堕天司と娘の終末綺譚②
「ジータ。アップルパイを焼いたんだ。一緒に食べよう」
「本当!? 私、ママの焼いたアップルパイ大好き! 今日はいい天気だし外で食べよっ!」
穏やかな気候のこの島は私とママ以外の人はいない楽園。大人しい性格の動物と自然に囲まれながら私はママと暮らしていた。
ここ以外の島に興味がないと言ったら嘘になるけど、ママと二人きりの箱庭は私にとってかけがえのないもの。
いつかはルシファーさまの齎す終末によって全てが無に帰すとしても。
日当たりがいい場所。甘い香りに包まれながら読書をしていた私は、キッチンから顔を出したママの言葉に飛び跳ねるように椅子から立ち上がった。
ママの作ってくれる料理はどれも美味しいけど、林檎を使った料理が一番好き。
大きな窓の向こうに見える景色は見ているだけで心がほっこりする緑と温かさがあって……。外で食べるにもってこいの陽気。
私の提案にママも頷いてくれて、準備のために私は物置として使っている部屋へと向かい、黒いガーデンテーブルとイスを二脚外に出した。
二人で使うには少し大きめの丸テーブルの上に透け感のある白いテーブルクロスを広げれば、テーブルの形や模様が太陽の光で透けて見えてなかなかいい感じ。
あとはテーブルと同じデサインのガーデンチェアを向き合うように置けば完璧。
ちょうど設置が終わると白いトレイを持ったママがやってきた。持ち手に金色の装飾が施されたトレイの上にはティーポットとカップ、そして焼きたてのアップルパイが一切れずつ乗せられているお皿。
食器の縁にはトレイと同じように金色のラインが入っていて、落ち着いた高級感があった。
それよりも。見ているだけでお腹の虫が鳴きそうなくらいに美味しそうなパイに釘付けになる。
網目にこんがりと焼き色のついたパイが太陽の光を受けて輝き、頬を優しく撫でる風が紅茶の香りを引き立てる。
ママに促されて席につくと、ことり、ことりと順番に陶器が目の前に置かれていき、私の配膳が終わると次はママの分が置かれた。
それも終わると、私と向き合うように置いた椅子にママは腰掛け、陽の光を反射して紅緋色の瞳がより一層煌めく。
いつの日か見せてもらったオルディネシュタインっていう石のように。その石を見て、ママの目みたいって言ったら笑われたっけ? 理由を聞いたら「オレには似合わない意味の石だからね」って言われたけど……。未だにどういう意味なのかは分からない。
「どうしたの? オレの顔をじっと見つめて」
「今日もママは綺麗だなって」
「本当にキミはオレのことが好きだねぇ」
「うん。大好き……ううん。愛してる」
「フフ……。オレも愛しているよ、ジータ」
オルディネシュタインの瞳で私を見つめながらママは“愛しているよ”と言うけれど、それは毒のように甘い嘘。
だってママの愛は全部、ルシファーさまへと注がれているから。いや──違う。愛なんて陳腐な言葉じゃ足りない。
この世の“愛”を意味するどんな言葉も、ママのルシファーさまへの感情を表すことはできない。
言の葉が意味を成さないくらいに大きな感情をママは造物主へと抱いている。たとえ、その気持ちが返ってこなくても。
ママが私に向ける愛は嘘だけど、私がママへと向ける愛は本物で、その気持ちにママが心から応えてくれる日は決してこない。
でも……それでいいと思っている。ママがルシファーさまへと向ける気持ちと同じかもしれない。
ママはルシファーさまの復活のため、彼の齎す終末への露払いを共にするために特異点である私を育てている。私はその期待に全力で応えるだけ。
無償の献身。無償の愛。だって私にはママしかいないから。記憶がぽっかりと欠落した私の中を満たすのはママ──ベリアルだけ。彼に見捨てられたら……どう生きればいいのか分からない。
「空が……蒼い……」
「どこまでも澄み渡る空……キミはこれが好き?」
なんとなく視線をママから外し、遠くを見れば雲ひとつない蒼が広がっていた。見ているだけでどこか晴れやかな気持ちになるけど、ママはこの空の色は好きじゃないみたい。
「まさか」
好きと聞かれて私は首を横に振る。私が好きな空はママが求める空の色。ママが蒼が好きなら蒼、赤が好きなら赤。ルシファーさまの色が好きなら彼の齎す色。
「ママと同じだよ」
言って、コトコトと甘く煮込まれた林檎を口にすれば、背徳的な味に笑みがこぼれる。
あぁ、私、本当にママのことが大好きだなぁ。
終