「──いい加減。姿を現したらどうですか」
夜も深まるミアレシティ。月明かりもまともに届かぬどんより空の下。いくつかの場所ではZAロワイヤルが開催されており、ホロで囲まれた内部ではトレーナー同士が熱いバトルを繰り広げている。
その熱気から離れた場所。路地裏にセイカの姿はあった。
時間も時間なので人通りはない。
街灯が照らす薄暗い空間でセイカは振り返ると、闇の中へと声をかける。
平淡な呟きに暗闇に潜む者は驚いたように気配をすくませたが、観念したのか出てきた。
バトルゾーンにいるときから見られているのを感じ、エリアから出てもついてくることにここまで誘ったが──。
(あぁ、やっぱり……)
現れた男はどこかうっとりとした顔でセイカを見つめている。
(来るべきものが来てしまった……)
セイカは眼前に立つ男を見て目を伏せた。普段から冷静沈着な彼女に見えたわずかな焦りにも似た感情。
(あの地に置いてきたと思っていた過去が──目の前で、息をしている)
浅くなる呼吸を抑えるようにセイカはゆっくりと息を吐く。
男の顔には見覚えがあった。セイカが後継者として君臨していた組織。導きを与えた者の中に。
「×××様! やはり、やはりあなたでしたか……!」
男は己が追い求めていた人物だと確信すると、歓喜に体を震わせながらセイカに近づき、両膝をつくと彼女に向かって両手を挙げる。まるで崇めるように。
ぞわり。背筋に寒気を感じ、セイカは顔を曇らせる。当時は強者である己が導くのが使命だからと、弱き者に求められ当然と思うことはあっても嫌悪はなかった。
しかしあの狂った環境から離れたことで分かる。異常だ。これは。
「あなたのお父上は投獄され、あなたも姿を消して数年。ずっと探していました。そうしたら偶然ミアレのニュースが……! あぁ、救世主としてあなたが写っているではありませんか! 雰囲気は違いますがもしやと思い、こうして馳せ参じました!」
男はセイカがじりじりと後退しているのに気づかず、抑えきれない興奮に唾を飛ばしながら矢継ぎ早に語り続ける。
街灯の明かりを反射してギラギラと輝く目は、正気なのかも怪しい。
「未曾有の大災害から人々を救い──やはりあなたは人を正しく導く星の元に生まれたお方だ! お願いします、×××様! 再び我々をお導きください!!」
「っ……」
その名前だけが耳に入ってこない。聞こえているはずなのに聞こえない。
かつては何度も呼ばれた名前。自分の本当の名前。
けれど今のセイカにとって、それは忘れたい音。
もう組織の後継者だった自分はいない。変わったのだ。この地で。
「戻るつもりはありません。人々を導くなど……傲慢そのものだと知ったのです」
「な……! なにを、言って……!?」
「私や父の導きに沿って生きれば楽でしょう。しかし……自分の人生の決定権を他人に委ねて、思考することを放棄してはいけません」
セイカの言葉に信じられないと男は言葉を失う。自分の知る存在とは似て非なるものだと、狂気に爛々と輝いていた瞳は濁っていく。
セイカ自身も父親の言うとおりに生きてきた。父の求める強者となり、後継者として君臨する。
自分の意思をろくに持たず、愚かなほど忠実に使命に従い、息をしていただけのあの頃。思い返せば死んでいたように思う。
だがそれではいけないと知り、この先の人生を自分自身で考え、歩いていくことを決意した。
そうしてやって来たミアレで真に心を許せる人と出会い、初めて大切な人ができた。
「人は自ら思考し選択しながら、ときに迷い、間違えながらも進んでいくものです。私も自分で選びました。だから、あなたも」
ある意味では最後の導きを与える。
父と後継者の自分の導きという呪縛から解き放ち、男が自ら歩いていけるように。
私にもできたのだから、あなたもきっとできる。
誰かの言うとおりに生きるのは楽だ。ずっとそうしていたのだから最初の一歩は怖いかもしれない。
それでも。
「なぜ……なぜですか×××様ッ!! 弱き者を導くという大いなる使命を忘れたのですか!? なにがあなたを変えてしまった……!?」
しかし男はセイカの想像とは違う反応を見せた。
まるで信じていた神を失ったような、絶望に打ちひしがれた面様。
頭を抱え、振り乱しながら男は喚く。
「あなたがいなければ、我々は──私は、どうすればいい!? あなたが星であったから、ここまで来られたのに!!」
「っ!? いやっ、離して……!!」
ついに錯乱状態に陥った男はセイカに突進し、揉み合いになる。
見捨てるのならいっそ、この手で。刹那的な殺意。
肩を掴んでいた手が首へと伸びてくる。距離を詰めてくる死の気配にセイカも抗う。
完全に理性が失われた男をセイカは全力で振り払い──突き飛ばした!
