見るということは、見られるということ

「ルシファー……! よかった、目を覚ましてくれて……。なにが起きたか覚えてる?」
「肉体の損傷、痛み……。っ……、骨も折れてるのか……?」
 見慣れた寝室。部屋は薄暗く、どこか寒々しい明るさ具合から時間は深夜に近く、窓のカーテンはレースのみ閉められているのだろう。
 傍らには泣いているのか目を真っ赤にしながら椅子から立ち上がったジータの姿。眠っていた意識が覚醒すると全身に鋭い痛みが走り、ルシファーは自らの肉体が傷ついていることを理解した。
 動かぬ体。視線を下へと向ければ半裸にされており、上半身にはところどころ白い包帯が巻かれていた。なぜこんなことになっているのか。記憶の想起を開始すれば、
「星晶獣の暴走に巻き込まれて大怪我を……。ごめんなさい。私がいればこんなこと……」
 求めていた答えをジータが教えてくれた。星晶獣の暴走。そうだ。他の研究員が獣を造り、所長であるルシファーが実験室を訪れているタイミングで獣が暴走し──そこから先の記憶がない。
 覚えているとすれば大混乱に陥る部屋と、いつもなら一緒にいるジータが不在だったことか。もし彼女がいれば今頃自分の体は損傷などしていない。
 事が起きてからどれほどの時間が経ったのかは定かではないが、星晶獣が暴れているとは思えない静けさに包まれているのでさすがに獣は鎮圧されただろう。
 その場にいた研究員が対応したのか、軍が投入されたか、はたまたジータが駆けつけたか。
「獣はどうなった」
「…………コアが、砕けた……みたい……」
「コアが砕けた? 暴走に核が耐えられなかったのか」
 極々自然な問いにジータは気まずそうに黄星の輝きを彷徨わせると、椅子に腰を下ろす。膝に置かれた両手は軽く握られ、表情も険しい。
「違う。……あの場にいた他の人に聞いたんだけど、私が──血まみれになって動かないあなたを見て……コアを剣で貫いて、粉々にしたって」
 あのとき。ちょうどジータには使いを頼み、実験室にはルシファーと研究員が数名のみ。獣が暴走してすぐ駆けつけたジータが血に濡れた主の姿を見て──ある意味では暴走し、怒りと絶望のままにその力を奮った。
 彼女は星晶獣のプロトタイプではあるが、時にルシファーの想像以上の力を発揮する場合がある。今回もそれに該当するか。
 ジータがルシファーに並々ならぬ感情を抱いていることはルシファー本人も理解している。しかし愛を理解できない──不確定な感情に左右されることを嫌いながらも、ジータに関して寛容な態度を取り続けている彼もコアが再生不可能なほどに砕けたと暗に示す言葉には、同じ態度は取れず。
「コアひとつ作るにもどれだけの費用と素材が必要か分かってるのか? ひびくらいならばまだしも、再生不可能なほどの傷では再利用すらできん」
 自分の命よりかもコアを気に掛ける姿勢は彼らしいながらもジータの榛色の瞳は瞠目し、揺れる。目が物語る。
 星の民は不滅の存在とはいえ大切な命だというのに、どうして。
 コアならまた作ればいい。それなのに、どうして?
