裏路地の悪人たち

 夜の裏路地は昼とまた違う顔を見せる。
 その中で闇に身を隠し、蠢く影たちの姿があった。

「……チッ」

 カラスバは端正な顔に青筋を立て、舌打ちをひとつ。
 ──薬の売人を追い詰めたはずだった。
 最近一部の若者の間で出回っていた薬は依存性が高く、早々に回収はしていたが元を絶たねば意味がない。
 そしてようやく売人のひとりを特定し、捕らえたのはいいが隙を突かれて逃げられてしまった。
 もちろん部下たちに追わせてはいるが、未だに連絡が入らないところを見ると売人は逃走中。
 サビ組ともあろうものがなんたる失態。
 イライラとした気持ちのまま、カラスバは細い道を走り続ける。ここで逃せば相手は地下深く潜るだろう。そうなれば大元を吐かせることも難しくなる。
 ──ずるっ。

(っ!?)

 なにかを引きずる音が、カラスバの前方に広がる闇の奥から滲み出る。
 反射的にジャケットの裏ポケットへと手を滑らせ指先に当たる冷たい金属の感触を確かめると、得物を握り込む。
 大きく、近くなる音にカラスバの険しい視線が突き刺さる。
 オニゴーリが出るか、アーボックが出るか。
 固唾を飲み、そのときを待っているとちょうど雲の切れ間から月明かりがカラスバの周辺を照らした。

「……セイカ?」

 暗闇の中からヌウッ、と顔を出し、月光の下に現れた影は見慣れた少女の姿。
 愛用の白い帽子やエムゼット団のロゴを背負ったブルゾン。いつもと変わらない恋人の姿にカラスバはジャケットから手を抜いた。

「な……!」

 しかし、訪れた安堵は一瞬で凍りつく。
 セイカの片手には“なにか”があった。いいや、違う。自分はそれを知っている。
 首根っこを掴まれ、引きずられているのは追いかけていた売人だ。
 どうやら意識を失っているのか、ぴくりとも反応がない。セイカは無言のままさらにカラスバへと歩み寄ると、そのまま無造作に男を放り投げた。
 まるでゴミ袋を扱うような気軽さでカラスバに男を寄越すセイカの瞳には、熱が感じられない。淡々としていた。

「対象を捕縛する際は、逃走防止の措置をいくつか講じた方がよろしいかと」
「ぐうの音も出えへんわ。せやけど、なしてコイツが悪い奴や分かったん?」
「たまたま。したっぱの方たちが誰かを追いかけているのを見かけまして。そしてこの人はなにかに怯えるように逃げていた。……私も同じ穴の狢ですので見れば分かるんですよ。この方は悪質な債務者か、もしくは別の悪さ──例えば、薬とか」
「……なんで知っとんねん」
「常日頃から市井の方々の話に耳を傾けていれば、様々な情報が入ってくるものです」

 まるで天気の話をするように、さらりと言ってのける。
 セイカが人の話に耳を傾けるのが得意なのも、父親から強いられていた生き方の影響か。
 カラスバは小さく息を吐いた。

「こういうとこ、あんましオマエに見せたないんやけどな……」
「平気ですよ。私はカラスバさんが思っているより、ずっと物騒な世界で生きてきましたから」

 閉じた目を三日月の形にし、微笑みを浮かべるセイカはどこまでも凪いでいた。
 恐れや嫌悪、罪悪感もなにもない。
 その顔はただただ事実を物語る。
 セイカにとってはこんなこと、些末なことかもしれない。
 過去になにをしていたのか。その全てを知っているわけではないが、およそ普通からかけ離れた世界で生きてきたのは分かる。
 平気という言葉に嘘や偽りはない。それでも。

「ちゃうねん。オレの問題や」

 セイカから少し視線を逸らす。
 ミアレを守るためとはいえ、裏の仕事もしている。セイカもそれは百も承知。クリーンな方法だけでは無法者を迅速に潰せないことを知っている。
 だが違うのだ。たとえセイカが手を下したことがあったとしても。

「平気言うけどな。大事にしとる女に血生臭いとこ、見せたないやん?」
「……!」

 セイカの双眸が大きく開かれる。彼女はなにも言わずにカラスバを見つめるばかり。

「…………そのお気持ちは、ありがたく頂戴します」

 柔らかな声。全て引っくるめた上でなお、庇護しようとしてくれるカラスバの気持ちを受け止めると、セイカは踵を返した。

「カラスバさん。私、先に帰ってますね」
「おう。見ての通り今夜は帰れんか、帰っても遅くなるさかい。先に寝ててや」

 カラスバと恋人になる前はホテルZで寝泊まりしていたセイカだが、今となってはカラスバの自宅が帰る場所になっていた。

「はい。それでは──ごきげんよう」

 夜の闇の中に彼女の姿が溶けていく。
 しばらくの間、セイカが消えていった通路の闇を見つめたカラスバはおもむろにジプソに連絡する。
 売人を捕らえたことを告げ、車を回すように指示をした。じきに部下たちもやって来るだろう。

(どんだけセイカが裏側を知っとっても、手を下していたとしても。関わってほしない思うんは、オレのエゴやな……)

 すっ、と浮かんだ言葉にカラスバは自嘲するように笑った。
 セイカは自分がカラスバに執着しているのだと常日頃から言っているが、先に踏み込んだのはカラスバの方だ。
 彼だってセイカを逃がすつもりはない。
 胸の奥に残る様々な思いをすべて飲み込むと、カラスバはこれから始まる長い夜を思い──静かに目を閉じた。