「う゛ぅッ!? ……な……ぜ……×××、様……」
「な……!」
嫌な音が、一瞬した。
ぶつかった先にあった壁。打ちどころが悪かったのか、男は自分の身に起きたことが理解できないまま、ずるずると地面に倒れると動かなくなってしまった。
訪れる静寂。セイカは目の前で起きたことが信じられず、男に声をかけるも返事が返ってくることはない。
(う、そ……)
これは本当に現実に起きていることなのか。あまりに唐突過ぎる出来事に息をするのも忘れ、肌が粟立つ。
──どう、すれば……?
焦りの中、冷静に思考しようとするが考えが纏まらない。相手が悪人ならばかき乱されることはない。
けれど、彼は救いを求めていただけで悪い人間ではなかった。
震える手を男の口元へとかざせば息をしておらず、頬に触れれば熱が失われていくのが分かった。
「っ…………」
呆然と立ち上がり、思考が停止してしまう。
これは、事故。殺意なんてなかった。
警察と救急車を呼ぶのが正しい選択だとは理解している。しかし体は動かない。指先でさえも。
男の身元から過去が露呈してしまったら──。
想像して身震いする。かつては守りたいものや大切な存在はいなかった。同じようなことがあっても淡々と処理を済ませるのみ。
元から自分は罪人。いまさら人を殺したところで。けれどある意味では弱くなってしまった今は、どうしようもなく心がざわめく。
ぽつ。ぽつ。と真っ暗な空から雨粒が降り始め、すぐに勢いは強くなった。
ざあざあと降り注ぐ雫は罪の意識や保身を染み込ませるように、セイカをずぶ濡れにしていく。
「っ、は……!? ……カラスバ、さん……?」
着信音で我に返ったセイカはスマホの画面に表示されている名前に安堵に似たなにかが湧く。
男が自分に救いを求めたように。セイカもカラスバに助けて……と、震える指先を伸ばし、通話ボタンを押した。
「セイカ。今日は雨が降るから早めに帰ってきよし、って言うたやろ? そこはバトルゾーンからも離れとるし、色違いのポケモンでも追いかけてたんか?」
「…………」
「……セイカ?」
「……っ」
ビデオ通話。画面の中のカラスバはすでに帰宅したらしい。
ジャケットを脱いでソファに座っている彼の背景には見慣れた家具が映る。
胸の奥に込み上げるものがあった。向こう側には安らげる、温かな家庭が広がっている。いつもと変わらない……。
彼に助けを求めたいのに喉が狭くなり、声が出てこない。
バトルゾーンに行く前。サビ組事務所で「今日は夜に雨が降るさかい、早めに切り上げるんやで」と見送られたことを思い出す。
視線なんて無視して、もっと早くに帰っていれば、こんなことにならずに済んだのでしょうか……?
後悔という念が押し寄せて止まらない。
「セイカ、どないしたんや!? なんかあったんか!? 返事をせえ!!」
セイカの様子がおかしいことにカラスバは焦り、ソファから腰を浮かせるとスマホを両手で鷲掴み声を荒らげる。
「ヵ……ラスバ、さん……」
彼のその声に背中を押されようやく絞り出した声は、雨にかき消されそうなほどの小ささだった。
「………………共犯者に、なってくれませんか」
カラスバの顔からは感情が抜け落ち、息を飲む音が聞こえた。彼もセイカの様子や“共犯者”というキーワードに察するものがあったのだろう。
カラスバはすとん、と崩れるようにソファに座り込むとセイカの今の気持ちを汲み、少しでも落ち着かせるために極めて優しい声と表情で紡ぐ。
「セイカ。怪我はしてへんか?」
「無傷……です……」
「そうか。すぐに向かうから、身を隠せそうなところで待っとってな」
「はい……」
ああ、なんて頼もしいのか。その声を聞いただけで安堵に包まれ、乱れていた心の水面に少しずつ静寂が戻っていく。
そしてありありと実感する。己の無力さに。
実際。過去のセイカならば、ポケモンを道具と思っていた当時ならば、道具の力を使って対処していた。
だが今はポケモンは大切な仲間。酷い命令をしたくない。
セイカは物言わぬ肉の塊をさらに目立たない場所へと引っ張り込み、自身もその横で膝を抱えて座り込むと、顔を伏せて小さくなる。
強くなる一方の雨は大雨となり、大地に降り注ぐ。罪の痕跡も、なにもかもを洗い流すように。
「──セイカ」
「カラスバ、さん……」
どれほどの時間が流れたのか。頭上でした声に飛び跳ねるように顔を上げると、待ち望んでいた人がそこに。
カラスバは丈の長い黒のレインコートを着ていた。その理由はきっと“ふたつの意味”で。
名前を呼ぶ声にはセイカを気遣う優しさが滲み、救われる立場の気持ちがよく分かるようだ。