「どうしてそんなことを気にするの……? だって、一歩間違えたら活動停止状態になったかもしれないんだよ!?」
 悲痛な面持ちの叫びはしじまの空間に響く。両手をベッドの脇に叩きつけ、真っ白なシーツに深い波を刻む。
「脆弱な空の民ならばまだしも、俺は星の民。この程度なんともない」
「そうかもしれないけどっ……! …………私は、あなたがいなくなったら寂しいよ……」
 ルシファーの言うとおり、空と星の民では基本的なスペックが違う。完成されたゆえに進化が停滞している星。未完成だからこそ進化し続ける空。見た目は空のヒューマンと相違ないが、中身が違うのだ。
 けれどジータからすればそういう問題ではない。愛する人が傷つけば悲しむ。もしものことを考えたら涙が止まらなくなる。
 ルシファーがいなくなってしまったら不滅の星晶獣である自分は独りぼっち。寂しいという気持ちは心からの言葉。
 だがルシファーはなにも答えず。カーテン越しに差し込む月明かりに照らされ、宝石のように輝きながらこぼれ落ちる雫たちを一瞥すると目を閉じた。
 それはもう会話は終わりだという印。ジータは一度鼻を啜ると消え入りそうな声で、
「……部屋に戻るね。…………ごめんなさい」

   ***

「……ジータ……?」
「…………」
 誰かの気配を感じ、眠りから覚めると寝ぼけ眼でベッドの傍らに立つ存在を見る。私室の鍵を持っているのはジータだけなのと、殺気が感じられないので何らかの理由で彼女が来たのかとルシファーは思う。
 しかし、彼女の髪色や服装が違うこと、また体がぼんやりと発光していることに己の知るジータではないと認識すると、一気に覚醒した。
 だが大怪我を負っている体のため、動くことは叶わず。無表情で無言のままこちらを見下ろすジータの顔をした“誰か”をルシファーの鋭い視線が突き刺すも、相手は特に反応はせず。
 白に蒼を混ぜたような髪色、女神という言葉を体現したような白い衣服は露出が激しいものの、卑猥という感想よりも神秘的な印象が強い。
 頭に被っているベールの裏地は夜空に輝く星々をそのまま映したような生地になっており、神聖さをより際立たせる。──神。そう言い表しても間違いないくらいに。
「お前は誰だ」
「それはあなたが一番よく知っているでしょう。ルシファー」
 髪と同じ色をした双眸と視線が混ざる。声はジータと同じだが、脳に直接語りかけるような静かな声音は聞き慣れない。
 ジータには製作者であるルシファーの想像を超えた特殊な力を持っていた。時折別世界の自分の夢を見たり、さらにはどこかから引き出しているかのように爆発的な力を発揮することも。
 後者に関してはジータには記憶がなく、再現性に乏しいため実証実験はできていない。
 目の前の存在は別世界のジータ。おそらく向こうの世界では星晶獣とも違った異質な存在なのだと、肌で感じた。
 まさか人格まで乗っ取られるとは。元には戻るのか。そもそもこちら側に干渉してきてなにが目的なのか。眉間の皺は深まるばかり。
「怖い顔をしないで。私はあなたを治療しに来ただけ」
「治療、だと?」
「涯てを通して世界を見ていたら偶然この世界の私と目が合ったの。彼女は無意識に涯てに接続していたようだけど“見る”ということは“見られる”ということ。深い悲しみに囚われている彼女の世界になにが起きたのかを私は見て、助けることにした」
 涯て。初めて聞いたはずなのに、妙に聞き覚えがあるような感覚がルシファーに生まれる。
 ジータの夢や力の源──目の前の存在はかなり高位の存在なのだろう。自らの意思でその涯てを通して別世界を見て、さらにはこうして介入してくるのだから。
「分からんな……。この程度で活動停止状態になったりはしない。いずれ治癒するというのになぜわざわざ干渉するに至った。愚かなほどにお人好しなのか? それとも神にでもなったつもりか? 視界に入ったものを全て救済しようなどと傲慢が過ぎる」
「あなたって感が鋭いのね。……世界は無数に存在する。その数多くに私はいて、世界の数だけ物語がある。特異点として空を旅をする世界。幽世によって空が滅んだ世界。星の生命として生きる世界──無限の物語の中には、神になった世界もある」
 別世界のジータ。ジータの見る夢の話からして予想はしていたが、こうして違う世界の本人に改めて言われるとその影に誰かの思惑のようなモノを感じられて胸がざわめく。
 そして即座に否定する。ジータを造った際に自分以外の意思は存在しないと。アレは手ずから造り上げた作品。神──世界の干渉など受けてはいないと。
「……そちらの世界のお前は、その神になったというわけか」
「まさか人間の私が神になるなんて思いもしなかったけどね。……で、救済の件だけど。他の世界に干渉してはいけないことは分かってる。自分の世界だって基本は人間たちの進化の力に任せてることにしているし。でも……別世界で“ルシファー”と平穏な日々を送る私を見て、少し羨ましくなったのかもしれない」
「…………」
「だから救済なんて仰々しいものじゃない。自分のためなの。……ふふっ。サハルにバレたら叱られちゃう」
