
部屋の照明を受けて鈍く光るなにか。慌ててキャッチすると、ジータの手の中には銀色のロザリオがあった。
「これは……」
「姉が妹と認めた子に自分の持ち物を贈り、妹がそれを受け取ることでスール関係が成立する。これでキミとファーさんは晴れて“姉妹”になったってコトだけど……キミはファーさんと姉妹になるのはイヤ?」
「そっ、そんなことありません! ありがとうございます! えと、自己紹介がまだでしたね。ジータです。よろしくお願いします。ルシファーお姉さま」
怒涛の展開で正直ついていけてないが、それでも温室で出会った瞬間に強く惹かれた人が自分を妹にしてくれるのだ。断るという選択肢など最初からない。
「…………」
「お姉さま?」
「あー、ゴメン。ファーさん喋れないんだ」
「そうなんですか……」
「だから筆談でやりとりしてくれ。……そんな不安そうにしなくてもダイジョウブ。オレがサポートするからさ」
「は、はい……。って、ベリアル先生はルシファーお姉さまとどういう関係なんですか?」
「おっ、早々に嫉妬? カワイイねぇ。心配しなくてもオレはファーさんが子どもの頃からの世話役でね。言うなれば専属の執事。ファーさんの学園生活をサポートしながら期間限定で教師もしてるんだよ」
なるほどそれで男子禁制のここに入ることが許されているのか。いや、それでも一人の学生に対してここまでの特例を学園が許すなんて。さらなる謎に唸るジータをよそに、ベリアルは続ける。
「じゃあ早速キミの荷物をここに運ぼう。たしか部屋が空いてたよな? ファーさん」
「へっ? なんで?」
「昔は姉妹になった二人は寮でも同じ部屋で生活をしてたんだぜ?」
ベリアルが言うようにその名残があって各部屋は一人で生活するには広い。この部屋も例外ではない。
なのでジータがルシファーと同じ部屋で生活するようになってもなんら問題はない。ないのだが。
「いやでもそれは昔の話であって、今はどっちでも……」
「頼むよジータ。ファーさんは来年で卒業。最後の思い出としてさ」
お人好しのジータはそう言われると弱い。加えて絶対一緒に暮らしたくない理由もない。ルシファーも特に反応している様子はなく、異論はないようだ。
「……分かりました。今日からこの部屋でお世話になります。不束者ですが、よろしくお願いします」
ルシファーにぺこりと頭を下げ、この部屋での生活が決まったジータ。
嵐のように決まった姉と妹のこれからの生活が一体どういうものになるのか。期待と不安を綯い交ぜにしながら、ジータは新しい生活に胸を膨らませるのだった。