私の大好きな貴方への贈り物

 研究所がある地域は現在、連日のように雪化粧をしている最中だった。分厚い雲からはらりはらりと降り積もる雪はふわふわと軽いものの、冷気を齎すのには十分。
「わぁ〜! やっぱり綺麗だなー!」
「お前だけだ。この糞寒いのに喜ぶ奴は」
 建物と建物を繋ぐ通路には外に面している場所もあり、研究所所長ルシファーと彼によって造られた星晶獣、ジータはちょうど外にある通路を通っているところだった。
 屋内はまだ耐えられる寒さだが、外に出ると話は別。ルシファーの吐く息は白く見え、極寒の冬を連想させる双眸の間には不快だと皺が刻まれている。そんな彼とは打って変わってジータは真っ白な空から降り続ける白い結晶に目を輝かせ、はしゃぐ。彼女は人間ではないために気温の変化による影響は特にないのだ。
「こんなにいっぱい雪があるから、あとで雪だるまを作ってみるのもいいかも」
「雪だるま?」
「うん。前に読んだ……空の民が書いた本の中に雪だるまの記述があってね。色々な作り方があるけど、ただ単に雪を大きく丸めた二つの玉を人型になるように重ねるだけでもいいの。そしたら身近にあるもので顔のパーツを作ったり、木の棒とかで手をつけて完成」
「ほう……。本人の造形技術、美的感覚が問われるな」
「ルシファーも雪だるま、作ってみる?」
「作るわけがない。それよりもジータ。俺のそばにいろ」
「は〜い」
 仮にルシファーが作るとなったら拘り過ぎていつ完成するか分からないだろう。それでも彼の研ぎ澄まされた美的センスによって制作された雪だるまを見てみたいという気持ちも捨て切れない。
 そんなことを思いながらジータは聞く人によっては恋人に向けるような言葉──彼女にとっては命令に大人しく従う。ルシファーのそばに駆け寄り、体温を上げる。ある意味移動式の熱源のようなもの。
「わっ!? ルシファーの手、すごく冷たい……!」
 屋根があるので直接雪に触れることはないが、寒いとぶつぶつ文句を言いながら通路を歩くルシファーの手をジータはなんとなく握ってみた。するとその冷たさに驚愕し、思わず大きな声を上げてしまう。
「うるさい……」
「ちょっと待ってね……。はーーっ……」
 妙に長いこの通路の向こう側までまだ半分も来ていないということでジータは思うところがあり、握ったルシファーの手に少し力を入れることで彼の歩みを止めた。
 冷えきった彼の手たちを両手で包み込むと火の元素を調節した温かな呼気によって一時的に温め、今からすることの準備としてルシファーの服についているフードをすっぽりと頭に被せた。
「おい、なにをする……!?」
「まだ通路長いし、私がルシファーを抱えて走った方がすぐに着くから。ちょっと寒いと思うけど我慢してね。あとは舌を噛まないように。じゃあ──いっくよー!」
「ッ……!!」
 ルシファーとジータではかなり身長差があるのだが、そこは星晶獣。見た目は少女でも成人男性を軽々と横抱きにすると落とさないようにしっかりと抱きしめ、脚に力を入れると──駆けた。
 ルシファーの耳に風を切る音と強風によってはためく服の音が届く。すると次の瞬間にはもう反対側の通路に到着し、ジータによって丁寧に地面に下ろされる。一連の動作はまるで騎士が姫を下ろすかのようだ。
「なるほど、この手があったか」
 普段ならまだしも、この寒い中わざわざ自分の足で歩く必要などなかった。ジータに抱えさせ、瞬時に移動すればいいだけのこと。ただ……見た目を考えると、実行できる機会は限られてくるが。
 ジータを見つめて黙り込むルシファーに対してきょとん顔をしている星晶獣の少女に対して独りごちると、ルシファーは扉を開けて中へ。ジータもその後に続く。

