パパ活?いいえ、ママ活です!

 セイカの一日は朝から充実していた。
 大好きな、なんて陳腐な言葉では足りない。執着にも似た重苦しい感情を向けている母親に起こされ、彼の作った朝ごはんを食べる。
 今日は時間にゆとりもあったので、いつもは自分でしている髪だって結ってもらった。
 しゃあないなあ……と少し呆れるように言われたが、それでも嫌な顔せずに綺麗に仕上げてくれた。
 背丈はセイカの方が少しだけ高いが、カラスバは男。
 骨張った指先が髪に触れ、丁寧に整えていく。その時間は、親に向けてはならない仄暗い熱を彼女の内に灯した。
 ジプソが運転する迎えの車に一緒に乗り込み、セイカを学校に降ろしてから事務所に行く。カラスバにとってセイカは大事な大事なおひいさん。
 彼女が歩いて登下校することはまずない。
 そんな幸せな朝。校舎に入ってすぐのところに人だかりが。
 たしかそこには掲示板があったはず。
 登校してきた生徒たちはすでにいる人々に吸い寄せられるように集まり、動かなくなる。
 生徒たちはざわめき、掲示板を見てひそひそと声を交わしていた。
 好奇の目も、信じられないものを見るような顔も、どれも同じ場所へ向いている。

「ねえ、あれって……」
「だよね?」
「うそ、マジで?」
「セイカ……よね?」
「しかもあの相手、サビ組のボスじゃね?」

 近づけば聞こえる内容。雰囲気からして不穏な感じがしたが、セイカは臆することなく原因へと向かっていく。
 すると、廊下のあちこちに散っていた視線がセイカに集中する。掲示板へと歩みを進めれば人の波は左右に分かれ、道を作った。
 ──貼られていたのは写真だった。
 夕方の街角。男女が腕を組んで歩いている。男の目元には黒線が引かれているものの、毒々しさをイメージさせる黒スーツと特徴的な髪型は、知っている者が見ればすぐ分かる。
 そしてその隣で満開の花のような笑みを浮かべ、まるで恋人にするように腕に抱きついている少女が誰なのかもまた、説明不要。
 この学校の生徒。セイカ。
 彼女は勉強も運動も得意でポケモンバトルも強い。整った容姿や、“とあること”で有名人だった。
 一斉に静まり返る場。注がれる視線を意に介さず、セイカは一番前に出た。
 まるで見せつけるように掲示板いっぱいに貼られた写真の横には、悪意に満ちた文字が乱雑に書き殴られていた。

「パパ活女……」

 ぽつりとこぼれた言葉には特に感情は込められていない。
 しかし周囲の人間の反応は違う。
 優等生の隠された姿。白日のもとに晒された醜い現実に生徒たちはざわめく。

「あのセイカがパパ活? しかもサビ組ボスってヤバくね?」
「清純ぶってこれ……?」
「俺が告白したときマザコンだからって言って振ったくせに、男とべったりかよ」

「ねえ、あれってさ、セイカの……」
「うん。だよな」
「ちょっとかわいそうかも……」
「ねー。まあスキンシップ激しめだとは思うけど」

 生徒たちの反応はそれぞれだった。
 セイカを蔑む者。同情を送る者。半々くらいか。
 セイカ本人は周囲の声が聞こえていないのか、それとも全く気にしていないのか。おもむろに写真を一枚剥がした。

「これ昨日の──」
「見ちゃダメ!」
「酷い! 誰がこんな……!」

 セイカの手から写真を取り上げたのはふたりの友人たち。登校したところ、同じように吸い寄せられてのこの行動だろう。
 友人たちは怒りに任せて写真を剥がし始めるが、当の本人はのほほんとしている。

「違うんだよねー」

 ポケモンの技“ゆびをふる”と同じように片手の人差し指を振り、セイカは分かっていないなと腰に手を当てた。

「なにが!?」
「パパ活じゃなくてママ活かな〜」
「いやママ活でもないでしょ!」

 友人たちがそれぞれツッコミを入れる。ただでさえ目立っているというのに、廊下の奥にまで聞こえる声量に周囲の視線がさらに集まる。
 が、セイカは相変わらずな様子できょとんとしている。

