忘れた約束の影

 昼間は観光地として賑わっているミアレシティも、とっぷりと夜が深まった時間になると案外静かなものだ。
 セイカが今いるのはAZの墓前だった。
 ホテルZのオーナーであり、セイカとは“旧知の仲”。悠久を生きる者同士、まさか彼を見送る日が来るなんて、と心のどこかに隙間風が吹いた。
 セイカは人ならざるもの。太陽よりも月が好みだった。
 元は、人間だった。
 不老不死の強化人間を作るための実験体となり、結果的に実験は中途半端に成功した。
 老いない。だが、死なないわけではない。
 血を糧としなければ、人の枠を外れたこの身体は維持できない。
 陽の光も、弱り切った身には命取りになる。
 普通に暮らす分にも肌が赤くなりやすく、焦がすように皮膚が痛むので長袖の服、日傘、日焼け止めは欠かせない。
 だから昼間よりかも、こうして夜の方がセイカは好きだった。

 まるでおとぎ話に出てくる吸血鬼。なのでセイカは存在を明かしてもいいと思った数少ない相手には吸血鬼だと言っていた。
 今の彼女の服は白のオフショルダーにワイドパンツというシンプルながらも昼間はできない服装。
 友が眠る墓は綺麗に掃除され、色とりどりの花が供えられているのを見ると、彼が人々から愛されていたことが伝わってくる。
 セイカも手に持っていた花束をそっと、供えた。
 彼女が人外であるのを知るAZも先に逝ってしまった。けれどその最期は幸せだったと、セイカは思う。
 愛するフラエッテに再会し、未来を紡いでいく若者たちと絆を結び──。
 彼は安らかな顔で、眠っているように思えるほどに静かに息を引き取っていた。
 見送るばかりの自分も、いつかは見送られる日が来るのかな。
 セイカは力なく口角を上げた。
 気が遠くなるほどの時間を過ごしてきたセイカだが、中身は人間。
 記憶は欠落が目立ち、今では“なぜ生きるのか”という目的もハッキリとは思い出せない。

「ねえAZさん。私がなんのために生きているのか、あなたは知ってる?」

 いつかの夜。ホテルZの屋上で彼に聞いたことがある。セイカの用意した温かいコーヒーを飲みながら、満天の星の下で。
 セイカはAZが最愛のフラエッテを捜しているのは覚えていたが、どうしても自分の生きる意味は分からなかった。
 あるはずなのだ。絶対に。だがそれがなんなのかは──思い出せない。
 だから聞いてみた。悠久を生きる者同士。かつて共に過ごした日々の中で過去の自分が話していないかと。

「……知っている。だがそれは、きみ自身が思い出すべきもの。だからわたしは教えられない」
「私自身が……」
「いつかまたどこかで会って、私が生きる目的を忘れてしまっていても。それは自分で思い出すべき大切なことだから、教えないでください。かつて、きみが言っていた言葉だ」
「そんなことを言っていたんだ……。もうそれすら、私は……。どうせ化物にするなら、完全な人外にしてくれればよかったのに。そうすれば、忘れちゃいけないはずの、大切な記憶を失うことなんてなかった」

 たった数百年前までは、覚えていたはずなのに。
 時の流れの中。終わりが見えない命を終える選択肢もあった。けれど本能でまだ散るわけにはいかないと、気ままに旅をして──ミアレに流れ着いた。
 とてつもない時間を生きてきてたまにはこういうのもいいかもしれないと、川の流れに身を委ねるように様々な問題を解決していき、最後は街を救うまでになった。
 姿が変わることのないセイカは今までひとつの地に長くいることはあまりなかった。あったとしても人間たちとの交流は避け、ポケモンとひっそり生きてきた。
 そのポケモンも見送るばかりでつらくなり、もう自分がポケモンの親になることはないと考えていた。
 だからミアレに来たとき手持ちがいなかった。それが今ではトレーナーとしてたくさんのポケモンたちと過ごすようになったのだから、なにが起こるか分からないものだ。

(AZさん。私、最近思い出したことがあるんです)

 人々が力を合わせ、復興したミアレシティに思いを馳せながらAZに語りかける。

(私、誰かを捜していた。その人は大切な人で……。なんでこんなにも大事なこと、忘れていたんだろう)

 その誰か、までは未だ思い出せない。いつかは思い出せる日が来るのだろうか。
 人の形をした影がぼんやりと浮かぶばかりで性別すら定かではない。けれどその人のことを考えると胸が締め付けられるように痛む。泣きそうになる。
 セイカは虚しく笑うと、背後から近づく気配に振り返った。

