サビ組事務所。執務室で仕事をしていたカラスバだが、一区切りしたところでふとセイカの様子を見たくなった。
恋人は今頃どこでなにをしているのか。また無茶なことをしてないだろうか。
セイカのことを女性として意識はしている。だが特殊な環境で育ったために時に危ういことも平気でしてしまう彼女を、最近では自分の娘のように思うことも多々あり。
セイカの方も母親を知らずに生きてきたのでカラスバの言動に母性を見出し、駆け引きのない無償の愛を享受していた。
スマホを起動すると監視画面へ。ぱっ、と映し出されるのは見慣れたミアレの風景。
青空の下で今日も元気よくパルクールするセイカの姿。ここまではいい。しかし。
「……は?」
とある映像を見て一瞬理解が遅れる。
屋上から屋上へと飛び映るセイカはスマホロトムを使用せず、自らの力のみで飛び移ってみせたのだ。
そもそも屋上間を移動するなという話ではあるが、飛び移るのならせめてスマホロトムを使ってほしいというのが切実な願い。
身体能力も飛び抜けているのは知っている。それでも心配になるのだ。
もし怪我をしたら──そんなカラスバの思いを知らず、画面の中のセイカは今度は高い位置から飛び降りた。
「待てやアホ!」
「カラスバさま……!? いかがされましたか!」
椅子に座ったまま前のめりになりスマホを両手で鷲掴みし、画面にかじりつく勢いのカラスバに離れた席で仕事をしていたジプソも立ち上がる。
カラスバの背後から画面を覗き込めば、そこにはセイカの姿が。
「あんな高いところからロトム使わへんで落ちよって! 平然と着地して行くなや! アイツっ……、ほんまなにしとんねん!!」
「カラスバさま。セイカさんがなにか……?」
「あぁ……すまんジプソ。いきなりデカい声出して。あんな、セイカが今日も元気よおパルクールしとんねん。それはまあええ。……でもな。スマホロトム使うてへんねん」
「……は」
椅子に座り直し、眉間に寄った皺を指でほぐしながらカラスバはため息混じりに吐き出す。ジプソも上司の発言に思わず気の抜けた声が出てしまった。
「あいつどんな運動神経しとるんや。セイカのことやさかい、自分の限界は分かっとる思うで? でもなあ……そもそも落ちるな! ハシゴかホロベーター使えや! どないしても落ちたかったらロトム使いや! 怪我でもしたらどうするつもりやねん! あぁ、クソ! 人の気も知らんで! このルートやと……事務所来るな。説教したる! 止めるんやないでジプソ!」
「かしこまりました」
ジプソからはカラスバの顔は見えないが、想像に難しくない。
わなわなと震えるカラスバを見て、ジプソは緩やかな笑みを浮かべる。恋人の立場でよりかは、母親が子どもに向けるような心配。
カラスバの性別でいうならば父親なのだが、セイカを包み込むような言動は母親を連想させるのだ。
***
──数十分後。エレベーター前で仁王立ちしていたカラスバにセイカは扉が開くや否や捕らえられ、壁に押し付けられていた。
セイカの両腕は頭上で固定され、クロスさせられた手首はカラスバの片手で動きを封じられている。
残りの手もセイカの真横にあり、いわゆる壁ドン状態で青筋を立てながらこんこんと説教をしていた。
目と鼻の先。怖い顔で叱られてもセイカはうろたえたりせず、ずっと真顔のまま。冷静な目でカラスバを見つめるばかり。
「なんや言いたいことがある目やな。ほら、言うてみい」
「……この程度の拘束なら抜け出せますし、でもカラスバさんを傷つけたくないな……。と、思ってました」
(このッ……! 全然響いてへんやないか!)