「だってお母さんとデートしてたんだもん」
「その説明で納得する人いないでしょ……」

 しかし友人の言葉に反して納得する者たちはいた。
 セイカの母親のことを知っている者たちは微妙な顔をしながらも、頷き合っている。知らない者だけが余計に混乱していた。

「どういうこと? お母さん?」
「え、ほんとに親なの?」
「いやでも男だし……」
「もう訳分かんねー……」

 セイカは周囲のざわめきなど、どこ吹く風でもう一枚写真を剥がすと、じっと見つめる。
 悩むような声を出し、動かなくなったセイカに友人が「どうしたの」と聞けば、

「イマイチな出来だなあ……って。お母さんの魅力の一パーセントも出せてないよ」
「そこ!?」
「お母さん、なんだか疲れて見えるし」
「そういう問題じゃなーい!」

 友人ふたりは半ば悲鳴のように叫びながら写真を剥がし続ける。セイカも一応手伝うように取るも、彼女たちと違って非常にのんびりとしていた。

「セイカは平気なの!? こんなことされて!」
「ん〜。まあ別にいいかな」
「なんで!?」
「私がお母さん大好きなマザコンだってこと、分かってもらえるだろうし」
「だからそういう問題じゃないんだってばー!」

 あまりにも通じないセイカにひとりは額を押さえ、もうひとりは写真を剥がしながら呻く。
 ショックな出来事のはずなのに、当の本人はけろりとしている。
 友人たちは思った。一番怖いのは、もしかしてセイカの倫理観なのではないかと。
 母親に関してのことだけが、ズレている。

「まあでも……撮るならもっと真面目に撮ってほしいかな。ねえ、信じられる? お母さん三十代なのに二十代でも充分通じる美貌なんだよ。綺麗だし、可愛いし、カッコイイし。はぁ……好き」
「あー……はいはい。ほんとにセイカはお母さん大好きなんだから」

 盗撮に対してなにを言っているんだこの子は。さすがの友人たちも呆れるが、剥がす手は止まらない。
 周囲で見ていた生徒たちの中にはセイカと友人の掛け合いに、さすがに笑いを堪えきれなくなっている者たちもいた。
 悪意と好奇心で満たされていた空気が徐々に別の方向へとずれていく。

   ***

(なんで……)

 人混みの中。セイカと同年代のひとりの少年は顔から表情が抜け落ちていた。
 彼は数日前にセイカに告白をした。しかし。

「マザコンだから無理」

 と、爽やかな笑みで言われた。セイカからすれば定番の断り文句で有名なのだが、その一言が少年の胸に刺さったまま抜けなかった。
 そして昨日。見たのだ。セイカが男と腕を組んで歩いている姿を。セイカはべったりと甘えていて、どう見ても恋人同士にしか思えない。
 特徴的な黒のスーツに髪型。──サビ組のボス。
 胸の奥で赤い感情が湧き上がった。
 マザコンって言っていたじゃないか……!
 そうして少年は怒りのまま、スマホで場面を切り取った。
 何枚も印刷し、今朝早く誰にも見られないうちに貼って回り、今に至る。
 ──セイカが困ると思っていた。
 泣くか怒るか。少なくともショックを受けると思っていた。
 それなのに肝心の本人は呑気にママ活などと言い、友人とのやり取りもあって周囲の空気は思い描いていたような“断罪の場”にはならなかった。

「はい散った散った!」

 写真を剥がし終えた友人のひとりがシッシッ、と手を振りながら散らしていく。
 生徒たちも興味をなくしたのか、それぞれの教室へと向かっていく中。

「ぁ……」

 セイカと、目が合った。
 心臓が鷲掴みされたように高鳴る。
 罪悪感と羞恥心でとっさに視線を逸らそうとしたが、その前にセイカが口元に小さな笑みを浮かべた。
 ──すべてを見透かされているような、気がした。
 離れた場所から撮ったし、気づかれていないはずだ。
 それでも。彼女の視線と笑みに意味を見出してしまうのは、己の罪の意識なのか。
 セイカは友人たちに連れられて教室へと向かったが、男子生徒は逃げるように校舎から出た。
 背中に張り付く視線。もうセイカは移動しているのに、あの目が忘れられない。
 校門を出た男子生徒は次の日も、その次の日も学校に来ることはなかった。
 その本当の理由を知る者は、誰もいない。