 神という人間とはかけ離れた存在になってもなお、ジータはヒトのように自嘲的に力なく笑む。彼女の言葉からして向こうの世界にも自分は存在していて、そちらのルシファーとの関係はあまりいいものではないようだ。
 だからといって偶然とはいえ、こちらの世界に干渉しようとする感情は理解できるものではないが。
「メガリフォーティア」
 ジータが片手を振るえばルシファーの上で太陽の如く輝く光が渦巻き、収束すると瞬く間に傷が癒えていく。
 術をかけられ一瞬身構えるが、複数の骨折も最初から折れてなどいなかったかのように元に戻り、失った体力も回復した。
 この世界にも様々な治癒の技術が存在するが、一瞬で全てが終わるものはない。まさに神の御業。向こうの世界のジータがそこまでに至るいきさつはともかくとして、神として存在するのは偽りではないらしい。
 ──神。特に空の世界には姿は見えずとも、人々が信仰している存在が数多くいる。それらに星の獣として姿を与え、使役するのも可能か。
 一から全てを造り上げる方法とは別に新たな獣の製造方法を見出しつつ、ルシファーは起き上がった。つい先ほどまでは体を動かすことも痛みを伴っていたというのに、なにも──むしろ体の調子がいい。
「痛むところはある?」
「ない」
「そう。よかった。……あなたに、ひとつ忠告しておくことがあるの」
「忠告?」
「今はまだこの世界の私は無意識に涯てに接続している状態。……涯てはあらゆる時間が同時に存在する特殊な場所。当然私のような人の理を超えたジータもいるはず。そして“ジータ”という存在は基本は善人寄りだけど、絶対じゃない。無限の物語の中には悪に堕ち、その手で世界を滅ぼした私もいる」
「そいつがジータの体を今のお前のように乗っ取る可能性もあるというわけか」
「涯てを通して物質を別世界に持ち込むことはできないけれど、力や情報は引き出すことができる。人格も情報のようなもの。見るものを自らの意思で選べないこの世界の私を、悪意を持った私が見つけてしまったら……」
 彼女の言うことは事実だろう。あれはいつのことだったか。とある島に立ち寄った際にルシファーが危機に陥り、ジータが助けたことがあるが、その際の彼女は髪が蒼くなっていた。
 圧倒的な力を発揮したが、ジータ自身は自らの変化には気づいていなかった。
 形のないデータを引き出せるならば……今は自分の意思で選べないが、経験を積めば自在に身に余る力を揮うことも可能。最高評議会の連中に知られたら面倒なことになると、この件は自分の胸にしまうことを決めた。
 それよりも、だ。存在によっては人格すらこうして別世界に干渉してくるのだ。目の前にいるジータは善人寄りのようだが真逆のジータが目をつけたら最悪、
「世界の終わり、か」
「可能性は否定できない」
「……なぜ涯ての存在を俺に教えた。お前の言葉からしてそちらの世界にも俺はいて、神であるお前とはおそらく敵対する関係。涯てに接続したジータを利用し、俺が──例えば、世界を滅ぼそうとするとは考えないのか?」
「あなたはこの世界の私に酷いことはしないよ」
「くだらん。なにを根拠にした発言だ。信憑性に欠ける」
「ふふ……そろそろ、頃合いかな。願わくば、あなたたちの平穏な日常が長く続きますように。……覚えておいて、ルシファー。この世界のジータを守れるのはあなたしかいない」
「なにを……」
 最後に謎の言葉を残すと、異世界のジータの体は強い光に包まれ、なにも見えなくなるとやがて収束。ルシファーが見知った姿のジータが現れ、そのまま床に倒れた。
 意識を失っているのか目を覚ます様子がなく、青星がため息混じりに閉じられるとベッドから下り、細い体をやや乱暴に抱くと放り投げた。
 大きなベッドがスプリングの音を軋ませながら受け止め、ルシファーもベッドの中へと戻った。隣にいるジータが自分に背を向ける形で横たわっているのを見て、なんとなく顔を自分側へと向ける。
 呑気にすやすやと眠る被造物。一時的とはいえ別世界の神を宿していたとは思えぬ寝顔。
 今回宿った別世界のジータは悪意がなく、最後は自分の意思で去っていたが、もし彼女の言うように悪意を持ったジータが見つけてしまったら。
 涯てからの人格の流入が永続的なものかは不明だが、厄介なことになるのは明白。
「お前はどこまでも……俺の想定範囲を超える」
 まるで、特異点だ。
 ルシファーはジータの髪を撫でると別世界の彼女の言葉を反芻する。
 ──守れるのはあなたしかいない。
 なぜなのか。まるでジータの身になにかが起こるのが確定してるような。そう思えてならない。神という上位存在ゆえに未来視ができるのだろうか。
 純粋な力ならばルシファーよりジータの方が強い。ならば精神面か。今の彼女は主のことになると過敏。不安定になりやすく、その状態で無意識に涯てに接続したものだから異世界の自分に入り込まれた。
 見るものを自分で選んで、力を引き出せるようになれば隙は生まれないだろう。
 ルシファーはいつか来るかもしれない分岐点を思い、夜は静かに深まっていく……。