実父からの教育のせいか。自分の身の安全よりかも効率を優先する思考が強いセイカからすれば、カラスバのお説教は暖簾に腕押し。
いつかの日。セイカが怪我をしたときには同じように叱ったら泣かれたが、あのときは弱っていたせいか。
「ほお〜ん? 抜け出せるモンなら抜け出してみいや。なあ、セイカちゃん」
「──本当に?」
「……!」
「本当に、いいんですか?」
セイカは瞬きひとつせずカラスバを見る。怖がることもせず、ただ許可を待つように。
念を押すように確認する様子からして、ハッタリではなさそうだ。
仮に許可を出した瞬間。本当に実行するという圧が感じられ、カラスバはこのままだと平行線を辿るばかりだとため息混じりに拘束を解いた。
「…………はあ。やめや、やめ。オマエなあ、普通やったら怖い思うて言うこと聞くところやで。……ほな、アプローチを変えよか。おいで、セイカ」
カラスバに手を引かれ、はいと言うまで立ち上がれないソファへとセイカは連れて行かれる。
ぴったりと隣同士で腰を下ろし、カラスバはセイカの帽子をテーブルに置くとそのまま彼女の顔を抱き寄せた。
ぴくっ、と腕の中で反応するセイカに今の今まで凶悪顔をしていたカラスバの表情も和らぐ。
胸の中に閉じ込められるセイカは借りてきたエネコのように大人しい。
慈しむようにカラスバは頭を撫で、視線を細めるととびきり優しい声で囁く。
「あんなぁ、セイカ。オレも頭ごなしに言うてるんやないよ。その体はもうオマエだけのモンやない。怪我をしたらカラスバさん、泣いてまうで」
まるで毒を流し込むように言の葉を散らす。
セイカが母性に弱いことは承知の上での行動。恋人として叱っても効果がないのだから最終手段である。
現に顔を上げたセイカはどこか甘えるように眉を下げ、カラスバを見つめていた。
その双眸と視線を交差させると怒りの感情も萎んでいってしまう。カラスバもセイカの甘えには弱いのだ。
けれどしっかりと約束させなければ。危険な行動はしないことを。かといって過度に束縛するつもりもない。
抑えつけるだけでは、セイカの父親と同じになる。
「屋上をパルクールすなとは言わへん。ただロトム使うてほしいだけやねん。高いとこから落ちるときも──ほんまは落ちてほしくないねんけど、せめて怪我せんようにな?」
頭を撫でていた手でセイカの頬に触れる。なめらかで柔らかい肌の感触を味わうように親指で何度も撫で、最後のひと押し。
「カラスバさんからのお願い。聞いてくれはるよね?」
「……分かり、ました」
カラスバの胸に顔を押し付けながらセイカが抱きつく。
「…………ごめんなさい」
胸元からのぼそりとした呟きに、さっきはあんなに言っても聞かへんかったのに……! と、思いつつも素直な彼女が可愛らしくて仕方がない。
これはどちらの意味での愛しいなのか。恋人として? それとも親目線として?
(きっと両方やな……)
カラスバ自身、親の愛情は覚えていない。それでも、包み込むような愛をセイカに与えてやりたいと思うのだ。
カラスバからもセイカを抱きしめ、ひとしきり頭や背中を撫でたところでジプソに茶の用意を──と言いかければ。
「ご用意できています」
いつの間に用意していたのか。ガレットと飲み物をテーブルにセットしてジプソは「ごゆっくり」と微笑ましいものでも見るような顔で退出していく。
「次からは……ちゃんとロトム使います」
「ああ。それでええ」
「でも」
「ん?」
「こうして叱ってもらえるのは……嫌じゃない、です」
ガレットを片手に小さく口角を上げるセイカにつられてカラスバの口元も緩む。
叱られて嫌じゃないなんて変わっているなと思うが、特殊な環境で育った弊害か。
ポケモンバトルだけではない。本人も強いが欠けた部分が多い彼女。踏み込んだことで理解した危うさと未熟さ。
これから先も色々なことを教えていかねばならないだろう。実父の教育の賜物はなかなかに根深いのだから。
様々な思いをカラスバは飲み物と一緒に飲み込む。
眼鏡のレンズ越しにセイカが微笑んでいる。
今は──それだけでいい。
終