あの男の反応も少しは理解できる。
カラスバは摩耗したセイカを立たせると、深く抱きしめた。もう大丈夫やと告げるように背中を撫でられ、セイカの目の前が滲む。
これは涙なのか。それとも雨なのか。……分からなかった。
「安心せえ。あとはカラスバさんに任せとき」
「っ……、ですが、私が……! 私も手伝います……!」
己が殺めた命なのだ。たとえ事故だとしても。この手で始末をつけねばならない。
共犯者になってもらうのだ。自分だけ楽をするわけにはいかない。
しかしカラスバは首を横に振るばかり。
「……カラスバさんもミアレのため、誰にも言えない仕事をしてますよね? 私もいずれは正式にあなたの横に立つ女です。このくらい、できるようにならないと……」
体を離し、カラスバの目を見てしっかりと告げるも彼はセイカの肩に両手を置き、諭すように口を開く。
「それを言われると何も返せへんし、セイカの言いたいことは分かる。やれ言うたらできるのも知っとる。……せやけどな。できることを全部せなアカンわけやない」
「…………」
真剣な眼差しからは守りたいという強い想いが伝わってくるようだ。
これ以上言ってもカラスバは絶対に了承しない。それが分かったセイカは大人しく引き下がることにした。彼の気持ちに心を預けようと。
***
「はっ──」
目を覚ませば見慣れた天井が視界に広がる。カラスバの家の寝室。もうここに住んでいると言っても過言ではないほどに、この部屋でセイカは朝を迎えていた。
薄暗い部屋。カーテンの隙間からは雨の音が入り込み、外は土砂降りの雨なのだと知る。
(あれは夢……だったの?)
現実に起きたことなのか、はたまた夢なのか判別できない。
こんなことは初めてだ。セイカは起き上がるとそのまま額に手を当て項垂れる。分からない。本当に。
なにが夢で、なにが現なのか。
「ん……、どないしたん? セイカ……。まだ起きるには早い時間やで……」
横で布団がわずかに揺れる。
寝ぼけた声は低く、酷く眠たげ。目は開いてすらいない。
セイカの方に体ごと向けた位置で眠っていたカラスバは、いつもとなにも変わらない。
ますますアレが現実に起きたことなのか、分からなくなる。
「……カラスバさん。私は昨日……なにをしていましたか」
「ん〜? 妙なこと聞くんやな……まあ、ええか」
間延びした声とともにカラスバの腕がセイカの腰へと回り、彼の方からぐいっ、と距離を縮めた。
「雨が降る言うてるのに、どないしてもバトルゾーンに行くって聞かへんでなあ……」
ここまでの記憶は一致する。問題はそのあとだ。
早く、早く、その先を聞かせてほしい!
高鳴る心臓。焦燥にちりちりとポッポ肌が立つ。浅くなる呼吸に指先が痺れてくるようだ。
「せやけど、珍しく素直に言うこと聞いて雨降る前に帰ってきて……そのご褒美にオレが寝かしつけてやったんやないか」
眠たげな口調ながらも記憶を思い出しながらの会話は、カラスバの表情を柔らかいものにしていく。
逆にセイカは自分の記憶にないことを言われて困惑してしまう。
私は雨が降る前に帰らなかったはず。だからあんなことが……。
「あんときのセイカはほんま……ふふ、甘えたさんやったなあ……」
「っ……私は……故意ではないとはいえ、人を…………殺めました。それで、あなたに──カラスバさんに、共犯者になってほしいって、」
「なんやそれ。えらい物騒やん」
言葉が遮られる。カラスバはセイカの発言に眠いのが嘘のようにぱちっ、と目を開き、瞬きを繰り返した。
恋人の口から信じられない言葉が紡がれ驚くカラスバだが、それも一瞬。
不安げな顔のセイカを安心させるように、頬の力を抜いた。
「夢見が悪かったんやろ。そんなモン、ただの夢。悪夢や」
「夢……?」
「疲れが溜まっとると変な夢みてもおかしくあらへん。……おいで、セイカ」
ただの悪夢だと断じ、カラスバがセイカの腰を引く動作をすれば彼女も大人しくベッドに潜り込む。
向かい合わせになるとカラスバに抱き寄せられ、目の前には心臓部分。
布越しに感じる命の鼓動は、緊張に固くなっていたセイカの体をほぐしていく。
「カラスバお母ちゃんがよしよししたるよ。せやからはよ……忘れ」
(……あれは夢だったの? ……本当に?)
疑念はどうしても拭えない。けれど。
頭の上から降ってくる言葉。
規則正しい心臓の音。
背中をなぞる手。
そのどれもが安寧をもたらし、セイカの思考はゆっくりと溶けていく。
──夢か、現実か。
──罪か、悪夢か。
それでも。もしあれが現実だったのなら。
私たちは、もう共犯だ。
終
