橙色に染まりゆく空。ミアレの美しい街並みは夕日に照らされ、活気の中にほんの少しだけ寂しさを見せる。
セイカはベンチに腰掛けたまま、人々の往来をぼんやりと眺めていた。
観光地として賑わうミアレの午後。人間やポケモンたちの声や足音、そのどれもが今の彼女には少し遠い。
なにかを見ているようで、なにも見ていない。そんな視界の端にふと、女性と少女の姿が入り込んだ。
背景の一部からセイカの視線を集める存在へと変わった二人。
どうやら女性は母親で、女の子は迎えを待っていたようだった。
一組の親子の間には大きな手と小さな手がしっかりと繋がれ、仲良さそうに揺れながら段々と遠くなっていく。
(──いいな)
そんな言葉が胸の奥で小さく弾ける。
セイカ自身驚くほどに自然な言葉だった。
遠い昔。まだセイカが幼かった頃。同じような光景を見て今と似た感情をいだいた。
セイカには母親がいない。顔も名前も知らない。聞いても誰も教えてくれず、やがて聞くこともやめた。
母という存在そのものに対する憧憬。
社会に出る力は父に与えられたが、無条件に包み込んでくれる母の愛は知らずに生きてきた。
人が羨むものをいくつ手にしていても、普通の家に生まれていたら……と、時々考えてしまう。
普通の家に生まれて、両親の愛を受けて育って。そうしたら自分はどんな人間になっていただろうか?
「なにしょぼくれた顔してんねん」
「カラスバさん……?」
不意にかけられた言葉。セイカは呼び主の方へ驚いたように顔を向ける。
すぐそばにカラスバがいた。いつからそこに? そもそもどうしてここに?
「事務所戻る途中でな。こないな所でぼーっとしとるなんて珍しいやん」
遠く。カラスバの背後には黒塗りの高級車が見える。
本来なら通り過ぎているところを、わざわざセイカの姿が見えたから停めて降りてきたのだ。
軽口を叩くような口調ながらも、セイカを見つめる目は穏やかそのもの。サビ組ボスとして恐れられることの方が多い男とは思えないほどに。
「私だって……色々考えることは、あります」
それ以上は言葉にしなかった。
セイカの視線は吸い寄せられるようにカラスバから外れ、離れた場所へと向けられる。
カラスバもセイカの視線を辿り、母親と手を繋いで歩く子どもの背中を見て理由が分かった。
どこか寂しげで、焦がれるようなセイカの顔。
世界の裏側を知っていても、双肩にのしかかる肩書きがなにであっても──その面様は年齢よりも幼い女の子だった。
「セイカ」
「?」
「ほら。帰るで」
そう言ってなんの躊躇いもなく、カラスバはセイカに片手を差し出した。
迎えに来た人間がする自然な仕草。
セイカは驚きに口を小さく開けたまま、カラスバを見上げた。
柔らかく上がった口角。レンズの奥に光る金色は普段ある鋭さはなく、どこまでも優しい。
セイカにだけ向ける表情を感じながら、彼女は伸ばされた手を見つめる。
胸の中心。奥側で。嬉しさだけじゃない、言葉にできない感情が渦を巻く。
(この気持ちを表す言葉が、私の中にあったらいいのに)
けれど、言葉という型に押し込まない方がいいような気もして。
セイカは衝動に突き動かされるままその手を重ねると、ベンチから立ち上がった。
身長はほぼ同じながらも男性であるカラスバの手は大きく、そして温かい。
ふたりの間にある繋がりは恋人同士とはどこか違う温度と距離。
カラスバに引かれる手を見つめるセイカの顔からは先ほどまでの寂しさは消え、柔和な面差しが浮かぶ。
はたから見ればふたりは仲のいい恋人同士だろう。
けれどカラスバとセイカにとってその手は──。
終
