朝から雨が降り続ける今日。空は陰鬱とした雲に覆われ、天の恵みでもある雫で地上を濡らす。
田尻未来には学校終わりに向かう場所がある。そこは恋人である不破大黒の自宅。
ひょんなことから不破と未来は偽りの恋人になり、様々な出来事の果てに初恋同士というのを知って今では心を通わせる間柄。不破の本当の性別が女だと知る限られた人間の仲間入りも果たした。
──本日不破は欠席。不破と小学校からの付き合いがある織部だけは来ており、彼から彼女が体調不良だと聞かされた。
放課後に不破の家に行くのが当たり前になっているが今日はお邪魔するのをやめた方がいいかなと脳裏によぎるも、未来の考えを見透かしていた織部に「ファーさんに会いに行ってやってくれ」と念を押されたため、こうして不破の自宅までやってきた。
いつ見ても映画やドラマの世界としか思えぬ大きな平屋建て。軒先の出っ張りが長めなのでゆっくりと傘を閉じても雨に濡れることない。
雨粒の音が周囲の音をさらい、それがまた心地いいと感じながら鞄から鍵を取り出す。鍵穴に差し込めば当たり前だがピッタリだ。
不破から渡された合鍵。彼女からすれば未来は嫁である。
中学三年生とはいえまだ子ども。一般的な感覚では重いだろうが、幼い頃の約束といえど約束。不破の中では未来は自分の伴侶。それは未来も同じなのだが。
引き戸を開けて玄関に入れば、不破ひとりしか住んでいない家はがらんとしている。すでに数え切れないくらいに上がり込んでいるので勝手を知っているように靴を脱ぐと、まず居間の障子を開けてみるが当然不破はいない。
畳が敷き詰められた部屋は広く、物があまりないためより広さを際立たせる。ここから台所へも繋がっているが今は用はないので次は本命である彼女の私室へと向かう。
最初は迷子になっていたこの家。部屋数も多く、どこになにがあるか分からずに不破に頼ってばかりだったが、今ではすっかりと把握したのでその足取りは軽やか。
襖を開け、中に入ればまず目につくのは机などが置かれている広々とした部屋。自分の部屋とは明らかに違う広さは不破家の財力の片鱗が伺える。
そんな部屋と寝室を隔てる襖は開けられたまま。奥も今いる部屋同様に畳張りになっており、壁側の中心にはふたりくらいは余裕で寝れるベッドが。
掛け布団は盛り上がっており、部屋の持ち主が横になっていることを示す。
「不破君、いる……ね、」
「未来か……」
寝ているかもしれないと控えめに声をかければ、白い掛け布団から青の輝きが覗き、未来の姿を目に映すと気だるげに中へと戻っていく。
思っていた以上に具合が悪いらしい。織部君には来るように言われたけど、このまま帰った方がいいのかもしれないと迷うが、
「こちらに来い」
「う、うん……」
そんな彼女の気持ちが通じたのか、不破は迷いを断ち切るようにひとつの命令を下し、未来は素直に彼女の傍らへ。
両膝を折り、横に鞄を置くとこちらを向いている不破の頬を優しく片手で包む。
普段見ない弱々しい彼女の姿に自然と腕が伸びていた。気だるいながらもどこか愛おしいものを見るような眼差しは、愛しい女の手に感じ入るように閉じられる。
不破のひんやりとした体温ながらも、肌触りがとてもいい肌は触れる度に羨むほど。大丈夫? と聞くように親指で数回撫でれば、弱い力で不破の手が重ねられた。
「織部君から体調不良だって聞いて。なら今日はここに来るのをやめようかと思ったんだけど、会いに行ってやってくれって言われてね」
「そうか……」
「熱はなさそうだけど……天気のせいかな? ほら、低気圧で」
「それも多少は影響しているが……大本は月経だ」
「あっ……! そ、そっか。不破君も女の子だもんね」
まさかの言葉に思わず驚いてしまうが、冷静に考えれば納得のいく答えだ。彼女は男として振る舞っており、本来の性別を知ってもなお、普段の様子から女というのを忘れそうになる。
未来自身も毎月経験すること。人によって差異はあるが、体調不良を引き起こすことが多い。薬によって回復することもあるが、それでも完璧ではない。
念のために薬を飲んだか聞いてみれば、肯定の答えが返ってきたが体調は悪いまま。諦めて寝ようとしているが、眠れない……といったところか。
「不破君。私にできること、なにかある?」
「……ならベッドに入れ」
「ベッド?」
なぜベッドなのか。疑問を感じたが、早くしろと言いたげな視線を向けられると大人しく従うしかなくて。人ひとり寝られる場所が空いているところに制服のまま入り込む。
体を受け止めるマットレスは程よい硬さで気持ちがいい。学校終わりの疲れもあるので、油断すると寝てしまいそうなくらいに。
そもそも不破が日常的に使っているベッド。彼女の香りが満ちた場所に安らぎを感じるのは当然。
「わっ……!? 不破君?」
「……一説によると、ハグをするとエンドルフィンやオキシトシンが分泌されるそうだ。特にエンドルフィンには強い鎮痛作用がある。……頭痛に加えて腰や内臓の痛みが強い。俺が眠るまで大人しくしていろ」
急に抱きつかれ、胸元には白銀の髪。胸に顔をうずめながら発せられる言葉はくぐもり、制服越しに感じる呼吸がこそばゆい。
不破が強い痛みを感じていること、それが抱きしめることで緩和されると知った未来は自分からも腕を回すと片手で不破の腰を撫でた。
一瞬緊張する不破の体。それでもいやらしい意味はなく、さすることで痛みがさらに軽減されないかという試みが分かったのか、体を委ねるようにこわばりが消えていく。
(なんだか不破君がすごく可愛い……!)
弱っているのに申し訳ないと思いつつも、普段はクールでかっこいい彼女だからこそ、ギャップに胸が高鳴ってしまう。どくん、どくん、と力強く鼓動を打ち鳴らす音が耳元で聞こえてくるかのようだ。
さらに不破の香りは未来の好み。その馥郁たる香りが間近に。意識していないと鼻息荒く吸い込んでしまいそうになりながら、今度は背中を一定の間隔で優しく叩く。
幼少の頃、母がこうやって寝かしつけてくれたのを思い出す。どんなに眠れなくてもこうされるといつの間にか寝ていて。不破君もそうだったらいいなという思いが手を動かす。
彼女はなにも言わない。けれど強まる腕の力が未来の母性本能を刺激する。
素直に甘えてくる不破に未来の中に激情が生まれる。やっぱり私、この人のことが大好きだ。心の底から溢れる思いを胸に、穏やかで静かな時間は流れていく──。
終