その舌、凶器につき

 サビ組事務所。カラスバに会うため依頼と称して呼び出したセイカは、依頼内容の説明のあと帰ろうとした彼を“昼休憩に付き合って”と引き止めた。
 セイカにとってカラスバは特別な人だ。今まで誰かを恋愛の意味で愛しいと感じたことはなかったが、彼の内面の光に触れた途端に世界が違って見えるようになった。
 互いに明確に言葉にはしないものの、少なくとも友人の枠は越えている距離感。
 セイカが距離を詰めて、カラスバが振り回されている図が定番だが。
 ソファに対面に座りながら、飲み物片手に昼食タイム。
 カラスバも昼食がまだということで、ふたり分の食事を部下に買って来させた。
 テイクアウト用の容器に入ったミアレ飯はカラスバの舌にも合い、ふたりはポケモンの会話に花を咲かせる。
 どこどこのワイルドゾーンで色違いを見つけた。こんなポケモンがいた。
 ポケモンのことになると意外と饒舌になるカラスバの話を聞きながら、セイカは食べ進め、最後に残ったのは小さな赤い実。
 クラボの実。見た目からして辛い味のきのみは飾り用なのか、それとも一緒に食べるものだったのか。
 セイカは容器に残ったきのみを、指先でつまみ上げた。

「ねえ、カラスバくん。クラボの実の茎を舌で結ぶ遊びがあるんだって。できる?」
「へぇ〜。そんな遊びあるんや」

 眼鏡の奥の蜂蜜色がセイカの持つクラボの実を映す。
 セイカはなにも知らない様子のカラスバに、少しだけ唇を緩めた。
 茎結び。もちろんただの遊びではない。
 その手のジンクスは誰が言っていたか。偶然部下たちが話していたのを、セイカはクラボの実を見て思い出したのだ。
 だからこそ軽い気持ちで話題を振ってみた。仮にカラスバが隠された意味を知っていたとしても、セイカは遊びの体で話したので「そんな意味があるんだね」で済む。

「セイカさん。知ってはるんやったら、まず手本見してくださいよ」
「いいよ」

 普段と変わらぬ余裕ある大人の女の顔で答える。
 セイカも初めての挑戦だが、そんなに難しいことではないと思い、実から茎を取って口の中へ。
 モゴモゴと舌を動かしてみるが、これが想像より難しい。自然と眉間に皺が寄ってしまう。

「……ん」
「どうです?」
「ちょっと待って……」 

 舌先で器用に転がしてみても、どうにも結び目がうまく作れない。
 できそうなのに、できない。
 完成を待っているカラスバの視線が痛い。
 結局何度も挑戦したが、結果は芳しくなかった。
 観念したように小さく息を吐くと、口に入れたときと同じ形の茎を容器に戻す。

「だめ。難しいね、これ」
「え、そない難しいです?」

 カラスバは意外そうに言うと、自分もひとつクラボの実を手に取った。

「オレもやってみよ」

 軽い調子だった。
 ただの遊びの範疇だというように。
 セイカは考える。自分ができなかったのだから、彼だって難しいはず。そもそも舌でどうやって結ぶというのか。
 できる・できない人間で分ければ後者の方が多いだろう。だからセイカも大して期待していなかった。
 カラスバは視線を斜め上に向けながら、口を動かしていく。

(口、ちっちゃいなあ……。可愛い)

 はむはむと動く唇から目が離せない。
 セイカからすればカラスバは年下の男の子。容姿の印象もあって、どうしても“可愛い”が先に立つ。
 カラスバに直接言えば毎回のように「男に可愛いはない」と返されるが、その反応含めて愛らしい。
 なにもかも、カラスバと出会う前には知らなかった気持ちだ。
 カラスバは集中しているせいか、セイカの熱視線には気づいていない。
 ──そのときが来たのは、彼が茎を口に入れてから数秒後だった。

「できたで。ほら」

 べ、と少しだけ舌を見せられ、セイカは一瞬呼吸を忘れた。
 真っ赤な舌の上。そこには器用に結ばれた茎があったのだから。

「……え」
「こんなん簡単ですやん」

 セイカの思考が真っ白になる。
 なんでもないように言うカラスバの顔は、いつもと変わらない。
 特別得意げというほどでもない。ただ本当に、試しにやってみたら簡単にできてしまった。
 だからこそ余計に心臓に悪い。
 たったの数秒で結んでしまった事実。舌を巧みに動かすことのできる器用さ。
 セイカの脳裏に茎結びのジンクスが蘇る。
 ──結べる人は、キスが上手い。
 カラスバはセイカが心を乱していることなど露知らず。舌の上に鎮座する茎を指でつまみ、容器に戻した。
 その一連の動作からもセイカは視線を外すことができなかった。

「……セイカさん?」
「え、あぁ……うん。すごいね」

 カラスバと視線がかち合った刹那。セイカは悟られぬように視線を外した。
 あくまでもいつもと変わらぬ、余裕あるお姉さんとして。
 動揺しているなんて気取られたくない。彼の中にある“セイカ”という女のイメージを崩したくなかった。

「なんか……変ですよ、セイカさん」
「……なんでもないよ」
「ほんまですか?」
「ほんと」

 ──嘘だ。
 セイカはクラボの実を見つめるフリをして、胸の奥で静かに認めた。
 本当は不意に見せられた“男”の顔に、不覚にも胸を躍らせてしまった。
 年下の可愛い男の子だったはずなのに。

「にしても……セイカさんでも苦手なこと、あるんですね」

 くすっと笑いながら言われて、セイカは思わず視線を重ねた。
 カラスバはまるで悪気のない顔をしている。なにも知らないまま、ただ少し得意そうに笑っているだけだった。

「意外やなあ。オレ、なんでもできる人やと思ってました」
「さすがにそれは買い被り過ぎだよ」

 互いに笑い合うと、話はクラボの実から派生して別のきのみの話へと移り変わっていく。
 カラスバはポケモン関連だと本当に楽しそうに話してくれる。茎結びのジンクスを知らないからこそ、何事もなかったような顔をしていられるのだろう。
 でも。
 もし知っていたら、今と同じ顔で笑える?
 同じように、舌の上のそれを無防備に見せつけることができた?
 もしもを想像してしまい、セイカは息を呑む。
 ──年下の男の子。
 そう思って、どこかで油断していた。
 可愛いだけじゃない。青いだけでもない。
 彼もれっきとした男なのだと、こんな些細な遊びで思い知らされるなんて。
 じんわりと全身を巡る熱を持て余しながら、セイカはそっと、胸元を押さえた。