   ***

(それにしてもルシファーの首元、寒そう……)
 ルシファーの研究室に戻ってきたジータは“天司”という特別な星晶獣を造るために日々研究と実験を繰り返しているルシファーの補佐をしながらぼんやりと思う。
 彼の服装は首周りが大きく開いており、インナーを着ているといっても寒そうだ。そこでジータは己の記憶の中からなにか役に立つ物は……と検索すると、よさげな記述を見つけた。
 ジータは好奇心旺盛。そこは親であるルシファーに似たが、彼とは違って快活。星の民はもちろんだが今は空の民をより多く知るため──じっとしているのは苦手ながらも彼らの書物を読むことは彼女の日常に組み込まれている。ジャンルは様々で幅広い知識をそのメモリーに蓄えているのだ。
 以前読んだ本の中に作り方が書かれていた“マフラー”という編み物。ジータはこれなら自分でも作れそうだと考えると、早速材料を揃えなければと脳内で算段をつけていく。ちなみに頭の中ではそんなことを考えているジータだが、今の彼女はルシファーの実験の補佐をしている最中。顔は真面目な表情なので脳内で全く違うことを考えているとはまず分からないだろう。
「…………」
 ルシファー以外、は。
 ──それからジータは時間ができるとルシファーに隠れて編み物をするようになった。本当は彼が眠っているときも作業をしたいところだが、冬の時期は湯たんぽ代わりとして一緒に寝ているので彼の睡眠の妨げになってはいけないと我慢。
 日常の家事、彼の実験の補佐と忙しいながらもなんとか時間を作り、初めての編み物に失敗を繰り返しながら数週間。
「で、できた……!」
 ようやく仕上がったマフラーは真っ白な毛糸と先端にアクセントとして彼の目の色をイメージしたアイスブルーを取り入れた愛情のこもった一品。
 ルシファーは現在執務室で書類仕事をしている最中。ジータは自分の部屋で大きく伸びをして体をほぐすと、ソファーから立ち上がった。両手で持っているマフラーをそのまま持ち上げておかしなところがないかのチェック。
 毛糸のほつれもなく、長さも問題ないだろう。初めてにしてはなかなかの出来ではないかと一人にんまり笑顔を浮かべると、そばにあった窓の向こうを見た。
 外は今日もしんしんと雪が降り続いており、ルシファーが寒いと顔をしかめるのが目に浮かぶ。少しでも暖かいと感じてくれたら嬉しいな。そもそも受け取って貰えるかが問題ではあるが……。
 もし仮に要らないと言われても自分で使うからいいやと頷くと、ジータは無地の茶色の紙袋にマフラーを入れて部屋を出た。軽かやな足取りで向かうのは執務室だ。
 春を連想させる上機嫌のまま、執務室をノックすればすぐにルシファーから入室の許可を出された。ジータはドアノブを回して中へ。すると彼は重厚な作りのデスクで心底つまらなさそうな顔で、さらに頬杖をつきながら文字の羅列を眺めていた。
 ルシファーとしては一秒でも多く天司に関わる作業をしたい。しかし彼の所長という肩書きがそれを許さない。特に普段は研究に没頭するルシファーの代わりにジータが書類を捌き、重要な内容のみ彼に直接指示を仰ぎ、その他の重要度の低いものはサインをしたり、要約して伝える……という仕事をしていた。
 だがマフラー作りに時間を割くため、ときどきルシファーに本来彼がするべき仕事をやらせていたのだ。
「お仕事は終わりそう? ルシファー」
 ぎろり、と不機嫌なアイスブルーがジータを睨む。お前がそれを言うのかと。
「たまには自分で書類を確認するのもいいと思うよ」
 ジータはルシファーから発せられる圧を意に介さず、にっこりスマイルで執務机越しにルシファーの目の前へ。
「これなんだと思う?」
 語尾に音符がつきそうな上機嫌で紙袋を彼の目の前に出せば返ってくるのは眉をひそめての無言の圧力。用があるなら早くしろと告げる眼差しにジータは紙袋を机に置くと、両手でマフラーを取り出す。
 暖かな編み物を持ったままジータはルシファーの方に回り込むと「立って立って!」と急かし、渋々といった面持ちでこちら側に体を向けて立ち上がった主の首元に問答無用でマフラーを巻きつける。
 終始ジータの勢いに押されていたルシファーは妙に余ってしまったマフラーの端を手に取り、触り心地を確かめるように何度か指でこするように触れると、ふんわりとした毛糸で編まれた白い物体を見つめて嘆息した。
「俺に隠れてなにかをしていることには気づいていたが……なんだこの不細工な物は」
「なっ、なによ、そんなこと言わなくたって……!」
 機嫌よく空を舞っていたジータの羽を容赦なく切り落とし、一気に地の底へと落とす言葉はさすがに少し頭にくる。ルシファーの中に他者を思い遣るという気持ちがあまりないことは重々承知しているが、さすがにカチンときた。
「形も悪いかと思えば寸法もいい加減。俺に仕事を押し付けて作っていた物がこの程度か。……まあでも、」
「っ、いいもん! そんなこと言うなら私が使うから!」
 日にちを置けばもう少し冷静にマフラーの出来を確認できたかもしれないが、一刻も早くルシファーにプレゼントしたくて仕上がりと同時に持ってきたのが駄目だった。
 完成したという高揚感が目を曇らせ、形が少々崩れてしまっているところや長さを見落としてしまった。初めて作ったから、という自分に甘いところも正直あった。
 己の感覚にそぐわないものを切り捨てることはルシファーとの今までの生活で分かっており、また、彼がマフラーを気に入らないと言う可能性も想像はしていたが、やはり実際に言われると彼への想いを無下にされたようで悲しい。
 ジータは思わず泣きそうになるのを我慢し、怒って彼の首からマフラーを外そうとするがその手をルシファーの手が止め、ジータの反応にやれやれとでも言いたげな表情で、
「なにを一人で喚いている。……俺は要らないとは言っていない」
「だ……だったら、最初からそう言えばいいじゃない……」
「お前が話を最後まで聞かないのが悪い」
「ぅ……。ゴメンナサイ」
 彼にそう指摘されると本当にその通りなのでジータは最終的には黙るしかない。確かになにかを言いかけていた。
 その言葉は、もう聞きたくても聞けない言葉。

   ***

 今日も冬空な研究所。所内の通路は現在所長とその補佐を務める星晶獣しかおらず、ふたり分の靴音が響いていた。
「ねえルシファー。もしよかったら私のマフラーと交換しようか? ほら、あなたにあげた物より綺麗にできたし」
 広めの通路にてジータはルシファーの斜め後ろを歩きながら提案する。その彼女の首にはルシファーとお揃いの白い毛糸で編まれたマフラーがあった。
 以前ルシファーにマフラーをプレゼントしたあと、なんとなくお揃いのマフラーが欲しくなったジータは自分の分を編み、一度目の失敗をバネにしてより完成度の高い物へと昇華することができたのだ。
 話しかけられたルシファーの首にはジータの処女作のマフラーが巻かれていた。不細工だ、形がいびつだ、などと酷評していた割には毎日着用しているがより良い品があるのだ。もしかしたらと思って声をかけるが、
「必要ない」
「……そっか」
 無感情の口調だが、後ろを歩くジータの口元の笑みが喜悦に深くなる。
 その後、気温が安定するまでの間ルシファーはジータからプレゼントされたマフラーを当然のように着け続け、研究所内ではお揃いのマフラーで歩くふたりの様子に変な噂が立ったとか、立たなかったとか。