堕天司と娘の終末綺譚 - 3/4

堕天司と娘の終末綺譚③

 雲が流れたことにより、隠されていた月が大地を照らす。
 ここは特異点と呼ばれる人間の少女、ジータと堕天司を名乗る原初の星晶獣、ベリアルがたった二人で暮らす楽園。
 彼と彼女以外にいるとすれば穏やかな性格の野生動物のみ。
 近くを騎空艇が飛ぶこともあるが、この島の存在を認知できないのか、今まで誰も上陸したことがない。
 ベリアルが言うには特別な結界を張っていて存在を覆い隠しているのだそうだ。
 辺境の地にぽつりと存在する島。自然も豊かで気候も四季で言うならば春を思わせる優しい風が常に吹いている。
「ん……」
 数刻前にベリアルと一緒にベッドに入り、眠ったジータだが、目覚めてしまったようだ。眠そうに目を数回瞬きさせると、顔を上げた。
 ジータの見つめる先にいるのはヘッドボードに体を預け、読書をしているベリアルだった。
 寝室にある大きな窓は覗く人間がいないのでカーテンは引かれておらず、夜を優しく照らす月光が入り込んでいるが、薄暗いことには変わりない。
 それでも全く気にしていない様子で白く、骨張った指先でページをめくる辺り、彼の目には夜の闇など関係ないのだろう。
「起こしてしまったかい?」
 本を閉じ、傍らに置くと赤い宝石がジータと重なる。
 その声と目からは甘く蕩けるような毒の愛が感じられ、ジータは微笑んだ。
「ううん……。ねえ、ママは眠くならないの?」
「ママはヒトじゃないからね。人間のように睡眠が必要、ってわけじゃない。それでも……昔はとっていたよ」
「昔……もしかしてルシファーさまが生きていた時代?」
「そうだねぇ……。あれから二千年。色んなことがあった。それでもこの月の輝きだけは……ずっと変わらない」
 視線は窓の向こうで凛と輝く月へ。その横顔がどこか淋しげに見えたジータはもぞもぞと起き上がると、ベリアルの胸に顔を寄せ、抱きついた。
 触れ合いで感じる熱は少し低め。奥からはコアの脈動を微かに感じる。
 この熱と鼓動、そしていつでも自分を柔らかく受け止めてくれる胸がジータは大好きだった。
 女性とは違った膨らみだが、とても安心できる。胸に顔をうずめ、肺いっぱいに息を吸い込めば、ベリアルが愛用している香水の香りに包まれて多幸感が溢れる。
 甘えてくる娘に対してベリアルは「いくつになっても甘えん坊だな」と喉奥で笑った。それでも引き離したりせず、逆に肩を抱き、優しく叩く。
「一日でも早くルシファーさまを復活させて終末を迎えて、ママを眠らせてあげるね」
「ふふ。本当かい?」
「だってママはルシファーさまがいないこの世界じゃ眠れないでしょう? あの方が復活すれば世界には終末がもたらされる。人も、獣も、神も、等しく滅ぶ。その世界でようやくママは眠れる。そうでしょう?」
「……そうだな。ママも早く眠りにつきたいよ」
「七十三万回の夜の果てに一人で見つめた明けの明星。その終わりはママと一緒に迎えたいな。あ、でもママはルシファーさまと二人きりがいいよね。邪魔したら駄目だね」
「いいや。ファーさんとオレ、そしてジータ。三人で終末を見届けよう」
 胸元で顔だけ上げれば、ガーネットの瞳が夜色の優しさを纏っていた。
 肩に触れていたベリアルの手はジータの頭へ。指で何度も撫でられていると夢の世界への入り口が見え始めた。
 重くなる瞼。抵抗せずに受け入れれば、ベリアルに寝かしつけられたジータはゆっくりと深い眠りに堕ちていく。
 ──眠ることをやめた獣に永遠の安らぎを。
 いつの日か実現することを願い、ジータの意識は闇に溶けていった。