   ***

 写真騒動のあった放課後。セイカは友人たちと廊下を歩きながら談笑していた。
 同じようにそれぞれの目的で廊下を歩く生徒たちもいるが、朝の騒ぎを知らなかったり、そもそも興味がなかったり。
 あんなことがあったのが嘘のようにセイカは誰の視線も受けておらず、和やかな雰囲気で友人との会話を楽しんでいた。

「不思議だなあ……お母さんとのデート写真なんて、そんなに珍しいかな?」
「まあ……色んな意味で珍しいんじゃない?」

 不思議なのはセイカの方だよというツッコミすら、もうない。

「そうかなぁ……」

 考えるように呟き、自分の中で答えが出たのか、嬉しそうにセイカは笑った。

「まあでも。客観的に見てもお母さんと私はお似合いってことだね。恋人と勘違いする人いっぱいいたし」
「ポジティブ変換が強すぎる!」

 耐え切れず友人のひとりがツッコミを入れた。
 “残念な美少女”という単語が浮かぶようだ。バトルも強く、勉強も運動も得意。容姿も整っているのに肝心の本人は母親にしか興味がない。
 誰の告白に対してもマザコンを理由に断り続けているが、きっと自分ならという謎の希望的観測で告白しては敗れる者たちが後を絶たない。

「帰ったらお母さんに言ってみようかな。学校にデートしてる写真貼られちゃったって」
「やめなさい。絶対にややこしくなるから」
「えー……。あ、お母さん! じゃあね、また明日!」

 外へ出ると校門から少し離れた場所に黒塗りの高級車が停まっていた。紛れもなく迎えの車だ。
 あちら側もセイカの姿を認識すると扉を開けて出てきた。
 セイカは大好きな人の姿を見つけると、嬉しそうに駆けていく。
 友人たちは手を振ってその背中を見送った。
 カラスバに抱きつき、頭を撫でられている様子からして、ただいまとおかえりのやり取りをしているのだろう。
 容易に想像できるセイカの様子を見ながら、友人のひとりが小さく呟いた。

「一番強いの、やっぱりセイカなんだよねぇ……」
「というか、あの子に普通の嫌がらせって効くのかな?」
「たぶん効かない」

 即答だった。
 そしてその答えは、きっと正しい。

   ***

「お母さん。今日ね、学校にデート写真を貼られちゃった」

 車に乗り込んだセイカは隣のカラスバの手を握り、ゴツゴツとした感触を楽しみながら得意げに言った。
 時間が、止まる。後部座席に座るカラスバはもちろん、運転席のジプソも衝撃的な発言に固まってしまう。
 カラスバはなんと答えようかと思案するように数秒黙った。
 もしや娘がいじめられている?
 いやしかし。表情や口調からは曇りは一切感じられない。

「なんでそないな報告をちょっと嬉しそうにするんや……」
「だって。みんなにお母さんと私がお似合いってこと、知ってもらえただろうし!」
「そういう話やないやろ」
「違うの?」

 首を傾げるセイカにはふざけている様子はない。本気でそう思っている。
 カラスバはため息をつくと、セイカの髪をくしゃりと撫でた。

「……まあ、オマエが気にしてへんならええわ」
「うん。だって本当のことだから」
「なにがや」
「世界で一番お母さんが好きってこと!」

 あまりにも真っ直ぐに言うものだから、カラスバは一瞬だけ言葉を失う。
 だがやがて観念したように笑って、セイカの頭を肩に引き寄せた。
 頬に触れるジャケットの生地は心地よく、カラスバの香りに包まれてセイカの胸には溢れんばかりの深い愛情が満ちていく。

「お母ちゃんもセイカが世界で一番好きやで」

 愛しい母からの言葉にセイカは満足そうに笑うと、両腕をカラスバの胴へと回してさらに密着する。慈しむように頭を撫でてくる手が気持ちいい。
 親子の愛情にジプソも人知れず穏やかな表情をすると、車は夕暮れのミアレを滑るように走り出した。