渡したいのはあなただけ

 とある小さな島に依頼をこなすためにやってきたジータたち。夜空に冷えた月が輝く時間、町の片隅にある教会にジータとルリア、そしてビィの姿があった。
 いくつかあった依頼のうち、ジータは教会のシスターが依頼主のものを選び、ルリアとビィと一緒に仕事をこなしたのはいいものの、終わる頃には日が暮れてしまった。
 疲れているのに今から宿を取るのも……というシスターの計らいで三人は教会に泊めてもらうことに。手厚くもてなしてもらい、夕食を終えるとそれぞれ用意された部屋へと向かって別れた。ちなみにビィはルリアと一緒の部屋だ。
 客室に備え付けられている風呂で身を清め、ベッドに入り込んだジータだったが、変な時間に目が覚めてしまった。窓から見える夜の色からして夜明けまでまだだいぶあるだろう。
 掛け布団を深く被り、すっぽりと頭を隠すものの……眠れない。無理やり目を瞑れば逆に思考が明瞭としてしまう。
 諦めて起き上がる。どうするか少々思案したのち、ポーチからとある物をポケットに入れるとジータは部屋を出た。
 部屋の扉を開ければ誰もおらず、静寂が支配している。廊下の壁、一定の間隔を空けながら設置されている窓からは月明かりが差し込み、ジータの純白の衣装ザ・グローリーの服と教会の木製の床を清らかな色で照らしていた。
 特に行きたいところはない。が、このまま部屋でジッとしているのも気分じゃない。他の人を起こさないように気をつけながらジータは深夜の教会を歩くことにした。
 窓から見える町並みも静けさに包まれていて平和だ。ひとときの安らぎにほっこりとしながら足の向くままに歩いていけば、礼拝堂に着いた。
 女神像が設置され、その前には祭壇がある。教会を訪れた人が座る長椅子も何個かあった。ジータは最前列の椅子に腰を下ろす。
 すると服のポケットから硬い音と一緒になにかがこぼれ落ちた。吸い寄せられるように視線を床へと向けると、月の光を反射して輝く宝石があしらわれている指輪があった。
 ──久遠の指輪。強敵を倒し、得たアイテムをシェロカルテに交換してもらった貴重品。身につけると秘めたる能力が引き出されるという代物だ。
 ひと目見た瞬間、欲しいと思った。効果が絶大だからではない。その名前と形状に惹かれた。だって、あまりにも、結婚指輪を思わせるものだったから。
 ジータは椅子に座ったまま腰を折り、指輪を拾い上げる。手の中で金色に光る指輪を見て軽く握ると、重苦しい息を吐いた。
 指輪を渡したい相手はいる。その人に渡したいから苦しい戦いを何回も何回も頑張った。けれど未だに渡せていない。
 普通に渡せばいいと頭では分かっているが、なかなか行動に移せず、今に至る。
 椅子に座り直し、指輪を持つ手を開く。大粒の宝石を見ていると脳裏に浮かぶのは己の半身の笑顔。純粋無垢で、いつも寄り添ってくれる優しい人。そもそも彼女がいなければ今、自分は生きていない。
(ルリア……)
 わずかに眉を寄せ、切なげな顔をしながらジータは蒼の少女を想う。彼女と旅を続けていくうちに芽生えた親愛以外の感情。それは甘くて、苦しくて、切なくて、ときに泣きそうになる。
 この想いを伝えたら今の関係が変わってしまいそうで……それが怖くて言葉にすることができない。この指輪ならば戦力強化と銘打って渡せるのだが、それさえも。
(私の意気地なし……)
 誰もいないからと腹の奥底から大きく嘆息する。普通に渡せばいいじゃないか。みんなの前で、さりげなく。これを身につければ強くなれるからって。
「ジータ? こんな時間にどうしたんですか?」
「わぁっ!? ル、ルリア!? ルリアこそどうしたの……?」
 ジータ以外いるはずのない場所に広がる澄み渡った声。あまりの驚きにその場でジータの心臓と体が跳ねた。
 ルリアもまさかそこまで驚かれるとは思っていなかったのか、華奢な体を震わせ、目を見開いて棒立ちになってしまう。
 お互いに見つめあったまま動けない。沈黙が流れ、何回か瞬きを繰り返したのち、口を開いたのはジータだった。
「とりあえず……こっち座る? ルリア」
「は、はい」
 ぽんぽんと隣の席を軽く叩き、ルリアを誘えば彼女はひとつ頷いてジータの隣に座った。