「カラスバさん?」

 かなり距離があるのに振り返ったセイカを見て、カラスバはわずかに瞠目した。だが歩みを止めることはない。

「こんな時間に墓参りか。……なんや。肌出しとるオマエ、新鮮やな」
「カラスバさんと会うのは昼間が多いですからね。それよりどうしてここに?」
「仕事終わりにたまたま見かけてな。オマエと話したい思うたんや」
「もう零時過ぎてるのに。遅くまでお疲れさまです」

 仕事終わりにたまたま見かけて。嘘だろうと直感する。
 AZの墓はワイルドゾーン四の奥まった場所にあり、周囲は塀に囲まれている。なので墓地に入るのを見かけるか、近くにある建物から偶然見えたか。
 きっとそのどれでもない。
 カラスバからの監視は続いている。彼は決して口にはしないが、タイミングのいいところで電話がかかってきたりなどを考えると、セイカの現在地を知ることなど容易い。
 セイカはなにも知らない振りをしてカラスバに「それで、どんな話ですか?」と首を傾げる。
 わざわざ誰もおらず、邪魔もされないときに来たのだ。他人に聞かれたくない話のはず。
 カラスバはセイカの横を通り過ぎるとAZの墓前へ。
 目を閉じ、数秒の沈黙。墓参りのために来たのではないとはいえ、故人への敬意を忘れないところを見ると、奥底に義理人情に熱いモノを秘めているのが分かる。

「あれから数ヶ月。あないなことがあったのにもう日常が戻ってきとると思うと、人の強さを思い知るわ」
「みんなが力を合わせたからですよ。カラスバさん──サビ組の皆さんにも、たくさん助けられました」
「まあな。オレらみたいなモンは非常時にこそ役に立たなあかん。それにセイカが一番頑張ったんやで? オマエのおかげでミアレは救われた。……ありがとう」
「改めて言われると照れます……!」
「なんぼでも言うたるよ。……復興作業も、想像より早よお終わってよかったわ」
「そうですね。でも、復興に関しては私は全然……。ポケモンたちに指示を出すくらいで」

 互いにAZの墓を見ながら、静かに言葉を交わす。
 夜の冷たい風が吹き抜け、ふたりの髪を優しくさらっていく。
 復興作業は主に日の出ている時間帯に行われていた。なので太陽が弱点のセイカが手伝えることは限られている。
 だがポケモンに指示を出して瓦礫の撤去をしていたのは他の者も同じ。自らの拳を使っていたシローを除いて。
 人の枠を中途半端に外れた自分には、普通の人間よりも強い力がある。分かっているからこそ、それを発揮できないのが酷くもどかしかった。
 陽の制約がなかったとしても、見た目は普通の女の子が重い瓦礫を持っているのを見せたら、みんなを驚かせてしまうかも?
 様々な“もしも”が浮かんでしまい、セイカは落ち込んでしまう。
 だがカラスバからすればセイカは人よりも多く動いていた印象しかないのか、否定するように首を横に振った。

「そないなことあらへんよ。テキパキと指示するセイカ、それを守るポケモンたちの連携。見事なもんやった」

 ふたりの視線が重なる。カラスバの口元は柔らかく、セイカの胸が少しだけ高鳴った。どうしてなのかは分からない。

「そういえば不思議なことも起きたなあ。昨日まであった瓦礫が翌日見ると運びやすい場所にまとめられていたり、重機が入れんところも綺麗になってたり」
「私も知っています。親切なポケモンがしてくれたのかも? ってみんな言ってましたよ」

 こがね色の瞳が見つめてくる。まるで探るような眼差し。
 なぜ彼がこんな話をしてくるのか。その真意までは読み取れないが、事の詳細はこうだ。
 単純な話。太陽が出ている内は力を発揮できないなら、人々が寝静まった時間。闇夜に紛れて作業すればいい。
 空が明るくなる兆しが見え始め、人の気配を感じ始めたらホテルに帰ってシャワーを浴びて寝る。
 元人間のセイカは睡眠時間が極端に少ない。一、二時間も寝れば体力は回復する。
 起きたらまたポケモンに指示を出して復興作業。その繰り返しでカラスバの想像以上に早く終わったのだ。

「でもな。妙なものを見たいう話もあんねん」
「妙なもの?」
「せや。夜中。誰もいないはずの場所で微かに物音がするやん。なんやろ? と思うて見とると……瓦礫を何者かがせっせと動かしとるやん。ポケモンか? と普通は思うやろ。せやけどよぉ〜く見ると──人の形しとったんやて」

