「あっ、ねえマリシャス。ちょっといい?」
「なあに? ジータ」
とある島に停泊中のグランサイファーの廊下にて。まだ幼いながらもこの騎空団を率いるジータは前方を歩いている、紫に揺らめくファーを纏った少女に声をかけた。
かけられた声に振り向いた少女の顔はジータと瓜二つ。だが血縁関係はない。見た目の年齢は同じだが、本人から発せられる雰囲気はどこか危ういものを感じる。
マリシャスと呼ばれるこの少女はある日突然航空中のグランサイファーの上に落ちてきたのだ。目覚めた彼女から話を聞けば、別の世界から来たのだという。
帰る方法も分からないのでそのままジータの騎空団に所属し、今は団員として働いている。
ジータはマリシャスに近づくと右手をそっと手に取った。握られた手には黒いマニキュアが塗られているが、ところどころ剥げてきている。このままでは見栄えが悪い。
それを指摘すれば彼女は困ったように眉をハの字に曲げ、小悪魔的な表情をするとジータに塗り直して欲しいと言うではないか。
彼女の言い分はこうだ。ずっとママに塗ってもらっていたから自分じゃ上手く塗れない。これも他の団員にしてもらったのだと。
自分のことを多く語らないマリシャスだが、“ママ”という存在が彼女にとって一番大事な存在ということは言われなくても分かる。
知らない世界に一人きり。誰にも弱音を吐いたことのない彼女だが、本当は寂しいはず。
少しでも自分が力になれるなら、なりたい。マリシャスの心の隙間を埋めてあげたい。
お人好しだからじゃない。ジータ自身の心が彼女に寄り添わなければと訴えてくるのだ。
「分かったよ。と、言っても私もそこまで上手くないからね?」
「アハハッ。よく他の団員と塗り合いっこしてるじゃない。で、このままジータの部屋に行けばいい?」
「私、黒のマニキュア持ってない……」
「赤は持ってるでしょ」
「ん〜たしか前に貰ったような……」
「じゃあ決まり。ジータの部屋へレッツゴ〜」
なぜジータの所持しているマニキュアの色を知っているのかはこの際気にしない。
マリシャスに手を握られたまま自分の部屋に戻ると彼女を椅子に座らせ、ジータは一通りの道具を脚の長いサイドテーブルに広げた。
対面に座り、塗り直しのための作業をしていく。マリシャスと沈黙を共有するが、不思議とこの無言は心地よかった。
真剣な表情で一つひとつの工程をこなし、ようやく塗り直せるところまできた。
マリシャスの希望通り、林檎のように真っ赤な色を手に取ると、ジータは慎重に塗っていく。
ネイル映えする形のいい爪が少しずつ赤い色に染まっていく。
「う〜ん、黒もいいけど赤も素敵。ママを思い出す」
「……寂しい、よね。家族と会えなくて」
「ん?」
視線を爪に向けたまま、ジータはぽつりぽつりと呟く。
「いきなり異世界に一人で来ちゃって、帰る方法も分からなくて」
「否定はしないわ」
「やっぱりそうだよね。あのね、マリシャス。騎空団のみんないい人たちばかりだし、私だってあなたの力になりたい。その……だから、我慢しないでほしいの。寂しいときは私たちに甘えてほしい」
「ふぅ〜ん……。あっ、綺麗に塗れてる。今度からジータに塗ってもらうことにするわ」
頬杖をつきながら聞いていたマリシャスは片手の指が全て赤に染まるとその出来に表情をウットリとさせた。
マリシャス自身の目の色と似た赤。その双眸は爪を通して誰かを見ているようだ。
「少しは自分で塗ろうとする努力をしたほうがいいと思うけど……?」
「え〜? 今さっき言ったでしょ。甘えてって」
「……しょうがないなぁ〜」
舌をぺろりと出し、片目を茶目っ気たっぷりにウィンクさせるマリシャスに対してジータは言葉ではそう言いつつも、その顔は優しさに満ちた穏やかな表情をしているのだった。
終