 至近距離。ルリアから香る清潔な匂いがジータの胸を高らかに鳴らす。
 再び場を支配する無言。ルリアは己の太ももに置かれている手を見つめ、ジータは目線を逸らし、その目はなにもない空間を泳いでいる。二人に共通しているのは……頬が赤いことか。
「えっと、ルリアはどうしてここに?」
「なんだか眠れなくて……部屋を出たらジータの気配を感じたから来てみたんです」
「そうなんだ。私も眠れなくてここに来たの。お揃いだね」
 同じ理由ということに、どちらからともなく笑いだす。すると、ルリアはジータの手になにかが握られているのが目に入った。
 成り行きで指摘すればジータは慌て、口を開こうとしてもなにを言っていいのか分からず、頭が真っ白になってしまう。
 口を数回開閉させると、観念したかのようにうなだれた。
 駄目だ。素直に言おう。ここで変に誤魔化すよりかも勢いで渡してしまったほうがいい。
 ジータは決心するとルリアと向かい合う。その顔はいつになく真剣で、ルリアも自然と背筋が伸びた。
「ルリア。これを受け取ってほしいの」
「指輪……ですか? とっても綺麗です!」
「これは久遠の指輪。身につけた人の能力を引き出すものなの。だからルリアに着けてほしいなって」
「私ですか!? ……これ、貴重な物ですよね? ジータがたくさん戦って交換してもらった……。本当に私でいいんですか?」
「もともとルリアに着けてほしくて、交換した物だから」
「……ありがとうございます、ジータ。嬉しいです」
 花のかんばせはジータの心をきゅぅ、とさせる。愛しい。その一言に尽きる。両者ともに頬の血色がよくなり、交差する視線をまたそれぞれ違う方向に向けてしまう。
 どくん、どくん。力強く鼓動を刻む心臓が痛い。なぜこんなにも好きなのか。ジータはその理由を考えるが、さまざまな理由が浮かび、これだ! という明確な答えは出なかった。
 好きなのだ。ルリアが。ただそれだけがジータの中を埋め尽くす。
「あっ、えっと、指輪……着けてあげるね」
「はい。お願いします」
 言葉に詰まりながら言えば、ルリアは自然な形で左手をジータに向かって伸ばした。華奢な指。その薬指にジータは久遠の指輪を通していく。
 指輪はルリアにぴったりで、彼女の指から静かな光を放っている。キラキラとした輝きにルリアの口角が上がった。
「なんだか強くなれた気がします……! それにここは教会ですし、今のジータの服からしてなんか……その、結婚式みたいだなって。はわわ……! 私ったらなにを言って……!」
 ジータの現在のジョブはザ・グローリー。純白の衣装はウェディングドレスにも見える。そのことを口にすると、ルリアはこれでもかというくらいに顔を真っ赤にさせ、俯いてしまった。どうやら無意識に出てしまった言葉のようだ。
 また、言われたジータも同じ顔色になる。言われてみればそうだと。さらにそうするのが当たり前のように左手の薬指に指輪を嵌めた。
 左手の薬指は永遠の愛の証。ルリアに向ける感情からして正解なのだが、意識すると恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだ。
 ──けれど。
「ルリアとだったら……」
 その先の言葉は空気となって出るだけ。一連の動作は意識の外でやってしまったからできたが、意識してしまった今、それは難しい。
「えと、なんだか眠くなってきたし、そろそろ部屋に戻るね! おやすみ、ルリア!」
 勢いよく立ち上がり、先の言葉をかき消すように矢継ぎ早に言の葉を羅列させると、ジータは脱兎の如く去っていく。
 まだまだ己の本心を伝えることは彼女にはハードルが高いようだ。
「ジータ、なんて言おうとしてたんでしょう……。でも、」
 ジータが消えていった扉を見つめ、ルリアはぽつりと呟き、小さな声は闇に吸い込まれていく。
 目線を落とし、指輪を視界に映す。宝石は角度を変えるとまた違った一面を見せてくれ、装飾品としても一級品。
「私も、あなたとだったら……」
 指輪が嵌められている左手を自分の目線の高さまで上げるとルリアははにかみ、一生の宝物へと口付ける。
 彼女の心もまだ、言葉にするのは早い。