 セイカの脳裏に浮かぶのはいつかの日。夜の底に沈むような時間帯。
 作業をしていたら距離は離れていたものの、誰かの視線を感じ、その日は切り上げたのを思い出した。

「普通の人が重い瓦礫をひとりで動かせるわけないじゃないですか。シローさんじゃあるまいし。……やっぱりポケモンですよ。ほら、ワンリキーとかゴーリキー。人に近い姿をしてるポケモン」
「そいつも人影に驚いてもう一度目を凝らすと、誰もおらんかったらしい。……で、これは子分の話。調べてみるとほんまに人が瓦礫動かしてるやん。黒い服にフードを深く被って顔もマスクで分からへんけど、黙々と作業してはった」

 セイカはポーカーフェイスに努める。
 まさかサビ組の人間だったなんて。それよりも、調べたというがどこから見ていたのか。
 人の枠を外れてから自分に向けられる視線には敏感になり、背後を取られたことなどないのに。
 もしや防犯カメラ? 街中にあるそれはセイカにもどうすることもできない。だからこその目立たない服装だ。

「悪い奴ちゃうし、わざわざそないな時間に作業するゆうことは見られたくなかったんやろ。親切なポケモンがしたって周りも解釈しとるさかい、黙っとったんや」
「……どうしてその話を私に?」
「ちょうど……オマエくらいの背丈で、ほっそい人の形しとってな」
「ふふっ。やだなあ、それだと私って言っているみたい。こんなか弱い乙女がそんなことできるわけないじゃないですか」

 はい。私です。なんて認めるわけにはいかない。
 セイカはくすくすと笑いながら、やんわりと否定する。
 カラスバは妙に真剣な顔のまま、口を真一文字に結んでいた。けれどやがて、セイカに同意するようにふっ、と力を抜く。

「……せやな。変なこと言うて堪忍な。オレも別に今更どうこうしよう思うとるわけやない。ただの好奇心、興味や。……さて。そろそろ帰るわ。ホテルまで送ったろか?」
「もう少しAZさんと話をしたいので、お気持ちだけ頂きますね」
「さよか。ポケモンもおるさかい大丈夫やと思うけど、気をつけて帰るんやで」
「はい。カラスバさんも帰ったら早く寝てくださいね」
「それ言うならオマエもやろが。夜更かしはほどほどにしとき」
「はぁーい、ママ」
「誰がオカンや」

 軽口を叩き合いながら別れるとカラスバは背を向けたまま、肩のあたりでひらひらと手を振りながら行ってしまった。
 セイカはその背が小さくなるまで視線を外すことができなかった。
 彼が視界に入ると自然と目で追ってしまう。このミアレの地で初めて会ったはずなのに。

(……あのね、AZさん。私、彼に出会って過ごす内に生きる目的を思い出したの)

 最初の出会いはガイの借金の件。
 事務所に呼び出されたときデウロも一緒に行く流れになっていたが、まだまだ若い子たちを関わらせたくないと思って単身サビ組に乗り込んだ。
 そしてカラスバに邂逅したとき。体に電撃が走った。だがそのときは深く考える場合ではなかったので流したのを思い出す。
 カラスバの目的はミアレに恩返しをしたい。
 その方法は綺麗事だけではないけれど、最近名を挙げている若者ばかりのエムゼット団に、三千年生きていると噂される異様に背の高い老人。
 ミアレにとってどんな影響をもたらすのか見極めていたのだろう。
 利子返済の仕事の中で彼とさらに関わり、アンジュ暴走の際にはまるで何度も共闘したかのようなコンビネーションで、暴走メガシンカしたポケモンたちを退けた。

(そして復興も落ち着いてしばらくして、私は夢を見た)

 夢なんていつぶりか。真っ白な空間に佇む人の形をした影を前に、セイカは漠然と感じていた。
 ああ、私は大切な人を捜すために生きていたんだと。

(その人は私とどんな関係だったのかな。家族? 親友? それとも、恋人?)

 未だそこまでは分からない。けれどこれから先もカラスバと関わっていけばいつか──全て思い出せるような気がするのだ。

「しばらくはミアレにいるつもりです。だからまた来ますね、AZさん」

 友に別れを告げると、セイカは墓を後にした。
 なぜカラスバがきっかけなのか。尋ね人に関係するからか、それとも捜し求めていた本人なのか。
 欠けた記憶を拾い上げることができれば分かるはず。
 セイカはもう見えなくなったカラスバの背中を思い出す。
 知らないはずなのに、懐かしい。
 この地で初めて出会ったはずなのに、胸が痛い。
 その矛盾を抱えたまま、セイカは夜のミアレを歩く。
 答えはまだ遠い。
 けれど、完全な闇ではない。
 月明かりの下。彼女の中に残された何かが、微かに息を吹き返していた。